りんねに帰る

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第二部

第三十九話――手を引かれて

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 ――それは、おそらく三人組の少年だった。沈みかけた夕日に照らされる三人の影が、病室を覆っていた。
 その内の一人、黒い服を着た黒髪の少年が、窓を息で曇らせながらふがふが口を動かした。窓がかたかたと揺れる。

「ほ、ひふいは」

 何と言っているのかは、もちろん分からない。窓に張り付くせいで唇がまともに機能していないし、そもそも窓を隔てていては、声自体を聞き取ることも満足にいかない。しかし、向こうだけでなら、そんな障害も乗り越えられる範疇にあるようだ。もう一人の、眼鏡を掛け、比較的理知的な顔立ちの少年が、またもやふがふがと口を動かした。

「ひはひ、はほほはほんらんひへいうほうはほ」

 ああもう全くわからん。最後の一人もどうせなんか言うんでしょうが。ほら、はやくふがふがしなさい。ていうかうわ、あいつガラわっる。なんて心の声で急き立てると、最後の一人――黒い斑点模様の刺青が入った灰色の髪の毛の少年がこちらを見て、口を開き……、

「……」

 なんか言いなさいよ。なんなのよこいつらは……。なんか色々考えて泣いてたのに、どっか行っちゃったじゃん。ユウのこととかリンディーのこととか、沢山考えなきゃいけないのに、もう分かんなくなっちゃったよ。

「そこ、空いてるよ」

 アタシは彼らの張り付く窓の鍵を指差して、空いていることを伝える。そうすると、彼らは窓から離れ、三人で輪になって何やら話し合っている様子だ。うまく伝わらなかったのかな。黒髪の少年は訝しむような表情でこちらをチラチラと見てくるし、刺青の少年は首だけこっち向けてじいーっと見てくるし、気味が悪い。待っていると、話がまとまったのか、眼鏡の少年が窓辺まで歩いて来た。そして窓に手をかけ、がらららーっとオープン。

「どうだ。僕の言った通り、彼女のあれは窓の鍵が空いていることのサインだった」

「なんだよ! 罠だったかもしんねーだろ! お前いつかぜってー後悔すんぜ!」

 窓が開かれて一番に聞こえて来たのは、そんな喧嘩じみた会話だった。
 どうやら失礼なことに先ほどの話し合いは、アタシの親切に対して黒髪の少年が猜疑心を働かせての会議だったらしい。お前覚えとくからな。
 街の悪ガキがイタズラしに来るのは、実はたまにあることだ。ここまでわざわざやって来るのも珍しいけど、少年達は刺激が欲しいらしい。ちょっと脅してやろうっと。

「あんた達誰よ。勝手に入ったのアリスさんに見つかったら、すっごく怒られるのよ」

 アリスさんの名は街でも有名らしい。こんな街はずれに土地を貰って慈善活動をやっているんだから、噂になっていても不思議では無い。しかし、アリスさんは自らの素性を明かさないため、中にはよくない噂も出回っているみたいなことをマイグリーに聞いたことがある。アリスさんには悪いけど、悪ガキを懲らしめるためだ。

「アリスさんに見つかる前に帰りなさい。でなきゃ馬蹴りの刑なんだから」

 アタシがミルミルムチムチに蹴られた時に、アリスさんによる罰だという噂が一部で出回った。これで悪ガキどもを撃退したこともある。さあ、恐れ慄けこのヤロウ。

「ああそれなら心配は無い。彼女に話は通している」

 そう言って眼鏡をクイとやる少年。ホントにクイってやるんだ。ていうか、どゆこと?

「アリスさんがあんた達みたいなのを放って置くわけないじゃないの」

「へっ、それが放って置くんだよなあ、これが」

 ニヤニヤと窓枠から顔を突き出してそう言う黒髪の少年。むっかつくわこいつ。ていうかこいつら、人と話す前に礼儀があるってもんでしょ。

「あんた達名前は? 人と話す時は最初に名乗らないとダメよ」

 アタシも名乗って無いけど。

「まだ名乗って無かったか。僕はタルファ。ちゅうきゅ「――うわー! わーわーわー!!」

 眼鏡の少年が名前の後に自己紹介を続けようとすると、黒髪の少年が彼の前に割って入って騒ぎ立てる。

「俺はディラン! ディランだ! ほら次フーガな! ほら名前言え!」

 あんたが言っちゃってるし。フーガと呼ばれた刺青の少年は依然こちらを凝視しているばかり。アタシももっと小さい頃、支援院に来てた大人の顔を凝視してたけど、やられる側ってこんな感じなんだ。ごめん。と今更な謝罪を過去に投げる。すると、彼は――フーガはようやく口を開いた。

「――おめえ、記憶はあんのか」

 それは、やっぱしよくわからない言葉。記憶はあんのか、と。アタシ、記憶力はいい方だけど、何のことだかさっぱし分からない。

「記憶って?」

「俺を産んだ記憶だ」

 は?

