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8章 性欲ジャーナリスト

8-2 セミナー2・メガネっ娘でキツネ目の杉並理香

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「じゃ、早速向かいましょう」
 伝票を持って、支払いを済ませに行ってしまった。
「場所はどこなの?」
「あそこのビルの最上階です」
 へぇ。
 そういうことだったのか……。だから、ここの喫茶店に入ったのか。すぐにあそこのビルの最上階に行けるように。最初コンビニに向かったのもそういう計算があったのか。純粋無垢な視線を投げかけるわりに悪知恵働くじゃん。っていうか、上からのマニュアル通りなのだろう。
「あなたの尊敬する代表ってどういう感じなの?」
「代表は三十歳ぐらいで、オールバックにレイバンのグラサンかけてて渋い感じなの」
 と言うと、目を輝かしながらうっとりしている。
「ちょっと待っててください」
 ある高層ビルの玄関に着くと、俺から少し離れて誰かに電話をかけている。
「これから一人連れていきますのでよろしくお願いします」
 携帯に手を添えて小さい声で喋っている。手が震えているし、このは初心者なのかな。こなれていないような気がした。
「ごめんなさい。大丈夫ですって。行きましょう」
 長い階段を下りると入り口が見えてくる。回転扉を押して入るとカタカタと鳴らすエスカレーターの音が耳につき、誰かの喋り声が聞こえてきたがエコーがかかりこだましながらどこかへ消えてしまった。視線を上に向けると吹き抜けになっていてひたすら天井が高かった。
「あれ、どこだろ。エレベーターエレベーター」
 女はキョロキョロしながら探している。
「エレベーターはあそこじゃないの?」
 大丈夫かな、この娘。
「あ、さっすがぁ。じゃ、乗りましょう」
 最上階まで一気に上る高速エレベーターだった。この尊敬する代表をぶっ飛ばしてやろうとさえ思っていた気持ちが、二十階、三十階、四十階と上がるにつれて、緊張感が増すと同時にほんの少し恐怖感も覗かせてきた。
 オールバックにレイバンのグラサン……。危ない組織だと後で面倒臭いことにならないかな……。耳が詰まるようにじわじわと襲ってきたので唾を飲み込み回避した。心臓の高まりが最高潮に達してくると、視線を上に向けて各階の飲食店のお品書きを眺めることしかできなくなっていた。
「チン」という音が鳴るとエレベーターの扉が開いた。一歩出ると最上階のそこはシンと静まりかえっていて、絨毯じゅうたんの上を歩くと全く音もせず沈むように吸収されていった。
「こっちですよ」
 右手で口元を押さえながら囁いた。
 廊下を歩いて行くとフロアが見えてきて、その中心には二人の若い男性が事務作業をしていた。女は俺を受付前に待たせて奥の部屋に入っていった。どこの部屋なのか、時々盛りあがる歓声が聞こえる。
 ドアが開くと、奥の部屋から女が二人出てきた。前方にいるのは先ほどの女。後方にいる女は二十代半ばぐらいだろうか。目がくりっくりとまあるく可愛らしい童顔で、その顔に合う楕円形の赤いメガネを少し下げてかけている。その女は事務作業をしている二人の男性にチラっと目をやったが、すぐさま俺に狙いを定め視線を吸い込むように奪い取ると、一瞬口角をぺろっと舐め上げ営業スマイルを漏らしながら真っすぐ向かってきた。この女の胸元にも奇妙な踊りをしている人型模様のブローチが添えられていた。自分の目の前に辿り着くと、勢いよく右手を差し伸べて颯爽と口を開いた。
「ようこそ! ワンダーランドへ!」
「……」
「代表は講演中なので、代わりにこの杉並理香がお相手します。よろしくね」
 右手を差し伸べて握手に応じたのだが、いつの間にか上目遣いで両手を握られていた。その視線の使い方や全身を包み込むような握り方や抜群のタイミングは、下心が垣間見えたがあまりにもうまかったので心の中で感嘆の声を上げてしまう。
「あれ、どうしたのかなぁ。怖くなっちゃった? 大丈夫ですよぉ、私がついてますから。お任せください」
 と言うと、わざとらしく右手で自分の胸を軽く叩いた。その光景を見ていた俺は心の中の何かがプチッとキレてしまったが、怒りよりもすぐに虚しさだけが増大していった。こんなことをしていてもナンパはうまくならないもんな。帰ろ。帰ろ。
「代表とは話してみたいと思ったけどセミナーには参加する気ないんで。だから、帰りますね」
 振り返るとエレベーターに向かった。虚しさはさらに増大していった。また結果が出なかった。やはり俺はナンパ師には向いてないんだな……。
 すぐさま二人が追いかけてきた。
