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第16話 暮れ泥む宿場町・5

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「アスリィオ……ユースティン……二人共、し、死んだの?」

 血の臭いが俄に立ち込めていく部屋の中、それまでずっと手繰り寄せたシーツに裸身を隠して縮こまっていた女――ユースティンの母が、そろりそろりとベッドから降りて、血溜まりの中に倒れる二人へと近づいていく。
 その気配に反応したのか、全裸男に覆いかぶさる体勢になっていたユースティンが、もぞりと身動ぎした。
 
「ひっ……!」

 それは母が息子に対して出していい声なのか――などと抗議したいわけではなかろうが、ユースティンはうつ伏せのまま首だけを上げて、母を見上げた。

「ユースティン、おまえ……」

 息子の顔を見下ろした途端、怯えていた彼女の顔から強張りが抜けていく。
 ユースティンの顔は蒼白だ。血の気の失せた顔、死相の浮かんだ顔というやつだ。
 全裸男の短剣は、確かにユースティンの臓器を刺し貫いたようだ。だが、男がそこで力尽きてしまったために、短剣は捻られも抜かれもせず、おかげでユースティンはいま辛うじて意識を保っているのだろう。
 もっとも、それはというだけで、少年の命が今にも尽きてしまうのは、もう避けようのないことだった。

「母ちゃん……どうして……どこから……」

 唇がほとんど動いていない。囁きにも劣る、死にゆく者の声だ。
 だけど不思議なことに、母にはその声が――息子の言わんとしていることが、はっきり聞こえているようだった。

「安心なさい。最初からグルだったわけじゃないわ。こいつらがうちの村を襲ったのは偶然。とくに理由なんてなかったわ」
「……」
「でも、そのとき思っちゃったの。ああ、これは天啓だ。ようやく、あの村を逃げ出せる。こいつらに擦り寄って、連れて行ってもらうんだ――って」

 まるで場にそぐわない、と私でも感じるほどの、あどけない童女の笑みを湛えて、彼女は語る。

 ――あのね、ユースティン。
 どうせ、おまえ死んじゃうから教えてあげるけど……おまえって父さんとの子供じゃないの。あの当時、村に来ていた旅芸人との子供なの。一夜の過ち、ってやつね。まあもっとも、あの頃のあたしは、彼のお嫁さんになって、こんなつまらない村とは永遠にさよならするんだぁ……って、馬鹿みたいに浮かれていたけれどね。
 でもまあ結局、その男はあたしを連れて行ってくれなかった。遊ばれたんだって分かった頃にはお腹が大きくなり始めていて、そりゃあもう最悪だったわ。母さんは、顔がパンパンに腫れるまで打ってくるし、父さんは犬の糞を踏んだ靴を見るみたいな目で見てくるし……まあ、最悪だったわ……ああ、違う。最悪なのはこの後よ。だって、あたしは結局、おまえが父ちゃんと呼んでいたあの男と一緒にさせられちゃったんだもの。
 まあ、つまんない男だったわ。真面目と素直と勤勉だけが取り柄、みたいな男。あっ、もちろん、あいつはおまえが自分の子じゃないって、最後まで知らなかったわ。夫としては最低だったけど、父親としてはまあ良かったんじゃない? おまえもよく懐いてたしね。
 ……あたしもさ、もう最近は諦めてたのよ。
 あいつや両親に四六時中監視されてたし、一人で逃げ出せないよう、金目のものは全部取り上げられてたし……そのうち、小皺もあかぎれも出てくるようになったし……もう一生この村に閉じ込められて死ぬのね。せっかく綺麗に生まれたのに無駄だったのね……って。
 だからね、この男たちが村を襲って滅茶苦茶にしたとき、「やった!」って思ったの。こんな機会、もう二度とない。年齢的にも、これが最後の機会だ。しがらみは全部捨てて、あたしは自由になるのよ! ……ってね。
 まあ勿論、こいつらといつまでも一緒にいるつもりはなかったわ。すぐに、もっとイイ男を捕まえるつもりだったわ。そりゃ不安もあったけど、大丈夫。あたしならやれる、って……あら? ユースティン? ……今度こそ本当に死んじゃった?

 ……ユースティンは母の自分語りを聞きながら、意識を失っていた。昏睡状態だ。もう二度と、彼が目を開けることはないだろう。

「そうとは限りませんよ」

 私の独り言に反応できるのは一人しかいない。サールだ。反対側の部屋を制圧して戻ってきたようだった。
 閂が壊れて開けっ放しになっている扉から入ってきたサールに、ユースティンの母親は両目を大きく見開かせる。

「……天使様?」
「息子と同じことを言うのですね」
「え……この子を知っているんですか?」
「質問は私がします。貴女は、どうしたいですか?」
「どう、したい……あはは、なによそれ。今更それ、あたしに聞く? あはっ……あはは!」

 折り重なった男二人(内一人は全裸)の死体を前に、全裸で仰け反って笑う童顔の経産婦。私には些か理解しかねる状況だ。
 サールはこの状況をどう思っているのか、無反応を通している。そのせいなのか、ユースティンの母は急に笑うのを止めると、サールに向けて溜め息を吐いた。

「まあ、そうよね。天使様だもの、人の心が分からなくっても当然ね」
「……答えになっていませんが」
「答えるまでもないでしょうに、ってことよ」
「……」
「どうしたいか、じゃないの。どうにもしたくないの。どうにもならないの。……まあ結局、何もかも遅すぎたってことよね。せめて、この子を生んですぐに村を逃げていれば……って、まあ本当、今更だわ」
「……つまり、貴女は自分自身に対する要求を一切持っていないのですね」

 ユースティンの母が(おそらく自嘲の)溜め息を吐いたところに、サールが淡々と確認事項を差し挟む。
 眉を顰めて怪訝そうにするユースティンの母。

「は? ん? 何よ、その言い回しは。でもまあ、そういうことかしら」
「でしたら、彼らに対しては?」

 サールはベッドでほとんどを占められている部屋で、そこだけは内開きの扉のために余裕を持って確保されている剥き出しの床面を――そこを占有している二人分の遺体を見下ろす。

「貴女の息子と、貴女の情夫。彼らに対しての要求、希望はありませんか?」
「そんなこと聞いて、どうするのよ」
「ありませんか?」
「……文句ならあるわ」
「教えて下さい」
「あたしを置いて死んじゃって、どうするのよ!? 今更一人にされて、あたしにどうしろっていうの!? ……って文句」
「分かりました」

 サールはそう言うと、ユースティンの母の額に人差し指で触れて呟いた。

「スードゥー……ルートをもってエンブリオに希う。いま一時のみ理を曲げ、この者に【生神女パナギア】の恩恵を与え給え」
「あっ」

 サールがそれっぽいことを言うと、ユースティンの母はびくんっと仰け反り、倒れそうになったところを後退りして堪えた。

「……手段は与えました。やり方も分かりますね。やるのなら、急ぎなさい。やらないのなら、行きなさい」

 ふらついている相手にいつもながらの無表情で告げたサールは、踵を返して部屋を出ていこうとする。

「待って!」

 切羽詰まった声で引き止めた相手に、サールは顎を上げるようにして首だけで振り返ると、視線で続きを促す。

「あ、あたし……こんなの、どうしたらいいの!?」
「どうもしなければ時間切れになるだけです」
「そんな……!」

 表情筋をくしゃりと歪めた、たぶん泣きそうな顔になる相手を残して、サールは今度こそ部屋を出ていった。
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