空からトラブルが落ちてきた

ゆめ

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第7話:修道院

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 朝、まだ霧が立ち込める時間に村を出た。

 縄で手首を縛られ馬車に乗せられた男は、蒼褪めた表情で下を向いたまま小さく震えていた。
 恐らくは怯えながらも逃げる算段でもしているのだろう、領主の視線を盗んでは縄の強度を確かめたり、外の景色を見やっている。

(あの二人の子供とは思えないな)

 見送りには母親の姿もあったが、泣きも騒ぎもせず、夫と二人、静かに領主に頭を下げていた。
 目は赤く、腫れていたけれど。

「ね」
「うん?」
「外の人、誰?」

 てっきり領主が馬車を扱うのかと思いきや、ちゃんと御者がいた。
 村人の数は少なく、祭りの時に全員チェックしてあったが、外の御者は一度も見た事がない顔だった。

「彼は大の人嫌いでね、館の裏に小屋を構えて住んでいるんだよ」

 にっこりと微笑みながら言われたセリフは明らかに嘘臭い、実際嘘なのだろうが……。

「ふぅん」

 適当に返事を返して外を見る。

(人外なんだろうなぁ、馬車を引いている馬も普通の馬じゃなさそうだし)

 普通ではありえない速度で、普通は通れないだろう道を行く馬は、どう考えてもただの馬ではなさそうだ。
 もちろんそれを動かす御者も。
 濃い朝霧を縫うように走る馬車。

(もしかして霧に乗って走ってるのかな?)

 領主が闇を縫って走るように、この馬車は霧を縫って走っているのかもしれない。

「もうじき海だ」

 呟き馬車を軽く叩いて合図する。
 すると濃かった霧が薄くなり、馬車の中に潮の香りが漂ってきた。

「わぁ、海の香りだ」

 馬車の外を見てみるが、薄くなったとは言えまだ霧はあり景色を見る事はできない。

「この周辺は霧が濃くてね、昼間でもこんな感じだよ。だからかな……この辺は特に凶暴な魔物が多い」

 修道院には結界が張ってあり入って来ないものの、一歩外へ出れば命の保証はなく、霧に視界を奪われて海へ落ちるか、魔物に見つかって喰われるかのどちらか。

「結界……そういうのって誰が張ってるの?」
「純粋な人間にそんな力はないよ」
「ああ、混血か」

 または魔物、それも領主のように人間寄りの。

「そういうこと」

 純粋な人間ではないからこそ、彼らは『修道院』という名の箱を作り、外界から己が身を遠ざけているのだろう。
 この霧さえも魔物の作り出したものかもしれない。

「……人間、食べるの?」
「嗜好次第だと思うけど、彼らはそこまで食事に困ってないと思うよ」

 くすりと妖しげに笑った領主に、びくりと怯えたのは男だった。
 今の会話を脳で理解したのだろう、顔色が蒼を通り越し白くなっている。

 馬車が止まり、御者が馬車の扉を開ける。

「さぁ着いた」
「おおー」

 霧の中、突然現れた高い塀に思わず歓喜の声を上げる。
 馬車から降りようとしたのを片腕で抱き上げられた。

 これは恥ずかしい。
 下ろせと抗議しようとしたが、領主の上機嫌な様子に口を噤んだ。

 扉が開き修道服をまとった僧が数名現れた。
 深くフードを被った彼らの表情は見えないが、ただならぬ気を感じる辺り、普通の人間ではなさそうだ。

「出なさい」

 がたがたと震えて出てこない男に、領主が御者に顎で指示すると、御者は片手で男を無理矢理引きずり出した。

「両親は彼と絶縁した。村とももう何の関係もない、これが契約書だ」

 差し出された書類を先頭の修道士が受け取り、後ろの者達に頷いて合図する。

「――っ」

 口だけパクパクと動かすが声が放たれる事はなく、男は修道士達に連れて行かれた。

「不足はないか?」
「はい」

 答えた声は案外若く、しかも女のものだった。

(いや、確かにここの修道服は男女の見分けが付かないけど――女!?)

 驚きに声を失っていると、その人物がフードを取って顔を見せた。
 まだ20前半にしか見えないうら若い女だった。
 白い肌、白い髪、紅い瞳。

(……なんで人間がとは思ったけど、アルビノか)

 文化がどれぐらい発展しているか分からないが、魔物と共存を余儀なくされているうえに、混血が生まれる世界ならば、悲しいけれど彼女は人間とみなされないだろう。
 例え本人が否定しても、周りは信じてくれなかったに違いない。
 否定する言葉を発する事すら許されたか怪しいものだ。

 中がどんな環境かは分からないが、悲愴さをまとっていない事から彼女の生活は悪くないものだと推測できる。
 迫害を受ける外界よりも、人間が近付かない修道院の方が良いとはあまりに悲しい、そう思いかけた時、それに気付いた。

(ん?)

 ほんのりと染まっている頬、恥ずかしげに伏せられている視線。

(なるほどねー、ま、無理ないけど)

 世間から隔絶された場所
 支援をしてくれる男がこんな色男とあれば惚れない要素がない。たとえ相手の男にとって女が妹か娘、下手すれば孫扱いだとしても。

(いやー、お礼思いついたちゃったよ~、決めた決めた、それにしよう)

 楽しげに笑みを浮かべ領主を見る。

 少年が領主の未来について勝手にあれこれ思案を巡らせているとは露知らず、修道女と定例通りのやり取りを終えて別れを告げると少年と目を合わせた。

「さて、町へ寄ってから帰ろうか」
「お、いいねー」

 明るく返事をして馬車に戻る。

「……ん?」

 椅子の上に下ろされるかと思いきや、座ったのは領主の膝の上だった。
 御者が扉を閉め、馬車が動き出す、修道女も中へと戻って行った。

「貴族達ってどれだけお金くれるのさ」
「美の為だからね、湯水の如く使ってくれるよ」

 例えそれで破産しても領主のせいではない。

「どうして修道院にしたの?」
「建前だけとは言え、神を崇めている施設に踏み込む輩はいないだろう」
「確かに。中身が『彼ら』なら盗賊が入っても返り討ちだろうしね」
「何より修道院ならば幾ら寄付をしても怪しくない」
「信心深いと解釈できる」
「つまりそういう事」
「でも彼らってお金何に使うの?」
「使い道は色々ある。例えば町に下りて奴隷市に行くとか、ね」

 少し悲しげな表情に、言葉の意味を知る。
 魔物の姿をさらして奪うのは簡単だが、それでは隠れて暮らしている意味がない。
 だから『寄付された金』を使い、魔物や一部の奴隷を解放するのだと言う。

「さっきの彼女もその一人、奴隷市で売られていたのを仲間が買い取り、施設に連れ帰った」

 自由になる道もあったが、再び捕らわれる事を、何より人々の好奇と嫌悪の目を恐れて彼女は修道院に入る道を選んだ。

「修道院ならば安全だ。人間は滅多な事では近付かない」
「魔物が周囲をガードしてるんだもんね~」

 人間が気付かないだけで魔物達はこの国に深く浸透し、今も確かに息付いている。

「そういえばあの男、声が出なかったみたいだけど何かしたの?」
「出発前に水を飲ませただけだ」
「声が出なくなるお水?」
「そうだ」

 即答した領主に、やっぱりねーと言って少年はケラケラと楽しそうに笑った。
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