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4-5. 夏雨、萌々とデートする。 ~萌々の告白
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二人はそれから、駅前の立地に競うようにして建ち並ぶデパートを梯子して、色々な靴を見て歩いた。
大晴は欲しい物があっても、下調べから購入まで全てネットで済ませてしまうことが大半なので、何の当ても付けずに実店舗を行脚するなんて徒労感しか残らないのではないか――と危惧していたのも最初だけ。一軒目の店を出るときにはもう、そんな心配をしていたのなんて忘れて、只々デート満喫していた。
……もっとも、その途中途中で露出自撮りツアーをちょいちょい開催したりもした。萌々が最初にミニスカを捲って下着を見せたりし始めて夏雨に撮影役を頼んだのだけど、すぐに「ナツメも脱いで。撮ってあげるから」と催促してきたものだから、ナツメも人目を気にしながらだぼだぼのカットソーを捲くったり、ホットパンツを半脱ぎしたりして楽しんでしまった。おかげで、危うく周りに露出バレしそうになったりしたりもした。
「――はふぅ」
お昼時、お手頃価格のパスタ店に入って着席した途端、夏雨の口から溜め息が転び出た。
「疲れた?」
向かいの席に座った萌々が、くすりと笑う。
「そうかも。萌々がいきなりエッチな角度で写真撮ってきたりしたから、気が休まらなかったのかもな」
「あら、そういうナツメも私に結構エグいポーズを要求してきたと思うのだけど」
「……そうだったっけ?」
「何なら、いまここで確認してみる?」
萌々はスマホを持ち上げ、くすっと笑う。
「止めとく。またエッチな気分になったら大変だし」
「そうね」
苦笑しながらサービスのお冷に口をつける夏雨に、萌々も微笑のまま頷いた。
「それにしても、思ったよりも歩いちゃったわね。午後はネカフェかカラオケあたりで、のんびりしましょうか」
「カラオケ……」
「あら、何よ、その顔。カラオケに嫌な思い出でも?」
「いや……俺、アニソンしか分からないから……」
「うん? なら、アニソンを歌えばいいんじゃない?」
「それだと、萌々が白けるだろ」
「なら、私も洋楽を歌うわ」
「……うん? 何がどうなって、そうなるって?」
「だから、ナツメは私の分からないアニソンをひたすら歌って、私はナツメの分からない洋楽をひたすら歌うの。ね、面白そうじゃない?」
「うぅん……あっ」
萌々のどこまで本気か分からない提案に首を捻っていた夏雨は唐突に何かを思いついて、小さく声を上げた。
「急に何よ?」
「や、どうでもいいことなんだけど……」
「いいから言いなさいって」
「ん……いや、ほら、いま俺、女だろ。ってことは、これまでキーを限界まで下げないと歌えなかった女性ボーカルを原曲で歌えるんじゃないかな、って」
「あぁ……」
はにかみながら語った夏雨を、萌々は感心したような興味津々のような目で見つめる。
「え、何その目は」
「いまの台詞、女子になった男子ならではの発言っぽいわ、と感心していたの」
「……信じていない?」
「いえいえ、まさか。実際、目の前で見せられたのだもの。あれが手品だったら、私は見事に騙してくれたことに拍手喝采するわ」
「萌々って……言動がわりとラノベっぽいよな」
「ラノベ?」
「いや、分かんなきゃいいんだ。それより、注文どうする? 俺はこれにするけど」
「じゃあ、私はこっち――焦がしバターと抹茶と白身魚のパスタ、これね」
「どんな味なんだ、それ」
「分からないから頼むんじゃない」
「……なるほど」
ちなみに夏雨が選んだのは、王道のお肉たっぷりミートソースだ。普段は知らないメニューでも気にせず頼むのだけど、初デートでランチメニューを冒険して微妙なのが出てきたらどうしよう、という考えが脳裏を過ぎったためだった。
