ナイフと心【完結】

めい湖

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一日目 二〇XX年二月某日

二、

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 寒くて目が覚めるのは、最悪だ。まぶたは眼球に張り付いていたいのに、暖を取る方法を探さなくてはならない。うすぼんやりとした視界の中に、阿貴は手を伸ばす。温かくてなめらかな感触を察知して飛びついたが、何かに引き剥がされて覚醒する。
「離れろ」
 かすれ気味の落ち着いた声は生来のものだろうか。発された言葉も剣呑なのに、その声を好もしく感じられて、こんな時だが胸が跳ねる。
 離れはしなかったが、阿貴は寝ぼけて伸ばした手をひっこめた。男はズボンだけで上半身裸だ。どうやら阿貴が抱きしめたものは彼の胴体だか腕だかだったらしく、一畳ほどの小さな土間で、男のほうが阿貴を警戒するように身を引いた。明らかに男のほうが強そうなのにも関わらず、だ。
 横になりながら男の姿を見上げて、状況を確認する。体調最悪で空腹に解熱剤を飲んだというのに、どうやら熱は下がっている。目の前の男も、しゃんと立ち上がっている様子を見ると目覚める前よりはよほど調子がよさそうだった。寒さは感じるが嫌な寒気はない。人間、案外死なないものだな、と我が身の頑丈さに思いをはせていたが、ふと彼が足元に落ちている服に手を伸ばしたのを見て、とっさにその腕をつかんだ。
「待って、どっか行くの」
 男は怪訝そうな顔をした。
「ここにいる理由もない」
「その中に食糧があるでしょ」
 阿貴は隅に転がっているザックを顎で指した。
「手当てしたんだから、食べ物が欲しい」 
 少しは抗議されるかと思ったのだが、男は渋い顔こそしたものの、あっさりと食糧をわけてくれた。おまけに、バッグの中は阿貴が久しく見ていないご馳走が入っていた。
「ごはんと、味噌と、サラダチキンに……肉があるの? これ、食べられる?」
「冷凍庫にあったから大丈夫なはずだ」
 パックごはんに味の濃い調味料だけでも儲けものなのに、肉なんてずいぶんと食べていない。今が何時かわからないか、半日の自然解凍ならそう痛んでいないだろう。何より空腹と、肉類という貴重な食事に多少腹を壊そうと構わない、という気持ちだった。
 リュックの中にはサラダチキンは四つか五つほどあり、その中の二つを取り出す。そしてごはんパックも二つ、ご丁寧にプラスチックスプーンとフォークが入っていたので、それらも獲り出して床に敷いた濡れた服の上に置いた。
「フォークとスプーン、どっちがいい?」
「え?」
「どっちでも良ければ、俺がスプーンね」
 男の分の食糧と食器を渡して、取り出した味噌の蓋も開けてしまう。その瞬間に広がる香ばしい匂いに、身体が興奮で熱くなる。まだ包装に入ったままのスプーンを指で挟んで、これまでにないぐらい深く合掌し、「いただきます」と口にした。
 まずはごはんパックの蓋を半分開ける。もちろん温めたほうがおいしいが、今は冷めても炊飯済みのものはご馳走だ。味噌を白飯に乗せる。がっつき過ぎないように呼吸を整えてから、スプーンで味噌ご飯をすくって含んだ。ゆっくりと米の触感をかみしめ、味噌の香りが口に広がるのを堪能する。硬い米だが、涙が出そうなほどおいしく感じられた。
 そして、今日の阿貴の食事はこれで終わりではない。まだ凍っている部分もあるが、サラダチキンを握りしめて包装を剥ぐ。匂いも大丈夫、変なねばつきもない。小さく一かじりしても味はほんのり味のついたサラダチキンに間違いなく、間髪を入れずに大きくかじりついた。社会のニーズに合わせて作られた、保存しやすくおいしい食べ物、というのが、今、この戦火で生き延びようとしている人々をも救っている。
「おいしい!」
 目頭が熱く、視界が涙でゆがんでくる。空っぽだった身体に肉と米が染みて、満たされていく。舌で感じる味覚が、頭の暗いところを晴れやかにしていく。
 早食いしてしまいそうなのをこらえて、阿貴は一口一口丁寧に食べた。充足感がより増すように、何度も噛む。米粒が甘くて、チキンの風味が香しい。
 この世で初めての食事だとも言わんばかりに阿貴が食事をするのを、男はじっと見つめていた。そして、やがて自分もサラダチキンをとって、食べ始めた。
 雨の音に混じって、包装のプラスチックが擦れ合う音が響く。阿貴と男は向き合って、黙って、食事をしていた。
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