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5章
69-2. ルピスさんの(改めて)歓迎会 アルカ
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――というわけで、鍋パの始まりです。
いつもなら忍者ゴブさんの小柄な身体がすっぽり収まりそうなくらいの超大鍋を使って煮炊きしているのですが、弱火の即席コンロで保温されている鍋は、ちょっと大きな中華鍋くらいのやつです。
……あれ? この大きさだと、みんなで食べるには全然足りなくないです? ――という疑問に小首を傾げたら、義兄さんが苦笑しながら答えてくれました。
「いや最初はさ、あっちの竈でいつもの鍋を使って十分に火を通した後、こっちの小さな即席コンロで保温しながら、みんなで突っつくつもりだったんだけど……あのどデカい鍋いっぱいに作ったら重すぎて、戦士らでも運べそうになかったんだよ」
戦士ゴブさんたちの名誉のために捕捉しますと、スープたっぷりのお鍋を持ち上げることはできたそうです。でも、運ぶ途中で万が一があったら大変なので、超大鍋をこっちのコンロまで運んでくるのは中止して、この普通の大鍋に入る分だけスープを移し替えて運んできたということでした。
だから、お鍋料理として食べるときに鍋からお椀へ取り分けるスタイルで食べるのはこの鍋の分だけで、後は向こうの竈で煮ている超大鍋からお椀に取り分けたのを配る、いつものスタイルで食べることになるみたいです。
「ほうほう、なるほど……まあでも、雰囲気は味わえますし、いいんじゃないですか」
「そう言ってもらえると多少は救われるよ」
「この即席コンロとか、準備も大変だったでしょう? 義兄さんもゴブさんたちも、頑張ってくれてありがとうございます」
苦笑しっぱなしの義兄さんと、とくにいつもと変わらない表情の板前さんや大工さんたちに感謝のお辞儀です。隣で、すぐ目の前の大鍋から具沢山のスープをお椀に分けてもらっていたルピスさんが、慌てた様子で一緒に頭を下げました。
でも、ルピスさんのお目々はお椀に向いたままです。そういえば、ルピスさんは三日寝込んでいた上に、昨夜は汗などの水分をいっぱい放出していましたっけ。そのもっと前はアップダウンの激しい山道を延々歩き詰めの日々だったと聞きましたし……そりゃまあ、身体がご飯をいっぱい食べたいモードでも当然ですよね。
「これは……随分と具沢山な……牛乳の椀物……?」
ルピスさんがお椀の中身をしげしげ見つめて呟いています。
「豆乳鍋ですかね?」
「さすが有瓜、だいたい正解」
わたしが相槌のように呟くと、義兄さんが嬉しげに答えてくれました。
「って、だいたい?」
「だって、この豆が大豆なのか分からないから。あと、豆乳だけのスープでもないし」
義兄さんが言うには、いつもの行商人さんがわざわざ仕入れてきてくれた、たぶん大豆か、それに近い品種なんじゃないかなぁという乾燥豆で作った豆乳を使っているのだそうです。
「豆乳だけでもないっていうのは……あれ、なんだか豚骨スープっぽい……?」
よくよく見ると、乳白色のスープには油の粒が大小いっぱい浮いています。
「有瓜、目敏いな。その通り、これは豆乳の他に、等量の獣脂と、さらにレモン的な柑橘を混ぜたスープなんだ! つまり、これは豆乳オイル鍋の柑橘仕立てだ!」
ばぁんっ、と効果音を付けてあげたくなるようなドヤ顔で、義兄さんは言い放ちました。
「オイル鍋……それ、天ぷらを揚げ油ごと飲む、みたいな発想ですか? 悪魔ですか?」
「いやいや、日本でもわりと知られている料理だったぞ、オイル鍋。お店で出しているところもあったはずだし」
「マヂですか……!」
全く知りませんでした。
「ちょっと意外だ。おまえは色んなものを食べていると思っていたけど、食べたことないものもあるんだな」
「当たり前ですよぅ。わたし、べつに食通キャラじゃないですもん」
「はは、そうか。まあ、御託はこのへんにして、食べてくれ。おまえが食べないと、みんなも箸を付けにくそうだしさ」
「あ、そですね。いただきまぁす」
わたしが食べ始めると、それまでお椀と箸を手にしたままこちらを見ていたゴブさんやアンちゃんたち女性陣も一斉に食べ始めました。べつに強制した覚えはないのですけど、いつの間にやら、そういう仕来りになっていました。最初は戸惑いましたけど、もう慣れちゃいましたね。
さて、お鍋の実食です。まずはお椀に口をつけて、スープをずずっと一口。
ふむぅ……あ、オイルと聞いて想像していたよりもずっと、さっぱりした味わいです。豆乳の円やかさと柑橘の酸味とが、ともすれば獣臭さぷんぷんになりそうな獣脂の油をイイ感じにケアして、どっしり濃厚なのにふんわりすっきりした美味しいスープです!
