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第一部
第二十三話――「無力な私です」
しおりを挟むその悪魔は、私達へ親しみを込めた笑顔を振り撒くのでした。
「どうしてその呼び名を!」
彼の口にした呼び名は、いっぱいの親しみが込められたもの。決して、悪魔に堕ちた天使が口にして良いものではありません。それを彼は、あまりにも馴染んだように呼ぶものだから驚きです。
「残念だけど、僕のことは災厄だと思ってくれ。そして君たちはとんだ災難に遭う。それだけだ」
彼はそう言って手のひらを黒い空に掲げます。逃げなければと自分に言い聞かせても、体は硬直して言うことを聞きません。本当の恐怖とはこういうものなのかと、思い知ったのです。そうして彼の手元で、これまた漆黒の玉が生成されていくのを見ていました。
そんな時間も、再びの乱入によって遮られるのです。
「フーガああああ!!」
その声は広場に強く響き渡り、次の瞬間、鈍く重い音が耳朶を打ちます。それは、先ほどまで悪魔のいた宙空に代わるようにして翼をはためかせる存在。大きな体と、銀色の癖っ毛が妙に懐かしさを感じさせます。
「この終界で、父さんの眼から逃れられると思うなよ……必ず、どこまでも追いかけてお前を殺す!」
「アルタスさん!」
それは私達が終界に来た、唯一の理由でした。
「えっ? ……え!? なんで君がここにいるんだ! テテギャから逃げて、それで、天界にいたはずだろう!?」
アルタスさんはそう言いながら私達の側に着地します。ずんずんとした足取りから、その心内が平常ではないと分かります。しかしこの時の私も、アルタスさんとの再会が嬉しくて、そんな様子に気付けずにいました。
「偶然にも道を見つけたんです! だから私達はそれで終界に渡ってこれたんです!」
「ふざけるな! 僕がどうして君を連れて来なかったと思ってるんだ! フーガは天使も死神も殺す! 君だって例外じゃない! それを何で、こんな知らない奴まで連れて来てしまったんだよ!」
「……え?」
私はその言葉の意味が分かりませんでした。だって、アルタスさんが『知らない奴』と言いながら強く指差した先にいるのは、ポルマなのです。
「わた……私の、ことです……?」
知らない奴? アルタスさんがポルマを知らない? まさか忘れるなんてこと……きっとテテギャになんかされたんだ。でなきゃおかしい。だって、アルタスさんが一番お世話していたポルマのことを忘れるはずが……。
ここで私は思い至ってしまいます。
『でかい翼の子に先を行かせるといい』
テテギャも、ポルマを忘れて――、
「――おめでとう、おめでとう君ら。役者が揃ったな」
ぱち、ぱち、ぱち、と私達の逸る気持ちとは対照的な緩慢な拍手が聞こえます。それはアルタスさんに叩き落とされた悪魔の手拍子でした。
「くそ……どうすればフーガを……」
アルタスさんの意識はすでにフーガと呼ばれる悪魔へ向けられています。こちらはポルマの件が全く整理を付けられていないというのに。するとそんな私に、かの悪魔は指を差して言います。
「哀れな神格ペテロア、君はポルマのことが気になってしょうがないんだろ。いいさいいよ特別に教えてあげるから」
その言葉遣いは先ほどとは打って変わって親しみの欠片も無い憎まれ口でした。アルタスさんに叩かれて頭を打ったのでしょうかね。彼は感情の均整が取れていないようでした。
「君も案外気付いていたんじゃないかい?」
そして彼はポルマを指差して言います。
「臆病者で吃り癖のポルマ。その正体は世界の神格! その役目を投げ捨て、己の欲望に身を任せてこんな場所まで来てしまった愚か者さ! アッハハハハ!」
「……は? ポルマが、神格……?」
彼の言ったことは口から出任せもいいところの戯言でした。しかし私の理性はそれを否定し切れないでいます。そういう疑念が、少なからずあったのです。
ポルマの翼。普通の天使とは思えない、巨大な群青色の羽を持つ翼。その扱いは困難で、まともに飛べたことなどありません。しかし落下の際には私達を守るように動きます。この時点で、ただの天使ではないと思っていました。
ポルマは何故だかオルケノアの支配を受付けませんでした。当時トガさんの家に隠れていたポルマ。屋内に入れば届かない支配だと言うなら、街がもぬけの殻だなんて説明がつきません。全員が偶然にも外に出ていたなんてタイミングが良すぎる。私が神格であるから支配を受け付けなかったと考えれば、悪魔の戯言で説明が出来てしまう。
