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第一部
第十八話――「世界はあるがままなのです」
しおりを挟むその群青は深く、深い海のような色合いで、淡い水色の髪の毛から沈む群青色の翼はまるで空と海のようです。
そんな翼に、私は見惚れました。しかしその魅了も長くは続かず、ガバと顔を上げたポルマのくしゃくしゃの泣き顔が視界いっぱいに現れます。
「どどど、どうしましょおおおお! いい、いきなり、生えてきちゃいましたよおおぉおぉおぉ!!」
ポルマは私の肩をがしりと掴み、これでもかと揺らします。直前まで惹きつけられた群青の鮮やかさなど、この時に頭から吹っ飛んでいってしまいました。頭がぐらぐらします。内的にも、外的にも。
「や、やめなさいポルマぁあぁあぁあ!」
「うぅうわああぁああぁぁぁああぁん!」
思いの外ポルマの腕力は強く、振り解けません。文字通り手も足も出ないのです。ならば私も出るものを出すしかありません。
「いい加減に……してくださーーい!」
「へぶう!!」
私の背からにょっきりと生えた六枚の翼の内、片側の三枚の硬い所でポルマの頬を引っ叩くと、ポルマは錐揉み回転しながら吹っ飛びます。普通の三倍の威力です。意識も一緒に吹っ飛んだのか、肩を掴む力は一瞬で緩み、私も巻き添えを食らうなんてことはありません。吹っ飛んだ先でポルマの頬の辺りが光に包まれているのが見えます。その背から生える大きな翼も。それはポルマと同じく、力無く地面に横たえています。
「まさかポルマは、中級天使に覚醒を……?」
つい先ほど、ポルマが下級でよかったなんて考えていた私への酷い仕打ちでしょうか。正気を失ったポルマに襲われた時点で仕打ちであった気もしますが。それにしても、ポルマの翼はやはり大きい。アルタスさんやカガラさんにトガさんと比べても、その大きさは規格外で、片方だけでも広げればポルマがあと三人くらいは上に寝転べるのではないでしょうか。そんな翼でよく通れたものだなと建物の入り口を見てみると……、
「……そうなりますよね」
無惨にも入り口の原型は跡形も無く、ただの大きな穴が空いていました。そこから差す日の光が暖かで、三日ぶりの外の空気が風となって私を包みます。それに誘われるようにして日の下へ歩み出ます。すると、ずっと避けていた日光は身構えていた私を柔らかく包み込み、風が「おかえり」とでも言うように私の髪の毛をそよがせます。それが首筋を撫でてくすぐったいです。
世界はいとも簡単に私を受け入れたのです。
目覚めから、私は気丈でいたつもりでした。よく知らない世界だけど、よく知らないなりに向き合おうと、ちゃんと向き合わなきゃと思っていました。それから向き合ったものは、オルケノアの襲撃であったり、数少ない友人の死であったり、冷たい言葉と気味の悪い神格でした。そんなのばかりと出会った私は、とうとう逃げ出しました。何処までいったって世界は終わるはずも無いのに、世界から逃げ出したのです。
そして辿り着いた先で玩具に囲まれて蹲っていた時、世界は怖いものばかりで、敵ばかりのように思えていました。だけど、なんだか、勘違いでした。こうやって、改めて外に出てみれば、私を傷つけようと手ぐすねを引く者なんて一つも見当たりません。
「――世界って、ただそこにあるだけなんだ」
ふとついて出た言葉に顔を上げてみれば、そこは高台で、見渡す限りに広がるのは天使の営んだ町や幽邃たる山々、それに添わる雄大な川。ただ横たわるだけのそれらを照らすのは太陽で、全てを包むような無限の青空があったのです。
ただそれだけの世界を、私は恐怖に駆られて全力で逃げ出そうとしたのです。なんて馬鹿馬鹿しいのでしょう。私の勘違いでした。私の向き合わなければならないものは、現実です。オルケノアに拉致された天使達。天使を殺す天使。私達を突き放したアルタスさん。沢山あります。だけど、私のいるこの世界は敵なんかじゃない。ただ優しくあるだけです。そんな世界を敵視するなんて。界の神格として不甲斐ないです。ペテロア失格です。
「ごめんなさい」
目を瞑り、世界に向けた謝罪を口にしました。そこにあってくれただけなのに、逃げ出そうとしてごめんなさい、と。
「おっととと……わたた……」
すると、後ろからたどたどしい足音と声がします。振り返ると翼を生やしたままのポルマが尚も均衡を取れないでいます。
「ポルマ! 私、もう大丈夫です! ご迷惑を掛けました! ありがとうございました!」
と頭を下げます。この三日、私を支えてくれていたのはポルマです。謝罪を世界にするのなら、感謝はポルマにするべきです。
「え、ええ? ぺ、ペロちゃん……!? な、何が……」
