りんねに帰る

jigoq

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第一部

第十七話――「ひこもりの神格です」

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 ただ怖かった。心の奥底が涙でいっぱいだった。逃げ出した。力いっぱいに逃げ出した。何もかもを遠ざけようと――。

 『――君らが来る意味は無い』

 『――やあ! 久しいね、ペテロア!』

 『――どうして、こっちに来たんだよ! 父さん!』

 『――ああ、僕の名前はテテギャ。終界の神格っていう退屈な雑用を任せられている者さ』

 彼らの言葉が耳にこびりついて離れません。ずっと私の耳元で囁いたり叫んだりしているみたいです。

 彼らの表情が目に焼き付いて消えません。アルタスさんの決意を固めてしまった表情。テテギャの何もかもを嘲笑うかのような卑しい笑い口。

 どれを取っても、私にはどうにも出来なかったもので、私が逃げ出してしまったものです。決して取り戻せないものをあの場所に置いて来てしまいました。私はこの後悔というものをずっと引きずっていくのでしょうか。取り戻せない後悔というものは、どうすればよいのでしょうか。目覚めて日の浅い私には、幾ら考えたって分かりようの無いことなのでしょうか。

 なんてうだうだと益体の無いことを考えていると、部屋の戸を三度叩く音がします。

「……いいですよ」

「し、失礼します。レストランに作り置きのものがあったので、もも、持って来ました。あと、あの、お水も……」

「ありがとうございます。ポルマ」

「ああ、あの、私、もう少しこの辺りで他の天使を探してみます、ね……!」

「ポルマは食べないのですか?」

「あ、いえ、私は見つけた時に食べちゃったので、ペロちゃんが食べてください……!」

 そう言って出ていくポルマの背を見送ります。

 ――私はあの日、逃げ出しました。走り出した足や広げ始めた翼は言うことを聞かず、気付いた時にはポルマを抱え、力任せに飛び立っていたのです。そこから引き返す勇気も止まって思案する勇気も私は持ち合わせず、ただポルマを抱える腕の限り飛んだ結果、天使の町まで辿り着きました。しかしトガさんの家があった辺りとは違う場所のようで、誰の家かも分らない建物の天窓を突き破って転がり込んだのです。それから、おそらく三日程でしょうか、私はこの建物に引き籠っています。

 食事はこの辺りの建物から持ってきています。……ポルマが。先ほども持ってきてくれました。記憶が無いせいなのか、食事に関する知識は無いのですが、野菜というものでしょうか。シャキシャキ言ったり言わなかったりするものを摘むようにして食べます。

 三日前に突き破った天窓からは太陽の光が差し込みます。それは日の昇りと沈みによって差し込む方向も変わり、時折私を照らそうとします。だけど、なんだか今の心地では、暖かな陽光に照らされるのは落ち着かず、私はそれを避けるようにして部屋を移動するのです。天界の神格ペテロアが光に照らされて座りが悪いなんて、笑えますね。

 三日と言いましたが、この沈み切った心情だけで三日も引き籠っていられた訳でも無いのです。記憶の上での話ですが、現状の私の生涯は半分以上がこの部屋で過ごしていることになります。それでも引き籠っていられたのは、この部屋には私を惹きつけるものがあったからです。

 今私の目の前に広がるのは、沢山の玩具達。色とりどりで多種多様なそれらは、几帳面かつ魅力的に並べられ、どれも私の心を惹きつけて止まない宝石のように思えたのです。この部屋で座り込む私は、ただそれらを眺めていました。
 玩具といえば人間の子供達が成長の過程で与えられるもので、知能向上の一助になったりするものだったはずです。それがどうしてここにあるのかは分かりません。そんなものを蒐集するなど、珍無類な天使がいたものです。しかしそれに惹きつけられる私も、同類と言うことでしょうか? ちょっと悔しいです。
 一つ言い訳をするなら、私はそれらに惹かれはするものの、それらで遊んでみたいとか、どんな機能を備えているのか、といったような好奇心を抱いた訳では無いのです。私はただ、それらを眺めることが落ち着くのです。安心のようなものを感じるのです。だから決して、子供染みた心持ちではなく、何というか、母親的な感じなのです。そう、子供を見守る母親です。以上、言い訳でした。

