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その6 散々な日の新婦鍋
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今日は最悪だった。
朝は電車で痴漢に遭って、会社では言い訳のしようがないミスをしでかして謝り行脚する羽目になった挙げ句に「こういうとき、女は得だよな」と嫌味を言われて言い返すこともできなかったし、帰りの電車では痴漢に遭わずに済んだ……と思ったらウザいナンパ野郎に絡まれて、無視し続けていたら「よく見たらブス」と捨て台詞を吐かれた。
「人生は生きてるだけで安値更新……もーやだぁ!」
「お疲れさまです。桜さん、今日は飲んでください」
「うん、飲む。わたし、今日は遠慮しない!」
「はい」
こんな最低な日でも、秋くんは変わらず可愛い。そして甲斐甲斐しい。
帰ってきてすぐ、わたしの顔を見ただけで、何も聞かずにお酒を用意してくれる。
「もう、嫁にするしかないね」
部屋着に着替えて居間に戻ったわたしは、食卓前の椅子に座って、テーブルの天板に頬をべたっと押しつける。
「秋くん秋くん」
「なんですか?」
「えー、なんでもないよー」
「あれ? まだ飲んでませんよね?」
「でも酔っちゃった――そう、きみに!」
「……すぐ夕飯にします。本当、すぐ用意しますから」
秋くんは笑顔をひくひく引き攣らせながら、台所と食卓を行ったり来たりする。秋くんが一往復するたび、食卓には色取り取りの皿やコンロが並べられていく。
「って、カセットコンロだ。じゃあ、今夜はお鍋?」
食卓の真ん中にカセットコンロを置いたときたら、次に来るのはその上に載せる鍋しかあるまい。
水炊き、魚貝、すき焼き、しゃぶしゃぶ……どんな鍋かな?
「はい、お鍋です。季節的にどうかと思ったんですけど、これならどうかなと思って」
「というと、普通のお鍋じゃないの?」
「フォンデュです」
「ああー、じゃあこの白いのはチーズね」
「惜しい。チーズと豆乳です」
「豆乳! なんか聞いただけでヘルシーだね」
「でしょ」
そんな会話をしているうちにも、食卓の中央でカセットコンロの火にかけられた土鍋の中では、文字通り乳白色のスープがしとしと温められていく。その周りには、ちょうどいい長さ大きさに切られて下茹でされたお野菜お肉の盛り合わせ。
「もう少し温まるまで、先にこっちをどうぞ」
と秋くんが出してきたのは切子のグラス。中には芋焼酎の水割りだ。
「わぁい、いただきまぁす……って冷たぁい。気持ちいい!」
受け取ったグラスはひんやりしていて、指に触れただけで気持ちが落ち着く。
「ゆっくり飲んでくださいね」
「善処します……ん、んっ……ふはぁ!」
「桜さんは善処って言葉の意味、調べ直したほうがいいかもしれませんね」
「あはは、秋くんに笑顔で嫌味言われた。あははー」
「嫌味を言われても楽しげですか」
なんて皮肉っぽいことを言いながらも、焼酎の徳利を差し向けてきてくれる。ラジウムボトルとかいう、お酒の水割りを容れておくと美味しくなるやつだ。水だけ容れていても美味しくなるらしいけど、うちでは専ら水割りメーカーだ。
「秋くんに言われる嫌味は、嫌味じゃないからね……くぴーっ、ふはーっ」
秋くんの笑顔を肴に駆けつけ三杯……とまではいかないけれど、二杯目もグラス半分くらいまで、くぴっと一気に空けた。
「はふぅ……美味しい。芋焼酎は、飲むスイートポテトだねぇ」
「そういう飲み物、すでにありますよね」
「美味しいものは幾つあってもいいの……あ、そろそろいいんじゃない?」
豆乳鍋がふつふつ言い出している。
「そうですね。食べましょうか」
「待ってましたぁ。いただきまぁす!」
「いただきます」
食事前の挨拶を交わすと、フォンデュ用の二股フォークで具材を刺して、お鍋にイン。もったりしている豆乳をくるりくるりと絡めたら、はしたないかと思ったけれども我慢できずに、そのままお口へイン。
「ん、んんっ! 美味しいぃ!」
「よかった。飲んでばかりだと身体に悪いですし、いっぱい食べてくださいね」
「はぁい」
言われなくても食べますとも!