夏雨としては、萌々はそういうことを考えたりしないのかな、デートだって言ったの萌々のほうなのにな……だとかの思いが去来したけれど、それを口にすることは憚られた。ただの冗談でデートと言っただけなのに、なんて笑われて、自分だけ意識しているのだとしたら恥ずかしいから。
やがて運ばれてきたパスタは、どちらも美味だった。
食後の幸福な満腹感を抱えた二人は、スマホで探した近くのカラオケボックスにしけ込む。腹ごなしも兼ねて、二人で交互に三曲ずつ歌った。ランチ前に話していたように、夏雨は女性ボーカルのアニソンを原曲キーで歌い上げて、萌々はモータウン系の洋楽をビブラートというかこぶしを利かせて熱唱した。
「もっと歌いたい気持ちもあるけれど……そろそろ、ちゃんと話しましょうか」
四曲目は何を歌おうかと考えていた夏雨が顔を上げると、萌々は思いつめたような硬い顔をしていた。
楽しげだった夏雨の顔はすぅっと引き締められて、申し訳無さそうに目が伏せられる。
「……騙したみたいになって、ごめ――」
「ああ、謝罪なら要らないわ。必要ないもの」
「え……?」
謝罪を受け容れてもらえないのかと思った夏雨が顔色を悪くするのを見て、萌々は言葉足らずだったことに気がついたようだ。慌てて言葉を重ねる。
「あっ、勘違いしては駄目よ。許さないという意味ではなく、そもそも悪いことをされたと思っていないわ、と言いたかったの」
「……それもまた意味が分からないんだけど」
夏雨だって故意に騙したわけではないけれど、萌々に同性だと誤解させたのは確かだ。それが全然悪いことではないなんて夏雨は思っていないから、いくら萌々本人に謝る必要がないと言われたところで、心に蟠るもやもやは晴れない。
「あ……駄目ね、これでは。もっと、ちゃんと言うわ」
表情を曇らせたままの夏雨に、萌々はぶんぶんとポニテ尻尾を振り回すほど大仰に首を捻った挙げ句、諦めるように項垂れた。そして、話し出す。
「私ね、あのね……その、こういうことを言うと、とても痛い子と思われそうで、ずっと隠していたんだけど……その……」
話し出したはいいけれど、初っ端から足踏みだ。進む気配がない。
「話が始まらないなら、それまで歌ってていい?」
「いま話すから!」
一度置いたマイクをまた持ってスピーカー越しに言ってきた夏雨に、萌々は吠えるように言い返してから、ようやく本当に話し始めた。
「――私、誰にも言ったことがないのだけど、ずっと思っていたことがあるの。私はたぶん、転生者なんだって」
「……、……は?」
オタクの自負がある夏雨でも、この告白は流石に想定外だった。唐突な告白をした萌々は、羞恥で顔を真赤にしつつも、必死に冷静を装っている。
「あぁ、転生者と言っても分からないかしら。つまり、私は前世の記憶というか人格を失うことなく生まれ変わった存在なのだと、お、思っていたの。じ、自分の、ことを……!」
丁寧に説明しようとすると羞恥心が暴発しそうになるようで、台詞の最後のほうは声も唇もぷるぷる震えて、居た堪れないことになっていた。
夏雨に、そんな相手を慮ってトークする技術などないから、こちらもまた萌々と同様に平静を装って合いの手を入れるのみだ。
「へ、へぇ……、……あ、ちなみに前世はどんな人だったの? 異星人、それとも異世界人?」
「ぐぅ……ッ!!」
軽率に吐かれた軽口が、萌々の胸をぐりっと抉った。
「あっ、違う! いまのは馬鹿にしたつもりとかじゃなくて、純粋に興味があっただけで!」
「ん……うん、いいのよ。分かっているわ。私が過剰反応しているだけだから。……そうね、順序立てで話すことにするわ」
萌々は胸を押さえて深呼吸を一回すると、伏せていた目を上げて話を続けた。
