現代エルフのニート事情

Merle

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9. エル子の魔法開発史

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『エル、あれまだ研究してくれてる?』

 ネトゲ中のエル子にそんな文字チャットを飛ばしてきたのは、ネトゲ仲間の女子、インカだ。

「……ふむ、来たか」

 そろそろインカが話しかけてくる頃だと思っていたエル子は、ソロ狩り中だった自キャラを速やかに街まで帰還させて、インカに音声チャットの通話開始申請を送った。
 申請を送るや、即座に承認された。

「あ、エルぅ! あれだよ、あれ。いまどーなってんの? 進捗プリズぅ!」

 耳元にいきなりわーっと浴びせかけられる、インカの甲高い声。レシーバーの音量制限が作動しても、エル子は思わず仰け反ってしまう。

「おぅ……インちゃん、落ち着けー。はい、深呼吸してー」
「そういうのいいから、早く答えれやぁ!」
「はいはい……っていうかさ、分かってるけど念のために確認するよ。っていうのは、のことでいいんだよね?」
「そう、あれのことぉ!」

 あれとは無論、全世界の女子ボトラーが待ち焦がれているボトリング魔法のことだ。

「まだ出来ないのぉ!? あたしにとっては切実な問題なんだからぁ!」

 インカたち鳥乙女は生来的に排泄を我慢することが、ものすごく苦手なのだ。常に身軽でいないといけなかった頃の習性が未だに残っているのだ。
 これはネトゲプレイヤーとしては致命的な欠点だった。

「インちゃん、せっかちだなー。じゃ、もう結論から言っちゃうけどー……ごめん、まだっ!」
「ええぇえぇッ!!」

 インカ、大絶叫だった。音量制限がなかったら、エル子の鼓膜が持っていかれていたところだ。

「ちょっともー、そんな大声出さないでよーっ! わたしだって作るのサボってたわけじゃないんだからねーっ」
「んじゃ、なんでいまネトゲにインしてんのさ?」
「……え?」
「聞こえないんなら、また大声ぶっ放してあげようかぁ?」
「ほんっとビックリするから止めてください。……ってか、息抜きのネトゲは必要だからいいじゃんかっ」
「ネトゲの息抜きで仕事してるくせにぃ」
「んー……そこは仕事というか趣味というかー……」
「まっ、どっちだっていいわ。とにかく、本当に待っているの。切実なの。もっと振り込めって言うんなら、あと十万までは出すからさぁ!」
「おーぅ、まじかー」

 喉をごくっと鳴らしたエル子だったけど、いやいや、と首を振る。

「でもー……お金の問題じゃないのよねー。単純にアイデアが行き詰まっててにゃー」
「え、まだアイデアの段階? 遅すぎなぁい?」
「チッチッ、魔法開発は発想九割、作業一割よー。いいネタが出れば、後は瞬発力でいけるんだよー」
「ふぅん……でもさぁ、この前に失敗品を貰ったときから、そこそこ日が経っているよねぇ。それでアイデアのひとつも出ていないって、やっぱり遅くない? ネトゲやってる暇なくなぁい?」
「うっ……で、でもっ! この魔法、インちゃんが思っている以上に高難度の魔法なんだよっ!」

 エル子はボトリング魔法開発の歴史を滔々と語り始めた。


 そもそも、ボトリング魔法に求められる要件とは、座ったまま用を足しても周辺に被害を及ぼさないにすること、だ。その要件を満たす方法としてまず単純に考えられるのは、おむつだ。おしめだ。吸水性の高い当て布シートを股間に押しつけて、股ぐらをぴっちりと包み込むという方法だ。
 でも、これで解決するのなら、誰も新魔法を求めはしない。おむつには大きく二つの問題点があるのだ。
 一つ目の問題点は、吸水できる容量が少ないことだ。一回や二回の放尿分しか吸収できないのでは、結局おむつを履き替えるために席を立たねばならなくなる。それで小まめに中座していたのでは本末転倒だ。
 問題点の二つ目は、履き心地の悪さだ。おむつは水漏れを防ぐために、縁がぴっちりと閉じていなければならない。そのため、おむつ内部は蒸れることになるし、縁の締めつけ感も気になってしまう。それに何より、湿った吸水シートがずっと股間に密着し続けることになり、その居心地の悪さは甚大だ。装着者が赤ん坊だったら、大泣きすること請け合いの気持ち悪さなのだ。
 そこで人々は求めた。
 普通の下着同様の履き心地でありながら、おむつよりも耐用限度の高いボトリング機構を。それを実現せしめる魔法の開発を――!

