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三章 終わりの戦い
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そして、日が変わり、まだ太陽も昇らない空の下。
ライリーたちは物陰に隠れながら、必死になって息を押し殺していた。この『アルト・ロス』は朽ちた廃屋が多い。さらには先日の大規模な火事で多くの家屋が崩れていた。
見通しがよく、隠れる場所はいくらでもあった。『アルト・ロス』の住人たちは、伊達に『アルト・ロス』に住んでいるというわけではない。雨風を凌ぐ際に身を置ける場所や、ねぐらを見つける場所を探す、というように身を隠せる場所の見つけ方はお手の物で。それがなければ作ればいいという、ライリーには考えられない方法で次々と自分たちが身を隠す場所や罠を仕掛けていった。
「おい、ライリー。本当に軍が来るのか?」
仲間の一人が、不満げに愚痴をぶつけてくる。それもそうだろう。ミラの安否がわからない上に、満足に寝られていない、疲れも取れていない、不安も大きい。こうして、ライリーの不確かな言葉を信じてくれているということ自体が不思議なほどだった。ライリーの言葉を一応信じてくれているのは、
「ライリーの言うことだ。信じて待とう」
アファルの存在のおかげなのだけれど。
ライリーの言葉の信用は足りない。けれど、アファルが後押しするだけで、みんなが信じる。それは、本当にすごいことだと改めて思ったほどだ。だからこうして不平不満を口にするも、みんなが暴走しないのは奇跡に近い。
何より、アファルは手放しにライリーを信じてくれているということが、ライリー自身信じられないことなのだけれど。
アファルの言葉に仲間は頷く。ライリーもひとまずは胸をなでおろした。実のところ、こうしてじっと待っているのが、何よりも嫌なのがアファルだろう。今、こうしている間にも仲が近そうだったミラが軍に捕まっているのだから。それでもそれを表面上に出さずに敵を見据えている彼は王たる資質を持つからだろうか。
――そこを見れば、やっぱりアファルもルチアもどこか似てるんだよな……。
そう思った時だった。
「……来た」
誰かの小さな呟きに、空気が一気に張りつめた。息を押し殺して、じ、っと前方を見つめる。
緊張で呼吸をするのもままならない中、遠くからやってきたそれらを睨み付けた。睥睨する先には、黒い甲冑を身にまとったアルマ・ベーベルと、彼に率いられてやってきた兵隊たちだった。
「多い……」
アルマを先頭にその背後に並ぶ隊はどれほどだろうか? 貧民街から生まれた反抗分子に対してあまりにも多すぎる数の兵隊たちが並ぶ姿を見て、アルマ将軍は本気で――全力でもって敵を排除しようという覚悟が伝わってきた。
『夜明けの獅子』が油断ならない存在だから、というわけではなく、おそらくはルチアの言葉に忠実に従った結果だろう。何しろ、彼からがまとう戦意は素人から見ても殺気立っているのがわかった。
これは、戦争、だ。
命と誇りを賭けた戦争。
アルマ将軍にとっては、決して負けられない戦いなのだろう。
――でも、それはこちらも同じだ。
この戦いは負けられない。
『夜明けの獅子』にとっても。
そして、ルチアの『呪い』のためにも。
ライリーはアファルへと視線を向けた。それを受けたアファルが頷く。
――こちらも本気で立ち向かわないと、殺される。
きっと捕まるだけでは済まない。最悪、その場で殺される可能性の方が高い。
『夜明けの獅子』も覚悟を決めなければいけない。それをアファルは受け止めて、そして、その意気が伝わったのか、仲間たちの目にも固い決意の色が宿った。
――僕も、『幻術』を使おう。
ライリーも戦いには慣れてはいない。でも、ここで死ぬわけにはいかない。両者に露呈しないよう、隠れて『幻術』を使うしか、生き残る術はない。
アルマ将軍の前には無数の罠が仕掛けられている。至る箇所に、それこそ、一つの罠が発動すれば、それに誘発されてさらに罠が発動するという連鎖型の罠だ。
アルマ将軍はそのことを知らないはず。けれど、何故だろう。アルマ将軍のあの鋭い瞳には、数々の罠がすでにバレてしまっているかのような気さえしてきた。むしろ、素人程度の罠では引っかからない――ダメージすら追わないのではないかとさえ思ってしまう。
そう思ってしまうほどに、アルマ将軍のまとう雰囲気は、普通の兵とは違っていた。
アルマ将軍は、静かに手を上げた。
しん、と痛いほどに場が鎮まる。
そして、す、と手が振り落とされ――、
「行け」
とても静かで、けれど、厳然たる号令がかかった。
「おおおおぉぉっ!!」
その号令に、兵たちはまるで津波のように一気に押し寄せてきた。後先考えない特攻は大地を揺るがすほどの足音と気迫が凄まじく、隠れているライリーたちは逃げ出したくなった。けれど、その先頭の津波が到達する前に、
「ひ」
「ぎゃっ」
次々と罠が発動し、近くにいた兵たちを巻き添えにどんどん嵌めていく。先頭集団の惨劇を前に、後続の兵たちは怯えることもなく、罠にかかった兵たちを乗り越えてさらに突き進む。
――これがアルマ将軍の兵たちか!
