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第1部
第3話
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ナリアを背に乗せたあたしは、街の上空を南へ向かって真っすぐに飛ぶ。
血塗られた歴史と、来訪者を惑わす迷路のような街並みから”狂気の都”と呼ばれるラスチェク。
それでも、眼下に見下ろす白い街並みをあたしはいつも美しいと感じている。
目指しているのは、街の南側にそびえたつ黒い崖。
そこは、自然に出来上がったものではなく、遥か昔に造られた黒曜石のジッグラト。
その一角が風化によって崩れ崖となったものだ。
黒い崖の斜面へ建物を何層も重ねて造られた巨大な白い建造物、“パレス・ハイツ”が視界に入ってくる。
低層階の小さな部屋に住む貧しい市民から、上層階の裕福な貴族・商人までラスチェクのかなりの人口が集中しているエリアだ。
積み重なった建物に囲まれた、巣箱と呼ばれる中庭は、あたしのお気に入り場所。
崖とその斜面に造られた”パレス・ハイツ”の陰に隠れ、ラスチェク市内の多くはあまり日当たりが良くない。
でも、遮るものがない地上数十メートルの高さに花が咲き誇る空中庭園では、最高の日光浴が楽しめるのだ。
純血のオークではないあたしは、陽光を苦手としてはいない。
まぁ朝は弱いのだけれど、それはついつい夜ふかしをしてしまうからであって、オークの血とは関係ない気がする。
さらに高度を上げると、目的地が見えてきた。
“パレス・ハイツ”の頂上、崖が船の舳先のように突き出している、街のすべてを見下ろせる場所。
そこはカラノック家の宮殿と“軍事大学”があるラスチェクの心臓部だ。
”軍事大学”とは、高祖父のアイシュアル・カラノック公によって創設された士官学校。
かつて、都市国家の軍政の要職全てを300人を超える一族で独占していたカラノック家も、アイシュアル公の時代にはかなり少なくなっていた。
近親婚を重ねた結果とも言われているけれど、本当の原因なのかは分からない。
血統を守り続けているムラン貴族の間で近親婚はとくに珍しくはないのだから。
ともかく、軍の中核となる士官を育成する必要に迫られたアイシュアル公は、広く人材を登用するため”軍事大学”を開いたのだった。
母様へ憧れてやまないナリアは、将来その側近となるべく“軍事大学”へ通っている。
あたしも12歳になったら入学すると決められている。
しかし、全く気が進まないのだ。
どんな戦士よりも大きくて強い生き物に変身できるのに、武器や格闘の技術とか兵法を身に着ける必要なんてないと思う。
円形劇場から乗り物や脚で帰るのは結構時間がかかるけど、ドラゴンの姿で飛べばあっという間だ。
宮殿の前に着地したあたしはナリアを降ろして人の姿に戻った。
入り口には水瓶や着替えを持った奴隷たちが待ち構えていて、すぐにあたしの身体を清め新しい衣装を着せる。
少ない布地の5倍くらいの金銀宝石で身体が飾り立てられた。
どうやら、母様のお呼び出しの理由は、重要な賓客との謁見らしい。
「あのさ、ヴィムル……。なんか勢いで連れてこられちゃったけど。やっぱり私は帰るよ」
目を泳がせながら、おずおずと切り出す、ナリア。
「だめ! だって今日はずっと一緒にいる約束なんだから!」
「それはそうなんだけど、 私なんかが居ても邪魔になるだけ……」
「母様の御用が終わるまで待っててくれないの!?」
ナリアはあたしと一緒にいたくないの、って思うとつんっと鼻の奥が熱くなった。
敬愛する主君の娘との関係に、彼女が疚しさを感じているのは知っている。
二人の関係が周りから良く思われていないのも。
でも、堂々と付き合っていたいし、どんな場所でも一緒にいたいって思うのはわがままなのかな……。
「ごめん。私は君から離れたりしないから泣くなよ」
「泣いてなんかないもん! ……まだ」
ナリアはあたしを抱き寄せて頭をぽんぽんしてくれた。
ベッドの上では受け身なのにこういうスパダリなとこ、本当に大好き。
「はーい、そこまで。おしまいでーす。廊下で何いちゃいちゃしてるんですか、この色餓鬼どもは」
すらっと背が高い、眼鏡をかけた女性。
ネサレテ・グレイス先生にあたしたちは引きはがされた。
「ラスチェク公がお待ちですよ。さっさと来てください」
楽しいことしか起きないはずの一日はまだ終わらないのが分かったし、あたしは頭を切り替えて、母様の寝所へ向かう。
「ネサレテ先生、誰が宮殿に来ているの?」
結局どんな人物との謁見に臨もうとしているのか知らないままだったのを思い出し、宮殿の回廊を歩きながら訊ねてみた。
「エレボスの元老が使節として訪れています」
「エレボスとうちなんて、チェセンタ湾の北と南の端じゃない。小競り合いが起きる距離じゃないし、と言って別に同盟を結んでいる訳でもないでしょ? 一体何の用なの?」
「たしかに宴と戦はチェセンタの華ですが、政はもっと複雑です。チェセンタ中の都市国家の間には、通商や支配貴族家の婚姻など様々な関係が結ばれており、敵か味方かと2つに分けられるものではありません。
公女は物事を単純に捉えすぎる傾向があります。いずれラスチェク公となる貴女はもっと広い視野を持ってください」
「はーい、先生。
……なんで、こんなとこでお説教するの……」
鼻白んだあたしは小声で不満をつぶやいた。
だって、オークは物事をシンプルにしか考えられないんでしょ。