お肉も野菜もぱくぱく食べては、お酒をくぴくぴ空けていく。
自分でもちょっとペース早すぎかなと思ったけれど、日中の運勢底値からの反動で、手が止まらない。美味しい、楽しい、止められない。
「あはははーっ」
そのうちにお酒の酔いもまわってきて、謎のテンションと化学反応。笑いながら飲み食いする酒飲み女の出来上がりでした。
秋くんは嫌な顔ひとつせず、お酌をしてくれた。
でも、秋くんがちょうどフォークを鍋に入れてくるくるしているときにグラスが空になって、じゃあ手酌でやりますかー、と手を伸ばす。
「あっ、僕がやりますよ」
「いいから、いいからー」
わたしは秋くんに言いながら、焼酎の徳利を手に取る。
徳利は秋くんの手元に置いてあったから、わたしは鍋を跨ぐように手を伸ばしていたのだけど、秋くんの手を煩わせる前にさっと取ってさっと注ごうと急いだせいか――ちょうど鍋の上を通るところで、指がつるっと滑ってしまった。
「あっ」
と思ったときには、とぽんっ、と水に飛び込む音。
そして、さらに重なるミス。
鍋の中に落としてしまった徳利を慌てて拾い上げようとしたら、うっかり徳利の底のほうを持ち上げてしまって、残っていたお酒がとぷとぷ小気味よい音をさせながら、鍋にすっかり零れてしまった。
「あ、ああぁ……」
「桜さん、手は大丈夫ですか? 火傷してませんか!? とにかく、台所へ。水で冷やしましょう!」
「うん……」
素早く立ち上がった秋くんに連れられて、わたしは台所で手に水を浴びた。
もともとフォンデュがそこまで熱くなかったこともあって、火傷にはならなかった。でも、フォンデュを台無しにしてしまった申し訳なさに比べたら、火傷したかどうかなんてどうでもいいことだ。
「秋くん、ごめんなさい……」
「大丈夫ですよ。桜さんに火傷がなくて、本当に良かったです」
「うん……でも、せっかくのお鍋が台無しに……」
土鍋の中では焼酎で水増しされてしまった豆乳が、たぽたぽと揺蕩っている。これはもう豆乳風味の焼酎だ。それにゆるゆるで、具材に絡めることもできない。
今日は散々な一日だったけれど、最後は楽しく締められると思っていたのに、自分のミスで台無しにしちゃって……ああ、もう、本当わたしは――
「大丈夫ですよ、桜さん」
頭にぽんと温かいものが触れた。秋くんの手だった。
「大丈夫です。だって、台無しになんて、なってませんし」
「え……」
「ちょっと待っててくださいね」
秋くんの手が、ぽんぽん、とわたしの髪を撫でて離れていく。もっと撫でてほしくて目で追ったけれど、秋くんの邪魔をしてまた失敗するのが怖くて、それ以上のことはできなかった。
椅子に座って待っていると、ほどなくして秋くんは土鍋を抱えて戻ってくる。土鍋からは湯気がもうもうと立っていて、焼酎の香りが部屋中に広げていた。
「少し煮立たせて、焼酎のアルコールを飛ばしてきました。もともと水割りにしていたおかげで、すぐにアルコール飛んじゃいましたよ。カセットコンロの火力だと心許なかったので台所まで持っていったんですけど、これなら最初からこっちで火にかけても良かったかもですね」
にこにこ顔で説明しながら、カセットコンロの火で煮始めた鍋に、具材をどんどん沈めていく。
秋くんはどうやら、フォンデュから鍋に方向転換させるようだ。
「……美味しいの?」
わたしの失敗を庇おうとして無理しているんじゃないの、と眉の角度で問いかけると、秋くんは得意顔で言う。
「桜さん、お酒を鍋の煮汁にするのって、わりとよくあるんですよ。知りません? それに焼酎の豆乳割りもメジャーな組み合わせですよね。つまり、普通に美味しいに決まってます」
「でも……」
「もうっ、つまらないことばっかり言う口は塞いじゃいますよ」
秋くんは呆れた顔で立ち上げると、台所から小鉢と匙を持ってくる。その匙で、薄まった乳白色の汁を掬って小鉢によそると、わたしのほうに差し出してきた。これでも飲んで口を塞げ、ということらしい。
わたしは大人しく小鉢を受け取り、こくんと一口啜ってみた。
「――あ、美味しい」
