空からトラブルが落ちてきた

ゆめ

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第14話:不穏

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 久方ぶりに町へ用があって出掛ける事となった。
 ベリルに馬車を出させ、いつも通り明け方に出立したのだが隣に少年の姿はない。
 昨夜の出来事は夢だったのだろうか。

 否
 領主の身体は確かに『力』を取り込んだ。
 完全にとは言えないがほぼ最盛期に近い状態だと言っていい。

 走る馬車の中で、自分は何を喰らったのだろうかと考える。
 それに少年の周りを飛んでいた三つの影。
 完全な闇の中でさえ見通せる瞳にすら映らなかったもの。
 何より少年が見せた深い闇を湛えた瞳。

(君は、誰なんだ?)

 幾度となく問いかけた疑問を心の中で問いかける。
 コンコン、と扉を叩く音がして現実に引き戻された。
 開かれた扉から外へ出れば、いつもの町並みが広がっている。
 ただいつもと違うのは、祭りでもないのに人々がいつもより多い事。
 心なしか町を歩く兵の姿も多い。

(嫌な、予感がする)

 不安な気持ちを押し殺し、ベリルを供に町の中へと進む。

 もうじき冬が来る。
 雪が降ればそうそう村から降りれない。
 村の外へ出るのは不可能ではないが、ベリルが冬眠に入ってしまうので、馬車が使えなくなってしまうのだ。
 だから領主も冬の間は村で過ごすようにしている。
 そうなると春まで養護院や修道院の者達に逢えない、今日は今年最後の顔見せと、そのための土産の買出し。
 子供達には何か甘いものを、修道院の彼らには何をあげようか、悩みながら並ぶ露店を見ながら歩く。

「聞いたか、姫様の話」
「ああ、知らない者はいないよ」

 後を通った人間が喋っていた何気ない単語、なぜか引っ掛かって後姿を見つめてしまった。

「……店主、今、彼らが言っていた『姫様の話』、とは?」
「ん? ああ、お客さんは外の人か、じゃあ知らないか……お姫様は……」

 人の良さそうな店主の顔が不意に曇る。
 言い辛そうに視線を下げ、地面をにらみつけていたが、やがて数歩前に出て、遠くにある教会を指差した。

「あれ見えるだろ、銀色の十字架が光ってるでっかい建物」
「ええ」

 魔物避けのシンボルとして掲げられている銀色の十字。

(もっとも、あれが効くのは低級の魔物だけだけどね)

 それでも『人間が暮らす場所』としての目印にはなっている。

「ありゃ教会なんだがね、あそこにゃ『聖女』と崇められるお姫様がいたのさ、そりゃぁ妖精のように可憐で、日曜のミサにゃ俺も母ちゃんといつも行ってたよ」
「……いた。とは?」

 脈が不規則な音を立てている。

「――連れて行かれたのさ、神様の御使いに」
「神の御使い?」
「そりゃもう綺麗な御仁だったよ、俺は後ろの席だったけど、それでもあの綺麗な金色の髪は忘れねぇ、この世の者とは思えぬ美しさだったよ」

 脳裏に浮かんだのは少年の姿。

「『貴女を迎えに来ました』ってこう優雅にお姫様に手を伸ばしてなぁ、手を取ったお姫様をそのまま連れて行っちまっただよ」
「あたしもあんな綺麗な御使いに迎えに来て欲しいもんだねぇ」
「母ちゃんが連れてかれたら、おら生きてけねぇ」
「なーに言ってんだいこの人は!」

 途中から出てきた店主の妻が、大口を開いて笑いながら亭主の背中を叩く。
 仲睦まじいですね、と笑顔を浮かべて言いながら、心臓は煩いほどに鳴っていた。
 聖女と呼ばれるお姫様が連れて行かれた。
 神の御使いに。
 昨日の晩食べたのはなんだったのだろう。
 この上なく甘美な味の極上の餌。