「義兄さん、すごい! これ、文句なしに美味しいですよ!」
「ええ、すごい……この味、城でだって食べた覚えがないわ……!」
わたしだけでなく、お姫様としてご馳走は食べ慣れていただろうルピスさんも絶賛です。
「そうか、そうか。そうだろ、そうだろ!」
義兄さん、仰け反りそうなほど胸を張って大笑いです。でも仕方ない、これはそれだけ自慢していいくらい美味しいですもん。
ルピスさんも隣で、はふはふっとスープの熱さに息を吹きながら、それでも箸を止めずに、具を食べぇの、スープを飲みぃのです。
ちなみに今更感のある情報ですけど、この辺一帯のひとは山村生まれのアンちゃん、シャーリーさんも、平野部住まいだったラヴィニエさんも、隣国のお姫様だったルピスさんも、みんな普通にお箸を使って食事します。名前のカタカナ感とか髪色のカラフルさとか、ナイフとフォークで食べる印象バリバリなのですが、なんでかお箸が基本です。もしかしたら、この大陸全土に日本語を広めたという文豪さんが、日本語と一緒に広めたのかもしれません。
ゴブさんたちもお箸を使っていますけど、これはわたしが箸を使っていたら、みんないつの間にか真似るようになっていたものです。手先の器用な忍者さんだけでなく、戦士さんも大きなお手々に見合った太めのお箸を器用に使って食べています。
がぶがぶと具ごと呑んでいくみたいな食べっぷりで、このお鍋はゴブさんたちの口にも合っているようです。
「それにしても美味しい……この肉と脂、いったい何の……?」
ルピスさんは箸で摘んだ肉を見つめて、難しい顔です。
「大牙猪と剣鹿、でしたっけ」
わたしは義兄さんを見やって言いました。
「え……ランスボア、ソードスターグって……私も宴席でしか食べたことがないわ」
「あぁ、やっぱり高級食材なんですね」
うちで食べるお肉はだいたい、森の中でも危険地帯と呼んでいるあたりを縄張りにしている危険な草食動物たちのお肉です。その一帯は美味しい果物がいっぱい採れるのですけど、それを主食にしている鹿や猪がめっちゃ強くて獰猛なのです。まあ、わたしはその動物さんたちが生きているところを見たことはないのですけど、村の狩人たちは絶対に近づかない場所なのだとか。
でも、戦士ゴブさんたちからすると、狩ろうとすると逃げていく普通の動物よりも、こっちに気づくと向こうから襲いかかってくる危険動物たちのほうが狩りやすいそうで、果物を採ってくるついでに鹿(角がめっちゃ剣)や猪(牙がめっちゃ槍)をよく獲ってくるのです。
そういったわけで、わたしたちはすっかり慣れ親しんだお肉なのですが……一般的には狩るのが難しいため希少なお肉です。餌が良いからか、お味もいいです。なので、村に持っていくと、とっても喜ばれます。うちのメインの贈答品ですね。
「剣鹿と大牙猪も、どちらも高級食材なのに、それをこんな無造作に、ごった煮にするだなんて……ある意味、とても贅沢なスープね……」
ルピスさんは妙なところに感心しながら、食べるペースを抑えて、一口一口を噛み締めるように味わっています。そしてなぜか、食レポしながら食べています。
「ん……ただ奇を衒ってごった煮にしたわけではないみたいね。剣鹿の肉は脂っ気が薄くて、淡白ながらも凝縮された旨味が持ち味。といって脂身が不味いわけではなく、獣脂とは思えないほどさらりとした舌触りと軽やかな味わいで、舌に残らないのが特徴的ね。一方で大牙猪は分厚い脂の層が肉を覆っていて、その絢爛な味わいは格別よ。じつに肉らしい肉と言えるわね。脂身もまた、とろりとした舌触りと濃厚な旨味とが舌の上で艶美なスローステップを踊るよう――そんなどちらも素晴らしい肉だけど、その旨味の方向性はいっそ正反対。それをまとめて煮込んだところで、互いの良さを殺し合うだけのはずなのに……それがなんということなの⁉ この煮物は、どちらの肉もいっそう味わい深いものになっているなんて!」
えぇ……食レポしながら食べているんじゃなくて、食レポしかしてないし……ええぇ……ってか、まだ続けるのです?
