りんねに帰る

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第二部

第四十五話――反響

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 アステオ聖教支援院。複数名の記憶混濁の翌日。アリス・ソラフ、クィルナ・ミティナ、カティ・オールズの三名は朝食を取っていた。

「そう……それじゃあ、全部思い出しましたのね、クィルナ」

「うん、あの村でのこと全部」

 クィルナは自らの中で蘇った記憶について話した。自分の故郷のこと。あの惨劇のこと。エデンと名乗った青年のこと。その青年に、もう一度会う必要があること。当時、全てが終わった後に現れたアリスはその過程や、クィルナがどうしてカルニィルの香料にこだわるのかも知らなかった。しかし、エデンという言葉だけは、心当たりがあった。

「……エデンとは確か、『楽園』という意味で使われる言葉ですわね」

「そんな名前しておいて、命の恩がある村を焼くなんて……何考えてるのよそいつ!」

「……わからない。でも、もう一度会って話さなきゃいけないと思うのよ。約束もあるから」

「クィルナ……」

 クィルナの言葉には、不思議と憎しみや恨みといった感情は一つも乗っていなかった。それはクィルナ自身にも理由はわからず、自分を白状な人間だと思ったかもしれない。焼けたディニのことを思うと心が軋む。鼻腔を満たした香りを思うと耐え難い拒絶が暴れ出す。だが彼のことを思う時、クィルナは彼に会わなければならないと、使命感にも似た思いと、ほんの憂いの思いで満ちるのだった。

「だけど、今は私の記憶のことを言ってたってしょうがないわ。目の前のことからやるしかない。みんなに急に芽生えた……えっと、天使? の記憶のほうが重要よ。悪夢を見てるらしいじゃない」

「それもそうだけど……クィルナが言うなら、そうしましょ。エデンってのを探すにしても、手掛かりが無いものね……」

 昨日から病室で休む七人の中には、未だ悪夢に苛まれる者もおり、特にジャリンの見る悪夢は一段。落ち着いた様子の数人も、生気の抜けたような顔をしている。

「でも、カティ姉も無理しちゃだめよ。三日意識が戻らなかったんでしょ?」

「あー……。まあ、大丈夫よ。ええ、大丈夫。それに、こんな状況で寝てなんかいられないわ……」

 俯きつつもそう返すカティ。彼女も四日前、図書室でレリィナと共に倒れているところを発見されてから、昨日ようやく起きたばかりだった。それが目を覚ましてみればこの惨状だ。だるい体を無理して動かしている部分もある。しかしそれほどに、とにかく今はやることをやらねばならない。そんな状況だ。
 カティは机に手をついてばっと立ち上がる。

「きゃあ! 急に立たないでよ!」

「と、とにかくよ。私が食器を片付けてる間に、二人はみんなの様子を見に行ってて! 終わったらすぐに行くからさ! ほらほら、クィルナもアリスさんも、みんなが心待ちよ!」

「ええ? でも片付けるぐらい……」

「いいからいいから! マイグリーが街から戻るまでは私が食事当番なんだから、任せて!」

「もう……わかったわ。アリスさんもそれでいい?」

「エデン……」

「アリスさん?」

「あ、え、ええ、そうですわね。カティ、頼みました。行きましょうかクィルナ」

 そう言ってアリスとクィルナは食事場を後にした。残るカティは三人分の食器を手押し車に乗せ、厨房へと向かう。廊下を騒がしく往来する子供達がいないから、いつもより歩きやすかった。

 厨房は、食事場から廊下を少し行ったところにある。支援院一階を伸びる静かな廊下。敷き詰められた木板を、手押し車の車輪が押して軋ませる。そんな拍子に揺すられる食器が小さくぶつかり合う。

 がらがら、ぎしぎし、かちゃかちゃ、がらがら、ぎしぎし、かちゃかちゃ。

 そんな音がしんと横たわる廊下を埋めていた。

 いつの間にか通り過ぎようとしていた厨房の出入り口に気付き、手押し車を引いて厨房に入れる。朝食が終われば、みんなの食器をこうやって厨房に運び込み、洗浄剤をなみなみにした皿洗い用の桶に、食器達を浸けて置いておく。そんな作業を、いつもなら、沢山やっていた。手押し車から取った食器が割れてしまわないように、丁寧に桶の底に沈めて、また食器を取って、丁寧に沈めて。それが今日は三人分で済んでしまう。

 かちゃ、かちゃ、かちゃ。

 もう終わってしまった。いつもならもっとかかるのに。色々考えて、色々考え終わって、ようやく手押し車を置き場に戻しに行くのに。頭の中で言葉が反響している。桶に張られた水面に、濡れた指先から雫がいくつか滴った。水面にいくつかの波が広がる。波と波がぶつかり合う。それは揺らぎとなって荒く拡散した。カティの中に鳴り響く言葉が、輪郭を失って飽和していくように。そんな言葉に引き摺り出されるずっとずっと遠くの記憶が、カティの胸中に爪を立てる。

『あくま……あくまぁ……! いだいよぉ……』

 昨日、子供達の中に天使の記憶が目覚めた。かつて、己の欲望に駆られ見捨てた者達の記憶。彼らは口を揃えて呻いていた。悪魔がやって来たと。悪魔がその身を引き裂き、天使であった自分達を殺したのだと。

 天使の神格として彼らを愛していた。しかし最後にその愛を向けたのは自分自身だった。その後、彼らは悪魔に殺されたらしかった。カティの契約した悪魔に。

 どうしても胸が痛む。尖端の鈍い杭を無理に打ち込まれるようだ。心臓の鼓動の一つ一つが、息を乱す痛みを伴って強く糾弾する。これは天使達の代弁だ。そしてきっと罰だ。苦しむ子供達が天使達からの恨み言を言い出す前に下手な理由を付け、アリスとクィルナに任せて逃げたカティ・オールズを裁こうと言うのだ。どうすればこんなことにならなかっただろうか。いや、きっとこうなるしかなかった。こうなるからこそ、彼女はアステオ聖教支援院の職員カティ・オールズで、天使の神格ルルティアの生まれ変わりなのだ。だからきっと、彼女はこんな選択すら、間違ってしまうのだろう。

「……ウェイド」

 ぽつりと、恋人の名を一つ呟いたカティは厨房を去った。
 残された桶の水面はとっくのとうに鎮まっていた。


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