地蔵してんじゃねぇよ！ ～性欲の中心には魔物が棲んでんねん～

８章 性欲ジャーナリスト

8-7 性欲ジャーナリスト２・「『男として』『女として』セックスができなくなってきている人が増えてきてるのよ」

「今日は何をしてたの？」
「彼と遊んでたの。でも、喧嘩しちゃって」
　なんだ、彼氏がいるのか。と思っていると、店員が「あいよ、お待ちどう」と言ってグラスを二つ置いていった。
「最近うまくいってないの？」
「そうかも。四年も付き合ってるんだけどね」
「そうなんだぁ、長いね。じゃ、結婚も考えてる？」
「そうね、結婚したいわ。でも、ちょっと問題があってね」
「どんな問題なの」
「うん」
　と言うと一拍置いて姿勢を正してから仕切り直すと、俺の目を見つめて話し始めた。
「あなた、性欲はありますか」
　何だろ、唐突に。
「性欲はありますよ。かりんはないの」
「私はあるわ。彼がないの」
　と言うと、グラスの中に人差し指を入れてゆっくりとかき回した。
「セックスレスなの。三年近くしてないわ」
　かき回したグラスの中で氷どうしが軽くあたると、心に響く音を鳴らした。
「三年前はしてたの？」
「うん……、最初の一度だけね。でも、それっきり求めてこないの」
「キスも？」
「キスは求めてくるし抱きしめてくれるわ。でも、それ以上する気がないみたい」
「そうなんだ。何が問題なんだろ」
「彼も心配になって病院に行ったのだけど、特に改善しなくて」
　グラスの中の氷を見つめながら寂しそうに言った。
「彼に言わせると、セックスは面倒臭いし不潔だって」
　少し声が上ずった。指先を見ると、どこかでぶつけたのか爪が割れていて紫色に変色していたがしっとりと艶やかに濡れている。
「セックスレスって今の時代、男女という性別が意味をなさなくなっていることが原因の一つといわれているみたい」
「ちょっと、よくわからないんだけど」
「もう少し言うと、ファッションがユニセックス化しているだけでなく、考え方も性のありようにも男女の境界が見えなくなってきているでしょ。だから、『男らしさとは何なのか』『女らしさは何なのか』、その距離感がうまく掴めず、それがセックスにも影響を及ぼしているっていうわけ」
　ミサンドリー（男性嫌悪、蔑視）である俺は、わからなくなっているかもしれないと思った。
「もしかして、ジェンダーってやつ？」
「そうね」
「確か……、英語で、セックスは生物学的・身体的な男女の違い、ジェンダーは社会的・文化的・心理的につくりだされた男女の違いをいうんだよね？」
「うん……。ただ、生物学的な男女の違いといったって、内性器（男性→精巣上体、精嚢、輸精管の元となるウォルフ管・女性→子宮、卵管、輸卵管の元となるミュラー管）や外性器（男性→陰茎、陰嚢・女性→膣、陰唇、陰核）だけでなく、性腺（精巣や卵巣）の構造や染色体や、性ホルモンやそれ以外の内分泌物質や細胞の受容体や、脳の下垂体や視床下部や副腎の器官その他諸々を調べても、判別が難しい場合があるのよ」
「それって、インターセックスや半陰陽やふたなり……、両性具有ともいわれたりするやつだよね？」
「そうそう、わりと知ってんじゃん。でも、蔑視や偏見が助長されるという理由から、２００６年にシカゴで専門家の国際会議によってＤＳＤｓ（Differences of Sex Development）という名称で統一することを決定し、日本では２００９年に日本小児内分泌学会が、『異常や障害という言葉も使うべきではない』という意見も盛り込み、性分化疾患の名称で統一することを決めたのよ」
「やっぱ、名前って大事だよね。そのイメージに引っ張られるところがあるし……」
「そうね。でも、ＤＳＤｓという名称の受け入れ拒否をしている支援団体や、おおむね肯定的なんだけど、インターセックスという名称も引き続き使用するという支援団体もあるし、反応は様々なのよ」
「このＤＳＤｓとＬＧＢＴＱは、セクシュアル・マイノリティと呼ばれているんだよね？」
