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10章 ガリ地蔵

10-4 腹上死

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 バイブが振動するので見てみると、乳ローからの電話だった。
 どうしても出たくなかった。
 嫌な予感が止めなくとまらなかったから。
 震え続けたバイブが止まった。しかし、再びバイブは震え始めた。
「もしもし」
「おい、グリーン! すぐ電話に出ろって」
「どうしたんだよ、そんなに焦って」
 乳ローは、俺が全てを言い終える前に被せ気味に言葉を発していた。
「ガリが死んだ」
 やっぱり。
 声が出なかった。何か出したつもりだったけど、全く出ていなかった。
 その後のことはよく覚えていない。弟から連絡があって、葬式はいつだとか、待ち合わせは何時とか、そんなことを話したような気がする。
 やはり、あの声はガリさんだったのだろうか。

 祭壇の中心に写真はなく、代わりにガリさんを描いた絵が飾られていた。
「これ、健二さんが描いた絵ですよね?」
 寝てないのだろうか。目の下にくっきりとクマができていてやつれている。
「うん……」
 と言うが、次の言葉が出てこない。
「絵のことはよくわからないけど、前とは圧倒的に迫力が違うのでびっくりしました」
 自分の存在に気づいて乳ローが向かってきたので、軽く会釈してから健二の言葉を待った。
「そういう風に観えますか……。亡くなった後に最終的な仕上げをしたので、兄貴の魂をうまく吹き込むことができたのかもしれないね」
 再び絵を観ると、そこには今にも語りかけてきそうなガリさんの柔和な笑顔があった。
その絵を観つめていたら緊張が緩んできたので、ガリさんが亡くなったことを急に実感し始め、心から漏れそうになる涙をこらえるのに必死だった。
「でも、もうその兄貴はこの世にはいない」
 と絞り出すように健二は言った。乳ローは特に言葉を発さず立ち尽くしている。俺は思い切って疑問点を訊いてみた。
「ガリさんの死因は何ですか?」
「兄貴、彼女ができたって喜んでたんだ」
 俺の求める返答ではなかったが、黙って耳を傾けた。
「ガリには腐るほどのキープがいるのは知ってたけど、彼女もいたんだな」
『これだっておなごを見つけた』って、ガリさん言ってたもんな。
「うん。俺もついこの間、紹介されたんだ。『やっと理想のおなごが見つかった。こいつと結婚することに決めた』ってうれしそうに話していたよ」
 少し間があいたが、唇が動いたので続く言葉を待った。
「女とホテルにいるときに様態がおかしくなったらしい。すぐに救急車を呼んだけど、病院に運ばれたときにはすでに亡くなっていたようだ」
 乳ローが食い気味に話しかけた。
「でも、何で死んだのさ。もしかして、女に殺されたのか」
「そうだ。女に殺されたんだよ」
「えっ、マジで」
「いや、冗談だ」
 弟の発言には笑わそうという意図は一切なく、言葉だけが風に流されてどこかへ行ってしまった。
「しかし、女が間接的な要因にはなっているんだよ。医者が言うには、性行為中の死亡だとさ。つまり、腹上死ってやつだ」
 その発言を聞いて、乳ローは吹き出すような笑いをした。その笑いには感情が伴うことはなく、ただただ渇いていた。
「腹上死か。ガリらしい死に方だな」
 吐き捨てるように言い放った乳ローの発言に否定できる要素はなく、「らしいっちゃ、らしいですね」と同意する意見を思わず言ってしまっていた。
「兄貴は小さい時から肺や心臓が悪くて……、身体が弱いのに全然いたわらなくてね」
 乳ローは被せ気味に話し始めた。
「タバコをバカみたいにスパスパ吸ってたもんな」
 確かに、いつ見ても吸っていたな。
ちが悪いからって、バイアグラもガバガバ飲んでたしよ」
 そんなことも言ってたような気がする……。
「それに、いつもお酒を浴びるほど飲んでたからな」
 俺は、黙って頷いていた。
「彼女ができて有頂天になって無理して高級ホテルに行ったからバチが当たったんだよ。いつも通り、激安ラブホテルでエッチしてれば死ななかったものをよぉ」
 言ってることが支離滅裂になってきたので頷くのをやめた。
「ザマーミロ。あいつは、病弱のくせに無理しまくるから死んじまうんだよ。バカだよ、あいつは。真性のバカだよ。二十一世紀最大のバカだよ」
 さすがに黙って聞いていられなくなった。
「亡くなった人に対してそういう言い方をするのはやめろよ!」
 俺は声を荒げて言ったつもりだが、乳ローには全く届かなかったようだ。笑い声が聞こえてきたので再び何かを言おうとして睨み付けると、泣きそうな表情で無理矢理笑っていたので口を噤んだ。すると、どこから出したのかわからぬ声で叫びながら、思いっきり壁を殴っていた。
「痛いじゃねぇか! グリーン!」
 お前がとち狂って見境なくコンクリートを殴るから悪いんだろと言おうとしたが、目が潤んでいたので言葉を発するのをやめた。
「痛い。絶対に骨が折れた」
「何やってんだよ。なんで壁なんか殴ったんだよ」
 乳ローの目にはみるみるうちに涙があふれ、それを拭おうともせず、ただただ垂れ流されていた。身体を震わせながら、地面に一つ一つ小さな水たまりをつくっていく。
「痛い。絶対に折れてる」
 痛いから泣いているようには見えなかった。
「ふざけやがって! 俺の許可を取らずに何、先に逝ってんだよ!」
 と言うと、再びコンクリートを殴った。
「やっぱり痛い。骨が、骨が……」
「何をやってんだよ。もう、やめろよ」
 拳を押さえながらしゃがみ込んだ。すると、嗚咽おえつを漏らしながら手の平でアスファルトを叩きつけた。
「ガリのバカ野郎! もう、会えないじゃないか!」
 乳ローは、人目を憚らず、涙の雫を一つ一つ落としていく。
「ナンパ祭も終わりだよ。もう、皆で楽しくナンパすることなんてできないんだ……」
 大きな身体を揺らしている乳ローは、小さい子どものように泣きじゃくっていた。かける言葉は見つからず、俺には背中をさすることしかできなかった。
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