頑張った日に読む話

Merle

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その10 猫になった日の棒グミ

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 夕飯を食べた後の食休みを、わたしたちはだいたい同じ部屋で過ごす。
 居間で一緒にテレビを観ることもあれば、ゲームをすることもあるし、秋くんの部屋で秋くんが勉強するのを眺めながら読書することもある。一人でできることでも、一緒の部屋でするのが良いのだ。もっとも、秋くんが本気で勉強を始めたら、邪魔しないようにそっと退席しているけれど。

 ――というわけで今夜もまた、わたしは秋くんの部屋で、秋くんのベッドに腰掛けて、秋くんが勉強机に向かっているのを視界の隅に入れながら、まったりと読書していた。
 わたしも秋くんも、何も喋らない。ペンを走らせる音、ページをめくる音、ときどきお菓子を摘まむ音だけが聞こえている。この沈黙が心地好くて、息遣いさえ自然と潜まる。

「ん――」

 だから、秋くんがペンを置いて伸びをしながら深呼吸する音は、読書に没頭していた思考を我に返すほど大きなものに聞こえた。

「秋くん、休憩?」

 わたしも本から目を上げて、秋くんに問いかける。

「はい」
「勉強もあるのに、いつも家事をやってくれてありがとうね」
「毎日夜までお仕事している桜さんに比べたら、そのくらいお安いご用ですよ」
「そうは言うけど、勉強だって仕事のうちでしょ」
「じゃあ、残業は控えないといけませんね」

 秋くんは笑いながら立ち上がると、わたしが座っているベッドのほうまでやってきて、隣に腰かけた。

「わ……」

 少し緊張してしまう、わたし。

「桜さん、これ一緒に観てくれませんか?」

 秋くんはそう言って、わたしにスマホを見せてくる。
 何かな、と覗き込むと、スマホに映し出されたのは――猫だった。

「学校で流行っているんですよ。自分で撮った動物の動画を見せ合うの」

 見せてもらった動画はいくつもあって、飼い猫に野良猫、犬にハムスター、フェレットの動画なんていうのもあった。たまに撮影者が映りすぎのもあったけれど、この子は分かってるなぁ、という子の動画は普通に良かった。癒された。

「へぇ……うわぁ……いいなぁ、可愛い……おおぉ……」
「自分のペットだったり、野良猫だったり――色んな動画があって気分転換にちょうどいいんですよね」
「クラスで共有の投稿チャンネルって、最近の学生は未来に生きてるのね……」
「まあ、全員が使っているわけではないんですけどね」

「あぁ……」

 こういうところでも、陽キャと陰キャが出るのね。
 確かによくよく見てみると、数名の投稿者が大量投稿しているようだった。想像だけど、この投稿者たちがなんだろうな。あるいは逆に、ここでだけ輝く人材がいるのかもしれない。
 まあ、誰が撮ったのかはどうでもいい。大事なのは、猫が可愛いかどうかだ。つまり、猫は可愛い。

「ふわわぁ……いいにゃあ、可愛いにゃあ……」

 なぜ猫は猫とうだけで可愛いのか? 答えはきっと、猫だからだ。

「ですよね。おかげで、見ているだけでいい気分転換になるんですよ」

 わたしの隣で、秋くんも相好を緩めて猫動画を再生している。猫以外の動物動画もあるけれど、やっぱり猫が一番多い。そして、わたしも秋くんも猫が一番好きみたいだ。

「桜さん、見てくださいよ、これ」
「どれ? ……うわぁ、なにこれもう! 仔猫は反則だよ……」
「ですよね。仔猫を出されちゃったら、もう何どうやっても勝ちですもんね」
「ねっ」

 ……なんて言いながら、肩を寄せ合って、ひとつのスマホを眺めて過ごす。
 それはとっても満ち足りた時間ではあるのだけれども、だからこそ、もっと、もう少し――という欲求がムラムラ込み上げてきてしまう。

「……」

 だんだんと、わたしの目線は、スマホがある秋くんの手元から、秋くんの横顔へと上がっていく。
 締まりのない表情で猫動画を見ている秋くん。いつも優しく頬笑んでいるイメージだけど、そういうのとは少し違った笑顔で、新鮮ではある。あるのだけども……なぜだろうか、その表情を見ていると、自然と唇がの字になっていくのだ。

「ねえ、秋くん……」

 わたしはいつもより可愛げを込めた猫なで声を出して、触れ合っている肩をすりすりと擦りつける。

「なんですか、桜さん?」
「その動画もいいけどさ、そろそろ……」
「あ、そうですね」

 おぉ……さすが秋くん。最後まで言わなくても、わたしの気持ちを分かってくれるなんて!

