ナイフと心【完結】

めい湖

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七日目 二〇XX年二月二十一日

三十四、

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 山口は真剣なまなざしで阿貴を見る。その目には力があって、その真摯な話しぶりにはつい目を奪われる。阿貴が答える前に、武衛が口を開いた。
「乗ろう。明後日だな」
「そうだ。アンタらだけになってしまって本当に悪いが……わかってくれるか。それにこの話は他言無用だ」
「わかった」
「待って、武衛さん、山口さん。……その枠を、ほかの人に譲るっていうのはできる?」
「阿貴?」
「どんな人だ?」
「子どもか、身体が不自由なご老人、かな。待って今考えているんだけど」
「おい、阿貴!」
「武衛さんは黙って。まだあの人たちに話をしたわけじゃないし、俺たちは体力もあるし健康だから、少しぐらいだったら耐えられるでしょ、うっ」
 突然、胸倉をつかまれた。息苦しさにうめくと、すぐ目の前に武衛の顔がある。
「阿貴、お前……正気か?」
「う、苦しいって」
「ここから抜け出せる機会を、お前が、手放すのかよ」
「優先順位の問題、だって。俺だって早くこんなところ抜け出したい」
 放して、と阿貴は言う。武衛の手が震えていた。指を一本一本ほどくように武衛は手を放して、阿貴はせき込んだ。気まずい沈黙を破ったのは、山口の大きなため息だった
「盛り上がっているところ悪いけど、今の話を聞く限り、あんたら以外の人たちは今回連れていけそうにもない」山口は無念とばかりに首を振った。「体の不自由な人を連れてってほしいと言ったが、俺たちは介護ができるわけじゃない。基本的に自分で歩ける人間だけだ。それにここから徒歩三十分といったけどな、その高齢者が歩いていけるのか?」
 山口の告げた内容に、阿貴は言葉を失う。それを見て、彼はさらに続けた。「あと、子どもだが、親はついてこれるのか?」
「……わからない。親二人で、小学生ぐらいの子どもも二人」
「ますます悪い。まず、俺たちは子どもの相手はできない。ボートを出すだけだ。だから必ず親がついてこないと乗せられないし、四人全員乗せることはできないから、誰かが残ることになる。ま、阿貴さん? あんたみたいな『良い人』ならいいけど……でも基本的に、今の状況でその家族への脱出の話を持ち掛けることはおすすめしないね」
 山口は目を伏せ、残念そうな表情をする。
「話を聞く限り、あんたたちが逃げるのが一番成功率が高い。道中なにがあるかわからないんだ」
 成功率、という言葉が、阿貴の胸を突き刺す。突き刺されたところがひどく痛む気がした。しかし、次の山口の言葉には、さらに胸が苦しくなった。
「アンタらはメシも食わせてくれたし、一人十万のところ五万でどうだ」
「金とるのかよ」
 武衛が声を荒げたが、今度は山口も動じない。
「ああ、心苦しいが、俺たちだって、命がかかっているんだ。これだって本当は一人十万のところ、半額で、二人で十万って言ってる。払えないってんならこの話はなしだ」
「でも……俺たち現金なんて持ってないから、後払い?」
 阿貴がいうと、山口はかぶりを振った。
「いや、現物だ」
「そんなの、無理だよ」
「まあ現金は無理だとしても、物があればいい。電子機器、パソコン、あとカメラか……状態にもよるが、二十個ぐらい集めればいいかな。それにこの辺はもともと古い住宅街で、ジジババが住んでる一軒家もあるだろう。そういうところには、現金や宝石なんかがあるから漁るならおすすめだ」
「……アンタ、俺たちに盗みをしろっていうの?」
 阿貴が想像しているより、低い声が出た。責めるような口調だったのにも関わらず、山口はやはり意に介さない様子で、肩をすくめる。
「仕方ないだろう? それにみんな命あってのものだねだ。それに、もうアンタたちはここに勝手に住んで、勝手に食糧やなんやらを使ってんだろ」
 今更、何をためらうことがあるんだ? と山口は言った。それが、さらに深く、阿貴の心にナイフを突き刺した。

 
「武衛さんは、どうしたい?」
 山口を置いて部屋に戻って、玄関の扉をしめた途端、阿貴は武衛に尋ねた。頭一つ分背の高い彼のまなざしが、阿貴を見おろす。その表情は何を考えているかわからない。
「俺は、山口のいう通り、俺たちだけで行くべきだと思う」
「……そう」
 やはり、そうなのか。阿貴が落胆して視線を落とした頭に、武衛は深いため息とともにつづけた。
「むしろ、阿貴、俺はお前がそんなに背負いこむ理由がわからない」
「背負いこむ?」
「出会って数日で、こっちをいいようにこき使おうとする人間だ。なんの義理もないはずだ」
「こき使おう、って、協力を求めてきただけだ」
 武衛の斜に構えた物言いは阿貴の頭にきた。顔をあげて噛みつくが、武衛は表情を変えずに阿貴の肩に手を置いた。
「そういうふうに感じるお前だから、つけ込んでくるんだよ」
「武衛さん、んぅ」
 武衛がかがんで、唇を寄せて、舌を入れてくる。話を続けようと阿貴が胸を押し返しても、びくともしてくれない。
「ちょっと、武衛さん、いきなりっ、すぎ」
「……しよう」
「ん、なに、武衛さんのスイッチって、どこ、ん」
 頭半分の体格差で室内に押し込まれて、半ば抱えられるようにベッドまで運ばれた。
 スプリングのきいたマットレスを背に、武衛の大きな身体にのしかかられる。その体格差をまざまざと感じさせるようなマウントにわずかに恐怖を覚えつつ、それ以上の安堵を感じてしまう。投げ出した手のひらに武衛の指が重なって、阿貴が握ると、握り返してくる。
「……俺、身体拭いたの昨日なんだけど」
 口が離れた瞬間に阿貴がいうと、武衛の動きが止まる。
「知ってるよ」
「抵抗ない?」
 武衛は少しだけ斜め上を見て考えるそぶりをしたが、本当にそのそぶりだけだった。「いや。今ならお前のうんこも食えそう」
「は? 何言ってんの、武衛さん」
「うん、案外いけそうだな」
「え?」
「だから、一日身体拭いていないくらいなんでもないってことだよ」
 とんでもない告白に阿貴が唖然としているうちに、武衛が服を脱がせていく。掛け布団を引き寄せて外気を遮断して、その中で阿貴の身体を裸に剥いた。そして自分の言葉を証明するように、阿貴の身体のつま先からてっぺんまで、隙間なく舐めしゃぶったのだった。
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