「鹿肉は凝縮されていた旨味を、さながら蕾が大輪の花を咲かせるが如くに溢れさせていて、猪肉は奔放だった少女が良人を得て貞淑を覚えたかのよう――あぁ、そうよ。これはまるで、春爛漫の花園で言祝がれた新郎新婦よ! そしてこの結婚を取り持っているのが、このスープ! ともすれば諄くなりがちな脂の旨味を豆の煮汁が受け止めて、この典雅な円やさを与えているのね。そこへさらに加えられた仄かな柑橘の酸味が、どうしても舌に残ってしまう脂の重さを洗い流して、二口目、三口目を食べずにはいられなくさせるのよ……え、待って!」
いえ、待ちませんよ。わたし、普通に食べてますからね。
「この酸味、スープだけではないわ。よく味わってみれば、肉自体にもスープのものとは違った酸味が隠れているのよ。この微かな酸味が、鹿と猪の性質が異なる旨味を結び付けて、この椀物をひとつの料理として成立させているのよ!」
へぇ、そうなんですね。ルピスさん、味覚すごいですね。
「この酸味、どこかで味わったことがあるような……あぁ、駄目。思い出せない!」
「あ……これ、ぶよぶよですね」
食レポを聞きながら食べていたら、このお肉の下味、分かっちゃいました。
「ぶよぶよ、ですか?」
怪訝そうな顔のルピスさんに、わたしは頷きを返します
「この近くの村ではぶよぶよって呼んでいたんですけど、魔法生物? 魔法の粉? ほら、王様が魔法で出せるとかいう、お酒やチーズを作るのに使うやつです」
「あぁ――えっ?」
ルピスさんは理解した途端に顔を輝かせましたが、すぐにいっそう険しく眉根を寄せました。
「あれを食材に使うのは、保存のためでしかないわ。酒もチーズも本質的にはそうだし、肉を漬ければ岩のように硬い肉節が出来るだけ……」
「ああ、それな。そんな難しい話じゃないぞ」
ルピスさんが考え込んでしまっていると、竈の超大鍋のほうからゴブさんたちに配膳するのを終わらせた義兄さんが戻ってきて、軽い口調で言いました。
「単純に、そこまで激しい脱水と発酵が始まる前に、漬けていたぶよぶよから引き揚げて水洗いしたってだけだ」
「えっ⁉」
義兄さんの説明に、ルピスさんはなぜか両目をまん丸にして驚いています。そんなに驚くところ、ありましたかね?
「ブロブは王にしか作ることのできない貴重なものよ。王の慈悲そのものよ。それを賜ることしかできない私たちは、その慈悲に感謝して、一欠片も無駄にしないよう心懸けなければいけないものよ。それを、食料の保存という意味のあることではなく、ただ単に味付けするがためだけに浪費したというの⁉」
「そ、そんなに……驚くようなことか?」
ルピスさんの非難がましい視線に、義兄さんはたじたじです。
「当たり前よ。こんな贅沢で背徳的な料理を作るなんて……ロイド、貴方はなんというものを作ってくれたの! 私はもう、この味を知る前には戻れない……!」
激しく頭を振ったルピスさんの肩を、ミディアムボブの銀髪が箒を掃くように撫でています。でも両手はしっかりと、お椀とお箸を持ったままなので、お芝居みたいですねぇ、なんて感想を抱くばかりです。
「あぁ、これは罪の味よ、禁断の味だわ。この味を知ってしまった私はもう、二度とけっして人里に帰ることはできないのね!」
「いえ、帰ってもらっても全然べつに」
「……できないのね!」
ツッコミ待ちの台詞なのかなと思って「全然べつに」と返してみたら、台詞をリピートされました。いまのはNGテイクだからやり直せ、ってことですか。まあ、乗ってあげましょう。
「ふっふっふっ。わたしたちと同じご飯を食べた以上は、もうルピスさんも、うちの子です。ここがルピスさんの新しいお家です。二度と……ってことはないですけど、ちょっとやそっとじゃ実家に帰れないと思ってくだちゃいな」
あ、最後ちょっと噛んじゃいました。でも可愛いからOKテイクです。
「巫女様……ッ」
ルピスさんは目を潤ませていました。
え……わたしの演技、そんなに感動的でした?