普通の精神力ではない。確実に罠があるとわかっていてもそれでも前に進むという精神力は、このアルマ将軍の下で動いていたからこそ身についたのだろう。現に、アルマ将軍も顔色一つ変えずに部下たちの姿を見据えていた。
けれど、ライリーたちの罠はまだ仕掛けられている。相手がどれほどの力を持っているかわからないため、自分たちでも数え切れないほどの罠を仕掛けたのだ。その罠がまだ残っている。
どんどん突っ込んでくる兵たちは罠にかかり続けていった。
ライリーたちが何をしなくても、兵たちは簡単に落ちていく。その姿に違和感を覚えるほどに。
――アルマ将軍ほどの人が、いくらルチアに言われたからって見え透いた罠へと突っ込んでいくんだ?
むしろ、自ら罠にかかっていくようにさえ見えた。
わからない。
あれからどれくらいの時間が経っただろうか。そんなにも経っていない時間の中で、罠にかかった兵たちはそれこそ百以上を越える。殺傷力は小さいが、ちょっとしたことでは外せないような拘束の罠をしかけている。彼らが罠を脱出するのは時間がかかるはずだ。
「アファル」
「あぁ」
「時間に限りがある。やるなら今だ」
「わかってる」
アファルは頷いて、静かに前へと出る。その赤い瞳が、数多くの戦を勝ち抜いてきた猛者を睨み付けた。
そう、全てはアファルがアルマ将軍と一騎打ちをしたいがために仕組んだ罠。元々、人殺しを良しとしないというアファルの意もあるが、本当はアファルがアルマ将軍と真っ向から戦いを挑みたかったからだ。
無論、それはライリーが背中を押したせいもある。
「君は『夜明けの獅子』のリーダーだ。将軍と戦って勝てば、国を救う何よりの道標になる」
それは半分真実で、半分は偽りだ。
将軍を倒せば、女王を守る軍はいなくなる。けれど、その裏で操っているのは他でもない女王なのだが。
けれど、真実がまじっているその言葉は、とらわれたミラのこともあってアファルはすんなりと受け取った。
そして、堂々と今、アルマ将軍と対峙している。
ほんの数日前までは貧民街を生きる浮浪者だったのに、今ではその手に剣を握り強大な存在に立ち向かおうとしている。数日前までは信じられない光景だった。
アルマ将軍は、目の前に立つ年若い青年を前に顔色一つ変えずに口を開いた。
「貴様、名は何と言う?」
「アファル。アファル・ドリー」
「そうか、若き戦士よ。貴様はこの戦いの先に何を望む?」
「国の平和だ」
「――――そうか」
アルマ将軍は深く溜め息を吐いて、頷く。
「儂から言うことは何もない! 若き戦士よ、剣を構えろ!」
まるで獰猛な獣の吠え声だった。しかし、アファルは臆することなく剣を構えた。そして、双方は睨み合い、――剣を交えた。
普通であるなら、素人のアファルは最初の一撃でアルマ将軍に敗れている。剣の心得なんて言うものはなく、あるのは我流の構えのみ。どこでどう打ち出して、どんな足さばきで攻めるのか、まったくわからないだろう。
そのことを一番に実感しているのはアファルで。
同時に、それを実感しながらも驚愕しているのはアルマ将軍だろう。
何しろ、アファルの稚拙な攻撃は、アルマ将軍と互角に渡り合っていた。
それはアファルが天性の武を持っているというのではなく、ただ、ライリーが『幻術』でアルマ将軍を惑わしているせいだ。
アルマ将軍の前にはアファルの姿が消えたり、化け物が現れたりと、集中力と戦意を大いに乱しているはずだ。それでもその様子を表に出さないのは、さすがと言ったところだろう。そして、それでもアファルと戦えているという点もまたアルマ将軍だからこそ、だろう。
二人の剣戟を前に『夜明けの獅子』メンバーたち、そして、兵士たちも見入っていた。
打ち合う二人の姿は迫力があり――そして、人の目を奪うほどに凄絶なものだった。
両者の息はまだ衰えていなかった。それどころか一撃一撃打ち合うほどに、さらに攻撃力が増しているようだった。
もはや、終わりがない、そう思った時だった。
アファルの手元が乱れた。剣筋がかすかにぶれて――それを、アルマ将軍が見逃すはずもなく。
その剣がアファルの息の根を止めようとした。
――そういうわけにはいかない!