その血が流れてるんだから単細胞なのはしょうがないじゃない。
ラスチェク公を継ぐのは多分あたしじゃないんだし……。
血塗られた歴史と、来訪者を惑わす迷路のような街並みから”狂気の都”と呼ばれるラスチェク。
それでも、眼下に見下ろす白い街並みをあたしはいつも美しいと感じている。
目指しているのは、街の南側にそびえたつ黒い崖。
そこは、自然に出来上がったものではなく、遥か昔に造られた黒曜石のジッグラト。
その一角が風化によって崩れ崖となったものだ。
黒い崖の斜面へ建物を何層も重ねて造られた巨大な白い建造物、“パレス・ハイツ”が視界に入ってくる。
低層階の小さな部屋に住む貧しい市民から、上層階の裕福な貴族・商人までラスチェクのかなりの人口が集中しているエリアだ。
積み重なった建物に囲まれた、巣箱と呼ばれる中庭は、あたしのお気に入り場所。
崖とその斜面に造られた”パレス・ハイツ”の陰に隠れ、ラスチェク市内の多くはあまり日当たりが良くない。
でも、遮るものがない地上数十メートルの高さに花が咲き誇る空中庭園では、最高の日光浴が楽しめるのだ。
純血のオークではないあたしは、陽光を苦手としてはいない。
まぁ朝は弱いのだけれど、それはついつい夜ふかしをしてしまうからであって、オークの血とは関係ない気がする。
さらに高度を上げると、目的地が見えてきた。
“パレス・ハイツ”の頂上、崖が船の舳先のように突き出している、街のすべてを見下ろせる場所。
そこはカラノック家の宮殿と“軍事大学”があるラスチェクの心臓部だ。
”軍事大学”とは、高祖父のアイシュアル・カラノック公によって創設された士官学校。
かつて、都市国家の軍政の要職全てを300人を超える一族で独占していたカラノック家も、アイシュアル公の時代にはかなり少なくなっていた。
近親婚を重ねた結果とも言われているけれど、本当の原因なのかは分からない。
血統を守り続けているムラン貴族の間で近親婚はとくに珍しくはないのだから。
ともかく、軍の中核となる士官を育成する必要に迫られたアイシュアル公は、広く人材を登用するため”軍事大学”を開いたのだった。
母様へ憧れてやまないナリアは、将来その側近となるべく“軍事大学”へ通っている。
あたしも12歳になったら入学すると決められている。
しかし、全く気が進まないのだ。
どんな戦士よりも大きくて強い生き物に変身できるのに、武器や格闘の技術とか兵法を身に着ける必要なんてないと思う。
円形劇場から乗り物や脚で帰るのは結構時間がかかるけど、ドラゴンの姿で飛べばあっという間だ。
宮殿の前に着地したあたしはナリアを降ろして人の姿に戻った。
入り口には水瓶や着替えを持った奴隷たちが待ち構えていて、すぐにあたしの身体を清め新しい衣装を着せる。
少ない布地の5倍くらいの金銀宝石で身体が飾り立てられた。
どうやら、母様のお呼び出しの理由は、重要な賓客との謁見らしい。
「あのさ、ヴィムル……。なんか勢いで連れてこられちゃったけど。やっぱり私は帰るよ」
目を泳がせながら、おずおずと切り出す、ナリア。
「だめ! だって今日はずっと一緒にいる約束なんだから!」
「それはそうなんだけど、 私なんかが居ても邪魔になるだけ……」
「母様の御用が終わるまで待っててくれないの!?」
ナリアはあたしと一緒にいたくないの、って思うとつんっと鼻の奥が熱くなった。
敬愛する主君の娘との関係に、彼女が疚しさを感じているのは知っている。
二人の関係が周りから良く思われていないのも。
でも、堂々と付き合っていたいし、どんな場所でも一緒にいたいって思うのはわがままなのかな……。
「ごめん。私は君から離れたりしないから泣くなよ」
「泣いてなんかないもん! ……まだ」
ナリアはあたしを抱き寄せて頭をぽんぽんしてくれた。
ベッドの上では受け身なのにこういうスパダリなとこ、本当に大好き。
「はーい、そこまで。おしまいでーす。廊下で何いちゃいちゃしてるんですか、この色餓鬼どもは」
すらっと背が高い、眼鏡をかけた女性。
ネサレテ・グレイス先生にあたしたちは引きはがされた。
「ラスチェク公がお待ちですよ。さっさと来てください」
楽しいことしか起きないはずの一日はまだ終わらないのが分かったし、あたしは頭を切り替えて、母様の寝所へ向かう。
「ネサレテ先生、誰が宮殿に来ているの?」
結局どんな人物との謁見に臨もうとしているのか知らないままだったのを思い出し、宮殿の回廊を歩きながら訊ねてみた。
「エレボスの元老が使節として訪れています」
「エレボスとうちなんて、チェセンタ湾の北と南の端じゃない。小競り合いが起きる距離じゃないし、と言って別に同盟を結んでいる訳でもないでしょ? 一体何の用なの?」
「たしかに宴と戦はチェセンタの華ですが、政はもっと複雑です。チェセンタ中の都市国家の間には、通商や支配貴族家の婚姻など様々な関係が結ばれており、敵か味方かと2つに分けられるものではありません。
公女は物事を単純に捉えすぎる傾向があります。いずれラスチェク公となる貴女はもっと広い視野を持ってください」
「はーい、先生。
……なんで、こんなとこでお説教するの……」
鼻白んだあたしは小声で不満をつぶやいた。
だって、オークは物事をシンプルにしか考えられないんでしょ。
その血が流れてるんだから単細胞なのはしょうがないじゃない。
ラスチェク公を継ぐのは多分あたしじゃないんだし……。
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