薩摩芋の甘さ、豆乳の円やかさが口の中で豊かに広がって――と食レポを始めてしまいたくなる美味しさだった。
「ね?」
秋くんが得意げに頬笑む。
「うん……すごいね、秋くん。わたしの失敗が、失敗じゃなくなっちゃった」
わたしがそう言ったら、秋くんは昂然と言い放つのだ。
「桜さんがやったのは失敗じゃないです。あれは僕への無茶振りです」
「え……ふふっ、なにそれ」
それこそ無茶なことを言い出す秋くんに、可笑しくなってしまう。そんなわたしに、秋くんは微笑みかける。
「だから、桜さんは無茶振りにちゃんと応えられた僕に、よくできました、と言ってくれればいいんです」
「……秋くん、わたしのこと甘やかしすぎじゃない?」
「え、僕はまだ本気を出してませんけど?」
「え?」
と反射的に驚きの声を上げたものの、ふと気になってしまって、言ってしまった。
「……本当かな? 本当だという証拠に、本気を見せてもらいたいな」
「もちろん」
頬笑んだ秋くんの瞳がぬらりと濡れたように光るのを見たとき、早まったかな、と少し思った。
この後、わたしは連れて行かれたお風呂場の中で、抵抗する気力がなくなるまで念入りに、秋くんの手で揉みほぐされた。
「あ、あぁ……秋くぅん……なんでこんなに上手なのぉ……あっ、まさか、こういうことするバイトしてたり――」
「してません。ネットで研究したんです」
「ネットすご――あっ」
「ここ、気持ちいいんですか?」
「ん……」
「恥ずかしがることじゃないですよ。素直に言ってもらえたほうが嬉しいんですけど」
「……そこ、掻いてもらうの気持ちいい、です……あぅ、やっぱりなんか恥ずかしいよぉ!」
「じゃあ、恥ずかしくなくなるまで続けましょうね」
「えっ……あっ、ふあああぁ――ッ♡」
……秋くんのシャンプーと頭皮マッサージはとてもすごかったです。
● ● ●
■ 新婦鍋
昆布と椎茸で取った出汁と豆乳でチーズを伸ばしたフォンデュソースに、下茹でした具材を絡めて食べる。
ソースが半分ほどになったら、水割り焼酎を嵩を増やして、アルコールが飛ぶまで煮立たせる(でも、先に煮立たせた焼酎をフォンデュソースと合わせるほうが、焦げたりしなくていいかも)。
いまや定番、豆乳ベースのお鍋です。
名前の由来は、豆乳フォンデュから豆乳焼酎鍋に変身するところが、白無垢からウェディングドレスにお色直しする花嫁さんのようなので……というのは後付けだけど。
出汁やお酒、具材を変えれば風味がころっと変わるところとか、花嫁っぽいと思いませんか( *´艸`)
朝は電車で痴漢に遭って、会社では言い訳のしようがないミスをしでかして謝り行脚する羽目になった挙げ句に「こういうとき、女は得だよな」と嫌味を言われて言い返すこともできなかったし、帰りの電車では痴漢に遭わずに済んだ……と思ったらウザいナンパ野郎に絡まれて、無視し続けていたら「よく見たらブス」と捨て台詞を吐かれた。
「人生は生きてるだけで安値更新……もーやだぁ!」
「お疲れさまです。桜さん、今日は飲んでください」
「うん、飲む。わたし、今日は遠慮しない!」
「はい」
こんな最低な日でも、秋くんは変わらず可愛い。そして甲斐甲斐しい。
帰ってきてすぐ、わたしの顔を見ただけで、何も聞かずにお酒を用意してくれる。
「もう、嫁にするしかないね」
部屋着に着替えて居間に戻ったわたしは、食卓前の椅子に座って、テーブルの天板に頬をべたっと押しつける。
「秋くん秋くん」
「なんですか?」
「えー、なんでもないよー」
「あれ? まだ飲んでませんよね?」
「でも酔っちゃった――そう、きみに!」
「……すぐ夕飯にします。本当、すぐ用意しますから」
秋くんは笑顔をひくひく引き攣らせながら、台所と食卓を行ったり来たりする。秋くんが一往復するたび、食卓には色取り取りの皿やコンロが並べられていく。
「って、カセットコンロだ。じゃあ、今夜はお鍋?」
食卓の真ん中にカセットコンロを置いたときたら、次に来るのはその上に載せる鍋しかあるまい。
水炊き、魚貝、すき焼き、しゃぶしゃぶ……どんな鍋かな?
