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富子
第8話 訪問
しおりを挟む翌朝、富子は一人、例の離れのある日本家屋に向かっていた。
妻のピンチに、外和山も前に一度ひとりで屋敷を訪れたそうだが、特に
何も異変はなかったという。
ただ優良が言うには、意外にも外和山はホラーやお化けなど怖いものが
滅法苦手らしく、屋敷を訪ねた時にもあえて眼鏡をかけずに行き、すぐに
帰ってきたそうだ。
『それで特に何もなかったと言われてもねえ。わざわざ行ってくれたのは
ありがたいけれど、ちょっと当てにならなくて……』
あの日、応接間で優良が言っていた言葉が 蘇る。
しかしせっかく無事に帰ってきた紗矢をあの離れにもう一度連れて
いくなんてありえないし、優良自身も前の体験がトラウマになっていて、
とても行く気にはなれない。それでホトホト困っているのだと優良は
零していた。
そこで思わず富子は小言を言ってしまったのだ。
『ああ、もう仕方ないわねえ。お化けがどうこう以前に、緊急事態とは
いえ勝手に敷地に入ったのを家主さんにお詫びしないでどうするのよ!
せっかく家に行ったのなら、外和山さんもせめて家主さんにご挨拶をして
これば良かったのに! まったく大人が二人もいて、そこに思い至らない
なんて……』
その時の富子の言葉に、今やっと気づいたとばかりに、優良がパッと
顔を上げて謝罪の言葉を口にする。
『あっ、そうだった!……ごめんなさい』
反射的に優良が胸の前で手を合わせて謝ったのは良いものの、本来手を
合わせる先は富子ではない。そう思うと富子は簡単に表情を崩せない。
それを見て取った夫が、すかさずフォローを入れる。
『まあまあ、母さん。優良も色々理由があったというし、その辺で……』
しかしまた娘に甘い顔をする夫に、富子はますます呆れ顔になった挙句、
自ら 啖呵を切ったのだった。
『……分かった。私がその家に行ってくる! 菓子折りを持参して、家主
さんに事の次第を話して謝ってくるわ!』
そして今に至る――引き換えに優良には、富子の付き添いのもとカウン
セリングを受けることと、困ったときには必ず富子たち夫婦に助けを求める
ことを約束してもらった。
これは孫の紗矢を守るためにも、優良の心を守るためにも必要なことだ。
だからこの約束をしてもらうためならば、 件の屋敷に行くこと
なんて、富子にとっては全然苦ではなかった。
――そして今に至る。
住宅に囲まれた登坂を進んでいくと、遠くから緑の匂いが富子の鼻を
掠める。
確か件の家は林を背にしていたという話だったな――と思い出し、
優良に手書きで描いてもらった地図を確認する。
(うん。道は合っている。地図によると、その家はこの道の行き止まりに
あるみたいね。着くのは、あと5分くらいってところかしら)
順調に進んでいることに満足した富子の足取りは軽い。
周囲の一戸建てからは生活音も聞こえるし、時間もまだ昼前であるうえ
に空はどこまでも澄み、あちこちからは自然の息遣いを感じる。
何一つ、不穏な要素はなかった。
当然のように障りとなるものはなく、少し歩くと両脇の住宅が無くなり、
更に数分進むと道は一軒の家で塞がれ、そこで終いとなっていた。改めて
地図で確認して、ようやく富子は胸を撫で下ろした。
(この家がそうなのね……。うん、間違いない)
その家は林を背にした大きな日本家屋で、広い敷地の右手には母屋以上に
古そうな離れが建てられていた。
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