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1章
17-2. ロイドとシャーリー ロイド
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昨日の話し合いは日が落ちる前に終わり、村側は明日中に――つまり今日中に工具や調理器具、農作物などを用意しておくと言っていた。
多少の金物についてはシャーリーが掻き集めてくれていたから、昼過ぎまでには集め終わるだろうと思っていたのだが、村人たちはよっぽど俺たちの機嫌を取りたいのか、あるいは早々に帰ってもらいたいのか――朝の内に、大量の物資が村の入り口まで集められていた。みんな、朝から仕事があるだろうに、ご苦労なことだ。
おんぼろながらも台車を用意してもらったので、みんなで荷物をそれに載せていたときだった。
「あ、あの……!」
少し震えた声で呼びかけられた。そちらを見やると、アンとシャーリーの二人が立っていた。二人とも目元を真っ赤に泣き腫らしていたけれど、何やらすっきりした表情をしていた。
「もう来たのか、早いな。けど、こっちの積み込み作業にもうしばらくかかりそうだから、まだゆっくりしてくれていいぞ」
俺は横目で二人を見やり、泣き顔には気づかなかったことにして淡々と告げた。
「わたしたち、決めました」
アンは俺に向かってそう言うと、隣に立っているシャーリーに振り返る。シャーリーは妹に向けて小さく頷くと、ひどく畏まった顔を俺に向けてきた。
ところが、シャーリーは俺を見るばかりで、なかなか切り出さない。口元が動いているから言いたいことがあるのは分かるのだが……。
「お姉ちゃん」
アンがシャーリーの手を握り締める。
「……う、うん」
シャーリーはアンから力を貰うように深呼吸して、ようやく口を開いた。
「ロイド。あたいもアンと一緒に行く!」
「そうか」
「……え?」
俺は彼女の申し出を受諾したのだが、なぜかシャーリーは狐に抓まれたような顔になった。聞こえなかったのかと思って言い直そうとしたら、シャーリーのほうから聞き返された。
「そうか、って……おまっ、いいのか!?」
「覚悟してるのなら、むしろ歓迎だ。アン一人だけだと気が滅入ることもあるだろうし、姉のきみが来てくれるのは素直に助かるよ。でも、この件についてはあくまでも村人の側が立てた候補者をこちらで受け入れるのであって、俺たちのほうから特定の誰かを指名や強要はしない――と村長にも明言したばかりだったから、俺からはきみに何も言えなかったんだ」
「そっか……」
「それに、アンから少し聞いていたけど、きみたちは両親がいないんだろ。だったら、きみは一人で残されるより、妹と一緒に来ることを選ぶと思っていたよ」
「……つまり、あたいはアンを餌にして釣られたってわけかよ」
シャーリーの眉根にみるみる皺が刻まれていく。
「いまも言ったけど、俺からは一切強要しないよ」
「まっ、いいさ」
シャーリーは表情を一転、ぱっと笑って、そう言い放った。そのあっさりっぷりに、今度は俺が抓まれる番だった。
その顔が面白かったのか、シャーリーが笑う。
「ははっ、なんだよ、その顔は」
「いや……もっと怒鳴るか罵られるかされると思ってたから……」
「しねぇよ!」
さも心外だという顔で言われた。
「そうか……ごめん」
「いや、謝られても……っつか、あー! そうじゃなくてだな!」
シャーリーは喚きながら自分の赤茶けた髪をくしゃりと掻き上げると再度、俺を睨んできた。
でも、眉間の皺はすぐに消える。
「ありがとう」
いきなりの感謝。
「……何に対してだ?」
「あたいに何も言わなかったことに対して?」
俺が聞いたのに、シャーリーからもなぜか疑問形で返される。
「いや、疑問で返されても分からないんだが」
「あー……つまりよ、あんたは待ってくれただろ。あたいが腹を括るまで。急かしもせず、突っぱねもせずに」
「だからそれは、どうせ答えは決まっていると思っていたからで――」
「決まっていると思っても、決めつけないで待ってくれたんだろ」
なぜか言い訳がましくなった俺の言葉を遮って、シャーリーはそう言い切った。
それこそ決めつけだろ、と言い返そうとしたはずなのに……俺の口は息を吸い込んだきりで、声を発してくれなかった。
「あ……」
口をもごもごやっているばかりの俺に、シャーリーはふっと苦笑する。
「あんたさ、あたいとアンのこと、一度も可哀相だと思ったことがないだろ」
「え……当たり前だろ。俺はきみたちのことを全くと言っていいほど知らないんだから」
「アンは山賊に攫われた。それも知らないってか?」
「いや――あ、そうか……」
シャーリーが言い放った言葉で、俺は初めて自覚した。
俺は二人のことを全くと言っていいほど知らないが、アンが酷い目に遭ったことと、シャーリーがそれをどれだけ心配していたかを知っていた。ついでに、実の両親がいないらしいことも察している。それだけ知っていれば、二人のことを「可哀相な姉妹だ」と思っていいはずのなのに――俺はとくに何とも思っていなかった。
俺は二人のことを、上手く利用できそうな相手、としか見ていなかった。しかも、故意にそう思っていたわけではない。無意識に、ごく当然の思考として、二人のことを駒として考えていた。
シャーリーから、妹が山賊に攫われたかもしれない、と聞いたとき、俺は「ラッキーだ」と思った。この状況は使える、としか思わなかった。
「俺は……」
……俺はこんなに薄情なやつだったのか? 前から? それとも、こっちに飛ばされてきてから?