ライリーは咄嗟に、『幻術』を使い、
剣がきらめいて、
そして、
赤い花が咲いた。
アルマ将軍は傾いでいく視界の中で、その青年の姿を目に焼き付けた。真っ黒な髪をした、燃えるような赤い瞳を持った青年だ。痩せていて、力も何もない、浮浪児。剣を交えてみてもわかった。相手は素人そのもの。アルマからしてみれば、この青年の筋は磨けば光るものだが、けれど、磨かれていない力で振るわれた剣は子供が棒きれを振り回しているのと一緒だった。
それなのに、何故?
何故、やられた?
燃え滾るような熱を伴った激痛は、腹部から全身へと広がっていく。目の前に飛び散ったのは、己の赤い血だった。
思い返してみれば、不可思議なことばかりだった。この青年を視認しているというのに剣をふるえば、そこには誰もおらず。さらには見たこともない化け物が現れてアルマを襲うとした。その化け物を切っても手ごたえなんてなく。
――そう。あれはまるで『幻』……。
かつてこの国に仕えたとある『理律師』を思い出す。その『幻』は彼が使う『幻術』にとても良く似ていた。でも、彼はここにはいない。
どぅ、と体が地面へと落ちた。
――儂もあの男と同じ場所へと行くのか。
落ちゆくこの国をどうにかしようと奮闘していたが、けれど、結局はどうにもならなかった。心残りはただ一つ。
ルチア女王だ。
幼いころは表情豊かにはしゃぎまわっていたかの人は、ある日を境に変貌した。そう、父王が亡くなられてから。父王が亡くなられた傷心からか、感情が抜け落ちてあんな悪逆非道ともいえる悪政を敷いてきたのだろうと思ってきた。
けれど、あの『理律師』が言うには、それは「違う」という。何が「違う」のが、ついぞ知らぬままに今を終えようとしている。
ならば、せめて、あの人が歩む道が――あの人が築きあげる未来が平和なものであるように祈るしかない。
それしか、できない。
ふと、黒髪赤眼の青年の後ろに、誰かが立っていることに気付いた。
淡い茶色の髪に、澄んだ青い目。幼さが残る輪郭――けれど、どこかこの『アルト・ロス』の住人とは雰囲気が違う。
――誰だ?