「はい、お鍋です。季節的にどうかと思ったんですけど、これならどうかなと思って」
「というと、普通のお鍋じゃないの?」
「フォンデュです」
「ああー、じゃあこの白いのはチーズね」
「惜しい。チーズと豆乳です」
「豆乳! なんか聞いただけでヘルシーだね」
「でしょ」
そんな会話をしているうちにも、食卓の中央でカセットコンロの火にかけられた土鍋の中では、文字通り乳白色のスープがしとしと温められていく。その周りには、ちょうどいい長さ大きさに切られて下茹でされたお野菜お肉の盛り合わせ。
「もう少し温まるまで、先にこっちをどうぞ」
と秋くんが出してきたのは切子のグラス。中には芋焼酎の水割りだ。
「わぁい、いただきまぁす……って冷たぁい。気持ちいい!」
受け取ったグラスはひんやりしていて、指に触れただけで気持ちが落ち着く。
「ゆっくり飲んでくださいね」
「善処します……ん、んっ……ふはぁ!」
「桜さんは善処って言葉の意味、調べ直したほうがいいかもしれませんね」
「あはは、秋くんに笑顔で嫌味言われた。あははー」
「嫌味を言われても楽しげですか」
なんて皮肉っぽいことを言いながらも、焼酎の徳利を差し向けてきてくれる。ラジウムボトルとかいう、お酒の水割りを容れておくと美味しくなるやつだ。水だけ容れていても美味しくなるらしいけど、うちでは専ら水割りメーカーだ。
「秋くんに言われる嫌味は、嫌味じゃないからね……くぴーっ、ふはーっ」
秋くんの笑顔を肴に駆けつけ三杯……とまではいかないけれど、二杯目もグラス半分くらいまで、くぴっと一気に空けた。
「はふぅ……美味しい。芋焼酎は、飲むスイートポテトだねぇ」
「そういう飲み物、すでにありますよね」
「美味しいものは幾つあってもいいの……あ、そろそろいいんじゃない?」
豆乳鍋がふつふつ言い出している。
「そうですね。食べましょうか」
「待ってましたぁ。いただきまぁす!」
「いただきます」
食事前の挨拶を交わすと、フォンデュ用の二股フォークで具材を刺して、お鍋にイン。もったりしている豆乳をくるりくるりと絡めたら、はしたないかと思ったけれども我慢できずに、そのままお口へイン。
「ん、んんっ! 美味しいぃ!」
「よかった。飲んでばかりだと身体に悪いですし、いっぱい食べてくださいね」
「はぁい」
言われなくても食べますとも!
お肉も野菜もぱくぱく食べては、お酒をくぴくぴ空けていく。
自分でもちょっとペース早すぎかなと思ったけれど、日中の運勢底値からの反動で、手が止まらない。美味しい、楽しい、止められない。
「あはははーっ」
そのうちにお酒の酔いもまわってきて、謎のテンションと化学反応。笑いながら飲み食いする酒飲み女の出来上がりでした。
秋くんは嫌な顔ひとつせず、お酌をしてくれた。
でも、秋くんがちょうどフォークを鍋に入れてくるくるしているときにグラスが空になって、じゃあ手酌でやりますかー、と手を伸ばす。
「あっ、僕がやりますよ」
「いいから、いいからー」
わたしは秋くんに言いながら、焼酎の徳利を手に取る。
徳利は秋くんの手元に置いてあったから、わたしは鍋を跨ぐように手を伸ばしていたのだけど、秋くんの手を煩わせる前にさっと取ってさっと注ごうと急いだせいか――ちょうど鍋の上を通るところで、指がつるっと滑ってしまった。
「あっ」
と思ったときには、とぽんっ、と水に飛び込む音。
そして、さらに重なるミス。
鍋の中に落としてしまった徳利を慌てて拾い上げようとしたら、うっかり徳利の底のほうを持ち上げてしまって、残っていたお酒がとぷとぷ小気味よい音をさせながら、鍋にすっかり零れてしまった。
「あ、ああぁ……」
「桜さん、手は大丈夫ですか? 火傷してませんか!? とにかく、台所へ。水で冷やしましょう!」
「うん……」
素早く立ち上がった秋くんに連れられて、わたしは台所で手に水を浴びた。
もともとフォンデュがそこまで熱くなかったこともあって、火傷にはならなかった。でも、フォンデュを台無しにしてしまった申し訳なさに比べたら、火傷したかどうかなんてどうでもいいことだ。
「秋くん、ごめんなさい……」
「大丈夫ですよ。桜さんに火傷がなくて、本当に良かったです」
「うん……でも、せっかくのお鍋が台無しに……」
土鍋の中では焼酎で水増しされてしまった豆乳が、たぽたぽと揺蕩っている。これはもう豆乳風味の焼酎だ。それにゆるゆるで、具材に絡めることもできない。