「セクマイと呼ばれることを嫌がる人もいるわ。『マジョリティとマイノリティによる対立関係で新たな別の壁をつくりたくない』『性に関わることにマジョリティもマイノリティもない。そもそも、性における普通って何？』ってね」
「そっかー……。ＬＧＢＴＱ以外にも、ＬＧＢＴＱＩＡＰとか長い頭文字も聞いたことある……、この場合のＩってインターセックスのことでいいんだよね？」
「あってるけど……、でも、当事者はＬＧＢＴＱの中に含まれることを戸惑っているし、距離をとることを望んでいるの。ＤＳＤｓというのは約70種類以上ある疾患群の総称であり、性に関する様々な体の発達状態という意味なの。もう少し詳しく言うと、『染色体、性腺、もしくは解剖学的に性の発達が先天的に非定型的である状態』を指すのであって、ジェンダー・アイデンティティ（性同一性、性自認、性的指向）によるＬＧＢＴＱとは別次元の話なの。生まれた時にどちらかの性に違和感を覚えることはほとんどなく、当事者や支援団体は正しい情報が広まるように活動を続けているのよ（日本性分化疾患患者家族会連絡会　ネクスＤＳＤジャパン　参考）」
「『先天的に非定型的である状態』って、何言ってるかよくわからないんだけど……」
「もう！　胎児期において、性器や性腺や染色体や性ホルモンなどが、男ならばこういう体の構造でなければならない、女ならばこういう体の構造でなければならないとされる固定観念とは、一部異なる発達を遂げた体の状態をいうの！」
「……ごめん。その異なり方が約70種類あるということなんだね」
「そうなの。ＤＳＤｓというのは総称だから、実際の病名としては『アンドロゲン不応症』『先天性副腎皮質過形成』『クラインフェルター症候群』『ターナー症候群』『尿道下裂』『５α還元酵素Ⅱ型欠損症』『先天性膣欠損症』などと呼ばれているわ。そもそも当事者はＤＳＤｓという包括用語自体を好まず、それぞれの病名で状態を表すことがほとんどなのよ」
「病名を聞くだけでも、バラバラに感じるもんね」
「時期だってバラバラなのよ。生まれた時に判明することが多いけれど、二次性徴が来ないからこそ判明したり、不妊によって判明する場合もあるのよ」
「なるほど……。それにしても、頭文字ってたくさんあるよね」
「確かに……。ＦＡＢＧＬＩＴＴＥＲとかＱＵＩＬＴＢＡＧとか、世界各国に多くの頭文字が存在するわ。頭文字じゃないけど、『Ｘジェンダー』という言葉は日本生まれなんだよ」
「Ｘジェンダーって、生まれた時に、男性・女性の性別のどちらでもないという性別の立場をとる人を指すんだよね？」
「うん。中性・無性・両性・流動性と様々なのよ」
「そろそろ、男女以外の性をつくってもいいんじゃないかな……」
「身分証明書（出生証明書・運転免許証・パスポート）で、男（Ｍ→male）と女（Ｆ→female)以外の第三の性として、新たに『Ｘ（nonbinary→男女に限定しない中立の性別・inter→中間・diverse→多様・unspecified→不確定）』『Ｏ（other→その他)』『Ｕ（unknown→不明）』を加えている国や地域が増えてきてるのよ。それに、アメリカ版のFacebookの性別欄は58種類あるし、ブロブという生物は７２０種類の性別があるんだから奥が深い世界よね」
「生殖機能、染色体による性別の違い、心の性別の違い……、性別って一体何なのだろうね……」
「その問いは神様に訊きいた方が話が早いと思うわ……｣
「境界なんかなくなっちゃえばいいのに」
「いつの日か女は体内に精子をつくりだすムーブメントが起こるかもしれないし、男が赤ちゃんを産むことが当たり前の時代が来るかもしれない。そう考えると、人間は近い将来進化の果てに、男でもなく女でもなく第三の性でもなく何もかも超越した性に辿り着くかもしれないね」
「想像すると、ちょっと怖いかも……」
　と言うと俺は笑ったが、彼女は笑わなかった。
「人間は、『男とは女とは』『男らしさや女らしさ』を追求してきたわ。でもその結果として、『男として』『女として』セックスができなくなってきている人が増えてきてるのよ」