シャーリーは俺と同い年くらいの年頃にしか見えないし、アンに至ってはどう見ても中学生だ。そんな姉妹が苦しんでいるの知ったとき、俺は、ラッキーだと思った――。
「――ッ!!」
側頭部に激痛が走った。
「きゃっ!?」
「ひゃ……!」
シャーリーとアンの悲鳴が聞こえる。
何が起きたのかと、ずきずき痛む頭を摩ったところで理解した。
何のことはない。俺が自分で自分のこめかみをぶん殴っていただけだった。
「ちょっ、あんた!?」
シャーリーが目を瞠っている。
「いや、大丈夫。なんでもないから」
そう言って首を横に振ったら、少しくらりと来た。思ったよりも本気で自分を殴っていたらしい。そのことに少し笑ってしまう。
「って、なに笑ってんだよ。あんた、大丈夫って顔してないぞ。あたい、なんか不味いこと言ったか……?」
「いや。きみは正しいことを言った。俺は今の今まで、きみたちのことを少しも全く可哀相と思っていなかった。酷いな、本当。最低だ、ははっ」
笑わずにはいられなかった。
「あっ、違うぞ。勘違いすんな!」
シャーリーが慌てた素振りで訂正してきた。俺は首を傾げる。
「勘違い?」
「あたいが嫌味とか文句とか、そういう意味で言ったんじゃねぇ。あたいは嬉しかったんだ」
「……ごめん。よく分からない」
「だから、可哀相だって一度も言われなかったことが嬉しかったんだ、って言ったんだよ!」
「いや……言われたことが聞き取れなかったんじゃなくて、意味が分からなかったんだが……」
「だから――あたいらは他に選びようがなかった可哀相な子じゃねえ! あたいらは堂々と、こうするぞって自分で決めて、いまここに来てるんだ。あんたがそうさせてくれたんだ!」
「俺が……?」
「そう、あんたが!」
シャーリーは俺の鼻先に人差し指を突きつけて、そう言い切った。でも、俺は何もしていない。何かした覚えはない。
「俺は何もしていない――」
「だから、それが嬉しかったんだって言ってんだっつの!」
彼女の間違いを訂正したら、なぜか怒鳴られた。
「何もしてないのに感謝されるのは、やっぱり意味が……」
「はあぁ……!!」
どうしても納得できずに首を捻っていたら、これ見よがしな溜め息を吐かれた。そして、もういいよ、と吐き捨てられる。
「もうこれ以上は説明しねぇ。けど、これだけ分かってろ。あたいはあんたに感謝してんだ。だから、あんたが何度違うって言おうと嫌がろうと、あたいはあんたに恩返しするかんな!」
シャーリーは言うだけ言って、ぷいと背を向ける。そして、戸惑っているアンの手を取って、ゴブリンたちが積み込み作業をしているほうに行ってしまった。そして、自分からゴブリンたちに声をかけると、彼らに混ざって荷物を台車に運び始めた。
「……すごいな。自分からゴブリンに話しかけるなんて」
そこは素直に感心した。
彼女はきっと「ゴブリンは妖魔。年頃の娘を攫いにくる化物」と教えられて育ってきただろうに、そんな相手に自分から話しかけるなんて、生半可な覚悟でできるものではない。
選びようがなかったんじゃない。自分で決めたんだ――彼女の宣誓が嘘ではなかったことは、ゴブリンたちの中に混ざって青い顔をしつつも頑張っている姿が証明していた。
結局よく分からないんだが……でも、そうか。
他人を可哀相だと思わない冷血漢だと罵られたのかと思ったら、それが感謝の言葉だったなんてな。
「そうか……俺、ちょっとは感謝されるようなこと、できてたのか」
そう呟いてみると、不思議と口元がにやけてくる。それがなんだか照れ臭くて、俺は鼻を掻くふりをして口元を手で隠した。
多少の金物についてはシャーリーが掻き集めてくれていたから、昼過ぎまでには集め終わるだろうと思っていたのだが、村人たちはよっぽど俺たちの機嫌を取りたいのか、あるいは早々に帰ってもらいたいのか――朝の内に、大量の物資が村の入り口まで集められていた。みんな、朝から仕事があるだろうに、ご苦労なことだ。
おんぼろながらも台車を用意してもらったので、みんなで荷物をそれに載せていたときだった。
「あ、あの……!」
少し震えた声で呼びかけられた。そちらを見やると、アンとシャーリーの二人が立っていた。二人とも目元を真っ赤に泣き腫らしていたけれど、何やらすっきりした表情をしていた。
「もう来たのか、早いな。けど、こっちの積み込み作業にもうしばらくかかりそうだから、まだゆっくりしてくれていいぞ」