「ありがとうございます、巫女様。私、わたっ……私っ、生まれ変わったつもりで頑張ります! 私、今日から巫女様の娘です!」
「いやぁ、同い年くらいの娘はちょっと……というかルピスさん、わたしより年上だったりしません?」
感涙に咽ぶルピスさんに、わたしは苦笑しかできませんでした。
というか、さっきは「私は下女です」と言っていたように記憶しているんですが……さり気なく自分の扱いを良くさせようという魂胆、嫌いじゃないですね。
「いいではありませんか、実年齢なんて。こういったことは気持ちですよ、気持ち」
「その気持の問題で、年上の娘は嫌なんですよぅ! せめて妹にしましょう、妹。わたし、アンちゃんとシャーリーさんからはお姉ちゃんって呼ばれてますし」
本当は、シャーリーさんは「姐さん」呼びだし、アンちゃんは「アルカさん」と名前呼びですけど、広い意味では間違っていないと言えなくもないのではと思わなくも……って、おやおや?
「アンちゃん、シャーリーさん。どうしたんですか、なんだか微妙な顔してますけど……お鍋、美味しくなかったり?」
姉妹二人は具とスープの注がれたお椀に口をつけながらも、眉根の寄った複雑そうな顔をしています。ルピスさんほど朗々と食レポしてくださいとは言いませんけど、もうちょっと美味しそうな顔をしてもいいと思うのですが。だって実際、二人とも険しい目つきをしつつも、お鍋を食べる手は止まっていないですし。
「いや、美味しいっすよ。美味しいんっすけど……」
言いにくそうに目線を彷徨わせるシャーリーさん。そのあとを引き継いで、アンちゃんが苦笑します。
「さっき、王女様が――」
「ルピスでいいわ。もう王女ではないもの」
「あ……じゃあ、ルピスさん。えっと、ルピスさんがさっき言ってましたけど、贅沢で背徳的なので、素直に味わえないんです」
「ぶよぶよで浅漬けにするの、そんなに拒否感か……」
傍で聞いていた義兄さんが、肩をがっくり落としています。
「あ、そこじゃねぇんだ」
「なぬ?」
首を横に振ったシャーリーさんと、それに同意して頷くアンちゃん。
「鹿の脂も猪の脂も、どっちもうちで薬として高値で売っているんです。それをこんなふうに食べちゃうなんて……ねぇ」
「これを売っていたら幾らになってたのかねぇ、と思うと……なぁ」
視線と溜め息を交わす姉妹二人に、義兄さんは不満たらたら顔です。
「まぁたこの展開か! 前は猪の皮を煮詰めたゼラチンで文句を言われて、今度は脂かよ……というかさ、ぶよぶよ浅漬け肉の料理、前にも作ったことあったぞ。そのときは二人も美味い美味いって食べてたんだが」
「えっ、嘘!」
「あっ、あの柔らかいお肉!」
愕然とするアンちゃんとシャーリーさんに、義兄さんは勝ち誇った顔をします。義兄さん、そういうところですよ。もうひとつモテない原因は。
「うぅ……わたしはなんて贅沢を……!」
「はっはっはっ」
「っつうか、どうしてロイドは皮とか脂とかばっか食いたがるんだよ」
「うるせぇ。他にもモツだって食いたいわいっ!」
「モツ?」
「臓物のことだ、臓物。内臓だ」
「ええぇ! ロイドさん、それはぁ……」
「ロイドさぁ、それじゃ獣じゃねぇかよ……」
アンちゃんの困った視線と、シャーリーさんの呆れた視線が義兄さんをチクチク刺します。
「うっ、うるさぁい! 上手に処理できるんだったら肉よりも美味いんだぞ! いいだろう、一週間待ってください。そしたら食べさせてやりますよ、本物のモツ煮込みってやつをね!」
義兄さん、なんで敬語なんでしょう?
「モツ煮込み……臓物の煮物……そ、そう。それを食べなければ、姉妹にはしてもらえないのね……!」
いや、ルピスさん。そういう話はしていませんよ?
