りんねに帰る

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第二部

第四十話――オール・フォールン

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「私のこと、覚えていますか? ――チェルヨナ姉様」

 ――それは遥か上空、星空がとてもよく見える夜空に向かってとてつもない速度で上昇する中投げられた言葉だった。風が強く吹き付ける――というより、アタシ達が空気の壁を貫くように飛んでいる。目を開けるのも、口を開けるのもやっとの状態で、アタシは言葉を返した。

「あなた、誰なの」

 目の前にいるのは、天輪丸ではない。天輪丸は空なんか飛べない。天輪丸はアタシをチェルヨナ姉様だなんて訳のわからない名前で呼ばない。天輪丸はそんな眼で、アタシを見たりなんか――。

「おやおや、まだレリィナのままでしたか。それとも、姉様はレリィナの中に隠れていらっしゃる?」

 ひっくり返ったまま首を傾げる彼女。まだアタシのままって、アタシはアタシのままだよ。アタシのこと、なんだと思っているの。

「冗談ならもうやめて。ねえ、天輪丸! その姿はなに!」

 見開かれたその目に訴える。この超常的状況と、彼女の楽観的な態度はあまりに乖離して思えた。人としての何かが欠落しているような。すると彼女は不思議そうに首を傾げてこう言った。

「えぇっと、おかしいですね。心当たりはあるのでしょう? 前にもレリィナは、この姿を見たのでしょう?」

「どういう……」

「そりゃ、私がやって来た日です。気づいていたのでしょう? あなただけは」

 やって来た日。……ああ、そうだ。アタシは、天輪丸のこの姿を見た事がある。むしろ、初めて見た姿こそ、この天使のような姿だった。
 カーテン越しに見えた六枚の羽と光輪の影。何かの見間違いだと思っていた。流星の日の後だったし、それ以外にも色んなことがあって忘れていた。彼女は、人間じゃないんだ。

「あなたは……天使……?」

「まあそうなりますか。この世界は彼女がいるせいでややこしいですね」

 少しがっかりしたような声色で“彼女”と言った天輪丸はパッと、アタシの体を手放した。

「うそ、待ってよ」

「むむむ……」

 顎に手を当て考える様子の天輪丸はアタシの訴えに取り合わない。アタシの体はふわりと上昇を止め、前に倒れるようにして頭からの落下を開始した。どれだけ空気を掴もうとしたってアタシの手は空を掻く。星を掴もうとしたのは久しぶりだった。雲に縋りついたのは初めてだった。伸ばした腕はどこにも届かない。

「い、いやああああ!!」

「全く仕方ないですね。こんなとこ、クィルナが見たら笑いますよ?」

 空を掻くアタシの手を掴んだのは天輪丸だった。アタシの両の手をそれぞれ握って、アタシと向かい合って頭から落下している。翼も光輪も無い。見慣れた天輪丸。次第にアタシ達は回転を始めた。そんな中でさえいつもの様子の天輪丸は話すのをやめない。アタシの目を覗くのをやめない。

「にしても遅いですね姉様は。テテギャやアルタスさんはとっくに目覚めていると言うのに。何か原因が……ん」

 そこまで言ったところで、彼女は口の動きを止めた。灰色の瞳の一等丸い場所が収斂した。空気を割って落下する中で風が止む訳は無く、髪の毛がはためいて耳元がうるさい。それでもその言葉は、アタシの耳にはっきりと届いた。

「レリィナごめんなさい。一度だけ、我慢です!」

「あえ」

 天輪丸の言葉に理解が追いつかなかった。しかし現実は、そんなアタシの頭に理解を強要してくる。胸の辺りを一瞬走った痛みが、無遠慮に蹂躙される感覚が、耐え難い不快を訴える。喉のずっとずっと奥の方から込み上げた刺々しさが宙を舞って、天輪丸の白い顔を赤く染めた。喉がひりひりする。胸の辺りを掻き抱いている。アタシ、とても慌ててる。そりゃあそうだよ。だってアタシの胸、天輪丸の腕が貫いてる。心臓が、掴まれてる。

「てん、りん……ま……」

 掠れる視界と意識の中、彼女を見ていた。それしか見るものがなかった。顔に着いたアタシの血をペロっと舐めてる。顔を顰めてる。やめなよ、きたないから。

「にっが……」

 そんな呟きを最後に、アタシの意識は途絶えるのだった。


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