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6章 コンドームおばあさん

6-6 ホラ貝とタニシとホタテ番長【⑲主導権】

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 ガリさんはタバコを吸いながら歩き始めた。しばらく歩くと、緑に囲まれた公園が見えてきた。
 子どもたちのはしゃぎ回る声が聞こえる。ブランコが四台あり一台は子どもが乗っている。乳ロー以外の三人は確認するともなくブランコに近寄った。椅子はゴム性の素材で赤色に塗られ、手すりは鎖で繋がれところどころびていて、ブランコの周りの囲いは赤色青色黄色の三色で彩られていた。漕ぐ度に「キーコ、キーコ」という音を鳴らしながら風を感じることができた。ブランコに乗るとなぜだか童心に返ってしまい、ついでに母のことを思い出す。母からもらったお守りを握り締める。
 乳ローは一人、近くにあるラクダの形をした乗り物に大きな図体でまたがっては前後に激しく動き、振り回されそうになりながらも「これ、楽しい!」と叫びながら発狂している。こいつ、頭おかしいだろ……。
 ブランコに飽きると、いち早くやめたガリさんが水道で喉を潤していたので自分も向かった。力加減がわからず勢いよく蛇口を回してしまうと噴水のように水飛沫みずしぶきが上がってしまい、夕方の橙色の光の中にうっすらと虹が見えた。
 公園の中心には椅子のように座れる平べったい大きな石があったのでそこに向かう。乳ローは一人滑り台に向かった。やんちゃな子どもが滑ったのか、滑り台にはべっとりと泥がついていた。
「ガリさん、続きをお願いします」 
「OK。グリーンは、さっき連れ出しをしたやろ? 最低限の好意を持たれないと連れ出しはできない」
「最低限……、確かにそうだと思います」
「せやけど、それが大事なんや。外見なのか中身なのかそれ以外の要素なのか、最低限の好意がなければ連れ出しやアポはできん。では、その最低限の好意からどうやって上げていき、尚且つどうやっておなごをその気にさせていくかに話を移していくで」
 ちょっとドキリとしてしまった。乳ローは、ところどころ土色つちいろに染められた滑り台をご満悦な表情でゆっくりと慎重に滑っている。
「さっき、カフェで主導権の話をしたやろ」
「しましたしました」
「よくわかってないようやから、もう少し説明するで」
「あ、はい……、お願いします」
「主導権っちゅうのは、あるじとなって物事を動かし進めていく力のことをいう。では、主導権を握るためにはどうすればええか? 今日は久しぶりにねじも来てるしいてみようか」
「何でも訊いてくれよ。僕はこういう勉強会は嫌いじゃないよ。常にナンパについて勉強してるからね」
 勉強会か……。男子による男子のための男子会って感じだな。
「ねじは、主導権で注意してることはあるやろか」
「主導権ねぇ。そもそも僕が主導権を握れないわけがないじゃないか。これだけヴィジュアルが良くて芸能プロダクションの仕事も順調でスポーツをやらせれば僕に勝る奴はほとんどいない。こんな男を女がほっとくわけないし、だからこそ、この僕に主導権が握れないことなんかないんだよ」
 ん。突然、さりげなくだが、いや、しかし、堂々と、自慢話が繰り広げられたわけだが……。そこに、地球型回転ジャングルジムを自分で回してはすぐさま乗り込みちょこんと座りながら大人しくグルグル回っていた乳ローが、血眼になって猛然と走ってきた。
「バカ言ってんじゃねぇよ。この前クラブに行ったとき、お前より俺の方がモテてただろ。まずは俺に勝ってから大口を叩けよ、ホラ吹き野郎のホラ貝君」
「そうだっけ? 僕の周りには可愛いが揃ってたと思うけど、器の小さなタニシ君」
「誰がタニシだこの野郎!」
 この二人はほんと自信満々だな。っていうか、実はかなり似てるんじゃないか。
「いや、あの日ワイが見てた限りでは、四十七都道府県のおなごを制覇したクリックが一番モテてたで」