……なんなんでしょうね、このカオス。
我関せずでお鍋を食べているゴブさんたちがとても知的に見える、宴の夜でした。
いつもなら忍者ゴブさんの小柄な身体がすっぽり収まりそうなくらいの超大鍋を使って煮炊きしているのですが、弱火の即席コンロで保温されている鍋は、ちょっと大きな中華鍋くらいのやつです。
……あれ? この大きさだと、みんなで食べるには全然足りなくないです? ――という疑問に小首を傾げたら、義兄さんが苦笑しながら答えてくれました。
「いや最初はさ、あっちの竈でいつもの鍋を使って十分に火を通した後、こっちの小さな即席コンロで保温しながら、みんなで突っつくつもりだったんだけど……あのどデカい鍋いっぱいに作ったら重すぎて、戦士らでも運べそうになかったんだよ」
戦士ゴブさんたちの名誉のために捕捉しますと、スープたっぷりのお鍋を持ち上げることはできたそうです。でも、運ぶ途中で万が一があったら大変なので、超大鍋をこっちのコンロまで運んでくるのは中止して、この普通の大鍋に入る分だけスープを移し替えて運んできたということでした。
だから、お鍋料理として食べるときに鍋からお椀へ取り分けるスタイルで食べるのはこの鍋の分だけで、後は向こうの竈で煮ている超大鍋からお椀に取り分けたのを配る、いつものスタイルで食べることになるみたいです。
「ほうほう、なるほど……まあでも、雰囲気は味わえますし、いいんじゃないですか」
「そう言ってもらえると多少は救われるよ」
「この即席コンロとか、準備も大変だったでしょう? 義兄さんもゴブさんたちも、頑張ってくれてありがとうございます」
苦笑しっぱなしの義兄さんと、とくにいつもと変わらない表情の板前さんや大工さんたちに感謝のお辞儀です。隣で、すぐ目の前の大鍋から具沢山のスープをお椀に分けてもらっていたルピスさんが、慌てた様子で一緒に頭を下げました。
でも、ルピスさんのお目々はお椀に向いたままです。そういえば、ルピスさんは三日寝込んでいた上に、昨夜は汗などの水分をいっぱい放出していましたっけ。そのもっと前はアップダウンの激しい山道を延々歩き詰めの日々だったと聞きましたし……そりゃまあ、身体がご飯をいっぱい食べたいモードでも当然ですよね。
「これは……随分と具沢山な……牛乳の椀物……?」
ルピスさんがお椀の中身をしげしげ見つめて呟いています。
「豆乳鍋ですかね?」
「さすが有瓜、だいたい正解」
わたしが相槌のように呟くと、義兄さんが嬉しげに答えてくれました。
「って、だいたい?」
「だって、この豆が大豆なのか分からないから。あと、豆乳だけのスープでもないし」
義兄さんが言うには、いつもの行商人さんがわざわざ仕入れてきてくれた、たぶん大豆か、それに近い品種なんじゃないかなぁという乾燥豆で作った豆乳を使っているのだそうです。
「豆乳だけでもないっていうのは……あれ、なんだか豚骨スープっぽい……?」
よくよく見ると、乳白色のスープには油の粒が大小いっぱい浮いています。
「有瓜、目敏いな。その通り、これは豆乳の他に、等量の獣脂と、さらにレモン的な柑橘を混ぜたスープなんだ! つまり、これは豆乳オイル鍋の柑橘仕立てだ!」
ばぁんっ、と効果音を付けてあげたくなるようなドヤ顔で、義兄さんは言い放ちました。
「オイル鍋……それ、天ぷらを揚げ油ごと飲む、みたいな発想ですか? 悪魔ですか?」
「いやいや、日本でもわりと知られている料理だったぞ、オイル鍋。お店で出しているところもあったはずだし」
「マヂですか……!」
全く知りませんでした。
「ちょっと意外だ。おまえは色んなものを食べていると思っていたけど、食べたことないものもあるんだな」
「当たり前ですよぅ。わたし、べつに食通キャラじゃないですもん」
「はは、そうか。まあ、御託はこのへんにして、食べてくれ。おまえが食べないと、みんなも箸を付けにくそうだしさ」
「あ、そですね。いただきまぁす」
わたしが食べ始めると、それまでお椀と箸を手にしたままこちらを見ていたゴブさんやアンちゃんたち女性陣も一斉に食べ始めました。べつに強制した覚えはないのですけど、いつの間にやら、そういう仕来りになっていました。最初は戸惑いましたけど、もう慣れちゃいましたね。
さて、お鍋の実食です。まずはお椀に口をつけて、スープをずずっと一口。
ふむぅ……あ、オイルと聞いて想像していたよりもずっと、さっぱりした味わいです。豆乳の円やかさと柑橘の酸味とが、ともすれば獣臭さぷんぷんになりそうな獣脂の油をイイ感じにケアして、どっしり濃厚なのにふんわりすっきりした美味しいスープです!