俺は横目で二人を見やり、泣き顔には気づかなかったことにして淡々と告げた。
「わたしたち、決めました」
アンは俺に向かってそう言うと、隣に立っているシャーリーに振り返る。シャーリーは妹に向けて小さく頷くと、ひどく畏まった顔を俺に向けてきた。
ところが、シャーリーは俺を見るばかりで、なかなか切り出さない。口元が動いているから言いたいことがあるのは分かるのだが……。
「お姉ちゃん」
アンがシャーリーの手を握り締める。
「……う、うん」
シャーリーはアンから力を貰うように深呼吸して、ようやく口を開いた。
「ロイド。あたいもアンと一緒に行く!」
「そうか」
「……え?」
俺は彼女の申し出を受諾したのだが、なぜかシャーリーは狐に抓まれたような顔になった。聞こえなかったのかと思って言い直そうとしたら、シャーリーのほうから聞き返された。
「そうか、って……おまっ、いいのか!?」
「覚悟してるのなら、むしろ歓迎だ。アン一人だけだと気が滅入ることもあるだろうし、姉のきみが来てくれるのは素直に助かるよ。でも、この件についてはあくまでも村人の側が立てた候補者をこちらで受け入れるのであって、俺たちのほうから特定の誰かを指名や強要はしない――と村長にも明言したばかりだったから、俺からはきみに何も言えなかったんだ」
「そっか……」
「それに、アンから少し聞いていたけど、きみたちは両親がいないんだろ。だったら、きみは一人で残されるより、妹と一緒に来ることを選ぶと思っていたよ」
「……つまり、あたいはアンを餌にして釣られたってわけかよ」
シャーリーの眉根にみるみる皺が刻まれていく。
「いまも言ったけど、俺からは一切強要しないよ」
「まっ、いいさ」
シャーリーは表情を一転、ぱっと笑って、そう言い放った。そのあっさりっぷりに、今度は俺が抓まれる番だった。
その顔が面白かったのか、シャーリーが笑う。
「ははっ、なんだよ、その顔は」
「いや……もっと怒鳴るか罵られるかされると思ってたから……」
「しねぇよ!」
さも心外だという顔で言われた。
「そうか……ごめん」
「いや、謝られても……っつか、あー! そうじゃなくてだな!」
シャーリーは喚きながら自分の赤茶けた髪をくしゃりと掻き上げると再度、俺を睨んできた。
でも、眉間の皺はすぐに消える。
「ありがとう」
いきなりの感謝。
「……何に対してだ?」
「あたいに何も言わなかったことに対して?」
俺が聞いたのに、シャーリーからもなぜか疑問形で返される。
「いや、疑問で返されても分からないんだが」
「あー……つまりよ、あんたは待ってくれただろ。あたいが腹を括るまで。急かしもせず、突っぱねもせずに」
「だからそれは、どうせ答えは決まっていると思っていたからで――」
「決まっていると思っても、決めつけないで待ってくれたんだろ」
なぜか言い訳がましくなった俺の言葉を遮って、シャーリーはそう言い切った。
それこそ決めつけだろ、と言い返そうとしたはずなのに……俺の口は息を吸い込んだきりで、声を発してくれなかった。
「あ……」
口をもごもごやっているばかりの俺に、シャーリーはふっと苦笑する。
「あんたさ、あたいとアンのこと、一度も可哀相だと思ったことがないだろ」
「え……当たり前だろ。俺はきみたちのことを全くと言っていいほど知らないんだから」
「アンは山賊に攫われた。それも知らないってか?」
「いや――あ、そうか……」
シャーリーが言い放った言葉で、俺は初めて自覚した。
俺は二人のことを全くと言っていいほど知らないが、アンが酷い目に遭ったことと、シャーリーがそれをどれだけ心配していたかを知っていた。ついでに、実の両親がいないらしいことも察している。それだけ知っていれば、二人のことを「可哀相な姉妹だ」と思っていいはずのなのに――俺はとくに何とも思っていなかった。
俺は二人のことを、上手く利用できそうな相手、としか見ていなかった。しかも、故意にそう思っていたわけではない。無意識に、ごく当然の思考として、二人のことを駒として考えていた。
シャーリーから、妹が山賊に攫われたかもしれない、と聞いたとき、俺は「ラッキーだ」と思った。この状況は使える、としか思わなかった。
「俺は……」
……俺はこんなに薄情なやつだったのか? 前から? それとも、こっちに飛ばされてきてから?