 ガリさんは、レフェリーがジャッジを下すように言い放った。
「クリックの周りはブサイクばっかだったろうが。ねじもそうだったけどよ。綺麗なモデルに食いつかれたてたのは俺だけだろ」
「人それぞれ好みがあるんだよタニシ君」
「うるせえよホラ貝野郎が。蒸してバター醤油で食っちまうぞ」
「僕はわさび醤油が好きなんだよ」
「そんなの知らねぇよ。そもそも自分のことを僕っていう奴、嫌いなんだよ。虫酸むしずが走る」
「うるさいな。僕は僕のことを僕と言ってしまうのが口癖なんだからしょうがないだろ」
「まぁまぁまぁ。お前ら、もうその辺でええやろ」
 ガリさんが間に入って、お互いの顔を見ながらなだめるように言った。
「しょうがねぇな。ったく……。わかったよ、ホタテ番長」
「……」
 俺は「……」になり、ガリさんは「誰がホタテやねん!」とにらみを利かしたが、すぐに表情を戻して喋り始めた。
「グリーンが困ってるやろ。話を聞いててわかると思うんやけど、主導権を握る上で一番大事なことは自信なんやで。前にも自信の重要性を言うたと思うけど覚えてるか?」
「はい、覚えています」
「おなごは自信のオーラや雰囲気を好意的に感じるんや。そもそも自信とは個人的なもの。社会的な結果で得られる自信も大事だが、人によって自信の定義は変わってくる。自分の心の中を突き詰め続けて、自分なりの自信を作り出していかなあかんで」
 ガリさんの話を聞いて、自信って難しいなと思ってしまった。
「せやけど、ねじはクラブで相当酔ってたで」
「ウォッカを飲みすぎてしまってね。その日はほとんど覚えていないんだ」
「こいつべろんべろんだったよな。だけど、終わりの方で深夜番組によく出てるアイドルと喋っていたことは見逃してないぜ」
「せや。そのおなごを口説いているところをくまなく観察させてもらったで」
「ガリさんも人が悪いな」
「あの日、ねじはかなり洗脳的に攻めていたんやで」
「どんな攻め方をしてたのですか?」
「『お前は俺とやりたいんだろ』『濡れてんだろ』『脱いで確かめさせろよ』という風に口説き続けてたんや。せやから、ずっと『最低』と言われて拒まれていたねん。しかし、そんなことはどこ吹く風で有無を言わさずガンガンに口説き続けていたんやで。せやけど……、ま、後で話すわ」
「何? ま、いいや。恥ずかしいね。酔っていたからそんな淫靡いんびな口説き方をしたんだと思うよ。ほんとアルコールは怖いよね。合法にした人間を訴えたいくらいだよ」
「バカ。人のせいにするなよ」
 乳ローは吐き捨てるように言ったが、ねじは表情を一切変えず無視した。
「俺様もガリの後ろから見てたんだけど、畳み掛けるトークだけでなく、次々に繰り出されるファンタスティックなボディタッチを盛り込み、なし崩しに攻めていたところはさすがだと思ったよ。女は次第に抵抗するのがアホらしく思える状態に陥って最終的に根負けしていたからな」
「まさか、乳ローに褒められるとは思ってもみなかったよ」
「このやり方は有効な攻め方の一つなんだよな。ま、ねじの例は、あまりにも猥褻わいせつ過ぎるんだけどさ」
「泥酔は猛省するよ……。それより乳ロー、この攻め方の分析が聞きたいな。グリーンのために教えてあげて」
「いいぜ。女に考える隙を与えずマシンガントークで口説き続けて思考を錯乱させるんだよ。しかし、ここで手を抜いてはダメ。思考が停止状態になるまで口説き続けて、ホテルに行ってエッチすることが当然の状態まで女の感情を誘導する必要があるんだぜ」
 噛み噛みの俺では難しそうだ……。ねじの口が開いたので視線を向けた。
「思い出した。最初はいつものようにスマートに口説いてたんだけど、無理だと判断して攻め方を変更したんだよ」
「その路線変更は正解だったな。確かにスマートに落とした方がいいけど、それが難しいときはある。そういう場合は決定的な殺し文句や理屈なんかより、しゃべくりでガンガンに口説き倒す方が効果的なんだぜ」
「アウト!」
 何々? 俺たちは野球をしてたのか?