「義兄さん、すごい! これ、文句なしに美味しいですよ!」
「ええ、すごい……この味、城でだって食べた覚えがないわ……!」
わたしだけでなく、お姫様としてご馳走は食べ慣れていただろうルピスさんも絶賛です。
「そうか、そうか。そうだろ、そうだろ!」
義兄さん、仰け反りそうなほど胸を張って大笑いです。でも仕方ない、これはそれだけ自慢していいくらい美味しいですもん。
ルピスさんも隣で、はふはふっとスープの熱さに息を吹きながら、それでも箸を止めずに、具を食べぇの、スープを飲みぃのです。
ちなみに今更感のある情報ですけど、この辺一帯のひとは山村生まれのアンちゃん、シャーリーさんも、平野部住まいだったラヴィニエさんも、隣国のお姫様だったルピスさんも、みんな普通にお箸を使って食事します。名前のカタカナ感とか髪色のカラフルさとか、ナイフとフォークで食べる印象バリバリなのですが、なんでかお箸が基本です。もしかしたら、この大陸全土に日本語を広めたという文豪さんが、日本語と一緒に広めたのかもしれません。
ゴブさんたちもお箸を使っていますけど、これはわたしが箸を使っていたら、みんないつの間にか真似るようになっていたものです。手先の器用な忍者さんだけでなく、戦士さんも大きなお手々に見合った太めのお箸を器用に使って食べています。
がぶがぶと具ごと呑んでいくみたいな食べっぷりで、このお鍋はゴブさんたちの口にも合っているようです。
「それにしても美味しい……この肉と脂、いったい何の……?」
ルピスさんは箸で摘んだ肉を見つめて、難しい顔です。
「大牙猪と剣鹿、でしたっけ」
わたしは義兄さんを見やって言いました。
「え……ランスボア、ソードスターグって……私も宴席でしか食べたことがないわ」
「あぁ、やっぱり高級食材なんですね」
うちで食べるお肉はだいたい、森の中でも危険地帯と呼んでいるあたりを縄張りにしている危険な草食動物たちのお肉です。その一帯は美味しい果物がいっぱい採れるのですけど、それを主食にしている鹿や猪がめっちゃ強くて獰猛なのです。まあ、わたしはその動物さんたちが生きているところを見たことはないのですけど、村の狩人たちは絶対に近づかない場所なのだとか。
でも、戦士ゴブさんたちからすると、狩ろうとすると逃げていく普通の動物よりも、こっちに気づくと向こうから襲いかかってくる危険動物たちのほうが狩りやすいそうで、果物を採ってくるついでに鹿(角がめっちゃ剣)や猪(牙がめっちゃ槍)をよく獲ってくるのです。
そういったわけで、わたしたちはすっかり慣れ親しんだお肉なのですが……一般的には狩るのが難しいため希少なお肉です。餌が良いからか、お味もいいです。なので、村に持っていくと、とっても喜ばれます。うちのメインの贈答品ですね。
「剣鹿と大牙猪も、どちらも高級食材なのに、それをこんな無造作に、ごった煮にするだなんて……ある意味、とても贅沢なスープね……」
ルピスさんは妙なところに感心しながら、食べるペースを抑えて、一口一口を噛み締めるように味わっています。そしてなぜか、食レポしながら食べています。
「ん……ただ奇を衒ってごった煮にしたわけではないみたいね。剣鹿の肉は脂っ気が薄くて、淡白ながらも凝縮された旨味が持ち味。といって脂身が不味いわけではなく、獣脂とは思えないほどさらりとした舌触りと軽やかな味わいで、舌に残らないのが特徴的ね。一方で大牙猪は分厚い脂の層が肉を覆っていて、その絢爛な味わいは格別よ。じつに肉らしい肉と言えるわね。脂身もまた、とろりとした舌触りと濃厚な旨味とが舌の上で艶美なスローステップを踊るよう――そんなどちらも素晴らしい肉だけど、その旨味の方向性はいっそ正反対。それをまとめて煮込んだところで、互いの良さを殺し合うだけのはずなのに……それがなんということなの⁉ この煮物は、どちらの肉もいっそう味わい深いものになっているなんて!」
えぇ……食レポしながら食べているんじゃなくて、食レポしかしてないし……ええぇ……ってか、まだ続けるのです?