「ちょっとタンマ。タンマな。ばかばかばかもうばかこのばかフーガなんでさあもうさあちょっとこっちこいお前もうほんとさあああぁぁぁぁ……」

 アタシの頭はまっしろけ。ディランが悲鳴のように文句を言いながらフーガを引きずって向こうの方へ離れて行く。
 どゆこと? あの刺青不良少年を産んだ記憶? 産むって、出産ってこと? え? 馬鹿にされた? これってなんか馬鹿にされてる? これは怒っていいやつ? それとも笑って躱すやつ? それともアイツがホントにやばくて、本気で言ってる感じのやつ? ホントに馬蹴りの刑に処すやつ? アリスさん関係無しにアタシがやるやつ? どうしよう、ここまでの悪ガキ初めてでどうしていいかわからない。

「ところで、君の名前は?」

「レリィナ・ミトラ……はっ!」

 頭がまっしろけすぎて、不意に投げられた質問に素直に答えてしまった。名前を握られた! まさかこういう作戦……? もしかしたらこいつら、相当な策士かもしれない……。いや、アタシの名前なんか知ったところでどうにもならなくない? 何が目的なんだ……? なんてもやもや考えているところ、「なるほど」なんて声がした。見てみると、タルファの表情は並々ならぬ決意に満ちていた。これからなにか、とんでもないことを言うかの如く。

「な、なによ」

 その口から語られたのは。

「――レリィナ。僕らに着いて来てもらいたい」

「どうゆうことなの、それ」

「僕らは君を必要としている。理由も後で説明する。今はただ、この手を取って欲しい」

 そう言ってタルファは、窓の外からアタシへ向けて手を差し出した。どうして、そんな真剣な目でアタシを誘うのか分からない。

「い、いやよ。……わからない。何なのよ、あなた達は」

 いつの間にか夕日の沈み切った空は星達が点々と瞬いていた。外は暗がりで、そこから伸ばされた彼の手は、まるで闇の誘いにも思えた。
 手を伸ばしてはいけないと思いながら、何故だかその手を掴もうと考える自分がいる。それはアタシ自身というよりも、もっとアタシの奥の方にいる何か。そう、例えば――魂とか。

「僕らは君の欲しい情報を持っている。ユウ・トウミの居場所を知っている。リンディー・ポトハムの正体を知っている。カティ・オールズとクィルナ・ミティナが目覚めない理由を知っている。そして――」

 そこに羅列されたのは、今のアタシを惹きつけてやまないものばかり。いつものアタシなら、きっと喜び、飛び跳ねて食い付いただろう。だけど今のアタシはひどく落ち着いていた。ただ静かに、彼のその先の言葉を待っている。そして一瞬切られた言葉はまた続いた。

「――君の足が治っている理由もね」

 そう言われ、アタシは自分が窓辺に立っていることに気付いた。

「……アタシ、歩けるようになるのはまだ先だって言われたのに」

「さあ、そろそろ時間が無い。君が決めるんだ」

 アタシは六年前、アリスさんに拾われ、支援員で暮らしてきた。色々あったように感じていたけど、それはとてもとても平穏な日々だった。だけど、あの日、流星の日を境に全ては変わった。クィルナが目覚めなくなった。アタシの足が折れた。天輪丸がやって来た。カティ姉がホントの恋をした。リンディーとユウがいなくなった。そして今、目の前にいるのはアタシを闇へと誘う三人組。物語でそんな存在を見たことがある。人間に契約を持ち掛け、その代価として魂を持っていってしまう。それは悪魔と呼ばれていた。こうやって怪しく誘う彼らはきっと悪魔だ。その手を取れば、握られるのは魂だ。タルファの――悪魔の口元が歪む。それはそうだろう。だって既に、アタシは彼の手を取った。

「契約よ。アタシ、みんなを助けたい。今までの暮らしを取り戻したいの」

「……ああ、いい望みだ」

 悪魔の記述にはこうも書かれていた。魂を代価に要求するが、決して契約を違わないと。この三人が本当に悪魔だって言うのなら、アタシは望む。幸せを。魂をいくつ支払っても、アタシはまたあの暮らしを取り戻す。
 窓の枠を踏み越えて、アタシは夜の中へ飛び出した。背にした病室の灯りが作るアタシの影が、手を伸ばすタルファへかかる。
 どうやら物語はこれから始まるらしい。レリィナ・ミトラは今、運命を一つ選択したらしい。物語の中では度々そんな岐路に立つことがある。アタシの読んだ本の主人公はみんな、光と闇を分けるような分水嶺に立ち、決断していた。だから今、彼らと同じくアタシは一歩を踏み出したんだと思う。夜空の星灯りがアタシの進むべき光と信じて。しかし――、
 タルファの向こうの方から、何かが聞こえる。それは先ほど引き摺られていった刺青の少年――フーガ。彼が大きく口を開く。

「伏せろおめえら!」

「――お粗末ですね!」 

「きゃっ」

 フーガの声が響くと同時、アタシの体はまた、草原を離れていく。遠のく彼らは既に豆粒のよう。アタシの体は、脇から体を抱えられるように何者かに攫われて、遥か宙空へ飛び上がっていた。

「足の調子は如何ですか? レリィナ」

 上昇の最中、背後からそんな声がした。アタシを持ち上げ飛び上がる、人智を超えた存在の声。それはひどく聞き覚えのある声で、いつかの記憶と重なるのだった。

『――なるほどです! なるほどなのです!』

 カーテン越しに見えた六翼と光輪――。

『――名を、天輪丸と申します。どうぞよしなに!』

 溌剌とした声で、堂々たる名乗りを上げたその声で――。

「私の見立てでは、そろそろ治っている頃だと思いますよ?」

 空中で彼女は体勢を変え、上から覗き込むようにアタシの眼前でまた、その“眼”を見開いた。あの日と同じ透明色の灰色が、きめ細やかな虹彩が、アタシを魅了する。

「ところで、記憶は戻りましたか?」

 どうやらこの物語は、よくある主人公のように選んだ道を歩けるようには出来ていない。

「私のこと、覚えていますか? ――チェルヨナ姉様」

 アタシの運命は、とても強引らしかった。


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