「物心ついた頃って、だいたい幼稚園に入った頃くらいじゃない? 私はそうだったのだけど、その頃から、私……その……え、えっちだったの。あっ、まだ何も言わないで! とにかく聞いて! ……それで、まあ、つまり、あれよ。机の角とか登り棒とかで、よく分からないけどお股が擦れるのは気持ちいいことだって気がついて、そこからコツコツとレベルアップして孫の手とか歯ブラシとかハンディーマッサージャーとか色々試した末に、一周回って自分の右手が一番お手軽で色んな触り方できて便利だわ――ってなるのを、みんな当然やっているものだと思っていたのッ!!」
「お、おう……」
夏雨は立て板に水の長広舌に圧倒されて、語られた内容に唖然とさせられていた。けれどもまあ、同級生女子の突然なオナニー歴を聞かされて平然としていられる男子は居るまい。いくら外見が美少女でも、夏雨の中身は男子なのだからして。
でも、ちんこの有無が思考に与える影響はあるのかもしれない。男子だったら狼狽えっぱなしだっただろうけど、夏雨はふと疑問を抱くことができた。
「あれ? 萌々が性欲旺盛なお子様だったことは分かったけれど、それがどうして転生者ってことに?」
「まあ聞いて」
「あ、うん」
夏雨が頷いて黙ったのを見て、萌々は続ける。
「私のえっちなことへの興味はね、お股をすりすりぐりぐりする程度では全然収まらなかったの。えっちな知識をもっと知りたいという一念だけで親のパソコンの使い方をこっそり覚えて、それはもう色々知ったし、覚えたし、試したわ。あの頃の私は水を得たスポンジだったわ」
そこで一回息継ぎすると、萌々はどこか得意げだった顔に苦笑を浮かべた。
「そのときに、ネット小説というのも知って、色々読んだの。中古タブレットでお年玉でこっそり買ってからは、もう猿のように読み耽ったわ。ナツメはネット小説を読んだりする――のね、よかった。それなら話が早いわ。ほら、いっぱいあるでしょ、記憶を持ったまま異世界とか過去とかに転生して大活躍するようなお話。そういうのを読んでいて、これだったのねっ、と天啓が降ってきたの!」
「天啓……え? それが転生?」
「そう! 私がえっちなこと――ううん、もっとはっきり言って、男性向けの下品なくらいドスケベなのが大大大好きなのは、私の前世がそういうドスケベ男子なんだ。私はその前世を覚えているから、こんなふうなんだって!」
萌々は興奮に上気した顔で思いの丈をぶちまけた。夏雨は呆気に取られていた。そんな夏雨に気づいた萌々の瞳から、昂揚感が失われていく。
「……ごめんなさい、大声を出して。この話を誰かにしたの初めてで、自分でも少し、妙なテンションになっている自覚あるわ」
「あ、ううん。それは全然いい、気にしない……気にしないけど、気になる、けど……」
夏雨もちょっと自分が何を言っているのか分からなくなっている。意識は萌々がぶちまけた情報を咀嚼するのに手一杯で、会話は無意識がやっているような状況だった。
夏雨は無意識のまま、思ったことをそのまま口にする。
「つまり萌々は、精神が男なの? FTMというやつ?」
「違うわ」
萌々は即答だった。
「精神が男性なのではなくて、精神が男性向けエロコンテンツで大興奮する女性なの」
「……それは普通にビッチなだけでは?」
「ビッチ!」
萌々は、心外だ、とばかりの大声を上げたものの、すぐに目をぐるぐる泳がせる。
「そ、そんな簡単な言葉で……一言で……わ、私が何年も掛けて閃いたことを、あっさりと……」
萌々の両目が大きく潤む。いまにも涙の粒が零れ落ちそうだ。
自分の不用意な一言で泣かせてしまいそうになって、夏雨は大慌てで取り繕いにかかった。
「ああっ、ごめん。いまの無し。俺は何も言ってない。萌々は前世の記憶を持った転生者です。あっ、転生者だから、俺みたいなのでも受け容れられるってこと?」
口から出任せで言ったことだったけれど、言ってみるとそれが正しいような気がした。萌々も指先で目尻を拭いながら、こくりと首肯する。