シャーリーは俺と同い年くらいの年頃にしか見えないし、アンに至ってはどう見ても中学生だ。そんな姉妹が苦しんでいるの知ったとき、俺は、ラッキーだと思った――。
「――ッ!!」
側頭部に激痛が走った。
「きゃっ!?」
「ひゃ……!」
シャーリーとアンの悲鳴が聞こえる。
何が起きたのかと、ずきずき痛む頭を摩ったところで理解した。
何のことはない。俺が自分で自分のこめかみをぶん殴っていただけだった。
「ちょっ、あんた!?」
シャーリーが目を瞠っている。
「いや、大丈夫。なんでもないから」
そう言って首を横に振ったら、少しくらりと来た。思ったよりも本気で自分を殴っていたらしい。そのことに少し笑ってしまう。
「って、なに笑ってんだよ。あんた、大丈夫って顔してないぞ。あたい、なんか不味いこと言ったか……?」
「いや。きみは正しいことを言った。俺は今の今まで、きみたちのことを少しも全く可哀相と思っていなかった。酷いな、本当。最低だ、ははっ」
笑わずにはいられなかった。
「あっ、違うぞ。勘違いすんな!」
シャーリーが慌てた素振りで訂正してきた。俺は首を傾げる。
「勘違い?」
「あたいが嫌味とか文句とか、そういう意味で言ったんじゃねぇ。あたいは嬉しかったんだ」
「……ごめん。よく分からない」
「だから、可哀相だって一度も言われなかったことが嬉しかったんだ、って言ったんだよ!」
「いや……言われたことが聞き取れなかったんじゃなくて、意味が分からなかったんだが……」
「だから――あたいらは他に選びようがなかった可哀相な子じゃねえ! あたいらは堂々と、こうするぞって自分で決めて、いまここに来てるんだ。あんたがそうさせてくれたんだ!」
「俺が……?」
「そう、あんたが!」
シャーリーは俺の鼻先に人差し指を突きつけて、そう言い切った。でも、俺は何もしていない。何かした覚えはない。
「俺は何もしていない――」
「だから、それが嬉しかったんだって言ってんだっつの!」
彼女の間違いを訂正したら、なぜか怒鳴られた。
「何もしてないのに感謝されるのは、やっぱり意味が……」
「はあぁ……!!」
どうしても納得できずに首を捻っていたら、これ見よがしな溜め息を吐かれた。そして、もういいよ、と吐き捨てられる。
「もうこれ以上は説明しねぇ。けど、これだけ分かってろ。あたいはあんたに感謝してんだ。だから、あんたが何度違うって言おうと嫌がろうと、あたいはあんたに恩返しするかんな!」
シャーリーは言うだけ言って、ぷいと背を向ける。そして、戸惑っているアンの手を取って、ゴブリンたちが積み込み作業をしているほうに行ってしまった。そして、自分からゴブリンたちに声をかけると、彼らに混ざって荷物を台車に運び始めた。
「……すごいな。自分からゴブリンに話しかけるなんて」
そこは素直に感心した。
彼女はきっと「ゴブリンは妖魔。年頃の娘を攫いにくる化物」と教えられて育ってきただろうに、そんな相手に自分から話しかけるなんて、生半可な覚悟でできるものではない。
選びようがなかったんじゃない。自分で決めたんだ――彼女の宣誓が嘘ではなかったことは、ゴブリンたちの中に混ざって青い顔をしつつも頑張っている姿が証明していた。
結局よく分からないんだが……でも、そうか。
他人を可哀相だと思わない冷血漢だと罵られたのかと思ったら、それが感謝の言葉だったなんてな。
「そうか……俺、ちょっとは感謝されるようなこと、できてたのか」
そう呟いてみると、不思議と口元がにやけてくる。それがなんだか照れ臭くて、俺は鼻を掻くふりをして口元を手で隠した。
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