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2章 屍の白い姫、首無しの黒い騎士
2-7.
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アルジュが首無し騎士を従えて祠から戻ってくると、祠の周囲を警戒しながら主君の帰りを待っていた騎士たちは騒然とした。
なにせ首無し騎士だ。首がないのだ。隠し階段を通って出てこられたのが不思議なほどの大男だという事実もそれなりに畏怖の念を呼び起こすものだっただろうが、とにかく首無しという事実が騎士たちを恐怖させた。
レリクスも魔物ではあるが、その事実を知っているのはアルジュ一人だ。アルジュにもっとも近しいナクラはリシュナの変化を不審がっているようだったが、その疑念を余人に漏らしている様子はなかった。だから、黒い鎧を着込んだ首無し騎士は、騎士たちが初めて間近で相対した魔物なのだった。
屍兵が敵兵に向かっていくのを眺めていたことはあるが、あれは距離が遠すぎた。声の届く距離に立つ異形の存在感は、勇敢なる騎士たちをして立ちすくんでしまうほどの圧倒的なものだった。
彼らはこのときになってようやく、屍兵に襲われたマガーダ兵の恐怖を真の意味で理解したのだった。
「アルジュ様、お下がりください!」
へたり込む者までいるなか、ナクラは剣を抜いて飛び出してくる。どうやら、魔物がアルジュとリシュナを襲おうとしているように見えたらしい。
「いや、違うんだ。剣を収めろ、ナクラ」
アルジュは両手を広げて、ナクラを含めた全員に問題ないことを示した。
「しかし――」
ナクラは反論しようとしたが、
「剣を収めろ」
アルジュはそれを許さなかった。
「……はい」
ナクラが剣を収めたのを見たところで、アルジュは全員に向かって宣言した。
「これはリシュナが魔術で蘇らせた魔物だ。見ての通り、私の命令なしに動くことはない」
「先日の、屍兵とやらを呼び覚ました魔術と同じ、ですか?」
全員を代表したようなナクラの質問に、
「そういうことだ」
アルジュは頷いた。
――これだけの説明で全員が全員、すっかり納得したというわけではなかっただろう。
だが、彼らはすでに一度、大地から溢れ出した大量の屍兵が自分たちの代わりに戦ってくれたという経験をしている。あのときの異様な光景を思い返せば、首無し騎士の一人や二人、味方になって当たり前のようにも思えた。
それになにより、この魁偉なる怪異と敵対することが恐ろしかった。
だから、騎士たちは黙って頷き返したのだった。
● ● ●
アルジュたち一行が首無し騎士を味方にしていた頃、マガーダ候ウルゥカも動き始めていた。
領内全ての兵力を掻き集めて前回以上の大部隊を編成し、街道を東進してきていた。街道から逸れる様子がないことからして、マガーダ軍には自領内部に進入してきたグプタ軍の騎兵三百と正面からぶつかるつもりはないようだった。
グプタ軍が自領僻地で道草を食っている間に、騎兵のいないグプタ領を占領してしまおうという魂胆なのは明白だった。
もちろん、アルジュがこれを黙ってみているはずもない。すぐさま動いて、街道を抜けるグプタ軍に横合いから襲いかかろうとする。だが、この動きはマガーダ軍に読まれていた。
マガーダ軍は兵の一部を分けて、横手からぶつかってきたグプタ軍に対応させた。分隊がグプタ軍を抑えている間に、東進を続けた本隊でグプタ領を占領しようというわけだった。
アルジュが率いるグプタ軍は三百名。対するマガーダ軍の分隊は、領主ウルゥカの息子ラージュが率いる兵士ざっと千名だ。
普通に考えれば、マガーダ軍の優位は揺るがない。両軍には三倍強もの兵力差がある上に、マガーダ軍は無理してグプタ軍を倒す必要がない。本隊が敵領地を制圧するまで相手を抑えておけばいいのだから。
そう――普通に考えれば、である。
首無し騎士という普通ならざるものの存在は、ごく当たり前の戦況分析を当たり前のように覆した。
黒色全身鎧の首無し騎士が鎧の継ぎ目から真っ黒な煙を吐いたかと思うと、その煙が凝り固まって大柄な首無し黒馬になった。
首無し騎士は同じようにして作り出した巨大な矛を片手に携えると、首のない黒馬に跨る。ただでさえ巨躯だったものが、その体格に見合うだけの馬に跨がったのだから、誰もが見上げることになった。
本当にこれは味方なのだろうか――顔のない存在から見下ろされる恐怖に、騎士たちが唾を飲み込む。
そんな緊張した空気を断ち切るように、アルジュが命令した。
「さあ、行け。敵を討ち、私にその力を見せてくれ」
主命を受けた首無し騎士は返事の代わりなのか、矛を頭上で一振りしながら首無し黒馬の前肢を高々と跳ね上げさせた。
異様にして威容な身のこなしに、グプタの騎士たちは一時、恐怖を忘れて見入ったという。
黒馬はその長くて太い四肢に見合った大きな歩幅で飛ぶように駆けて、瞬く間に見えなくなった。グプタ兵はそれを見送るだけで、ついてはいかない。
マガーダ軍分隊の千名と戦うのは、首無し騎士がただ一騎だ。
これは、リシュナがそうするように提案したのだ。