「……そうよ。私、本当はこんな格好するのが好きな、えっちなことで頭いっぱいのドスケベだから、そうではない他の普通の子とは友達になれる気がしなかったの。私が友達になれるのは、私と同じく本性がスケベ男子の転生者だけ……なんて思っていたの。まあ、そんなの奇特な変態がいるわけないから、私はずっとボッチなのでしょうね……と思っていたら、現れたのよ。中身がスケベ男子な女の子が。私がずっとずっと妄想していた理想の友達が」
萌々がまっすぐに夏雨を見つめる。涙の余韻が残る瞳はきらきらと、微風が踊る湖面のように煌めいている。
「じゃあ、昨日の、考えさせてっていうのは……」
「嫌だったからではないわ、その逆よ。初めて本当の友達に成れるかもしれないと思ったナツメが、中身男子の女子だったなんて……そんなの、私の妄想そのまま過ぎだもの。だから、これは夢なのではないのかって不安になってしまったの。私はとうとう妄想を本物と勘違いしてしまうくらい、おかしくなってしまったのでは……って」
萌々の告白を、夏雨はどうにかこうにか咀嚼し、理解しようとする。
「つまり……ん? つまり、こういうことか? 萌々は俺のことを空想上の友達だと思った……?」
「だって、いきなり性転換するなんて非現実的なことをされたのよ。実在しているのかを疑っても仕方ないじゃない!」
「じゃあ、今日のデートっていうのは?」
「……ナツメが実在しているかどうかを確かめたかったの」
「あ――結構ギリギリな露出を要求してきたのは、俺が他の人にも見えているのか確かめたかったから?」
「そうよ」
「なるほ……いや! 写真に撮れる時点で、実体があるって証明できてるじゃん!」
「そうとも限らないでしょう。私にだけナツメが写っているように見えているのかもしれないし、心霊写真ということもあるかもしれないし」
「心霊写真って……」
おまえはどこまで本気で言っているのか、と胡乱げな目つきを萌々に向けた夏雨だったが、萌々の顔はどこまでも大真面目だった。
「今日の検証で、私はナツメが実在していると信じることができたわ」
「……わぁい」
「ナツメの可愛い肉球プリントお子様ショーツ、おじさんに凝視されていたものね」
「うわあぁ……ッ!!」
実在を認めてもらって乾いた笑いを浮かべていた夏雨は、続けて向けられた含み笑いに、わっと両手で顔を覆った。下着を男性に見られるくらい、むしろ自分から見せにいってもいいくらいなのだけど、今日だけは事情が違っていたのだ。
「違うんだ……今日のこのホットパンツだと、自前の下着だと食み出しちゃうから、仕方なく妹のを借りたのであって、俺の趣味じゃないんです。普段から女児下着なわけじゃないんです……」
露出性癖を自覚する夏雨でも、女児下着が趣味だと思われるのは顔から火が出るほど恥ずかしいことになるようだった。
帰宅したら絶対に極小ローレグ下着をポチろう、と固く決心している夏雨のことを、萌々がくっくっと喉から零すように笑っている。
「ふふっ……さてと。じゃあ、ナツメ。改めて握手、してくれる?」
萌々は頬に笑みを残したまま、夏雨へと右手を差し出す。
「握手……」
「そう。改めて友達になってください、の握手」
「……萌々ってちょいちょい中二っぽいというか、ラノベっぽいところあるよね。転生者なんて発想が出たりするところも、そうだしさ」
夏雨は苦笑しつつも右手を伸ばす。
「そういうところを分かってくれるから、理想的過ぎて妄想なんじゃないかと思ったのよ」
萌々も苦笑する。
二人の手はしっかりと握手を交わした。
ふたつの苦笑は綻ぶように花が開いて、本当の笑顔になった。
「それじゃあ、脱ぎましょうか」
「えっ、いい話で終わったんじゃないの!?」
てっきり握手でフェードアウトするのだと思っていた夏雨は、萌々の言葉でソファから尻が落ちかけた。昭和感満載のズッコケだった。
