空からトラブルが落ちてきた

ゆめ

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第20話:レイア

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 姉はただ、妹が安寧に暮らせれば良かったと思っただけだった。
 男はどう見ても支配階級、友人も恐らく権力者に違いない、ならば、妹が、リリアがその友人と結婚すれば一生暮らしに困らないんじゃないか――そんな淡い希望で男の取引を受けた。
 蓋を開ければ逃げ出したくなるような案件だったけど。

 上座に座るのは金色の騎士と呼ばれている今まで出会った誰よりも色気駄々洩れな、ぞっとするほど美しい男。
 腰まで伸びた金の髪と空を映す蒼い瞳。
 飄々とした態度とは裏腹に見え隠れする冷酷さと、彼を守護する黒いもや。
 奇妙な取引の末、連れてこられた修道院の一室で男が語った昔話は気分が悪くなるものだった。



 外観からは想像も付かないほど豪奢な大聖堂を抜け、通されたのは貴族をもてなすための貴賓室。
 出された紅茶と手作りの菓子。
 目を輝かせる妹の頭を優しく撫で、自分の分の菓子も譲りながら姉は憂鬱な気を払うため部屋の中を見回した。

 部屋の中にいるのは門前で顎が外れそうになっていた老婆、老婆の護衛として数人の修道士、リリアと姉、金色の騎士だけ。
 室内にいる者が話を受け入れるのをのんびりと待つ男。
 老婆らは青ざめ、リリアは菓子を食べる手を止めて膝の上で手を握り締めていた。

 老婆と修道士達は修道服、リリアは聖女の衣装、騎士は純白の天使のような服装、光溢れる美しい空間で血と埃に汚れている姉の姿は浮いていた。
 卑屈に折れそうになる心を奮い立たせ男の目をしっかりと睨み返す。

「事情もこれからの流れも理解した」

 浮いていたが、同時に男と対等に口を利ける度胸を持つ者も姉一人だけだった。

「それは重畳」
「暗いし、重い、嘆けばいいのか怒ればいいのか判断も付きかねる、だがさ」
「うん」
「所々で語りが緩くなるせいで、微妙に気が抜けるんだよ!」

 特に獣の話ではもふもふトークを熱く語っていた。
 最後の菓子の話とかどうでもいい。
 保護したいとかお前何様だよと声を大にして叫びたい。

「いやだってさ、最初から最後までシリアスとか疲れる――俺が」
「お前がかよ」

 もはや脊髄反射のツッコミだった。
 苦々しい表情で紅茶を飲み干す姉を優し気に見つめると、ゆっくりと立ち上がり姉の横に立ち手を取って立ち上がらせた。

「ギルバートを王位に付けるまでのごたごたは全部俺がやる、治世の邪魔になりそうなのは全部殺る。君にはその後王座に就くギルバートを心身ともに支えてもらいたい」
「なんで私? 王妃とか見た目も大事じゃねぇの? リリアの方が向いてるって」

 聖女の衣装を着るリリアは美しい、王族に許されたドレスを着たらどんなに美しいだろうか。

「護りたくなるタイプは腐るほどいる、血塗れの道を共に歩くのは君のような勇敢な戦士がいい。君の清廉な魂はギルもきっと気に入るだろうし、剣、いや斧を両手に王を守る国母とか超斬新」

 褒めているのか貶しているのか分からない言葉を贈られ、どう言葉を返せばよいのか言葉に詰まる。
 握られている手も振り払えばいいのか叩き落せばいいのか迷う。
 実際の話、男に手を握られたのなんてこれが初めてだった。

「私は人殺しした事がある、血塗れだ」
「それを気にするような種族に思える?」
「……思えねぇなぁ」
「女性としての自信をつけさせるのはギルに丸投げするよ、俺はつい先日まで子供だったんでその辺の手管はさっぱり分からない」
「は?」
「『未来の国母に祝福を、我が友と共に苦難を乗り越えこの国に恒久の平穏を』光の精霊、ここへ」

 霧に囲まれた光の届かぬ修道院、光など届くはずもない場所に溢れる光、男の異質さに怯え、あるいは圧倒されて気付ける者はいなかった。
 光が一層強くなり、姿を現したのは光翼を持つ高位の精霊。
 男に目線で一礼すると光の泡となって姉の体の中に吸い込まれていった。
 
「『君の持つ光が友の道を照らさん事を、レイア』」

 レイア、それはもう誰にも呼ばれぬと自ら忘れた姉の名前だった。
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