じっと、その少年を見つめていれば、彼はどこか罰が悪そうに視線をさ迷わせて、まるで頭を下げるように、瞼を伏せた。そして、彼がぎゅ、と握ったのは右手の甲。そこには汚れた布が無造作に巻かれていた。
――あぁ、そうか。
それだけで、わかった。
確かあの『理律師』には弟子が――息子がいたという。
――そうか。彼が。
それならば、あの『幻術』も頷ける。自分を惑わした、あの『幻術』は確かにこの少年とあの男のものに似ていた。
そこで、さらに気付く。
こんなところに、少年がいる理由。
さらには急速に力を付けた『アルト・ロス』。
そして、立ち上がった反乱分子。
できすぎた展開には、裏がある。そして、その裏で手を引いていたのはこの幼い『幻術師』ではなく、もしかしたら――……。
そう考えて、どんどん思考が不明瞭になっていく。自分が死んでいく。その最後に、
――貴女が望む未来に……何よりも貴女自身に幸があらんことを。
そう願って、意識が真っ黒に塗りつぶされた。
* * *
ライリーたちは物陰に隠れながら、必死になって息を押し殺していた。この『アルト・ロス』は朽ちた廃屋が多い。さらには先日の大規模な火事で多くの家屋が崩れていた。
見通しがよく、隠れる場所はいくらでもあった。『アルト・ロス』の住人たちは、伊達に『アルト・ロス』に住んでいるというわけではない。雨風を凌ぐ際に身を置ける場所や、ねぐらを見つける場所を探す、というように身を隠せる場所の見つけ方はお手の物で。それがなければ作ればいいという、ライリーには考えられない方法で次々と自分たちが身を隠す場所や罠を仕掛けていった。
「おい、ライリー。本当に軍が来るのか?」
仲間の一人が、不満げに愚痴をぶつけてくる。それもそうだろう。ミラの安否がわからない上に、満足に寝られていない、疲れも取れていない、不安も大きい。こうして、ライリーの不確かな言葉を信じてくれているということ自体が不思議なほどだった。ライリーの言葉を一応信じてくれているのは、
「ライリーの言うことだ。信じて待とう」
アファルの存在のおかげなのだけれど。
ライリーの言葉の信用は足りない。けれど、アファルが後押しするだけで、みんなが信じる。それは、本当にすごいことだと改めて思ったほどだ。だからこうして不平不満を口にするも、みんなが暴走しないのは奇跡に近い。
何より、アファルは手放しにライリーを信じてくれているということが、ライリー自身信じられないことなのだけれど。
アファルの言葉に仲間は頷く。ライリーもひとまずは胸をなでおろした。実のところ、こうしてじっと待っているのが、何よりも嫌なのがアファルだろう。今、こうしている間にも仲が近そうだったミラが軍に捕まっているのだから。それでもそれを表面上に出さずに敵を見据えている彼は王たる資質を持つからだろうか。
――そこを見れば、やっぱりアファルもルチアもどこか似てるんだよな……。
そう思った時だった。
「……来た」
誰かの小さな呟きに、空気が一気に張りつめた。息を押し殺して、じ、っと前方を見つめる。
緊張で呼吸をするのもままならない中、遠くからやってきたそれらを睨み付けた。睥睨する先には、黒い甲冑を身にまとったアルマ・ベーベルと、彼に率いられてやってきた兵隊たちだった。
「多い……」
アルマを先頭にその背後に並ぶ隊はどれほどだろうか? 貧民街から生まれた反抗分子に対してあまりにも多すぎる数の兵隊たちが並ぶ姿を見て、アルマ将軍は本気で――全力でもって敵を排除しようという覚悟が伝わってきた。
『夜明けの獅子』が油断ならない存在だから、というわけではなく、おそらくはルチアの言葉に忠実に従った結果だろう。何しろ、彼からがまとう戦意は素人から見ても殺気立っているのがわかった。
これは、戦争、だ。
命と誇りを賭けた戦争。
アルマ将軍にとっては、決して負けられない戦いなのだろう。
――でも、それはこちらも同じだ。
この戦いは負けられない。
『夜明けの獅子』にとっても。
そして、ルチアの『呪い』のためにも。
ライリーはアファルへと視線を向けた。それを受けたアファルが頷く。
――こちらも本気で立ち向かわないと、殺される。
きっと捕まるだけでは済まない。最悪、その場で殺される可能性の方が高い。
『夜明けの獅子』も覚悟を決めなければいけない。それをアファルは受け止めて、そして、その意気が伝わったのか、仲間たちの目にも固い決意の色が宿った。
――僕も、『幻術』を使おう。
ライリーも戦いには慣れてはいない。でも、ここで死ぬわけにはいかない。両者に露呈しないよう、隠れて『幻術』を使うしか、生き残る術はない。
アルマ将軍の前には無数の罠が仕掛けられている。至る箇所に、それこそ、一つの罠が発動すれば、それに誘発されてさらに罠が発動するという連鎖型の罠だ。
アルマ将軍はそのことを知らないはず。けれど、何故だろう。アルマ将軍のあの鋭い瞳には、数々の罠がすでにバレてしまっているかのような気さえしてきた。むしろ、素人程度の罠では引っかからない――ダメージすら追わないのではないかとさえ思ってしまう。
そう思ってしまうほどに、アルマ将軍のまとう雰囲気は、普通の兵とは違っていた。
アルマ将軍は、静かに手を上げた。
しん、と痛いほどに場が鎮まる。
そして、す、と手が振り落とされ――、
「行け」
とても静かで、けれど、厳然たる号令がかかった。
「おおおおぉぉっ!!」
その号令に、兵たちはまるで津波のように一気に押し寄せてきた。後先考えない特攻は大地を揺るがすほどの足音と気迫が凄まじく、隠れているライリーたちは逃げ出したくなった。けれど、その先頭の津波が到達する前に、
「ひ」
「ぎゃっ」
次々と罠が発動し、近くにいた兵たちを巻き添えにどんどん嵌めていく。先頭集団の惨劇を前に、後続の兵たちは怯えることもなく、罠にかかった兵たちを乗り越えてさらに突き進む。
――これがアルマ将軍の兵たちか!