 しかし、ボトリング魔法の開発は困難を極めた。
 魔法の発現には呪文や魔法陣といった手段が必要になる。しかしまあ実際問題、呪文は考えなくてもいい。両手が塞がっていても詠唱できれば使えるという利点はあるが、複雑化が進む現代魔法を詠唱で行使するというのは、一人で合唱するのと同じくらい不可能なことだ。
 現代魔法における詠唱の位置づけは、魔法陣では表現しにくいを魔法に織り込みたいときなどに使われる専門的な補助技能だ。
 もっとも、魔法陣と詠唱の併用で魔法行使することを絵画制作に例えるならば、魔法陣は画材であり、詠唱は筆使いだと言えよう。同じ画材で描かれた絵でも、筆遣いが違えば全く別の作品になるように、詠唱は個性を決定づける要素なのだ。
 要するに、詠唱を画一的に扱うことはナンセンスなので、誰でも同じ効果が得られる魔法を作りたいときには、あまり考慮する意味がないのだった。

 で、話を戻す。
 これから開発するボトリング魔法を誰でも扱えるようにするためには、魔法陣のみで構成するのが望ましい。しかしここで問題になるのが、構成可能な魔法陣の大きさは描画可能な面積に依存する、という点だ。
 すなわち、大規模な魔法陣を描くためには大きな布が必要になる。逆に言うなら、下着ショーツくらいの小さな布には小さな魔法陣しか描けないのだ。
 これまで試作してきた結果、一般的な下着に描ける大きさの魔法陣でボトリング魔法を組み上げようとすると、どうしてもどこかに無理が出てしまうことが分かっている。前回の試作品では、その無理が容量面に現れてしまったわけだ。
 この打開策として考えられるのは、単純に布面積を増やすことだ。お腹まで覆うくらいの短パンやスパッツにする、下着を二枚重ねで穿く――といった方法が考えられる。
 しかし、下着のサイズを大きくすることは、下着の穿き心地もまた大きく変えてしまう。もしもショーツがスパッツの大きさになってしまったなら、それはもうショーツではなくスパッツなのだ。

「ということはぁ、スパッツ大になったショーツの下に普通サイズのショーツを穿けばいいんじゃなぁい?」

 という解決策では、普通サイズのショーツがおしっこを吸ってびしょびしょになってしまう悲劇が避けられなくなる。

「ならぁ、普通サイズのショーツには、乾燥とか撥水の魔法陣を描いておけばいいんじゃないのぉ?」

 ふむ……なるほど、一理ある。
 ……いや、駄目だ。それでもやはり、布地が足りない。
 前回試作品の失敗からも分かるとおり、最大の問題点はおしっこの行き場なのだ。前回はそれを亜空間に用意したわけだが、容量が足りなすぎた結果、逆流が起きてしまった。
 その解決策として、安直だが分かりやすい方法として、亜空間を広げればいいというのを誰でも思いつこう。しかし、亜空間の創造というのは、容量を大きくするに従って指数関数的に安定化が難しくなっていく。つまり、亜空間を広げる方向で解決を図ろうとすれば、安定用の呪文を描画するために、パンツを全身タイツの大きさにまで肥大化させなくてはいけなくなり、パンツの概念が崩壊してしまう。パンツ危機クライシスである。
 いくら尿意に人間性を捧げたボトラー女子といえど、パンツ代わりに全身タイツ着用でネトゲを楽しむ覚悟のある者は少ない。そして、その覚悟を完了させている一握りの精鋭ボトラーは、すでに全身タイツ式亜空間ボトル内蔵パンツを、あるいはそれに準じた装備でもって武装完了している。すなわち、全身タイツの大きさが必要なボトリング魔法内蔵パンツなら、いまさら開発する必要はないのだ。