あの崩れた神殿に来てから、ポルマは誘われるように終界へ、アルタスさんの元へやって来ました。あの空島の神殿を見て「知っている」と言っていました。名を奪われたと言われる世界の神格がポルマなのかは分かりません。しかしそれでも、これだけの材料があるなら、これだけは言えてしまう。
――きっとポルマは、天使ではない。
そうやって頭の中で、私の理性は勝手な結論を付けたのです。まだ私の心では何の整理も付いていないまま。
「ポルマは……違うんです……」
「世界の神格ってのはね、知られちゃいけない。記憶に残っちゃいけない。だから薄いんだ。記憶にも残れない程にね」
ざりっと、一歩踏み出したのは悪魔。彼が地面を踏み締め、私とポルマ、そしてアルタスさんを指差して言うのです。
「君の理解が及ぶかどうかなんてどうだっていい。期待なんかしちゃいないからね。それよりポルマ、アルタス、ペテロア。今から君らを殺すよ。早く翼を準備するといい。どうせ逃げ回るしか出来ないんだ。どうしたの? まだ心の準備が足りないって? ああ全く、時間はあったろうに……」
彼は問答の隙なんて作る気の無いように次々と言葉を並べ立てます。やれやれといった仕草や言葉遣い。全てが相手を貶すようでした。そして極め付けの一言は、強烈で――、
「――それじゃカガラと一緒だぜ? 早いだけの小蝿が、身の程を弁え無いから死ぬんだよ」
「フーガあああああああああ!!!!」
「きゃっ……!」
それに激昂を示し、飛び付いたのはアルタスさん。私の隣の地面が大きく爆ぜ、私は吹き飛ばされてしまいます。
アルタスさんのその行動が間違いだったなんて、私はいつになっても思わないでしょう。まるで半身のようなバディの死に様を悪く言われたのです。私だってきっと怒りに我を忘れるはずです。しかし、それを悪魔は嫌というほどに小突きまわすものなのです。
「どこだ! どこに消えた!」
というのは、拳を空振った様子のアルタスさん。拳は地面を大きく砕き、土煙が視界を覆っているようです。
「……ククク、く、アッハハハハハ!!」
視界不明瞭の中、吹き飛ばされた先で、私にはそれが見えていました。界の神格とは、どうやら能力なんて関係無しに眼が良いらしいのです。どこだどこだとキョロキョロするアルタスさん。その一方で、アルタスさんが踏み抜いて舞い上がった土煙の中を、確かに私は見ていました。だから、こればかりは、理性も心も、見てしまったものを、否定出来ない。
「愉悦主義者テテギャによって生み出された力自慢の擬似天使アルタス。君が離れてしまっては、守れないじゃないか。次はきっと、よく考えて動くことだよ」
いやだ。
「何でお前がそれを知っている!」
そんなこと、どうだっていい。
「アハハ! 重要じゃないさそんなこと! こいつを守らなくてよかったのかって、そういうことだよ!」
「……お前」
土煙が晴れ出すと同時に、それはより明瞭で、残酷に、私の眼に飛び込んでくるのでした。
「ペロ……ちゃ……」
ポルマの体は悪魔の右腕に貫かれていたのです。
「いやああああああああぁああぁぁあ!!!!」
力無くダラリと手足を垂らして私を見つめるポルマ。今まで守ってくれていたはずの翼は、すでに消えています。こんな時になってようやく翼の仕舞い方を覚えるなんて、ポルマらしいと言いますか。
私がこれほど叫ぶのは二度目でしょうか。トガさんとカガラさんの無惨な姿を見て、叫んで、その時は、確か、誰かが、私の背を撫でて……はて、あれは、アルタスさんでしたっけ?
この時の私は、既に音なんて認識していません。ただ、この沸々と沸き立つ知らない感情を吐き出す為に叫び、叫ぶ為だけに息を吐き出していました。ちゃんと叫べているのかも分かりません。蹲っていたことだけは、覚えています。
「――よく、視るんだ。僕らの使命は視ることだ」
そんな言葉が耳元で囁かれるのと同時に、私は何者かに首の辺りを掴まれ、持ち上げられます。そして見せられるのは、彼らの、殺し合いの顛末。しかしそれとは別に、彼らを視るだけ、私の中に流れ込んで来るものがあったのです。
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