普通の精神力ではない。確実に罠があるとわかっていてもそれでも前に進むという精神力は、このアルマ将軍の下で動いていたからこそ身についたのだろう。現に、アルマ将軍も顔色一つ変えずに部下たちの姿を見据えていた。
けれど、ライリーたちの罠はまだ仕掛けられている。相手がどれほどの力を持っているかわからないため、自分たちでも数え切れないほどの罠を仕掛けたのだ。その罠がまだ残っている。
どんどん突っ込んでくる兵たちは罠にかかり続けていった。
ライリーたちが何をしなくても、兵たちは簡単に落ちていく。その姿に違和感を覚えるほどに。
――アルマ将軍ほどの人が、いくらルチアに言われたからって見え透いた罠へと突っ込んでいくんだ?
むしろ、自ら罠にかかっていくようにさえ見えた。
わからない。
あれからどれくらいの時間が経っただろうか。そんなにも経っていない時間の中で、罠にかかった兵たちはそれこそ百以上を越える。殺傷力は小さいが、ちょっとしたことでは外せないような拘束の罠をしかけている。彼らが罠を脱出するのは時間がかかるはずだ。
「アファル」
「あぁ」
「時間に限りがある。やるなら今だ」
「わかってる」
アファルは頷いて、静かに前へと出る。その赤い瞳が、数多くの戦を勝ち抜いてきた猛者を睨み付けた。
そう、全てはアファルがアルマ将軍と一騎打ちをしたいがために仕組んだ罠。元々、人殺しを良しとしないというアファルの意もあるが、本当はアファルがアルマ将軍と真っ向から戦いを挑みたかったからだ。
無論、それはライリーが背中を押したせいもある。
「君は『夜明けの獅子』のリーダーだ。将軍と戦って勝てば、国を救う何よりの道標になる」
それは半分真実で、半分は偽りだ。
将軍を倒せば、女王を守る軍はいなくなる。けれど、その裏で操っているのは他でもない女王なのだが。
けれど、真実がまじっているその言葉は、とらわれたミラのこともあってアファルはすんなりと受け取った。
そして、堂々と今、アルマ将軍と対峙している。
ほんの数日前までは貧民街を生きる浮浪者だったのに、今ではその手に剣を握り強大な存在に立ち向かおうとしている。数日前までは信じられない光景だった。
アルマ将軍は、目の前に立つ年若い青年を前に顔色一つ変えずに口を開いた。
「貴様、名は何と言う?」
「アファル。アファル・ドリー」
「そうか、若き戦士よ。貴様はこの戦いの先に何を望む?」
「国の平和だ」
「――――そうか」
アルマ将軍は深く溜め息を吐いて、頷く。
「儂から言うことは何もない! 若き戦士よ、剣を構えろ!」
まるで獰猛な獣の吠え声だった。しかし、アファルは臆することなく剣を構えた。そして、双方は睨み合い、――剣を交えた。
普通であるなら、素人のアファルは最初の一撃でアルマ将軍に敗れている。剣の心得なんて言うものはなく、あるのは我流の構えのみ。どこでどう打ち出して、どんな足さばきで攻めるのか、まったくわからないだろう。
そのことを一番に実感しているのはアファルで。
同時に、それを実感しながらも驚愕しているのはアルマ将軍だろう。
何しろ、アファルの稚拙な攻撃は、アルマ将軍と互角に渡り合っていた。
それはアファルが天性の武を持っているというのではなく、ただ、ライリーが『幻術』でアルマ将軍を惑わしているせいだ。
アルマ将軍の前にはアファルの姿が消えたり、化け物が現れたりと、集中力と戦意を大いに乱しているはずだ。それでもその様子を表に出さないのは、さすがと言ったところだろう。そして、それでもアファルと戦えているという点もまたアルマ将軍だからこそ、だろう。
二人の剣戟を前に『夜明けの獅子』メンバーたち、そして、兵士たちも見入っていた。
打ち合う二人の姿は迫力があり――そして、人の目を奪うほどに凄絶なものだった。
両者の息はまだ衰えていなかった。それどころか一撃一撃打ち合うほどに、さらに攻撃力が増しているようだった。
もはや、終わりがない、そう思った時だった。
アファルの手元が乱れた。剣筋がかすかにぶれて――それを、アルマ将軍が見逃すはずもなく。
その剣がアファルの息の根を止めようとした。
――そういうわけにはいかない!