「鹿肉は凝縮されていた旨味を、さながら蕾が大輪の花を咲かせるが如くに溢れさせていて、猪肉は奔放だった少女が良人を得て貞淑を覚えたかのよう――あぁ、そうよ。これはまるで、春爛漫の花園で言祝がれた新郎新婦よ! そしてこの結婚を取り持っているのが、このスープ! ともすれば諄くなりがちな脂の旨味を豆の煮汁が受け止めて、この典雅な円やさを与えているのね。そこへさらに加えられた仄かな柑橘の酸味が、どうしても舌に残ってしまう脂の重さを洗い流して、二口目、三口目を食べずにはいられなくさせるのよ……え、待って!」
いえ、待ちませんよ。わたし、普通に食べてますからね。
「この酸味、スープだけではないわ。よく味わってみれば、肉自体にもスープのものとは違った酸味が隠れているのよ。この微かな酸味が、鹿と猪の性質が異なる旨味を結び付けて、この椀物をひとつの料理として成立させているのよ!」
へぇ、そうなんですね。ルピスさん、味覚すごいですね。
「この酸味、どこかで味わったことがあるような……あぁ、駄目。思い出せない!」
「あ……これ、ぶよぶよですね」
食レポを聞きながら食べていたら、このお肉の下味、分かっちゃいました。
「ぶよぶよ、ですか?」
怪訝そうな顔のルピスさんに、わたしは頷きを返します
「この近くの村ではぶよぶよって呼んでいたんですけど、魔法生物? 魔法の粉? ほら、王様が魔法で出せるとかいう、お酒やチーズを作るのに使うやつです」
「あぁ――えっ?」
ルピスさんは理解した途端に顔を輝かせましたが、すぐにいっそう険しく眉根を寄せました。
「あれを食材に使うのは、保存のためでしかないわ。酒もチーズも本質的にはそうだし、肉を漬ければ岩のように硬い肉節が出来るだけ……」
「ああ、それな。そんな難しい話じゃないぞ」
ルピスさんが考え込んでしまっていると、竈の超大鍋のほうからゴブさんたちに配膳するのを終わらせた義兄さんが戻ってきて、軽い口調で言いました。
「単純に、そこまで激しい脱水と発酵が始まる前に、漬けていたぶよぶよから引き揚げて水洗いしたってだけだ」
「えっ⁉」
義兄さんの説明に、ルピスさんはなぜか両目をまん丸にして驚いています。そんなに驚くところ、ありましたかね?
「ブロブは王にしか作ることのできない貴重なものよ。王の慈悲そのものよ。それを賜ることしかできない私たちは、その慈悲に感謝して、一欠片も無駄にしないよう心懸けなければいけないものよ。それを、食料の保存という意味のあることではなく、ただ単に味付けするがためだけに浪費したというの⁉」
「そ、そんなに……驚くようなことか?」
ルピスさんの非難がましい視線に、義兄さんはたじたじです。
「当たり前よ。こんな贅沢で背徳的な料理を作るなんて……ロイド、貴方はなんというものを作ってくれたの! 私はもう、この味を知る前には戻れない……!」
激しく頭を振ったルピスさんの肩を、ミディアムボブの銀髪が箒を掃くように撫でています。でも両手はしっかりと、お椀とお箸を持ったままなので、お芝居みたいですねぇ、なんて感想を抱くばかりです。
「あぁ、これは罪の味よ、禁断の味だわ。この味を知ってしまった私はもう、二度とけっして人里に帰ることはできないのね!」
「いえ、帰ってもらっても全然べつに」
「……できないのね!」
ツッコミ待ちの台詞なのかなと思って「全然べつに」と返してみたら、台詞をリピートされました。いまのはNGテイクだからやり直せ、ってことですか。まあ、乗ってあげましょう。
「ふっふっふっ。わたしたちと同じご飯を食べた以上は、もうルピスさんも、うちの子です。ここがルピスさんの新しいお家です。二度と……ってことはないですけど、ちょっとやそっとじゃ実家に帰れないと思ってくだちゃいな」
あ、最後ちょっと噛んじゃいました。でも可愛いからOKテイクです。
「巫女様……ッ」
ルピスさんは目を潤ませていました。
え……わたしの演技、そんなに感動的でした?
