ナイフと心【完結】

めい湖

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三日目 二〇XX年二月十七日

十五、

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 武衛と出会う前、阿貴は町医者のクリニックとドラッグストアを拠点にしていたグループに属していた。阿貴がそのクリニックに転がり込んできた時にはもう怪我人をかくまっていたし、阿貴がいた二週間の間でも二度ほど近くで爆弾が落とされ、怪我人の応急手当を引き受けた。幸いクリニックには被害はなかったが、阿貴は率先して爆弾が落ちたところに行き、怪我人を連れてきていた。今思えば、あの環境は現在のこの街でも最も恵まれていたかもしれない。ドラッグストアというのは日持ちのする食糧がいくつもあったし、日用品にも不足はなかった。初めは外部との連絡もとれたのだが、だんだんと状況は悪くなり、そのクリニックもガラの悪い連中に襲われて阿貴は一人で逃げる羽目になった。残った人たちが今どうなっているのかはわからない。阿貴は小さなバッグに詰め込んだ医薬品を交換に出したりして、武衛に出会うまでの数日を過ごしたのだ。
 吉川夫妻からもらった自治体から配布された地図によると、近くでアウトドアやキャンプ用品が売っていそうな店は二つあった。武衛と二人で話し合った結果、距離的にはやや遠い、住宅街の真ん中にあるホームセンターに行くことにした。もう一つが駅ビルの中にあり、おそらくすでに人が居ついて徒党を組んでいる可能性が高い。その場合あとから来た阿貴たちに物資を明け渡してくれるとは限らない。その分、街中の独立したホームセンターであれば徒党を組んでいたとして総人数は多くなく、友好的な交渉もしやすいと踏んだのだ。
「いったん、食糧は数日はもちそうだから、ついででいい。この道を通っていけばいくつかスーパーの様子が見れるから、必要になりそうだったら明日以降見に行こう」
 それぞれ大き目のリュックに交換できそうな薬類や食品を詰める。懐中電灯は一応ポケットに入れておくが、極力使わない。暗くなり始めた頃合いに外に出て、さらに路地から大通りに出るのにはかすかに鳥肌が立った。
 本来なら街灯がつき始める頃だ。街は真っ暗闇ではない。半分壊れかけて明滅する白色灯や、光を失った信号がまっすぐや斜めになって立っている。四車線の大きな通りには車の気配はなく、真ん中に『歯科大通り』という標識が転がっていた。その名の通り、数百メートル先には大学があり、そこは大規模の避難場所になっているという。水の補給もそこで行われているのだと聞いた。
 夕暮れの空は、群青と茜色の二色でまだらに染められていた。
 ここは住宅地の中心で、大通りに面しても小さな交番や花屋、クリニックに床屋があり、見渡す限り背の低い一軒屋やアパートが並んでいる。本来ならばのどかな風景の中で、夕暮れ時、仕事からの帰路や買い物の帰りでのんびりと人が歩いていてもおかしくない。けれども今、阿貴の目の前に広がっているのはまったく違う景色だ。人の気配がないわけではない。今も、埃のかぶった軒下にじっと彫像のように座っている年齢不詳の男や、深くフードをかぶった人が人目を避けるように通りに面した床屋に入り込んでいく。まるでゲームの世界のようだった。ゾンビが街を襲ったあと。あるいは戦争の跡地。どこかで人々が暮らしているのに、物陰に潜んでドブネズミのように息を殺している。ここは、打ち捨てられた街の残骸だ。
 大通りには一見して大きな砲撃のあとは見当たらない。だが、人が生活しなくなった街はどこからかゴミが増えて、それを除ける人がいないからどんどん汚くなっていく。工事現場のコーンやタオルやなんだかわからない紐やビニルが転がっていた。
 薄闇の頃に出てきて、十分ほどですっかりあたりは暗くなる。かすかな灯りに浮かびあがる武衛の背中を睨むようについていく。武衛の足取りは慎重ではあるが、決してゆっくりではない。きっと彼が何にもわずらわされていない状態であれば、阿貴はすぐに置いて行かれただろう。阿っくんはのんびり屋だね、と家族に言われてきたし、自覚もあった。誰かと一緒にごはんを食べに行けば大皿のメニューを取り分けてもらい、最後までゆっくりとごはんを食べている。そんなことを考えていたら、つん、とまぶたが熱くなって涙があふれそうになった。武衛に気づかれないように目頭を抑えてこらえる。
 武衛は、阿貴にとって頼りになる仲間でありながら、相対するのにひどく緊張する相手だった。この一か月、阿貴だけでなく世界全体で、本当にいろいろなことがあった。そして武衛も、この一か月で様変わりした世界と同じように、変わらざるを得なかったのだろうか、と考えてしまうくらい、物騒な人だった。何を考えて、どういう行動にでるのか、予想がつかない。洋ゲーの中のキャラクターのように暴力になじんでいるように思えた。阿貴がかつて、その暴力の新鮮さにドキドキしながらプレイしたゲームの世界観を体現したような人。それとも元から阿貴には触れたいような暴力に慣れた人だったのだろうか。
 でも同時に、阿貴には、普通だ。普通に優しい。それが彼のちぐはぐさでもあり、どうしようもなく心が惹かれてしまうところだった。
 目頭を抑えた瞬間、自然と足をとめてしまう。ぎゅっと右手の人差し指と親指で眉間を押さえて、目を開けると、目の前の武衛がこちらを見ている。夕暮れというにはもう遅い。ほとんど暮れた夜の闇の中で、その影をとろけさせるように佇んでいる。
 胸の奥で、痛いほどに心臓が鼓動した。
「ごめん、早く行こう」
「いや、俺が歩くのが早かったな」
「そんなこと……あ」
 武衛が半歩、阿貴へと歩み寄って、さっと手をとった。「行くぞ」と有無を言わせぬ物言いでありながらも、阿貴の手を引く武衛の足取りは、阿貴を急かすようなものではなかった。
 実際のところ、この辺りは道路わきに段差や側溝がある箇所があり、そういったものを上手に避けるために手をつないだのだろう。武衛が避ければ自然と阿貴も避けることができる。今夜は満月に近い月が煌々と光を放っているし、以前ほどではないが街灯もついている。比較的、足元がはっきりしている夜だ。
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