今日は散々な一日だったけれど、最後は楽しく締められると思っていたのに、自分のミスで台無しにしちゃって……ああ、もう、本当わたしは――
「大丈夫ですよ、桜さん」
頭にぽんと温かいものが触れた。秋くんの手だった。
「大丈夫です。だって、台無しになんて、なってませんし」
「え……」
「ちょっと待っててくださいね」
秋くんの手が、ぽんぽん、とわたしの髪を撫でて離れていく。もっと撫でてほしくて目で追ったけれど、秋くんの邪魔をしてまた失敗するのが怖くて、それ以上のことはできなかった。
椅子に座って待っていると、ほどなくして秋くんは土鍋を抱えて戻ってくる。土鍋からは湯気がもうもうと立っていて、焼酎の香りが部屋中に広げていた。
「少し煮立たせて、焼酎のアルコールを飛ばしてきました。もともと水割りにしていたおかげで、すぐにアルコール飛んじゃいましたよ。カセットコンロの火力だと心許なかったので台所まで持っていったんですけど、これなら最初からこっちで火にかけても良かったかもですね」
にこにこ顔で説明しながら、カセットコンロの火で煮始めた鍋に、具材をどんどん沈めていく。
秋くんはどうやら、フォンデュから鍋に方向転換させるようだ。
「……美味しいの?」
わたしの失敗を庇おうとして無理しているんじゃないの、と眉の角度で問いかけると、秋くんは得意顔で言う。
「桜さん、お酒を鍋の煮汁にするのって、わりとよくあるんですよ。知りません? それに焼酎の豆乳割りもメジャーな組み合わせですよね。つまり、普通に美味しいに決まってます」
「でも……」
「もうっ、つまらないことばっかり言う口は塞いじゃいますよ」
秋くんは呆れた顔で立ち上げると、台所から小鉢と匙を持ってくる。その匙で、薄まった乳白色の汁を掬って小鉢によそると、わたしのほうに差し出してきた。これでも飲んで口を塞げ、ということらしい。
わたしは大人しく小鉢を受け取り、こくんと一口啜ってみた。
「――あ、美味しい」
薩摩芋の甘さ、豆乳の円やかさが口の中で豊かに広がって――と食レポを始めてしまいたくなる美味しさだった。
「ね?」
秋くんが得意げに頬笑む。
「うん……すごいね、秋くん。わたしの失敗が、失敗じゃなくなっちゃった」
わたしがそう言ったら、秋くんは昂然と言い放つのだ。
「桜さんがやったのは失敗じゃないです。あれは僕への無茶振りです」
「え……ふふっ、なにそれ」
それこそ無茶なことを言い出す秋くんに、可笑しくなってしまう。そんなわたしに、秋くんは微笑みかける。
「だから、桜さんは無茶振りにちゃんと応えられた僕に、よくできました、と言ってくれればいいんです」
「……秋くん、わたしのこと甘やかしすぎじゃない?」
「え、僕はまだ本気を出してませんけど?」
「え?」
と反射的に驚きの声を上げたものの、ふと気になってしまって、言ってしまった。
「……本当かな? 本当だという証拠に、本気を見せてもらいたいな」
「もちろん」
頬笑んだ秋くんの瞳がぬらりと濡れたように光るのを見たとき、早まったかな、と少し思った。
この後、わたしは連れて行かれたお風呂場の中で、抵抗する気力がなくなるまで念入りに、秋くんの手で揉みほぐされた。
「あ、あぁ……秋くぅん……なんでこんなに上手なのぉ……あっ、まさか、こういうことするバイトしてたり――」
「してません。ネットで研究したんです」
「ネットすご――あっ」
「ここ、気持ちいいんですか?」
「ん……」
「恥ずかしがることじゃないですよ。素直に言ってもらえたほうが嬉しいんですけど」
「……そこ、掻いてもらうの気持ちいい、です……あぅ、やっぱりなんか恥ずかしいよぉ!」
「じゃあ、恥ずかしくなくなるまで続けましょうね」
「えっ……あっ、ふあああぁ――ッ♡」
……秋くんのシャンプーと頭皮マッサージはとてもすごかったです。
● ● ●
■ 新婦鍋
昆布と椎茸で取った出汁と豆乳でチーズを伸ばしたフォンデュソースに、下茹でした具材を絡めて食べる。
ソースが半分ほどになったら、水割り焼酎を嵩を増やして、アルコールが飛ぶまで煮立たせる(でも、先に煮立たせた焼酎をフォンデュソースと合わせるほうが、焦げたりしなくていいかも)。
いまや定番、豆乳ベースのお鍋です。
名前の由来は、豆乳フォンデュから豆乳焼酎鍋に変身するところが、白無垢からウェディングドレスにお色直しする花嫁さんのようなので……というのは後付けだけど。
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