大晴は欲しい物があっても、下調べから購入まで全てネットで済ませてしまうことが大半なので、何の当ても付けずに実店舗を行脚するなんて徒労感しか残らないのではないか――と危惧していたのも最初だけ。一軒目の店を出るときにはもう、そんな心配をしていたのなんて忘れて、只々デート満喫していた。
……もっとも、その途中途中で露出自撮りツアーをちょいちょい開催したりもした。萌々が最初にミニスカを捲って下着を見せたりし始めて夏雨に撮影役を頼んだのだけど、すぐに「ナツメも脱いで。撮ってあげるから」と催促してきたものだから、ナツメも人目を気にしながらだぼだぼのカットソーを捲くったり、ホットパンツを半脱ぎしたりして楽しんでしまった。おかげで、危うく周りに露出バレしそうになったりしたりもした。
「――はふぅ」
お昼時、お手頃価格のパスタ店に入って着席した途端、夏雨の口から溜め息が転び出た。
「疲れた?」
向かいの席に座った萌々が、くすりと笑う。
「そうかも。萌々がいきなりエッチな角度で写真撮ってきたりしたから、気が休まらなかったのかもな」
「あら、そういうナツメも私に結構エグいポーズを要求してきたと思うのだけど」
「……そうだったっけ?」
「何なら、いまここで確認してみる?」
萌々はスマホを持ち上げ、くすっと笑う。
「止めとく。またエッチな気分になったら大変だし」
「そうね」
苦笑しながらサービスのお冷に口をつける夏雨に、萌々も微笑のまま頷いた。
「それにしても、思ったよりも歩いちゃったわね。午後はネカフェかカラオケあたりで、のんびりしましょうか」
「カラオケ……」
「あら、何よ、その顔。カラオケに嫌な思い出でも?」
「いや……俺、アニソンしか分からないから……」
「うん? なら、アニソンを歌えばいいんじゃない?」
「それだと、萌々が白けるだろ」
「なら、私も洋楽を歌うわ」
「……うん? 何がどうなって、そうなるって?」
「だから、ナツメは私の分からないアニソンをひたすら歌って、私はナツメの分からない洋楽をひたすら歌うの。ね、面白そうじゃない?」
「うぅん……あっ」
萌々のどこまで本気か分からない提案に首を捻っていた夏雨は唐突に何かを思いついて、小さく声を上げた。
「急に何よ?」
「や、どうでもいいことなんだけど……」
「いいから言いなさいって」
「ん……いや、ほら、いま俺、女だろ。ってことは、これまでキーを限界まで下げないと歌えなかった女性ボーカルを原曲で歌えるんじゃないかな、って」
「あぁ……」
はにかみながら語った夏雨を、萌々は感心したような興味津々のような目で見つめる。
「え、何その目は」
「いまの台詞、女子になった男子ならではの発言っぽいわ、と感心していたの」
「……信じていない?」
「いえいえ、まさか。実際、目の前で見せられたのだもの。あれが手品だったら、私は見事に騙してくれたことに拍手喝采するわ」
「萌々って……言動がわりとラノベっぽいよな」
「ラノベ?」
「いや、分かんなきゃいいんだ。それより、注文どうする? 俺はこれにするけど」
「じゃあ、私はこっち――焦がしバターと抹茶と白身魚のパスタ、これね」
「どんな味なんだ、それ」
「分からないから頼むんじゃない」
「……なるほど」
ちなみに夏雨が選んだのは、王道のお肉たっぷりミートソースだ。普段は知らないメニューでも気にせず頼むのだけど、初デートでランチメニューを冒険して微妙なのが出てきたらどうしよう、という考えが脳裏を過ぎったためだった。
夏雨としては、萌々はそういうことを考えたりしないのかな、デートだって言ったの萌々のほうなのにな……だとかの思いが去来したけれど、それを口にすることは憚られた。ただの冗談でデートと言っただけなのに、なんて笑われて、自分だけ意識しているのだとしたら恥ずかしいから。
やがて運ばれてきたパスタは、どちらも美味だった。
