りんねに帰る

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第二部

第三十六話――ピュア・チルド

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 彼は七人の兄弟姉妹の中で、末の弟だった。他の兄弟姉妹同様、壮大な使命を背負った。その使命に従事し始めてからも、定期的に兄弟姉妹達と集まる機会があった。
 彼はみんなの言ったことを覚えていた。

「なんだいなんだい、しけた面をしてるじゃあないか。駄目だよ***。この世は笑い得なんだぜ? 楽しもうじゃないか。世界をさ」

「人間ってのは面白え。俺らじゃ到底思い付かないことを山ほど考えて、そんで成し遂げちまう。なあ***。叶うなら、なってみてえなあ、人間に」

「あなたも人間の描いた物語を読んでみては如何ですか***! 私が選りすぐりのものを教えてあげましょう!」

「***。皆を愛してあげるのですよ。きっと彼らも喜びを求めているはずです」

「わた、私、まだ、皆の作る世界を見たこと、ないから、いつか……見てみたいな」

「君は純粋な子だ。何にだって簡単に染まり切る。どんな色に染まるのか、楽しみでもあり、怖くもある。どうか、***。いい子になるんだよ」

 どうしてみんな、同じように願いがあるのか、それがどういうものなのか、彼には想像もつかなかった。与えられた使命に対して、ただそれを遂行すればいいだけなのに。その為だけにつくられたのに。願いなんて、意味の無いもの、どうして抱いてしまうのか。まるで人間みたいだ。
 不思議だった。
 分からなかった。
 理解が出来なかった。
 世界を維持する為だけの自分達が、どうして、こんな風に作られてしまったのか。神の考えが分からなかった。神の意思が知りたかった。それは好奇心だった。長らく虚であった彼の心に、初めて生まれ出た、色であった。一つの疑いも無くそれに身を任せた。神を知るにはどうすればいいか。それは、そうだ。

「神ニ、なればいイ」

 彼らは神格と呼ばれた兄弟姉妹だった。神無き世界で、神と同格に扱われる者。彼らにとって、神は唯一だった。頂点にして唯一の存在。なら、神格という頂点にいる自分が、唯一になれば、神になれる。
 初めて沸いた感情が、虚な心を満たすのは早かった。彼は計画を立てた。神格を殺し、自らが唯一となる計画を。
 それから永い時が過ぎた。自分以外の、全ての神格を殺した。彼は唯一となった。

 ある時、彼は気付いた。虚を満たしていた好奇心は、また別の色へと塗り変わっていることに。自らの中に蠢く何かがあることに。
 いつかのことを思い出した。殺した彼らはまるで、人間のように見える一面があった。欲望を持っていた。感情を持っていた。もし、これが、彼らの持つものと同じものであるなら、感情を知りたい。この、感じた事も無いほどに重苦しくて、痛くて、胸の辺りが壊れてしまうようなこの蠢きが、何なのか、分かるのなら。

 彼は人界に降り立った。感情を知るため、心を感じるため、そしてこの胸の痛みの正体を知るため。

「あら……? あなた、どうしましたの? お名前は?」

「……ない」

「まあ……もしよろしければ、ここで暮らしますか?」

「……うん」

「ええ、きっと、いいお友達も出来ますわ」

 彼は後に名を与えられた。無口の少年は、その生活の中で自らの感情と向き合った。
 しかし彼の本質は純粋だった。運が悪かったのかも知れない。最初に向き合った感情は、胸中の蠢きは、あまりにも黒過ぎた。全てを飲み込む黒に満たされた彼の虚は、決して塗り変わることはない。
 時が経つにつれて感情の機微を知っていった彼は、その感情が何かを知った。そのどす黒く粘り着く蠢きを、彼は理解してしまった。取り返しの付かないそれを、知ってしまった。

「なんてことダ」

 レリィナが足を折ったと聞いた時、胸が痛くなった。
 クィルナがもう目覚めないかもしれないと聞いた時、もっと胸が痛くなった。
 その痛みを確かめたくて、“それ”を傷付けた時、一番胸が痛くなった。
 それは唯一になって以来、胸の中の蠢きと同じ痛みだった。

「この感情ハ、きっト――」

 彼は死神の神格オルケノア。好奇心一つで兄弟姉妹を殺し、生まれた感情の正体を探し求めた純粋の化身。そして――、

「どうしようも無いくらいの――カナシミってやつダ」

 深い黒に塗れ、初めて罪悪に向き合う、ただの子供である。

「――あア、こうやっテ、流れるのカ。ナミダってものハ」


 * * *


 リンディーは確か、図書室でユウと一緒に当番をやっていたはずだ。でもユウは一緒に芸を見てたから、リンディーは一人でいるかもしれない。彼は物静かで、一人で何かをすることも多い。きっと、残った当番の仕事を一人で片付けでもしているんだ。じゃあ、ユウはどうして一人で戻って来たのだろう。そんな、いじめっ子みたいなことする人じゃないのに。リンディー、部屋にいるかな。