「言ってる意味がよくわからないんですけど。もしかして、お兄さん怖くなっちゃいました? とりあえず、ガイダンスだけでも受けましょう」
「いえいえ。なんか面倒臭いなって思っちゃったんで。失礼しますね」
「せっかくここまで来たんですから、勇気を持って参加しましょうよ」
 勇気ってなんだよ。この女、ウザいなぁ。
「時間がないんで帰りますね」
「怖くないですよ。大丈夫ですよ。とりあえず、十分だけでもいいので参加しましょう。勇気ですよ、勇気」
 この上司の女はしつこくてムカつくなと思ったが、接し方がナンパ師とあまり変わらないような気がしてドン引きしてしまった。無視してエレベーターを待つ。
「あぁ、やっぱり怖くなっちゃったんでしょ。だから、帰ろうとしてるんでしょ。わかってるんですから。大丈夫ですよ。私がついていますからぁ。ね、戻りましょう」
 この女がナンパ師になったらさぞ敏腕になるだろうと考えを巡らせていたが、怒りの頂点が沸点に達してしまい、次の瞬間にはその女に近づき目の前で右や左に動いてはすごんでいた。
「おい、うるせぇんだよ! 最初っから参加する気なんてさらっさらねぇんだよ。チャンスがあれば代表をぶっ飛ばそうと思って来たんだよ。わかったか、このバカ女!」
 女の目を見つめると、眼球が時計回りにぐるぐる回っていた。
「本当かなぁ。私にはそういう風には見えないなぁ。そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。私がずっと側にいますから。信じてほしい」
 と言うと、従順そうな眼差しをつくり上目遣いでしっとりと見つめてきた。そのままゆっくりと近づいてくるとそっと手を握ってきた。
「ねぇ」
「へ?」
 さらに顔を近づけてくると、唇と唇が触れる寸前で、
「じゃ、五分だけ参加しよう」
 俺が視線を逸らそうとすると、
「ダメ。理香を見て」
「うる」
 その瞬間、唇を理香の人差し指でふさがれてしまい、後半の「さい」を言わせてくれなかった。
「うるさくないよ」
 何か言い返そうと口をパクパクしていたら、いつの間にか胸に飛び込まれてしまい抱きしめられてしまった。
 えっ、やわらかい……。すっごい、いい匂い……。
 間髪入れずにすぐさま俺の首の後ろに両手を回し、
「お願い。一分だけ参加して❤」
 と言われてしまった。理香のフェロモンが俺の心を侵食し尽くすと、ふと、『ちょっとだけなら参加してもいいかも……』と思ってしまった。
 ダメだ、ダメだ、ダメだ。
 女の武器で丸め込まれてはいけない……。
 それにしてもこの女は立派だと思った。一瞬ひるんでもすぐに取り直して絶妙な間やタイミングや視線やボディタッチで切り返してくるのだから。
 しかし、この女はテキパキしていて頭の回転は速かったが、発する言葉に違和感を覚えた。その女の顔を見ていると、なぜだかうっすらと狐に見えてしまった。
 人を騙すことが性格的に合わないのだろう。その無理した部分が顔に出てしまっているように感じた。嘘ばかりの言葉を並べおとしめようと口先だけで喋っているからこそ、口が尖っているように見えたのかもしれない。視線を上げると、瞳はその自分に気づきながらも逸らし続け逃避することによって、自然な丸みを帯びた形ではなく細目になっているように見えた。だから、彼女の顔が狐に見えたのだろう。
 彼女は自覚して人を騙して貶めようとしている。それが表情から容易に読み取れたので、逆に扱いやすいと思った。
「代表は本当に素晴らしい人ですよ」
 しかし、今言葉を発したこの女の目は違った。代表に対して純粋に心酔している真っすぐな目をしていた。俺はその目で見つめられると恐怖感に包まれると同時に、またもや気分が悪くなってしまった。
「チン」とエレベーターが鳴ったので、握られていた手を強引に振りほどいて無言で乗る。
「あぁ、本当に残念」
 わざとらしく腕を組み、人差し指を立てると、
「お兄さん、本当は怖いんでしょ。今度は勇気を持って参加してね」
 と、コケティッシュな表情で言った。エレベーターのドアが閉まると「ハハハ……」と苦笑いしてしまい、足に圧力を感じながら高速で下っていった。
 メガネっの詐欺師のような狐の目。代表に心酔して盲信する女の純粋な目。俺はどんな目でナンパをしているのだろうか。このメガネっ娘のような目で声をかけているのだろうか。
 違う、違う、違う。
 色々な女性と接することによって、自分にとって女とは何かを学びたいだけなんだ。そして、「女の奥」に何があるのか知りたいんだ。
 ただそれだけなんだ……。
 一階に着くと「チン」と音が鳴り扉が開いていたが、しばらくその場から動けなかった。
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