食後の幸福な満腹感を抱えた二人は、スマホで探した近くのカラオケボックスにしけ込む。腹ごなしも兼ねて、二人で交互に三曲ずつ歌った。ランチ前に話していたように、夏雨は女性ボーカルのアニソンを原曲キーで歌い上げて、萌々はモータウン系の洋楽をビブラートというかこぶしを利かせて熱唱した。
「もっと歌いたい気持ちもあるけれど……そろそろ、ちゃんと話しましょうか」
四曲目は何を歌おうかと考えていた夏雨が顔を上げると、萌々は思いつめたような硬い顔をしていた。
楽しげだった夏雨の顔はすぅっと引き締められて、申し訳無さそうに目が伏せられる。
「……騙したみたいになって、ごめ――」
「ああ、謝罪なら要らないわ。必要ないもの」
「え……?」
謝罪を受け容れてもらえないのかと思った夏雨が顔色を悪くするのを見て、萌々は言葉足らずだったことに気がついたようだ。慌てて言葉を重ねる。
「あっ、勘違いしては駄目よ。許さないという意味ではなく、そもそも悪いことをされたと思っていないわ、と言いたかったの」
「……それもまた意味が分からないんだけど」
夏雨だって故意に騙したわけではないけれど、萌々に同性だと誤解させたのは確かだ。それが全然悪いことではないなんて夏雨は思っていないから、いくら萌々本人に謝る必要がないと言われたところで、心に蟠るもやもやは晴れない。
「あ……駄目ね、これでは。もっと、ちゃんと言うわ」
表情を曇らせたままの夏雨に、萌々はぶんぶんとポニテ尻尾を振り回すほど大仰に首を捻った挙げ句、諦めるように項垂れた。そして、話し出す。
「私ね、あのね……その、こういうことを言うと、とても痛い子と思われそうで、ずっと隠していたんだけど……その……」
話し出したはいいけれど、初っ端から足踏みだ。進む気配がない。
「話が始まらないなら、それまで歌ってていい?」
「いま話すから!」
一度置いたマイクをまた持ってスピーカー越しに言ってきた夏雨に、萌々は吠えるように言い返してから、ようやく本当に話し始めた。
「――私、誰にも言ったことがないのだけど、ずっと思っていたことがあるの。私はたぶん、転生者なんだって」
「……、……は?」
オタクの自負がある夏雨でも、この告白は流石に想定外だった。唐突な告白をした萌々は、羞恥で顔を真赤にしつつも、必死に冷静を装っている。
「あぁ、転生者と言っても分からないかしら。つまり、私は前世の記憶というか人格を失うことなく生まれ変わった存在なのだと、お、思っていたの。じ、自分の、ことを……!」
丁寧に説明しようとすると羞恥心が暴発しそうになるようで、台詞の最後のほうは声も唇もぷるぷる震えて、居た堪れないことになっていた。
夏雨に、そんな相手を慮ってトークする技術などないから、こちらもまた萌々と同様に平静を装って合いの手を入れるのみだ。
「へ、へぇ……、……あ、ちなみに前世はどんな人だったの? 異星人、それとも異世界人?」
「ぐぅ……ッ!!」
軽率に吐かれた軽口が、萌々の胸をぐりっと抉った。
「あっ、違う! いまのは馬鹿にしたつもりとかじゃなくて、純粋に興味があっただけで!」
「ん……うん、いいのよ。分かっているわ。私が過剰反応しているだけだから。……そうね、順序立てで話すことにするわ」
萌々は胸を押さえて深呼吸を一回すると、伏せていた目を上げて話を続けた。
「物心ついた頃って、だいたい幼稚園に入った頃くらいじゃない? 私はそうだったのだけど、その頃から、私……その……え、えっちだったの。あっ、まだ何も言わないで! とにかく聞いて! ……それで、まあ、つまり、あれよ。机の角とか登り棒とかで、よく分からないけどお股が擦れるのは気持ちいいことだって気がついて、そこからコツコツとレベルアップして孫の手とか歯ブラシとかハンディーマッサージャーとか色々試した末に、一周回って自分の右手が一番お手軽で色んな触り方できて便利だわ――ってなるのを、みんな当然やっているものだと思っていたのッ!!」
「お、おう……」