「――」

 そこの角を曲がれば図書室。というところで誰かの話し声のようなものが聞こえた。リンディーかな? にしては声が低い気もするけど……。

「おーい。リンディー?」

 そうやって声を掛けてみると、声が止んだみたいだった。なんだなんだ、かくれんぼかな。カティ姉をやり過ごしたとしても、アタシは見逃さないぞ。角からすっと覗くと、誰もいない廊下。窓が空いている。だけど窓から外を見てみても誰かがいる様子は無い。これはブラフってやつだ。図書室の中に隠れているに違いない。

「リンディー? いる?」

 図書室の扉をとんとんと叩いた。ここですら異次元の鼓笛が薄らと聞こえて来る。そのリズムに乗せてしまった自分がちょっと恥ずかしい。とと、とにかくだ。

「いないのー? 入るよー?」

 その扉を開く。キイと鳴る音が建て付けの悪さを教えてくれる。やけに緩慢に感じた。いつもより、とても重たいように感じた。少し開いた扉。それ以上、ぐっと押しても開かない扉。

「あれ……開かない。おかしいな。こんなに重たいことなんて……」

 ありきたりだ。物語好きのアタシは予感した。あまりにありきたりな展開だ。だから、次の展開を予測するのは容易だった。扉の向こう。そこにはきっと――、

「あんまリ、無理矢理開けてやらない方がいイ。ユウがきっと痛がル」

 ――リンディー・ポトハム。その綺麗な無表情がようやく、笑みの色を浮かべたのだ。

「リンディー……なの?」

 彼はリンディーだ。どこからどう見ても、その背丈も立ち方も、綺麗な顔だって、リンディー・ポトハムそのもの。しかし、決して笑わなかったはずの彼が浮かべた張り付いたような笑みが、どうしても現実味を帯びない。
 殊更夢幻に思えるのは多分、それが原因だった。

「あれ、なんで、ねえ、リンディー。カティ姉が――」

 カティ姉が、倒れてる。リンディの足元で。どうして、どうして。あれって寝てるの? 大丈夫なの? なんでそんなところで寝ちゃってるの? 分からない、分からない。
 これは夢だと知りたくて、体の感覚を確かめるように視線を落とし、手のひらをぐっぱとさせた。ああ、やっぱり夢かもしれない。だって、扉にもたれるように倒れているのは、ユウだもの。体がおっきくて、嘘みたいに丈夫なユウ・トウミが、こんなところで寝こけるはずが無いのだから。
 アタシの今日は、ずっと夢の中といった心地だ。もしかしたら、実はまだ授業中で、アタシはまだあの教室で寝ているのではないだろうか。もしそうなら、叩いてくれてもいい。アリスさん、早く起こして、いつも見たく、叱ってよ。

「……聞こえてるの?」

「リンディー・ポトハムっていうのハ、アリスさんが付けてくれた名前ダ。そういえばあの時ハ、嬉しかっタ」

 こちらの心持ちなど知らないとでも言うようにリンディーは――彼は話し始めた。低く下がる視線はユウに向けられるばかりで、アタシのことなんて気付いてすらいないよう。

「ねえ、聞いてよ、リンディー」

「感情っていうんだロ。知ってるヨ、嬉しいって奴ハ、知ってル。嬉しい時は笑うっテ」

 彼の、誰かに届ける気を微塵も感じない呟きは、なぜだか鮮明にアタシの耳にこびりついた。どこか歪んだ響きだった。リンディーの声であるはずなのに、リンディーの喋りとは違う、声色の歪み。それがアタシの心を掻き毟る。

「あト、優しくする時モ、笑顔だっテ、感じがすル」

「あ、あなた、ユウとカティ姉に何をしたの。なんで二人が……倒れてるの? みんなのところにいるユウは……誰なの?」

「姉さんが言ってタ。みんなを愛してやれっテ。愛はよく分からないけド、これハ、愛ってやつじゃなさそうダ」

 どうしてか分からない。何を言っているのか分からない。彼の中には、きっとアタシは存在しない。彼の笑顔が解かれ、そこにあるのは、いつものリンディー・ポトハムの無表情。

「――だってこの感情ハ、笑ってイラレナイ」

 そう言うと同時、床板の軋む音が鳴り、彼が一歩踏み出した。決して早い訳でもなく、状況さえ考えなければいつもの光景となんら変わらない。リンディーとすれ違うだけの、日常だ。いつものアタシならリンディーに「おはよう!」だとか、「何処行くの?」だとか、そんな声をかけていた。それなのに、今のアタシの唇は震え、喉は開かない。杖を掴む両手は汗ばみ、隣を行き去るリンディーに伸ばすことも叶わない。
 遠くの方で鼓笛の演奏が鳴っている。薄ら遠のく現実に、甚だ不相応な芸人の鼓笛が、夢らしさを一層際立たせる。なぜだか横になる視界で、廊下の開け放たれた窓から飛び立つリンディーの姿が写って、重たく感じる腕を伸ばした。

「リン……ディい……飛んじゃ、あぶ……な――」

 最後、彼の頬を転がるものが、鈍く煌めく。それがなんなのかすらわからずに、アタシの意識は黒く閉じたのだった。


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