「唐突にどうしたんですか、ガリさん」
「ねじも乳ローも、今は令和時代やぞ」
「ガリ。お言葉ですが、存じております。何か問題でも?」
「令和時代は、の時代なんやで」
「言ってる意味がわからんなぁ」
「わからへんなら、今度みっちり教えてやるよ」
「僕は大丈夫だよね?」
「ねじも同じやで! いつまでそんなやり方してんねん。いつか必ず捕まるぞ」
「じゃ、僕にも講義をお願いするよ……」
「ねじの実力ならもっとスマートに落とせると思うんやが……。それに、ねじの本気はあんなもんじゃないやろ」
「ガリさん、その根拠を教えてほしいな」
「ねじは本気を出すと、関西弁が出んねん。それが本気の証拠やで」
 ねじは「フッ」と笑い、「ガリさんは何でもお見通しなんだね」と言った。
「なんで関東人のねじに関西弁が出るのかはわからへんけどな」
「さすがのガリさんでもそこまではわかってなかったようだね。僕がまだグリーンのような駆け出しのころ、ガリさんのテクニックを模倣するのに必死だったんだよ。録音をしては24時間365日聞き続け、それをひたすら実践するという毎日を送っていた。まさに修行だったよ……。その時に身に着けたものが、酔った際にたまに出ちゃうんだろうね。知らなかったよ。ま、所詮僕は、ガリさんの精巧なコピー作品に過ぎないってことだと思うよ」
「ねじは自分の色も加えてコピーを超越してると思うで」
「ありがとう。生まれて初めて泣きそうになったよ」
「泣くなら泣けよ! 思わせぶりな野郎だな」
「現代のナンパテクニックの全てを集結させ、そこに魂を吹き込み人型として創り上げたのがこのねじと言うても過言ではない。ナンパを芸術作品まで高めた現代最高のナンパ師と言うてもええやろ。ワイも後先長くない。引退したとき、次世代の代表の座をこのねじに譲ってもええと思ってるんやけど、如何いかんせん男の友情を今イチ理解できていないところが唯一難点というか……」
「おい、コラッ。ちょっと待て。昇格はナンバー2の俺じゃないのか」
「皆勤賞だが、お前はちょっとなぁ……」
「途中でフェードアウトするなよ。しかも大事なところを『ちょっと』の一言でお茶を濁すんじゃない! ま……、別にどうでもいいけどさ」
 最後はそう締めくくったが、結構不満そうだ。
「にしても、僕のことをそこまで評価しているとは思ってもみなかったよ。安心してくれよ。男の友情もわかりかけてきてるところだからさ」
 と全てを言い終える前に、ガリさんと乳ローは全く同じタイミングで肩をすくめながら手の平を上げた。
「おい、二人とも。いい加減にしろよ」
 一瞬ねじは取り乱したが、すぐに「確かに心当たりはあるし、君たちにそう思われてもしょうがないと納得してしまったよ。これが、友情の証ってやつなんだろ?」と自信なさげに言葉を漏らした。俺たち三人は目が点になり「んー……」と言ったきり言葉が詰まってしまったが、すぐにガリさんは表情を戻して喋り始めた。
「ま、友情ごっこの真偽は置いといて。グリーン、ねじから得られるところはたくさんあるからできる限り吸収するんやで」
「わかりました。何卒よろしくお願いいたします」
「置いとかれるということは間違ってるのかな……。ま、いいや。グリーンはホント可愛いね。よろしく」
 と言うと、謎めいた笑顔を投げかけられた。
 乳ローは飽きたのか、鉄棒に向かった。
 鉄棒の上に乗ると綱渡りのように歩き、こちらを向きニカっと笑った。次の瞬間、鉄棒を握ると地面スレスレを通過する内足グライダーを試みた。手を遅らせて離したので空に飛ぶような曲線を描いた。