夏雨は立て板に水の長広舌に圧倒されて、語られた内容に唖然とさせられていた。けれどもまあ、同級生女子の突然なオナニー歴を聞かされて平然としていられる男子は居るまい。いくら外見が美少女でも、夏雨の中身は男子なのだからして。
でも、ちんこの有無が思考に与える影響はあるのかもしれない。男子だったら狼狽えっぱなしだっただろうけど、夏雨はふと疑問を抱くことができた。
「あれ? 萌々が性欲旺盛なお子様だったことは分かったけれど、それがどうして転生者ってことに?」
「まあ聞いて」
「あ、うん」
夏雨が頷いて黙ったのを見て、萌々は続ける。
「私のえっちなことへの興味はね、お股をすりすりぐりぐりする程度では全然収まらなかったの。えっちな知識をもっと知りたいという一念だけで親のパソコンの使い方をこっそり覚えて、それはもう色々知ったし、覚えたし、試したわ。あの頃の私は水を得たスポンジだったわ」
そこで一回息継ぎすると、萌々はどこか得意げだった顔に苦笑を浮かべた。
「そのときに、ネット小説というのも知って、色々読んだの。中古タブレットでお年玉でこっそり買ってからは、もう猿のように読み耽ったわ。ナツメはネット小説を読んだりする――のね、よかった。それなら話が早いわ。ほら、いっぱいあるでしょ、記憶を持ったまま異世界とか過去とかに転生して大活躍するようなお話。そういうのを読んでいて、これだったのねっ、と天啓が降ってきたの!」
「天啓……え? それが転生?」
「そう! 私がえっちなこと――ううん、もっとはっきり言って、男性向けの下品なくらいドスケベなのが大大大好きなのは、私の前世がそういうドスケベ男子なんだ。私はその前世を覚えているから、こんなふうなんだって!」
萌々は興奮に上気した顔で思いの丈をぶちまけた。夏雨は呆気に取られていた。そんな夏雨に気づいた萌々の瞳から、昂揚感が失われていく。
「……ごめんなさい、大声を出して。この話を誰かにしたの初めてで、自分でも少し、妙なテンションになっている自覚あるわ」
「あ、ううん。それは全然いい、気にしない……気にしないけど、気になる、けど……」
夏雨もちょっと自分が何を言っているのか分からなくなっている。意識は萌々がぶちまけた情報を咀嚼するのに手一杯で、会話は無意識がやっているような状況だった。
夏雨は無意識のまま、思ったことをそのまま口にする。
「つまり萌々は、精神が男なの? FTMというやつ?」
「違うわ」
萌々は即答だった。
「精神が男性なのではなくて、精神が男性向けエロコンテンツで大興奮する女性なの」
「……それは普通にビッチなだけでは?」
「ビッチ!」
萌々は、心外だ、とばかりの大声を上げたものの、すぐに目をぐるぐる泳がせる。
「そ、そんな簡単な言葉で……一言で……わ、私が何年も掛けて閃いたことを、あっさりと……」
萌々の両目が大きく潤む。いまにも涙の粒が零れ落ちそうだ。
自分の不用意な一言で泣かせてしまいそうになって、夏雨は大慌てで取り繕いにかかった。
「ああっ、ごめん。いまの無し。俺は何も言ってない。萌々は前世の記憶を持った転生者です。あっ、転生者だから、俺みたいなのでも受け容れられるってこと?」
口から出任せで言ったことだったけれど、言ってみるとそれが正しいような気がした。萌々も指先で目尻を拭いながら、こくりと首肯する。
「……そうよ。私、本当はこんな格好するのが好きな、えっちなことで頭いっぱいのドスケベだから、そうではない他の普通の子とは友達になれる気がしなかったの。私が友達になれるのは、私と同じく本性がスケベ男子の転生者だけ……なんて思っていたの。まあ、そんなの奇特な変態がいるわけないから、私はずっとボッチなのでしょうね……と思っていたら、現れたのよ。中身がスケベ男子な女の子が。私がずっとずっと妄想していた理想の友達が」