「彼の力を皆様方に知っていただくには、これが一番の方法でございましょう」
月明かりのような冴え冴えとした瞳で頬笑むリシュナに異を唱える者はいなかった。
なにせ首無し騎士だ。首がないのだ。隠し階段を通って出てこられたのが不思議なほどの大男だという事実もそれなりに畏怖の念を呼び起こすものだっただろうが、とにかく首無しという事実が騎士たちを恐怖させた。
レリクスも魔物ではあるが、その事実を知っているのはアルジュ一人だ。アルジュにもっとも近しいナクラはリシュナの変化を不審がっているようだったが、その疑念を余人に漏らしている様子はなかった。だから、黒い鎧を着込んだ首無し騎士は、騎士たちが初めて間近で相対した魔物なのだった。
屍兵が敵兵に向かっていくのを眺めていたことはあるが、あれは距離が遠すぎた。声の届く距離に立つ異形の存在感は、勇敢なる騎士たちをして立ちすくんでしまうほどの圧倒的なものだった。
彼らはこのときになってようやく、屍兵に襲われたマガーダ兵の恐怖を真の意味で理解したのだった。
「アルジュ様、お下がりください!」
へたり込む者までいるなか、ナクラは剣を抜いて飛び出してくる。どうやら、魔物がアルジュとリシュナを襲おうとしているように見えたらしい。
「いや、違うんだ。剣を収めろ、ナクラ」
アルジュは両手を広げて、ナクラを含めた全員に問題ないことを示した。
「しかし――」
ナクラは反論しようとしたが、
「剣を収めろ」
アルジュはそれを許さなかった。
「……はい」
ナクラが剣を収めたのを見たところで、アルジュは全員に向かって宣言した。
「これはリシュナが魔術で蘇らせた魔物だ。見ての通り、私の命令なしに動くことはない」
「先日の、屍兵とやらを呼び覚ました魔術と同じ、ですか?」
全員を代表したようなナクラの質問に、
「そういうことだ」
アルジュは頷いた。
――これだけの説明で全員が全員、すっかり納得したというわけではなかっただろう。
だが、彼らはすでに一度、大地から溢れ出した大量の屍兵が自分たちの代わりに戦ってくれたという経験をしている。あのときの異様な光景を思い返せば、首無し騎士の一人や二人、味方になって当たり前のようにも思えた。
それになにより、この魁偉なる怪異と敵対することが恐ろしかった。
だから、騎士たちは黙って頷き返したのだった。
● ● ●
アルジュたち一行が首無し騎士を味方にしていた頃、マガーダ候ウルゥカも動き始めていた。
領内全ての兵力を掻き集めて前回以上の大部隊を編成し、街道を東進してきていた。街道から逸れる様子がないことからして、マガーダ軍には自領内部に進入してきたグプタ軍の騎兵三百と正面からぶつかるつもりはないようだった。
グプタ軍が自領僻地で道草を食っている間に、騎兵のいないグプタ領を占領してしまおうという魂胆なのは明白だった。
もちろん、アルジュがこれを黙ってみているはずもない。すぐさま動いて、街道を抜けるグプタ軍に横合いから襲いかかろうとする。だが、この動きはマガーダ軍に読まれていた。
マガーダ軍は兵の一部を分けて、横手からぶつかってきたグプタ軍に対応させた。分隊がグプタ軍を抑えている間に、東進を続けた本隊でグプタ領を占領しようというわけだった。
アルジュが率いるグプタ軍は三百名。対するマガーダ軍の分隊は、領主ウルゥカの息子ラージュが率いる兵士ざっと千名だ。
普通に考えれば、マガーダ軍の優位は揺るがない。両軍には三倍強もの兵力差がある上に、マガーダ軍は無理してグプタ軍を倒す必要がない。本隊が敵領地を制圧するまで相手を抑えておけばいいのだから。
そう――普通に考えれば、である。
首無し騎士という普通ならざるものの存在は、ごく当たり前の戦況分析を当たり前のように覆した。
黒色全身鎧の首無し騎士が鎧の継ぎ目から真っ黒な煙を吐いたかと思うと、その煙が凝り固まって大柄な首無し黒馬になった。
首無し騎士は同じようにして作り出した巨大な矛を片手に携えると、首のない黒馬に跨る。ただでさえ巨躯だったものが、その体格に見合うだけの馬に跨がったのだから、誰もが見上げることになった。
本当にこれは味方なのだろうか――顔のない存在から見下ろされる恐怖に、騎士たちが唾を飲み込む。
そんな緊張した空気を断ち切るように、アルジュが命令した。
「さあ、行け。敵を討ち、私にその力を見せてくれ」
主命を受けた首無し騎士は返事の代わりなのか、矛を頭上で一振りしながら首無し黒馬の前肢を高々と跳ね上げさせた。
異様にして威容な身のこなしに、グプタの騎士たちは一時、恐怖を忘れて見入ったという。
黒馬はその長くて太い四肢に見合った大きな歩幅で飛ぶように駆けて、瞬く間に見えなくなった。グプタ兵はそれを見送るだけで、ついてはいかない。
マガーダ軍分隊の千名と戦うのは、首無し騎士がただ一騎だ。
これは、リシュナがそうするように提案したのだ。
「彼の力を皆様方に知っていただくには、これが一番の方法でございましょう」
月明かりのような冴え冴えとした瞳で頬笑むリシュナに異を唱える者はいなかった。
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