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第二部
第三十三話――魂の永遠
しおりを挟む――きっと、魂には永遠が刻まれている。決定的な瞬間において、人は無限を感じられる。僕はこの日、それを思い知った。
ヨナグという国にある、ヨナグ・ニグと呼ばれる大きな街。そこにはアステオ聖教会と言う宗教の大聖堂がある。代々教皇の一族はその街で育ち、歳を重ねると共に聖教会内での位が上がり、三十五の頃、教皇になると同時に、ヨナグの首都、そして聖教会の総本山であるヨナグ・カラへと移動する。そして退任と同時に再びこの街へ戻ってくる。それは千年の昔、『天使降臨』を経て教皇となった人物の生涯をなぞる為である。そのため、立地的に孤立した街でありながら、アステオ聖教会が国教であるヨナグでは首都に次ぐ重要地となり、住民も不自由の無い暮らしを送ることができる。
ヨナグ・ニグには旅人も多く訪れる。街から街を行く商人や旅の芸人が、友好的な隣国から流れてくることも多い。それは、将来の教皇にお目通りしておこうと考える者もいれば、単純に宗教的聖地に訪れようという者もいる。そして、中々あるものでは無いのだが、時にはこんな者もいる。
――途方も無く歩を進めた結果、偶然辿り着いた者。
「――なぁんだいこりゃあ! 旅芸人である僕にとって、ここはとてもいい街じゃあないか!」
街の大通り。沢山の大道芸人が肩を並べ、各々の魂の芸を披露する中、高らかに声を上げる者がいる。彼の名はテンラ・リツィヒ。隣国の旅芸人である。ひたすら歩き旅をする中、気付いたらヨナグへと渡り、更にはヨナグ・ニグへと辿り着いた。徒歩で国を渡るという規格外の体力であるが、ただ面白いことを求め続ける彼は自らのポテンシャルなど歯牙にも掛けない。ただただ面白きを求め、面白きに溺れる男であった。
彼の芸事もまた、本人の気付かぬ才能とは別に、その性質故に磨かれた極技であった。赤子の頃、故郷で見た大道芸人の真似を始めたのがキッカケだった。それはいずれ真似に留まらず、身の回りのものを自らの四肢の上で自在に転がし、天を仰がなければ見えないほどまで高く投げ飛ばしたグラスを体のどこででもキャッチし、終いには両の爪先でズボンとシャツを仕立てながら手先で三本の弦楽器を奏で、舌先で皿回しを同時にやってのけたのが七歳の頃だった。その奇怪な技を見た両親は最初こそ悲鳴を上げたが、その才能を認め、若くして旅立つ彼の夢が叶うことを祈り、送り出した。その時の彼の放った言葉を、十数年経つ今でも両親は忘れていなかった。
『本当に!? ありがとう! ぼかぁきっと立派なお肉屋さんになるよ!』
彼の夢はお肉屋さんであった。
しかし、年月が経ち、彼の夢も変わった。それはズバリ、この世の面白きをむしゃぶり尽くすこと。彼は旅の中で自らの欲と本質に勘づき、それを満たす為、国を出て、ヨナグへやって来た。自分の想像も付かないようなことが起こる場所へ行くために、自分の知らない場所へ歩みを進めた結果だ。国の境目らしきところでは移動をだいぶ制限されたため、いくつかの犯罪めいたこともやった。芸で稼いだ金を賄賂として渡したり、腹が減った為に狩猟禁止区域で狩猟したり、そもそも国境を越えたこと自体、国から何の許可も降りていないのだから、大犯罪である。だが、テンラはそんなことを知る由も無い。そんなこんなで食い繋ぎ、彼はここヨナグ・ニグへとやって来た。そして、彼の勘は見事に的中することとなる。
「街行く人々の金払いの良さが格別だ。同じ旅の者も多いようだし、この街は外からやって来たものと、元から中にあるもの、それら全ての沢山が入り混じってぐちゃぐちゃになっているのを感じる。まさに混沌……。この街なら、何か面白いことが起きそうだ」
日の暮れ。大通りも閑散とし始めた頃、テンラはその日に芸で稼いだ金を鞄に詰め込み、宿へと帰って行くところだった。テンラの極地とも言える技巧があれば、例え同業犇く大通りであったとしても大金を稼ぐことは容易であった。そのことに本人は気付かない様子だが。
「いやあ、この街の人たちはいい暮らしをしているようだ。芸人のみんなも、こんな街に辿り着けるなんて運がいいなあ。けどもう少し何か面白いことが無いかなあ。ああ、早く何か起こらないかな。きっとここでは何かが起こる。そんな気がするなあ」
全て独り言だ。一人旅の長かったテンラにとってこの程度の独り言は日常の範疇である。ただし今日ばかりは、それに答えるものがいた。
「見つけた。聞いた通りの気分屋なのね。テンラ・リツィヒ」
女の声。それはテンラの背後から投げ掛けられたものだ。テンラは振り返る。何かが始まる時ってこういうものじゃないか、という期待を胸に。見開いた目が決定的瞬間を捉えようと、瞬きさえ勿体ぶるように。
そこにいたのは息を切らし、膝に手を付きながらメガネの奥でこちらを強く睨め付けるショートカットで直毛の少女。頬を伝う汗が夕日を反射し、テンラの眼球を射抜く。胸の高鳴りは加速する。
「やあ、何故か僕の名を知る少女。君は一体何者だい?」
未だ息を切らす少女は頬を伝う汗を拭う。そしてまっすぐに立ち直し、改めて吸い込んだ息を次の瞬間、放出する。
「どんっだけ気分屋なのあんた! いっくら情報追っても規則の無い現れ方して……ほんっと、こっちの身にもなんなさいよ!」
「どうして僕はキレられているのか……」