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「嫌だったからではないわ、その逆よ。初めて本当の友達に成れるかもしれないと思ったナツメが、中身男子の女子だったなんて……そんなの、私の妄想そのまま過ぎだもの。だから、これは夢なのではないのかって不安になってしまったの。私はとうとう妄想を本物と勘違いしてしまうくらい、おかしくなってしまったのでは……って」
萌々の告白を、夏雨はどうにかこうにか咀嚼し、理解しようとする。
「つまり……ん? つまり、こういうことか? 萌々は俺のことを空想上の友達だと思った……?」
「だって、いきなり性転換するなんて非現実的なことをされたのよ。実在しているのかを疑っても仕方ないじゃない!」
「じゃあ、今日のデートっていうのは?」
「……ナツメが実在しているかどうかを確かめたかったの」
「あ――結構ギリギリな露出を要求してきたのは、俺が他の人にも見えているのか確かめたかったから?」
「そうよ」
「なるほ……いや! 写真に撮れる時点で、実体があるって証明できてるじゃん!」
「そうとも限らないでしょう。私にだけナツメが写っているように見えているのかもしれないし、心霊写真ということもあるかもしれないし」
「心霊写真って……」
おまえはどこまで本気で言っているのか、と胡乱げな目つきを萌々に向けた夏雨だったが、萌々の顔はどこまでも大真面目だった。
「今日の検証で、私はナツメが実在していると信じることができたわ」
「……わぁい」
「ナツメの可愛い肉球プリントお子様ショーツ、おじさんに凝視されていたものね」
「うわあぁ……ッ!!」
実在を認めてもらって乾いた笑いを浮かべていた夏雨は、続けて向けられた含み笑いに、わっと両手で顔を覆った。下着を男性に見られるくらい、むしろ自分から見せにいってもいいくらいなのだけど、今日だけは事情が違っていたのだ。
「違うんだ……今日のこのホットパンツだと、自前の下着だと食み出しちゃうから、仕方なく妹のを借りたのであって、俺の趣味じゃないんです。普段から女児下着なわけじゃないんです……」
露出性癖を自覚する夏雨でも、女児下着が趣味だと思われるのは顔から火が出るほど恥ずかしいことになるようだった。
帰宅したら絶対に極小ローレグ下着をポチろう、と固く決心している夏雨のことを、萌々がくっくっと喉から零すように笑っている。
「ふふっ……さてと。じゃあ、ナツメ。改めて握手、してくれる?」
萌々は頬に笑みを残したまま、夏雨へと右手を差し出す。
「握手……」
「そう。改めて友達になってください、の握手」
「……萌々ってちょいちょい中二っぽいというか、ラノベっぽいところあるよね。転生者なんて発想が出たりするところも、そうだしさ」
夏雨は苦笑しつつも右手を伸ばす。
「そういうところを分かってくれるから、理想的過ぎて妄想なんじゃないかと思ったのよ」
萌々も苦笑する。
二人の手はしっかりと握手を交わした。
ふたつの苦笑は綻ぶように花が開いて、本当の笑顔になった。
「それじゃあ、脱ぎましょうか」
「えっ、いい話で終わったんじゃないの!?」
てっきり握手でフェードアウトするのだと思っていた夏雨は、萌々の言葉でソファから尻が落ちかけた。昭和感満載のズッコケだった。
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主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
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※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
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