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第二部
第四十六話――イアンの案内
しおりを挟む「アリスさん?」
「……」
「アリスさんってば!」
「は、はい! どうしましたのクィルナ?」
「どうしたもこうしたも無いわよ。アリスさんの方がどうしちゃったのよ、ぼうっとして。これから大変かも知れないってのに」
「ごめんなさい。気を引き締めてなければ、いけませんわよね……」
アリスとクィルナの二人は、そんな会話をしながら病室へ向かっていた。外通路を渡り西棟へ。支援院での暮らしの長い二人なら、何度でも通った順路だ。しかし、今に限ってアリスはそんな順路を何度か通り過ぎてしまい、それをクィルナに引き戻されている。見兼ねたクィルナがそれに喝を入れようとするも、相変わらず俯き加減のアリスの顔色は晴れぬまま。今は知らない記憶が芽生えてしまったみんなの様子を見に行く途中だと言うのに、こんな様子でアリスさんこそ大丈夫なのかと、クィルナは心配していた。
「ねえ、アリスさんも疲れてるみたいだし、休んだ方がいいんじゃない? それまでは私がみんなのお世話しておくわよ。一ヶ月眠ってただけあって、体力はすごいんだから」
と冗談混じりに言ってみたところ、やはりアリスの反応は芳しくなかった。それどころか足が止まってしまった。どうしたのだろうか。今のはブラックユーモアが過ぎたのだろうか。とクィルナは恐る恐る振り返ってアリスの顔を窺う。するとどうしたことか、そこにあったのは先程までの俯いたアリスではなく、しっかりと正面を見て立ち尽くすアリスだった。しかしその表情は驚嘆一色。今のアリスさんが、一体何を見ればそんな表情になるのか。クィルナはその視線を辿った。
「……ん? あれは……イアン?」
視線を辿った先にあるのは西棟の入り口。その扉を開け放ち、なにやらへんてこな踊りのようにしてこちらを指差すイアン・カート。病室にて天使の記憶に呻いていた筈だ。それがどうしてか、いつにもまして仕草の大袈裟な様子で、どたばたと二人に向けて走ってくる。アリスがそんな顔をしてしまうのも納得出来る。
イアンは妙ちくりんな走りで二人の前にやってきて、何やらジェスチャーを始めた。それは言葉を話せないイアンなりのコミュニケーションだ。
頭の上に手をやり、輪っかを作る。次に腕を広げてばっさばっさと羽ばたいている。アリスとクィルナも、そこまでで彼の伝えたいものがわかった。
「えっと、やっぱりイアンも天使の記憶を見たのね」
クィルナの言葉に、イアンは両手の人差し指を勢いよくクィルナに向けてこくこくと頷いた。そして次に、何やら後ろ歩きをしながら、左手で指笛を吹き、右の手のひらで二人をくいくいと招き、そのまま西棟の入り口の方へ入って行った。
「着いて来いってことよね。行くわよアリスさん」
「……なんか、いつもより元気ですわね、イアン」
イアンのジェスチャーは多種多様だが、その意味が伝わらないことは滅多に無い。その表現力はここでも遺憾無く発揮され、二人はその誘導に従い西棟に入った。
イアンに案内されたのは二つある病室の片方。オーバード、カリガド、ウェイドがすうすうと寝息を立てる病室だ。クィルナは途中で「イアンの方は任せたわアリスさん。なんか知らない人がいるって話だし」と言ってもう片方の病室に向かった。クィルナは、外では弱気の人見知り。イアンを最後まで追って来たのはアリス一人だった。
イアンのいたベッドは、シーツが大胆かつ無惨に捲れ上がっていた。ぐっちゃぐちゃである。
その病室でアリスがイアンのベッドの惨状とほぼ同時に気付いたのは、意識が戻り、こちらに視線を向けたウェイドだった。
「ウェイド! 目を覚ましたのですね!」
「……アリスさん」
ウェイドの表情は憔悴していた。
アリスがウェイドに寄ろうとした時、そのベッドの横で待ったをかけたのはイアンだった。手のひらを一杯に広げて前に突き出している。
「どうしましたのイアン? ウェイドの容態を確認しなければ……」
その言葉にイアンは首を横に振ることで拒絶を伝える。
「……ということは、何か伝えたいことがあるのですねイアン?」
アリスの問いかけにイアンはこくと頷いた。そして、躍動を始めた。
イアンは先ほどの天使のジェスチャーに続けて、自分とウェイドを交互に指し示し、自らの両手を胸の前でガッシリと握った。アリスはそれを見て頭を捻る。
「天使の記憶……イアンとウェイド……手を握る……。もしかしてお二人の記憶は、何か繋がりがありますの?」
それにイアンは深く大きく速く頷いた。
「では、それは一体どういう繋がりですの?」
アリスの再びの問い掛けに、イアンは腕を組んで天井を見上げ、足をぱたぱたとさせ床を鳴らしている。イアンのそれは、どういうジェスチャーをすれば伝えられるか考えている時のジェスチャーだ。
「……」
次第に足のぱたぱたは速度を増してゆく。
「……イアン?」
ぱたぱたがびゅんびゅんになり始めた。心なしか全身が震えている。そして――。
「い、イアン! 気を確かに!」
――イアンは糸がぷつりと切れたように倒れた。彼のジェスチャーでは表現し切れないことを表現しようとしたらしい。イアンのそれはそういうジェスチャーだ。そうやってイアンが白旗を上げた時、ウェイドが「アリスさん」と名を呼んだ。
「俺が……ああ……僕が、説明します。ハガは休んでろ……休んでいて下さい。ああ違う、もうハガじゃないんだった」
ウェイドは口調が崩れる度に頭を振って訂正する。その不自然な喋り方は、単純な言い間違いとは別のものだとアリスは確信していた。
「ハガという名は、イアンのことを指していらっしゃいますか?」
「……はい。俺は、夢の中で彼とバディを組み、神殿に仕える天使でした」
――ウェイド・オージの語った天使の記憶。それはかつて、神と並ぶ存在に忠誠を誓った者の最期だった。
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