お辞儀をした私に困惑している様子です。その表情は神格のチカラが無くたって目に浮かびます。そして、次の出来事も想像に難くありません。
「あ、頭を上げ……て、う、うわっ――」
「ポルマ?」
ゴツンと、鈍い音に顔を上げてみれば、仰向けに倒れているポルマ。依然翼に振り回されていたのです。
「あー……まずは翼のしまい方から……ですかね」
数分後、ポルマの意識が戻ると同時に、ペロちゃんによる新米中級天使講座が開講されるのでした。
* * *
「ここって、一体……」
「な、なにが、おき、起きたんですか……?」
そこは木々に囲まれ、多くのツタに覆われた崩れた神殿――のような建物が鎮座する山中でした。
「どうして町からこれほど離れた場所に神殿を……?」
神殿と言えば、天使の神格であるルルティアが住まう神殿があったと聞きました。それもフーガという天使によって廃墟と化したらしいですが。その神殿の場所を知っている訳では無いのですが、ここでないことは分かります。だってルルティア神殿の崩壊はほんの数日前で、その程度の期間ではツタなんか生えようも無いはずです。それに聞いた話では跡形もなく崩れたというではありませんか。それにしてはこの神殿の崩壊は生易しいと言いますか……、
するとポルマが指し示します。
「ぺ、ペロちゃん、あそこ」
「むむ」
あそこ、と言われて見た場所には崩れた壁があります。崩れた部分がちょうど通れそうな穴になっており、そこから出た瓦礫で元々の入り口が塞がれていました。ちょっと横に入り口がズレただけなのです。
「あそこから入れそうですね。……え、入るんですか?」
ポルマはおそるおそる両の手でその穴を指差し、にへらと笑います。
「……い、行ってみませんか……?」
謎のタイミングで妙な勇気を振り絞るポルマ。なんか間違えています。というかポルマは忘れているようですが、私達は別に、登山とか神殿観光とか、物見遊山に来た訳ではありません。この二日間ずっと、私達は翼の扱いについて訓練していました。
天使なら翼の扱いについて苦労することは無いとアルタスさんは語っていました。中級に覚醒した時からその扱い方を自然と心得るのだと。しかし私とポルマは変な翼を持ち、扱いについても上達は牛歩といったところ。あーでもないこーでもないと、お互いの翼の扱いについて議論と実践を繰り返していたのですが……、
あれは、ちょっと前のこと。
『ポルマはやはり翼が重そうですね』
『お、重い訳では無いのですが……あまり、早くは動かせません』
記憶喪失の癖に変な覚えのある私はまた一つ、こんなアイデアを思い付きます。
『ポルマ、遠心力というものを知っていますか?』
『え、え、遠心力……?』
『こう、クルっと回る時に外に引っ張られる力のことです』
『こ、こうですか……って、う、うわ、うわわわ』
重い翼に振り回されるように回転するポルマに私は声を掛けました。
『そうです! そのまま飛んでみるのです!』
すると……、
『そう! そうです、その調子で……きゃ、ポ、ポルマ、とま、止まって!』
『むむむ、むりですぅーーーー!」
私を掬って加速をするポルマの翼は既に制御を失っていました。
少しずつ浮き上がるポルマに私も持ち上げられ、回転は更に加速し、私ですら何が何やら分からない程の速度になったのです。気付いた時にはこの、森に囲まれた神殿の目の前。私達は制御を失ったまま飛んだせいで、何処かの森に墜落したのです。
話を戻すと、ポルマと私は訓練の真っ最中な訳です。だからポルマの言うような神殿探検なんてやっている場合ではないのです。
私は腰に手を当ててポルマに物申します。
「ポルマ、私達は遊んでいる場合では無いのですよ? さ、戻って訓練の続きを……」
言いながらポルマの腕を掴もうとした時、私の視界にはポルマの顔が映りました。それが強く惹かれる表情であることは一目瞭然だったのです。
「いい、行きたい……です」
尚も言うポルマ。その積極性は珍しいことです。まあ、確かにこの二日はずっと進歩の少ない訓練ばかりでした。この際息抜きをするのもいいでしょう。
「もう、仕方ないですねポルマは。ちょっとだけですよ?」
「は……はい! い、いきましょう!」
ポルマは目を輝かせてひたひたと歩き出し、私はその後ろを着いて行きます。
ポルマは崩れた瓦礫に三度ほど躓き三度ほど転んだりしながら内部へ入って行きます。
後ろから神殿の内部を覗き込んだ私は目を疑いました。
だってその中は屋内とは思えないほど際限なく広がり、滲むような夕空と赤く焼かれる雲が流れているのですから。
更に付け足して言うと、私の目の前にはまたしても神殿があったのです。
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