ライリーは咄嗟に、『幻術』を使い、
剣がきらめいて、
そして、
赤い花が咲いた。
アルマ将軍は傾いでいく視界の中で、その青年の姿を目に焼き付けた。真っ黒な髪をした、燃えるような赤い瞳を持った青年だ。痩せていて、力も何もない、浮浪児。剣を交えてみてもわかった。相手は素人そのもの。アルマからしてみれば、この青年の筋は磨けば光るものだが、けれど、磨かれていない力で振るわれた剣は子供が棒きれを振り回しているのと一緒だった。
それなのに、何故?
何故、やられた?
燃え滾るような熱を伴った激痛は、腹部から全身へと広がっていく。目の前に飛び散ったのは、己の赤い血だった。
思い返してみれば、不可思議なことばかりだった。この青年を視認しているというのに剣をふるえば、そこには誰もおらず。さらには見たこともない化け物が現れてアルマを襲うとした。その化け物を切っても手ごたえなんてなく。
――そう。あれはまるで『幻』……。
かつてこの国に仕えたとある『理律師』を思い出す。その『幻』は彼が使う『幻術』にとても良く似ていた。でも、彼はここにはいない。
どぅ、と体が地面へと落ちた。
――儂もあの男と同じ場所へと行くのか。
落ちゆくこの国をどうにかしようと奮闘していたが、けれど、結局はどうにもならなかった。心残りはただ一つ。
ルチア女王だ。
幼いころは表情豊かにはしゃぎまわっていたかの人は、ある日を境に変貌した。そう、父王が亡くなられてから。父王が亡くなられた傷心からか、感情が抜け落ちてあんな悪逆非道ともいえる悪政を敷いてきたのだろうと思ってきた。
けれど、あの『理律師』が言うには、それは「違う」という。何が「違う」のが、ついぞ知らぬままに今を終えようとしている。
ならば、せめて、あの人が歩む道が――あの人が築きあげる未来が平和なものであるように祈るしかない。
それしか、できない。
ふと、黒髪赤眼の青年の後ろに、誰かが立っていることに気付いた。
淡い茶色の髪に、澄んだ青い目。幼さが残る輪郭――けれど、どこかこの『アルト・ロス』の住人とは雰囲気が違う。
――誰だ?
じっと、その少年を見つめていれば、彼はどこか罰が悪そうに視線をさ迷わせて、まるで頭を下げるように、瞼を伏せた。そして、彼がぎゅ、と握ったのは右手の甲。そこには汚れた布が無造作に巻かれていた。
――あぁ、そうか。
それだけで、わかった。
確かあの『理律師』には弟子が――息子がいたという。
――そうか。彼が。
それならば、あの『幻術』も頷ける。自分を惑わした、あの『幻術』は確かにこの少年とあの男のものに似ていた。
そこで、さらに気付く。
こんなところに、少年がいる理由。
さらには急速に力を付けた『アルト・ロス』。
そして、立ち上がった反乱分子。
できすぎた展開には、裏がある。そして、その裏で手を引いていたのはこの幼い『幻術師』ではなく、もしかしたら――……。
そう考えて、どんどん思考が不明瞭になっていく。自分が死んでいく。その最後に、
――貴女が望む未来に……何よりも貴女自身に幸があらんことを。
そう願って、意識が真っ黒に塗りつぶされた。
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