「ふぅん……つまりぃ、亜空間おしっこタンク方式じゃ根本的に無理だから、別のアプローチを考えないといけない、ってことなのねぇ?」

 そういうことである。ようやく本題である。
 亜空間ボトルが大容量を求められたのは、おしっこを溜めておこうとしたからだ。この“溜める”という発想から考え直す必要があるだろう。

「例えば?」

 そう、例えば――
 その1.おしっこを外部に瞬間移動させる。
 その2.おしっこを消滅させる。
 その3.おしっこを変質させる。
 ――こんなところだ。

「……あれ? 瞬間移動って可能だっけぇ?」

 過去に数件の成功例が報告されているが、実証されたことはない。

「それって、実現されていないって意味よねぇ」

 少なくとも再現性のある呪文として完成させた者は、まだいないはずだ。

「つまり、実現されていないってことでしょ!」

 そういうことだ。なので、このアイデアは没とする。
 では、その2の「おしっこ消滅」について考えてみよう。

「いやいや。物質消滅とか、瞬間移動以上に無理でしょお。よしんば出来たとして、対消滅で中性子とか放射線とか、そこらへんどうなるのよぉ!?」

 なるほど、仰るとおりだ。放射線などを防御する魔術はそれほど難しくないのだけど、厳密な意味での物質消滅となると、これはとても難しい。少なくとも、全身タイツを三枚重ねで着たとしても描画面積が不足するレベルだ。
 だから、分解という方向で考えてみる。原子まで行かずとも、分子レベルまで分解すれば、おしっこというを処理するのには十分なのだから。

「じゃあ、パンツにおしっこを分子分解させる魔法陣を描けばいいんだぁ」

 ところがどっこい、この方法にも落とし穴があるのだ。
 おしっこという水溶性化合物を分子分解した場合、その結合エネルギーが発散されて、股間が低温火傷で真っ赤になっちゃう高熱ホットパンツの出来上がりだった。そして、これを解決せんとして物理エネルギーと魔法エネルギーの入れ替え現象だとかを弄くり倒してみたら、逆に股間が霜焼けになるほど冷たくなっちゃうの始まりだった。

「温度調整、どうにかなんなかったのぉ……?」

 それをしようとすると描画面積が足りなくなるジレンマである。
 なお、おしっこを単純に分解するのでなく、周囲の水素や酸素だとかと化合させて無味無臭化させる方法も併せて考えられたが、反応時に肌を痛めるほどの熱や冷気が放出されてしまう点を改善することはできなかった。

 というわけで、その3についての思考へと移る。
 おしっこを別の無味無臭なものに化合あるいは分解させる……って、これはいま考えたばかりのことだった。というわけで、考察終了である。


 さて、こうして三つのアイデアについて検討してみたわけだが、どのアイデアも実用的な形にならなかった――

「あ、待って待ってぇ。あたし、閃いたぁ! アイデアその1とその2を混ぜちゃえばいいんだよぉ」

 ……ふむ?

「だからね、おしっこの分解? 化合? どっちでもいいけどぉ、その処理を亜空間内でやればいいんだよぉ。で、処理し終わって無味無臭になった物質? 液体? とにかくぅ、それは亜空間から吐き出しちゃえばいい。これなら、亜空間には化学処理するための仮置きスペースだけあればいいしぃ、そのときに熱とか冷気とかも発生するのも、亜空間でなら問題ないでしょお?」

 ……ふむ。
 ふむむー……うん。それ、ありかもー。ちょっとしっかり考えてみるから、いったん通話切っちゃっていい?