「この仔猫シリーズもいいですけど、そろそろ他の猫動画も観てみましょうか」
「……」

 違う、秋くん。そうじゃない。

「じゃなくて、秋くん。猫もいいけど――」
「あ、犬も観たいです? 確かに、猫もいいけど、犬もいいですよね」
「うん、そうだね。犬もわんこ可愛いね。でもそうじゃなく――」
「あっ、これいいですよ! ほら、犬と猫がくっついて寝てますよ。可愛いですね」
「……」
「二匹とも耳がぱたぱたするの可愛いなぁ」
「……」
「わっ、尻尾が絡まってますよ。これ、すごい仲良しでもう! ねえ、桜さん」
「……」
「あれ……桜さ――」
「こっちも構えにゃー!」

 秋くんがやっとこっちを振り向いたけれど、一足遅い。わたしは横から秋くんに抱きつき、ベッドに押し倒してやった!

「うわぁ!? ……桜さん、急になんですか?」
「にゃー」
「えぇ……」

 秋くんがぽかんとした顔をしているけれど、わたしは怒っているので取り合わない。

「桜さん、急にどうしたんですか……?」

 真顔で心配されても、無視する。

「にゃーん」
「……」

 真顔で声もなく見つめられても、む、無視する……。

「にゃー……」
「あ、分かりました」

 秋くんは眉を開いて言うと、抱きついているわたしの髪をぽんぽんと撫でて微笑みかけてきた。

「猫も可愛いし癒されるけれど、一番は桜さんですよ」
「……にゃー」

 危うく頬が緩みかけたけれど、まだそのくらいでは足りない。猫の鳴き真似なんて恥ずかしいことをしているのだから、当たり前のことをお慰みに言われたくらいでは、まだまだなのだよ、秋くん!

「にゃー、にゃー!」

 そういうこともっと言え、もっと構え、もっと甘やかせ――そういう念を込めて、秋くんの肩口に額をぐりぐり擦りつける。お風呂に入って化粧オフしてから、寝る前のスキンケアをするまでの短い間にしかできない、首から上でのスキンシップをここぞとばかりにやっていく。恥ずかしいけど、それよりも興奮しあわせが勝つ。

「んんぅ……んにゃー……♡」

 秋くんに髪や背中を撫でてもらいながら、余人にはお目にかけられない猫真似でにゃーにゃー甘えて過ごす幸せ。

「桜さん、どれだけ甘えん坊ですか。人懐っこい猫でも、ここまで甘えてきませんよ」
「でも動画の猫、けっこうこんな感じだったにゃー」
「……そうですね」
「あっ! いま、猫なら可愛いのに、人間がやると微妙だなぁって思ったでしょ!」

 わたしがと顔を上げて抗議したら、秋くんは一瞬、目を泳がせた。

「そ……そんなことないですよ」
「嘘だ! いま目を逸らしたもん!」
「……そこまで言うなら、確かめてみましょう」
「ん……?」

 わたしはどうも、調子に乗って糾弾しすぎたらしい。秋くんの目が据わっていた。

「秋くん、確かめるって……?」
「撮るんですよ、もちろん」

 秋くんはスマホを弄ると、動画再生を終了させてカメラを起動させ、レンズをわたしのほうに向けてきた。

「え?」
「はい、動画の猫と同じようにどうぞ」
「え……え……えぇ?」
「え、じゃなくて、にゃー、ですよね」

 秋くんはスマホの裏側をわたしに向けて、淡々と告げてくる。

「あ、秋くん……さすがにわたし、カメラに撮るのはどうかと思うの……」
「大丈夫、微妙じゃないですよ。他の人なら微妙かもしれませんけど、桜さんなら全然可愛いですから」
「秋くん……ごめんなさい、許して……」
「えっ、なんですか?」
「許し――」
「えっ?」

 スマホで目元を隠して、口元だけの笑顔を向けてくる秋くん。いつもと同じ声音なのに、その奥にひしひしと圧力を感じる。
 わたしはその圧力に屈して、とうとう言ってしまった。

「……にゃ……にゃあ……」

 うあぁ……! さっきまで自分からやっていた鳴き真似なのに、撮られているというだけで、なんという羞恥プレイか!? でも、やったよ。秋くん、わたしはやり遂げたよ!
 ――だというのに、秋くんはカメラを目元に翳したまま淡々と言うのだ。

「桜さん、違いますよね。動画の猫たちは、そんな格好してませんでしたよね」
「え……うそ……秋くん、これ以上は――」
「大丈夫。桜さんは全然微妙なんかじゃないですよ。もう、可愛い。可愛すぎです。だからもっと、恥ずかしさの殻を破って、カワイイを解き放ってください。ちゃんと全部、撮ってあげますから」
「ああぁ……ううあぁ……!」

 くっ、悔しい! 秋くんにからかわれていると分かっているのに、可愛いって言われて心が喜んでしまっている……! わたし、お手軽すぎ? ――ううん、これは秋くんに言われているから喜んでいるのであって、誰にでもお手軽なわけではない! 断じて、わけではない!!