「ありがとうございます、巫女様。私、わたっ……私っ、生まれ変わったつもりで頑張ります! 私、今日から巫女様の娘です!」
「いやぁ、同い年くらいの娘はちょっと……というかルピスさん、わたしより年上だったりしません?」
感涙に咽ぶルピスさんに、わたしは苦笑しかできませんでした。
というか、さっきは「私は下女です」と言っていたように記憶しているんですが……さり気なく自分の扱いを良くさせようという魂胆、嫌いじゃないですね。
「いいではありませんか、実年齢なんて。こういったことは気持ちですよ、気持ち」
「その気持の問題で、年上の娘は嫌なんですよぅ! せめて妹にしましょう、妹。わたし、アンちゃんとシャーリーさんからはお姉ちゃんって呼ばれてますし」
本当は、シャーリーさんは「姐さん」呼びだし、アンちゃんは「アルカさん」と名前呼びですけど、広い意味では間違っていないと言えなくもないのではと思わなくも……って、おやおや?
「アンちゃん、シャーリーさん。どうしたんですか、なんだか微妙な顔してますけど……お鍋、美味しくなかったり?」
姉妹二人は具とスープの注がれたお椀に口をつけながらも、眉根の寄った複雑そうな顔をしています。ルピスさんほど朗々と食レポしてくださいとは言いませんけど、もうちょっと美味しそうな顔をしてもいいと思うのですが。だって実際、二人とも険しい目つきをしつつも、お鍋を食べる手は止まっていないですし。
「いや、美味しいっすよ。美味しいんっすけど……」
言いにくそうに目線を彷徨わせるシャーリーさん。そのあとを引き継いで、アンちゃんが苦笑します。
「さっき、王女様が――」
「ルピスでいいわ。もう王女ではないもの」
「あ……じゃあ、ルピスさん。えっと、ルピスさんがさっき言ってましたけど、贅沢で背徳的なので、素直に味わえないんです」
「ぶよぶよで浅漬けにするの、そんなに拒否感か……」
傍で聞いていた義兄さんが、肩をがっくり落としています。
「あ、そこじゃねぇんだ」
「なぬ?」
首を横に振ったシャーリーさんと、それに同意して頷くアンちゃん。
「鹿の脂も猪の脂も、どっちもうちで薬として高値で売っているんです。それをこんなふうに食べちゃうなんて……ねぇ」
「これを売っていたら幾らになってたのかねぇ、と思うと……なぁ」
視線と溜め息を交わす姉妹二人に、義兄さんは不満たらたら顔です。
「まぁたこの展開か! 前は猪の皮を煮詰めたゼラチンで文句を言われて、今度は脂かよ……というかさ、ぶよぶよ浅漬け肉の料理、前にも作ったことあったぞ。そのときは二人も美味い美味いって食べてたんだが」
「えっ、嘘!」
「あっ、あの柔らかいお肉!」
愕然とするアンちゃんとシャーリーさんに、義兄さんは勝ち誇った顔をします。義兄さん、そういうところですよ。もうひとつモテない原因は。
「うぅ……わたしはなんて贅沢を……!」
「はっはっはっ」
「っつうか、どうしてロイドは皮とか脂とかばっか食いたがるんだよ」
「うるせぇ。他にもモツだって食いたいわいっ!」
「モツ?」
「臓物のことだ、臓物。内臓だ」
「ええぇ! ロイドさん、それはぁ……」
「ロイドさぁ、それじゃ獣じゃねぇかよ……」
アンちゃんの困った視線と、シャーリーさんの呆れた視線が義兄さんをチクチク刺します。
「うっ、うるさぁい! 上手に処理できるんだったら肉よりも美味いんだぞ! いいだろう、一週間待ってください。そしたら食べさせてやりますよ、本物のモツ煮込みってやつをね!」
義兄さん、なんで敬語なんでしょう?
「モツ煮込み……臓物の煮物……そ、そう。それを食べなければ、姉妹にはしてもらえないのね……!」
いや、ルピスさん。そういう話はしていませんよ?
……なんなんでしょうね、このカオス。
我関せずでお鍋を食べているゴブさんたちがとても知的に見える、宴の夜でした。
応援ありがとうございます!
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