「おう、いいよぉ。んじゃあ、期待してっかんなぁ」

 はーい。


    ●    ●    ●


「んでぇ……どうなったの、例の魔法。亜空間で化学処理する方法、試したんでしょお?」

 数日後、エル子がネトゲをしていたところにインカがボイチャを飛ばして聞いてきた。というか、催促してきた。

「あー……あれねー」
「あ、なんか駄目っぽかった口調」
「うん……駄目だったわけじゃないんだけどー……」
「え、どういうことぉ? ちゃんと説明してっ!」
「説明するから、インちゃん落ち着いて」

 エル子はそこで一息入れてから、続きを話した。


 ――亜空間でおしっこを分解処理すること自体は上手くいったのだ。
 おしっこ単体を分解することは難しかったけれど、外部から酸素を吸入させて、それとおしっこを反応させることで、真水と硝酸とその他の化合物に分離させることに成功した。その際に発生する熱も、亜空間外部に影響を及ぼさなかった。
 しかし、連続使用時の耐久テストを試みたことで、この熱が問題を引き起こすことが発覚した。
 亜空間内で発生した熱は拡散されることがないので、おしっこ処理の回数が増えた分だけ熱量が際限なく増えていく。そうして蓄積された熱は最終的に、おしっこ吸収のために亜空間と実空間が接触した瞬間、爆発的な勢いで実空間に吹き出すことになる。つまり、超高温&高圧おならただし魔法は股間から出るになる。
 しかも、蓄積熱の大放出が始まった直後に、おしっこと酸素の反応で得られる硝酸を溜めるための別空間との接点も開いて、パンツから吹き出る熱風に硝酸が混ざり、それが空気中の二酸化炭素だとかと反応を起こして、軽微な爆発を起こす場合があることまで確認された。
 そう――わたしはネトゲしながらおしっこできる魔法を開発するつもりで、おしっこを軍事利用する魔法を生み出してしまったのだ。ああ、自分の才能が恐ろしい……!

「軍事利用って……それは言い過ぎでしょお」

 確かに言い過ぎかもしれないけれど、直接的な爆発を起こす可能性がある以上は、魔法管理規定に間違いなく抵触している。

「え……ってことは、開発中止……なんてことは、ないよねぇ?」

 ところが、あるのだ。

「マジでぇ!?」

 マジなのだ。
 少なくとも、おしっこから硝酸を取り出す方向での研究は中止したほうが無難だろう。うっかり官憲バレしたら、わたし捕まっちゃうもん。

『昨日未明、おしっこから爆発物を作ろうとしたエルフが捕まりました。なお、被疑者のエルフは、爆発物を作るつもりではなかった。お漏らしパンツを作るつもりだった、などと供述しており――』

 ――なんてニュースが流れたら、悶死する。全国のボトラー同志に謝りながら土下座でお漏らし、いやするしかなくなっちゃう。

「お漏ら死……それは嫌ね……」

 それに、かりに爆発問題が回避できたとしても、この分解方式にはもうひとつの根本的な問題があった。

「根本的な?」

 そもそも、いくら真水だとはいえ、パンツから水分をじょばばーっと垂れ流すことになるのだ。それだと結局、股間や太ももが水浸しになる気持ち悪さは変わらない。あらかじめ、お尻の下にバスタオルを敷いておくなどしておけば多少は増しになるだろうけど、多少だろうとも座り心地が悪くなるのでは、ネトゲの効率に障ってしまう。そこを妥協するようではボトル戦士ボトラー失格だ。

「じゃあ……他のアプローチ方法を、また一から考え直しぃ?」

 うん、そういうことー。

「……ねぇ、いつ完成すんのぉ?」

 わたしが生きてるうちには、なんとか……。

「自称エルフの一生基準!」

 まーそれは冗談としてー……

「冗談はいいから、本当はいつぅ?」

 ……。

「いつ!?」

 き、気長にお待ちくだしゃひ……。

「んもーぉッ!!」


 ボトリング魔法の夜明けは遠い。
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