ナイフと心【完結】

めい湖

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四日目 二〇XX年二月十八日

二十八、

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 上野武衛は、最初、この状況はチャンスだと思っていた。
 一月六日、エックスデー。あの日武衛は朝から新年のあいさつ回りに向かっていた。年末に本社から回ってきた新薬の営業資料と関連する専門雑誌の切り抜き、勉強会の案内、それに簡単な手土産を用意して病院や個人クリニックを回る予定だった。アポイントをとってある三件と、その周辺にある病院へ飛び込み営業を同じ数以上、できれば倍。午後は勉強会の準備で夕方にならなければ外に出られないので、午前中に数を回っておきたい、と地図を見ながらルートを考えていた。
 社用車でつけっぱなしにしているラジオの音が、突然途切れた。最初は気にしていなかったが、一つ目の訪問先に行くために高速道路に乗ろうとして、異変に気づいた。
 高速につながる道に長蛇の列ができていた。事故が起こったのか? とラジオで交通情報を聞こうとするが、ラジオは不明瞭な音を流すばかりで聞きたい情報は流れてこない。舌打ちが漏れた。時間に余裕があったので下道を行くことにした。
 思えばあれは、ETCが機能しなくなっていたのだ。その後も、普段であれば始業とともにメールがひっきりなしに来るはずの社用デバイスがやたらと静かだったり、ラジオがいつまでたっても復活しなかったり、いつもと違うことはあったのだ。
 だが、武衛が本格的にそれに気づいたのは、その日の一件目の訪問が終わった後だった。スケジュール管理やメールを見るために使っているタブレットが使えない。WiFiが繋がっていないのかと思えば、自分の個人の携帯機器もネットに繋がらない。実際、今日のクリニックはシステムがダウンしているとかで武衛はキーマンとなる院長と軽い挨拶をかわしただけだった。クリニックの端末だけでなく、エリアの通信全般がダウンしているようだった。
 何か重大な通信障害が起こっているのだ、というのは理解できたが、イラつきは止まらない。月初だったからいいものの、月末や期末だったら武衛は暴れていたのではないかと思った。結局、その日の午前中はアポイントをとっていた先だけに訪問し、あとは後日足を運ぶことにした。この調子ならどこもイレギュラーに忙しく、特に障害に対応できるわけでもないエムアールの飛び込み訪問を歓迎するところは、まずないだろう。
 しかし営業所に帰るにしても、街に近づくにつれて、道が混雑して先に進めない。ネットはいまだにうまく使えない。時々思い出したように数時間前に送信されたメッセージが届くくらいだ。武衛自身も交通渋滞に巻き込まれていることを会社に連絡し、午後の訪問予定先には何度も電話を入れたが、どちらも応答はない。夕方にやっとカーラジオが明瞭な言葉を吐き出して、やっと状況がわかった。わかったが、受け入れられなかった。
 暴力事件? 武力行使? テロリスト? 誰が、誰に対して何をしているのだ?
 その耳慣れないワードがラジオから繰り出されるとともに、武衛の頭はどんどん熱くなっていく。
「ふざけんなよ、迷惑かけやがって!」
 車のハンドルを叩くと、パッパー! とクラクション音が響いた。走ったあとのように息が上がる。武衛は昼前から街中に入るために渋滞に並んで、結局数十メートルしか進めていない。今日一日でどれだけのアポイントが無駄になったか、特に午前にとっていたアポイントの一つは新規の大病院で、ここと繋がれば小さくない売上になるはずだったのだ。
 別に、いろいろな状況で営業がうまくいかないことなんてザラにあることだ。武衛とて、この営業の仕事もそれなりに長くやっていて、本社勤務から売り上げの少ないエリアに移って実績をあげてきた自負がある。ここで、売上があがらないことを他責したらその辺の出来ない営業マンと変わらない。
「考えろ、考えるんだ」
 そう、自分に言い聞かせている時、ラジオから市内での負傷者が三十人以上で、重傷者もいる、とのニュースが流れる。はた、と武衛の意識はそちらに向く。
 ピンチはチャンス、なんて使い古された言葉が頭をよぎった。先ほどまで真っ赤に染まっていた頭の中が、急にクリアになっていく。いくらでも、やりようはあるのだ。
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