「うっ……うぅ……、……うにゃぁ……」

 ベッドの上でこてんと寝そべって、右手は胸元で丸くして、左手は前方にだらりと延ばした猫ポーズ。それでもってスマホを見上げて、うにゃあと鳴く……。
 ああぁ……やってしまった……恥ずかしい、顔が熱い。熱すぎて目がちかちかする、ああぁ……!

「ふっ……っ……桜さん、いい、ですよ……くっ、ふふっ……!」

 堪えきれない笑いに震える秋くんの姿に、わたしの羞恥心は決壊だった。

「笑うなあぁぁ……うわぁん!」

 両手で顔を抑えて、右に左にごろごろ身悶えながら呻いた。
 秋くんの馬鹿、秋くんの馬鹿、秋くんのばかぁ!

「――ごめんなさい、桜さん」

 丸まって呻いていたわたしの耳に、秋くんの優しい声が降ってくる。もう笑っていない。だから、わたしも顔を覆っていた両手を退いて、秋くんを見上げた――ら、その眼前にスマホが差し出されていた。
 こちらに向けられたスマホの液晶に映っていたのは、数十秒前のわたし――寝そべりにゃんこポーズでにゃーと鳴いているわたしだった。

「うわあぁ! ばかぁ! 秋くんのばかぁ!!」
「あははっ……ごめんなさい、でもよく見てくださいよ。ほら、本当に可愛いです」
「……」

 その言葉を本気にしたら、また笑うんでしょ! ……という疑心を込めて睨んだら、秋くんは悲しそうに目を伏せた。
 いや、わたしが睨んだりするのは、秋くんが笑ったからですよ!?

「桜さん、ほら見て。猫の真似してる桜さん、可愛いです。ほら……可愛い、ね?」

 秋くんはさっきの動画をリピート再生にして何度も見せてくる。目を逸らしたら、秋くんはスマホを回り込ませて見せてきた。なら、目を閉じればいいじゃない、と思うのに……どうしても、ちらちらと薄目を開けて見てしまうのだ。きっと、秋くんにカワイイと言われて興奮しているわたしが、わたしの中にいるからだ。

「可愛い。桜さん、可愛い。可愛い――」
「うっ……もういいからぁ……!」

 リピート再生される動画を見せられながら、カワイイを連呼されている……って、これは何プレイ?

「お願い、もう許してぇ……」

 これ以上は、至ってはいけない高みに行ってしまいそうで怖い。
 お願い、秋くん。わたしをドハマリさせないでぇ!

「だったら……もう一回だけ撮らせてください。撮らせてくれたら、もう意地悪しませんから」

 秋くんがいつもの優しげな声で言ってくる。安心する声だ。

「……本当に?」
「はい、本当です」
「それなら……うん、分かった」

 どうせいっぺん恥ずかしい姿を撮られているのだ。このよく分からないカワイイ責めが終わってくれるのなら、一回も二回も同じことだ。

「じゃあ、撮りますね」
「ん……ん?」

 頷いたわたしの口元に、棒状のぷるんとしたものが差し出された。

「これ、食べてください」

 差し出したものをぷるんぷるん揺らしながら、秋くんが言ってくる。

「え……これを?」
「はい。あ、もちろん、猫なんですから手は使っちゃ駄目ですよ」
「……エッチ」
「あはっ」

 じとっと上目遣いで睨んだら、こちらにレンズを向けるスマホ越しに、にっこり笑い返された。そして、秋くんは笑顔でをぷるぷる揺らす。さながら猫じゃらしで猫を構っているかのように。

「――あむっ」

 わたしはタイミングを見計らうと、口元で震えるの先っぽを、あむっと咥えた。
 勢い余って食い込んだ前歯が、弾力的なようでも柔らかなそれを、ぷちんっと噛み切った。

「あっ」

 声を上げる秋くん。
 手つきからして、わたしが食いついたら、棒をさっと手元に引き戻すつもりだったのだろう。それが失敗して先っぽを噛み切られてしまったから、憮然とした顔をしているのだ。

「にゃー……ふふっ」

 思ったよりも甘いそれをごくんと飲み込み、わたしは勝ち誇った笑みで秋くんを見上げる。

「桜さん、一気に食べて終わらせるつもりですね」
「当たり前にゃん」
「それだとつまらないので、次は舐めてください」
「……すけべ」
「はい」

 にこやかに頷く秋くんは、いつもより意地悪というか子供っぽいというか……ちょっとドキドキしてしまう。だから、いまこの瞬間もスマホを向けて撮られていると分かっているのに、逆らえないのだ。

