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第1部

第8話

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「エレボス艦隊はアペコーへ来航し、這いずり街道ロング・クロウルを通ってラスチェクの東門へ進軍するだろう。
 そこで我らは上陸する前の艦隊を空中より叩く」
 アオト・フェジムはチェセンタの立体的な地図の盤上で、エレボス軍の駒を動している。
 この部屋で、将軍や参謀を相手に軍議を行う母様の姿をいつも見てきた。
 今はあたしが母様の代わりを務めているはずなのに、いきなりアオト・フェジムに主導権を握られている。
 何か言い返さないと摂政としての沽券こけんに関わる!

「船で攻めてくる根拠は?」

「我らはラスチェク公ノーナー・オヴ・ラスチェクと契約して以来、エレボス軍の動静を探り続けている。
 エレボスの港では戦艦と輸送船からなる大規模な艦隊が編成され、出航の準備を進めている。
 おそらく5,000人規模の軍団を載せて侵攻してくるだろう」

「何それ!? 母様がどう答えてもラスチェクを攻める気だったってこと?」
 チェセンタ全土を自分の所有物として考えている神竜に人並みの誠実さを求めるのも筋違いかもしれないけれど、なんか理不尽!

「公女、チャズザーはアンサーへの東征を口にしていました。
 目論見通りラスチェク公ノーナー・オヴ・ラスチェクが聖遺物を献上された場合は、チェセンタ湾を南下してアンサーへ出兵する予定だったのではないでしょうか?」
 鮮血の盾ブラッド・シールドの司令を務める”大巨人ティターン”が、213cmの巨体に似つかわしくない穏やかな口調で捕捉してくれた。
 彼はほとんど本名で呼ばれることはなく、その巨躯からつけられた異名で呼ばれている。
 
 ”大巨人ティターン”たち、鮮血の盾ブラッド・シールドの態度からは明らかにアオト・フェジムへの敬意が伺える。
 魔導士マギを侮蔑しないどころか尊敬の眼差しを向けるラスチェク人なんて初めて見た。

「だったとしても、ラスチェクの北岸から直接上陸してくる可能性はないわけ?」
 前の世紀に”呪文荒廃”が引き起こした地形変動によって、チェセンタ湾の水位が大きく下がり、ラスチェクの港は干上がってしまった。
 とは言え、他の都市国家ポリスの港を経由して上陸するなんてまだるっこしい気がする。

「仮に港のないラスチェク北岸に大艦隊を寄せて上陸するのであれば、小舟で兵を運ぶ間、グリフィン部隊、弓兵隊の的にできる。
 我らには、むしろ好都合と言えよう」

「……なるほど。じゃあ、アペコーから攻めてくる根拠は?」

「アペコーは、港を持たないラスチェクにとってチェセンタ湾への玄関の役割を果たしている。
 戦が長期化する可能性もかんがみれば、ここを封鎖することによりラスチェクへ経済的な打撃を与えることもできる」

 ラスチェクを統治しているのはあたしたち貴族でも、実際に政治を動かしているのはもっとも数が多く経済力のある中産階級の市民たちだ。
 ただでさえ、彼らの意向を強く反映している議会は軍の編成をしないって言っているのに、長期間経済活動が妨げられる事態になったら反乱が起きても不思議はない。

「わたくしも同意見です。
 次にラスチェクへ近い港湾都市としてはヘプティオスがありますが、チェセンタ中の貴族の子弟が留学している都市国家ポリスを攻撃するのはかなり大胆な判断になると思います。
 慎重なチャズザーが、全ての都市国家ポリスを敵に回しかねない選択をするとは考えにくいですね」

 ヘプティオス出身のネサレテ先生の言葉は確かに説得力があった。
 そうなんだよね……神竜と呼ばれるチャズザーだけど、歴史上のエピソードから母様たちからの身近な伝聞まで含めて、大胆不敵というより良く言えば慎重、悪く言えば姑息な性質に感じられる。
 大体、母様が身重で動けないタイミングを狙って復活してくるなんて、神竜と崇められる英雄とは信じられない卑劣さだし。

「エレボス軍の別動隊が陸路を南下して挟撃作戦を採る可能性を考慮しておいた方が良いのではないでしょうか?」
 ”大巨人ティターン”の穏やかな声が頭の上から降ってくる。
 
「仮に、一部の兵力を陸路で移動させたとしてもラスチェクへ到着する途上にあるパンドリックを抜けることは至難でしょう。
 もちろん、わたくしたちラスチェクとパンドリックの同盟が堅固なものである前提での話ではありますが、ラスチェク公ノーナー・オヴ・ラスチェクシャラ・カラノックとパンドリック王ゼアレウスが統治者の座にある限り、その絆は固いものであると思います。
 その根拠をわたくしの口より明らかにするのはご容赦頂きたいのですが……」

「ネサレテ先生、母様とパンドリック王ってそんなに仲が良いの?」

 あれ? 大人たちの間に微妙な空気が漂っているのはどうして?
 うーん、”数多あまたの戦の英雄”たる母様のことは絶対的に認めているから裏切らない、みたいな意味なのかな。

 ようするにあたしが信じるに足りない存在だって切ない結論になりそうな気がして、この話を追求する気が失せた。
 それにパンドリックは、人口ではチェセンタの五指に漏れる規模でも、成人した市民は男女全てが勇猛な兵士という都市国家ポリスだ。
 そもそも、統治者が王を名乗る気位の高いパンドリックは10年前もチャズザーには従わなかったらしい。

「チャズザーの親征しんせいはあると思う?」
 それまで一言も言葉を発していなかったアオト・フェジムの副官ジェスリー・コールドクリークが抑揚のない声で呟いた。
 明るい褐色の髪と琥珀色の瞳の彼女は、全身を熱のオーラで覆われているのに、表情も声もひどく冷たいものに感じられる。

此度こたびは復活して以来、まだ誰も竜の姿になったチャズザーを見た者はいない。
 ゆえに、私の勘は無いと告げているが、それ以上の根拠はない。
 もし、チャズザーが出張ってくるならば、私とジェス、それに公女で対処するしかあるまい。
 その時は、グリフォン隊の指揮をゲイディーンに任せる」
 アオト・フェジムがとんでもないことを言い出した。
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