「親父さん聞いたかい、おととい、北にある町の教会が魔物に襲われたんだってよ」
「ひぇ」

 話に割り込んできたのは常連らしい男。

「怖いねぇ、魔物が町の中に入ったのかい」
「何でもその魔物は人の形をしてたらしい、教会にいた『聖女』をさらおうとしたって話だ」
「聖女を?」
「ん? お、おお」

 どうやら領主がいた事に気が付いていなかっただけらしい、美人の男が自分の話に興味を持った事が嬉しいらしく、男は意気揚々と続きを話し始めた。

 教会を襲った人の形をした魔物は、魔物の群れを率いて町に攻め入り、教会に踏み込んで聖女をさらおうとした。
 だがそこに現れたのが――

「綺麗な金色の騎士だったんだってよ」
「へぇぇ」

 聖女を渡せと牙を剥く魔物に対し、騎士は一向に首を振らず、痺れを切らした魔物が飛び掛ったのだが、一太刀で返り討ちにされたという。
 魔物を率いていた者が剣を片手に飛び掛ったが、流れるような動作で剣を奪われただけでなく、片腕を切り落とされ、命からがら逃げていったらしい。

「いやだぁ、素敵だねぇ、それで聖女様はどうしたんだい?」
「その騎士様について行ったらしい」
「北の聖女様もかい」
「ああ、この町の聖女様も連れて行かれちまったしなぁ」
「……ご店主、私はまだ買い物がありますので、これで」
「おお毎度あり」
「お兄さんまた来ておくれ、サービスするからさ!」

 気のいい夫婦に見送られて領主は足早にその場を後にした。

「聖女を狙った魔物はあの白い魔物だろうね」

 魔物を率いて……領主から離れる魔物が出てきた証拠だ。
 そして聖女を連れ去った金色の騎士。
 本当に神の御使いかは怪しいところだが、とりあえず聖女は白い魔物の手には渡っていないらしい。

「ベリル、予定を変更する。南の町へ行くぞ」

 彼らの狙いは間違いなく聖女、魔物の力を高める至高の餌。
 餌を横取りされたとなると、次の襲撃は前のものより血眼になる可能性が高い。
 血が、流れる。

(神の御使いと呼ばれる者の狙いが分からない)

 聖女を連れて行ってどうするつもりなのか、本当に保護するつもりならば良いのだが、彼が魔物でないという確証はない。
 聖女の血は魔物の力を高める。

(魔物の力を高める?)

 嫌な汗が流れた。

「……? ベリル、どうした」

 なかなか動かない馬車に領主は外のベリルに声を掛けた。

「兵が顔を確認したいと」
「分かった」

 早く南へ向かいたい衝動を押し殺し、あくまで優雅にゆっくりとした動作で馬車から降りた。
 髪が風に煽られ、ふわりと舞う。

 呼び出したのは兵だったが、領主の優雅な動作と美しさに目を奪われ、しばし声を失っていた。
 何をしにこの町へ来たのか、身分は、出身の村はと聞く兵に、村の名とそこの領主である事を告げる。
 領主と村の名はある程度知名度が高い、それもこれも村の特産品のおかげ。

 あの村の領主様でしたか、これは失礼致しましたと敬礼した兵が、求めてもいないのにぺらぺらと事情を話し出した。
 北を襲ったのが完全な人型をした魔物だというのが、この厳戒態勢の理由だと言う。

 魔物は結界の張ってある町には入れないはず、それが突破されたと言う事は、強力な魔物が出現した証拠。
 狙いの聖女はいないが、魔物はそれを知らない。
 いつ襲撃されてもよいように守りを厳重にしているのだと、長々と喋る兵にいささか呆れながら、溜息を付きそうになるのを堪え、兵から出来る限りの情報を搾り出す。
 頃合を見てベリルに声を掛けさせ、急ぎの用があるからと言ってその場を辞した。

(魔物が聖女をさらえば騒ぎになるが、神の御使いが連れ去れば神に見初められたと祝福される。いるかどうかも分からぬ神の御使い――ますますもって怪しい。だが偽物だとしても神の御使いを名乗る理由はなんだ?)

 そこまで考えてふと気付く。

 御使いと名乗ったとは誰も言っていない。
 教会での出来事をみた民がそう呼んでいるに過ぎない。

 金色の騎士と御使いの話を聞くたび、脳裏に浮かぶのはあの少年の姿。
 騎士と言うからには子供ではないのだろう、なのになぜ、あの少年の事を思い出すのかが分からない。

 扉が叩かれ、着いた事を知らせる。
 人の足では急いでも2~3日は掛かる距離も、霧に乗じて走れば数刻も掛からない。
 馬車から降り、教会へ向かおうとした所で騒ぎは起こった。
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