「うまい。しかもしなやかさと繊細さが伴ってるやん」
 足を乱すことなく綺麗に揃えて着地したと同時に両手を高々と上げていた。
「コマネチもびっくりの10点オーバーの完璧なパフォーマンスやな」
「当たり前だ。俺様にできないことなどないからな」
 乳ローの自信満々の横顔を見つめながら呟いた。
「思い直したんですけど、やはり女性には誠実に接した方がいいのかなと。自分にはナンパは合わないような気がして……」
「バカ。一度も即ったことのない奴が何言ってんだよ。誠実ってなんだよ。お前の言ってる誠実は、ただいい人ぶってるだけなんだよ」
「ぐっ」
「もっと女を喜ばせる誠実さを身に着けろよ。まぁ、それだとナンパ師失格だな。一生素人童貞でいろ」
「何で素人童貞ってわかったんですか」
「何でって、見るからに素人童貞臭がプンプン漂ってるからわかるに決まってるだろ」
 ただ単にって言いたいだけだろ。ったくもう……。
「お前は生身の女のことなんかこれっぽっちもわかってなさそうだからな。どうせ、学生時代に二次元の女としか遊んでこなかったんだろ」
 まぁ、それはご名答で何も言い返せないわけだが。
「どうした。女が怖くなってきたか? 現代の三次元の女に相手にされないからイヤになってきたか?」
「いえ、そういうわけではありません。それに今日は連れ出しもできましたし」
 と言うと、ガリさんは俺の右肩をポンと叩き、包み込むような笑顔で喋り始めた。
「ナンパ師も色々やし、グリーンの好きな方向を模索すればええ。せやけど、グリーンにはまだ半分しか教えてないんやで」
「まだ半分なんですか」
「せやねん。残りの半分は攻めについてのレクチャーや。ある意味ここからが本番や。せっかくここまで来たのに辞めちゃうのはもったいないと思うで」
 確かにそうだよな……。
「わかりました。ぜひ、攻め方を教えてください」
「オーケー」と言うガリさんの声と共に風の音が聞こえてきた。葉と葉がれることによって一つの楽器のような音色に感じられたので黙って目を瞑り耳を澄まして身体を預けてみる。木によって葉の擦れ合う音が微妙に異なると感じた。風が少しずつやんでくるとその音は緩やかにおさまり、代わりに車が移動する音や街のざわめきが、遠くの方からはヘリコプターや救急車のサイレンが聴こえてきた。強い風に乗ってコンビニのビニール袋がカサカサという音を鳴らしながら公園の中を横断している。どこかの学校のチャイムが微かに聴こえる。自転車のブレーキ音も聴こえる。小鳥のさえずりも聴こえる。人の声も聴こえる。と思ったらガリさんの声だった。
「今日はえらく風が強いなぁ。ホンマ、かなわんわぁ」
 公園の中は、草花や樹木の匂いを絡ませながら風が吹いている。繁華街特有の鼻を曲げるような臭いではない。風が優しく纏わりつくように撫でたかと思いきや、急に突き刺し破裂するような荒れ狂う風に襲われてしまった。目を開けると公園の砂がいっせいに舞って砂嵐になっていた。
 砂嵐に呑まれたガリさんが咳き込んでいる。
「大丈夫ですか、ガリさん」
「なんか、喉の奥に砂が入ってしまってさ……」
 砂嵐が治まってもガリさんはずっと咳き込んでいた。





☆6章の参考文献
・「ネイル レッスン」 渡邉季穂 実業之日本社
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