テンラは困惑していた。これほど理不尽にキレられたことは無い。だっていつも彼には怒られるもっともな理由があった。しかし今回に限って彼は金を稼いだだけだ。何が悪かったのかと思案した結果、テンラにはわからなかった。しかし、この初めての経験も、彼にとっては何かの始まりと思えた。だって、少女の後ろからまた誰かが顔を覗かせたものだから。
「マイグリー? それは理不尽というものです。あちらも困ってらっしゃいますわ」
その主は金髪を縦に巻いたポニーテールが特徴的な女性だ。彼女は少女のような見た目だが、その仕草や言葉使いからは微塵も少女を感じない。まるで見た目と中身が乖離しているような感慨を覚えた。
「度々申し訳ございません。あなたが、テンラ・リツィヒと言う大道芸人の方でよろしかったですか?」
「うん、僕こそがテンラ・リツィヒ。楽しいことが大好きな旅の者だよ」
「まあ! やっと会えましたわねマイグリー! あなたのお陰ですわ!」
「ちょっと、後でいいから、早く話進めてよ。また逃げられても、もう探したくないよ」
そうだ。早く、僕にこの先を見せてくれ。僕をこれからの“何か”に巻き込んでくれ。早く。
「そうですわね。ワタクシとしたことが……。こほん」
咳払い一つ、テンラにとっては無窮に等しい。唇の動きがひどく緩慢に感じた。
「お初にお目にかかります。ワタクシの名はアリス・ソラフと申します」
そんなこと、どうだっていいんだ。次は、君が次に紡ぐ言葉は、一体何なんだ。
「テンラ・リツィヒさん」
ああ、僕の名前だ。この二十年、一度として偽ったことの無い、僕の名前だ。その名を呼ぶ君は僕をどうしたいと言うんだい。こんな僕を何処へ連れて行こうって言うんだい。
「ワタクシ達の住む――」
ああ、きみらのすむ? 家か何かか? どこだいそれは? ここからどのくらいあるけばそこへいける。なんほくらい? なんにちくらい? どんなひとがいて、どんなものがあって、そこでこのさき、どんなことがおきて、ああ、だめだ、こんなんじゃぼくは、たえられない。
だって、だって、たった、い、ち、び、ょ、う、さ、え、
ま――、ち――、ど――、お――、し――、く――、て――――――、
* * *
他人事のように過ぎる記憶みたいなものだった。蘇るような心地と共にそれが脳裏を掠り去る。
その者は一つイタズラをしたようだった。死神に植え付けたそれは火種。時を経て燃え盛り、やがて氷の呪いすら解かす火炎となる悪戯。
遥かな時が流れたようだった。永劫とか無限とか、永遠とか久遠とか、僕が知り、思い当たる言葉で表すにはあまりに現実味の無い一瞬だった。
既に呪いなんて解け切っているというのに、純粋な神は気付きなんてしなかった。
心がじくじくと愉悦に歪むのを感じた。その一瞬という名の無窮は、そんな心地に満たされていた。
魂には前世が刻まれると言う。そんな話を聞いたことがある。だからきっと、これは僕の魂に刻まれた永遠だ。ただただ待ち望む永劫。待ち遠しくて堪らない無限。決して訪れぬ久遠。……ダメだ。ダメだダメだ。そんなのはダメだ。どうしてそれが永遠だったのかをあの神は知っていた。だから動いた。全てを壊してでも手を伸ばして、待ち望むなんて知らずに彼は兄弟姉妹を殺した。だから、僕もあの日、あの子を生み出して、送り出した。
ああ、そうじゃないか。僕は知っていたはずだ。きっと夢というものは、手を伸ばさないと、掴めない。それならもう、待ってばかりじゃ居られない。
* * *
「アステオ聖教支援院に――」
――ああもう焦れったいな。
「是非来ていただ「――僕は旅芸人のテンラ・リツィヒ。何年も放浪していた僕だ。どこへだって行くさ! だからほら、やっぱ無しだなんて無しだ。どこへだっていい。僕を連れて行ってくれ。君らの望む場所へさ! それがきっと、僕の行くべき場所だ」
僕は永遠を待つ趣味は無い。結局、自分から手を伸ばしてしまうんだ僕ってやつは。きっと生まれ変わろうが変わりようの無い僕の性分さ。
「そんなすぐに決断して頂かなくても……報酬のお話だってありますのに」
「ごめんね、待ち切れなくてさ。うん、寝る場所とご飯があったらいいや。あとは、まあ、なんでもいい。僕は決めたよ。この運命に身を任せるさ」
「……ねえアリスさん、こいつやばいって。やめといた方がいいよ」
テンラの様子がおかしいことにショートカットの少女は気付いた。縦巻きの少女に耳打ちをする。それにテンラが気付くことは無い。彼は今、自ら手繰り寄せたその運命を享受するのに忙しい。それに、どうせテンラが気付くかどうかなど関係無かった。テンラは支援院へ既に行くつもりだ。国を超えて歩き続ける彼にとって、街一つを歩き尽くし、その末に街の外の支援院に辿り着くことなど造作も無いだろう。既に少女らは詰んでいる。
ただ、テンラがそこまでしなくとも、縦巻きの少女はテンラを連れて行くつもりだ。その意志は、万が一テンラが拒絶していようと、いずれは目的を遂げる程の強い意志だった。それらの強い意志が反発し合わなかったことは、一重にショートカットの少女の幸運であったかも知れない。
「それでは後日、アステオ聖教会支援院にてお待ちしております。テンラ・リツィヒ様」
「え、ワタシ無視された?」
まあ、その幸運を知る由も無いのだろうが。
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