 ここ三日の私の思考サイクルは、逃げ出した時のこと、それから逃げるように目の前の玩具のこと、時折戻ってきては甲斐甲斐しくしてくれるポルマのこと、それ繋がりでの逃げ出した時のこと。そんな思考をぐるぐると続けています。次はポルマの番ですね。

 ここに転がり込んだ時に私が他の場所へ移動することを拒んで以来、ポルマは一人でずっと天使の捜索や食糧の調達をやってくれています。ポルマは下級だから、翼は使えません。頭の上にふわふわ浮く輪っかをゆらゆらしながらばたばた走る姿は危なっかしいものがあります。どうしてそんなにやる気でいられるのか、私には理解が出来ません。そういえば、ポルマはテテギャが名乗ったと同時に卒倒してしまったのでした。テテギャはずっと私に向いていましたし、あの場ではほぼ蚊帳の外でした。トガさんやカガラさんの凄惨な死体も見ていませんし、考えてみればショックは私程ではなかったのでしょうか。
 だけどやはり、分かりません。この状況でどうしてポルマは絶望しないでいられるのか、私には分からない。ただ、私を孤独にしないでいてくれることにとても感謝しています。尊敬だってしています。決して強くは無いのに、神格である私を支えようとしてくれるのです。ポルマはとても立派です。

 ところで、ポルマが走り回らなくても、私がチカラを使えば全部分かるんじゃないかって思うことでしょう。ところがどっこい、あの大穴を覗いた時に覚醒したと思われた私のチカラは再び使えなくなってしまいました。所詮は火事場の馬鹿力みたいなものだったのです。大穴に飛び込んだアルタスさんをどうにかしなければと思ったその一心で、私はチカラを無意識に行使しました。それがどうしてかテテギャまで見えてしまったのです。行使出来たとしても制御出来ないチカラは、火急の時を過ぎると再び使えなくなってしまいました。あの時の感覚も全く覚えていません。今の私に出来ることはやけに眩しい輪っかを出したり、やけに嵩張る六枚の翼を出すことぐらい。面倒なチカラです。
 でも今の私はきっと、このチカラを自由に行使出来たのだとしてもそうすることは無かったでしょう。だって私は今でさえ絶望しています。この天界を見渡したとして、一人も天使がいないことが分かれば、一つの希望も無いことを確信してしまえば、私はいよいよどうなってしまうのか、恐ろしいです。だから私はポルマが下級天使であることに安堵していたりします。飛べない下級天使は、さして人間と変わりありません。人の足ではいくら駆けても世界一つを見て回るなんて不可能です。決して真実に辿り着いてしまわないポルマは、きっと報われないまま走り続けるのでしょう。

 他者の無力に安堵してしまう私はきっと最低です。だから、これも何かの罰だったのだと、私は思うのです。

 三度、戸を叩く音がします。これはポルマが来た時の合図です。話して決めた訳では無いのですが、ポルマの癖のようなものでした。

「ぺ、ぺぺぺ、ペロちゃぬ!」

 誰ですかそれは。いつもと様子が違うみたいです。何かを見つけてしまったのでしょうか。

「あ、あけ、あけてもいいですか!」

 自分の間違いに気付かず、ポルマは許可を求めます。いつもなら戸を叩いた後は私が『いいですよ』と言うまで静かに待つだけでした。

「はい、いいです――「きゅきゅきゅ、急に生えましたああああぁあぁ!!」

 許可を言い切る前に扉はバタンっ! と開かれ、ポルマが飛び込んできました。何やらバキバキという音も聞こえます。その表情はいつものポルマ……というと変ですが、慌てているいつものポルマでした。叫び慣れていない喉で叫んだためカスカスになる後半の音が、のしかかられる私の耳元で揺れています。

「いったた……もう、どうしたんですかポル……マ……?」

 そしてようやく、今回の乱心の意味が分かったのです。それが見えたから。神格のチカラなんて関係なく、私の目の前にそれはありました。

「き、ききゅ、急に出ました……」

 ――眼前のそれは、ポルマの背から聳え立つ鮮やかな群青色の大きな翼だったのです。
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