「う……ぁ、ん……」

 さっき噛み切った分だけ少し短くなったぷるぷる食感の棒へと、言われたとおりに舌を伸す。
 でも、この棒は飴ではないので、舐めても溶けたりしない。ほんのり甘い味はしてくるけれど、それだけだ。つまり、これではいつまでも終わらない。

「うわぁ……」
「っ……秋くん、舐めるのもういい? 噛んじゃっていいよね?」
「え? ……あ、あぁ、そうですね。はい」

 秋くんはなぜかぼんやりしていたけれど、わたしの懇願ではっと我に返って、頷いてくれた。
 了承を得たわたしは、秋くんの気が変わらないうちに――と、がぶっと棒に噛みつく。

「はぐっ、んんっ」

 ぱくっぱくっと、棒を握っている秋くんの手に顔を近づけていく。ふと目線を上げると、スマホのレンズがわたしを見下ろしている。秋くんの顔の上半分はちょうどそのスマホで隠れていて、どんな目で液晶に映るわたしを見ているのか分からない。

 わたしだけが一方的に見られている。
 不思議な感覚。
 かっと肌が燃え立つように熱くなるのに、心臓が冷たい手で掴まれたように寒くなる。瞬間で酷い風邪になったみたいだ。悪寒と発熱で、目の前がくらりと揺らぐ。
 ぎゅっと縮こまりたくなる気持ちと、ふわふわ昂揚していく意識。

 あぁ――ただスマホに撮られながらを食べているだけなのに、どうしてこうもおかしくなるの……?

「……あっ」

 秋くんの押し殺した声――ううん、喘ぎ。
 何かと思えば、唇と舌の触れ心地で分かった。わたしはスマホを見上げながらぼんやりしているうちに棒を食べ終わっていて、秋くんの指を口に含んでいた。

「ん……ぁ……」

 頭に残っている冷静な部分が、これってどうなの、と苦言を呈するのだけど、熱を持ってふわふわ揺らいでいる意識には届かない。

「ん、んぅ……」

 わたしはよりいっそう深々と秋くんの指を咥え込んで、その指に口内で舌を絡め、棒を奪い取る。
 ちゅぽ、と小さなリップ音をさせて唇を離すと、口に残った甘い棒グミを、もきゅもきゅごくんと噛み締め、飲み込んだ。

「ふぁ……はぁ……」

 自分の口から出た吐息だというのに、やけに艶めかしく聞こえた。

「……秋くん?」
「あっ」

 食べ終わったのに何も言ってこなかった秋くんは、わたしが小首を傾げると、いま目が覚めたと言わんばかりにビクッと震えて、あわやスマホを取り落としそうになる。

「きゃっ」

 わたしは反射的に頭を引っ込めた。

「っと……ごめんなさい、ぼうっとしてました!」
「うん、いいの。わたしもちょっと、そんな感じだったから」
「そうでしたか……」
「うん……」

 なんとなく会話が止まる。
 さっきまでの妙な熱気はどこかに飛び散ってしまったけれど、記憶がなくなったわけではない。自分がどんなことをしていたのか、しっかり憶えている。それは秋くんも同じなのだろう。だから、こんなに気まずいのだ。
 でも、こんなときこそ、年上のわたしが頑張らなくては!

「あっ、秋くん!」
「はっ、はい!」
「勉強、いいの?」
「はっ、はい……いえ、いいえ! もう少しやらないとです!」
「なら、勉強に戻って。休憩は十分でしょう?」
「はい」
「わたしも、邪魔にならないように、そろそろ部屋に戻るから」
「はい」
「じゃあ……おやすみなさい」
「はい……おやすみなさい」

 わたしは秋くんと少し早めの挨拶を交わすと、足早に部屋を出て――

「――あっ」

 戸口でくるっと踵を返すと、ベッドに置き忘れていた本を取って、今度こそ自室に戻った。

 以来、この日のことが話題に上がることはなかった。
 二人とも暗黙の了解で、あのときのことには触れないでいる。
 だから――秋くんがあのとき撮った動画を削除したのか、まだ保存しているのかも、聞けないままなのだった。



    ●    ●    ●

■ 水飴グミ

 お粥に麦芽を入れて作った水飴を、ゼラチンで固める。それを棒状に切って、完成。
 形は棒状でなくてもいい。形で食感も変わるので、色々試すのが吉。

 ――だそうです。
 食後の勉強にはちょうどいいおやつなのだとか。
 グミにする他にも、そのまま飲んだり、冷やしてシャーベットにすることも。
 お砂糖よりも優しい甘さが、夜食にぴったり(*´ω`*)
 でも、玩具にしてはいけません(/ω\)
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