義妹ビッチと異世界召喚

Merle

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4章

60-2. 清蒸燻魚・迷子風 アルカ

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 義兄さんが蒸籠の蓋を取った途端に、もわもわっと吹き上がった蒸気の塊が、わたしと義兄さんの顔を包み込んできます。

「あ、すごいエスニック」
「中華なんだけどな、いちおう」
「エスニックって中華と近くありませんでしたっけ?」
「それは物理的な距離の話か?」

 わたしは可愛く小首を傾げているのに、義兄さんは馬鹿を見る目でこっちを見てきています。義兄さんはもうちょっと、わたしに優しくてもいいんじゃありませんかね?
 そう思って睨み返しても、義兄さんの目はもう、わたしではなくて蒸籠の中に向けられています。釈然としませんけど、わたしも立ち上る香りに惹かれて視線を蒸籠に落としました。

「すんすん……やっぱりエスニックの香りですねぇ」
「まあ、中華の材料をひとつも使ってないからな」

 義兄さんはそう返事をしながら手を動かして、蒸籠が載っている鍋をよいしょと持ち上げ、竈の横に退かしました。

「竈がもうひとつあるといいな。というか、調理開始の前に竈を組んでおけばよかったんだよな。段取りが悪い。これだから行き当たりばったりは……」

 ぶつぶつと自分に向かって文句を付けながら、義兄さんは別の小鍋に油を張って火にかけます。薪の位置で火の強さを調整する姿もすっかり、様になっています。
 この油はどっちの油でしょう?
 いま、我が家の洞窟に貯蔵している油は、獣の脂肪を煮て漉したラード的なものと、ナッツ的な果物(種実でしたっけ?)を布で包んで叩いて搾ったものの二種類です。油にするのに手間がかかるのはどちらも同じですけど、ナッツの採取量的な問題で植物油のほうが希少品になっています。
 小鍋から立ち上ってくる香りからして、植物油のようです。ちなみに、ナッツ的な植物はいくつか種類があるのですけど、面倒なので全部まとめて油を搾っています。そのせいか、温めた植物油からは、ナッツ風味を付けたサラダ油、という感じのマイルドな香りがしています。
 お昼時にはまだ早いんですけど、この香りを嗅いでいると小腹が空いてきますね……。

「義兄さん、これって……」
「おまえの分もあるから安心しろ」
「やった♥」
「っつうか、おまえの分を作らなかったら俺が村八分にされるっての」

 ふんっと鼻を鳴らして、仕方ないから作ってやったんだ、みたいな雰囲気を醸し出そうとする義兄さん。でも、それがだって、わたしはちゃんと分ってますよ。

「……なんだ、その顔は」
「年頃の男子は面倒可愛いですねぇって思ってる顔ですよぅ」
「生意気な!」

 義兄さんは面白くなさそうな顰めっ面をもっと顰めながら、煙が出そうなほどかんかんに熱した油を、蒸籠から大皿に移した蒸し魚にまわしかけました。
 じゅわっと良い音をさせて、良い匂いが膨れ上がります。

「ん……んん? 良い匂いなんですけど……」

 鼻腔に吸い込んだ香ばしさに混ざっているのは、ナッツと燻製とマイルドなガーリック、それに酸っぱいワインのような香りでしょうか。

「この香り、なんといいますか……アオザイを着たインド人がスコッチ片手に中国語のラジオを聞きながら英字新聞を読んでいるような?」
「いや、どういうイメージだよ? 多国籍かよ」
「というか無国籍? 国際問題?」
「いや本当、どういうイメージだよ……」
「あ、難民かも」

 イメージにすごいぴったりの単語が見つかって、笑顔です。でも義兄さんは、またしても顰めっ面です。眉間の皺が癖になっても知りませんよ。

「難民の香りって、少なくとも褒め言葉ではないよな」
「帰る場所がない、土台がない、ぐらぐらしている……そんな香りです」

 ああ……自分で言っていて、よりももっと相応しい単語に気がついちゃいました。
 義兄さんです。そして、わたしです。
 帰りたい場所の料理を、頭の中にならいくらでも思い描けるのに、それを形にしようとすると似て非なるものにしかなってくれない……そんな悲哀とジレンマを香りにしたら、こうなるんだなって思いました。

「……つまり、美味そうには思えない、か」
「あ、だからと言って食べたくないわけじゃないですからねっ」

 自嘲気味に言った義兄さんに、わたしは素早く念押ししておきました。
 変わった香りですねぇと思っただけで、不味そうと思ったわけではないのです。だから試食はするのです。

「へぇへぇ」

 呆れた様子の義兄さんがまだ湯気を立てている大皿を食卓に運んでいくのについていき、最後の数歩をささっと先回りして着席すると、ちょうど目の前にお皿が置かれました。

「あれ? こうして食卓に座って嗅いでみると、これはこれで美味しそうな香りじゃないですか」
「また現金な鼻だな」
「結局、ひとに作ってもらうご飯は美味しい、の法則ですね」
「現金なのは性根のほうだったか」

 義兄さん、さっきから言いたい放題ですね。あまり顔に出していないだけで、難民の香りと言われたことを密かに怒っているのでしょうか? ……うん、怒りますよね、普通。
 でもまあ、謝ったりするのは実食してからの話です。
 箸は、義兄さんの料理助手としてすっかり定着しているゴブさんが、わたしが着席したタイミングで箸置きと一緒に用意してくれていました。
 この箸置きは、木切れの形を整えてから樹液と植物油を擦り込んで磨いたもの……だそうです。こういう小物類が充実してくると、文明度が上がったのだと実感できますね。

「では、いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」

 正面に座った義兄さんのぞんざいな返事を聞きながら、「清蒸燻魚チンジョンシュンユィ迷子風ア・ラ・ミネット」に箸を付けました。名前はいま、わたしが付けました。はい、適当ですとも!
 さて、気になる清蒸燻魚のお味ですが……

「……あ、はい。香りで想像していた通りのお味ですね。でも、最後にかけた熱々の油がいい仕事をしてますね。皮がパリッと、身がしっとりと仕上がっていますし、色んな味が油の中に溶け込んで一体となった感がありますね。ですが、魚の本来の淡泊な味わいが薬味の風味を受け止め切れていないんですよね。燻製にしてあることで辛うじて主張していますけど……煙の風味が、これ、他の風味とちょっと喧嘩しているかも? 素直にお肉でやったほうが美味しかったかも……、……あっ」

 ヤバいです。うっかり調子に乗って、思ったことをそのまま言っちゃいました。
 こういうのをオブラートに包んで喋るくらいの知恵はあるはずなのに、義兄さん相手だと思うとつい気が緩んでしまうのです……って言ったら、義兄さんは「しょうがないなぁ」と笑ってくれるでしょうかね……?

「……ごめんな」
「あ……」

 義兄さんは肩を落として、雨に濡れた仔犬のように俯いちゃっていました。ガチへこみです……。

「にっ、義兄さん、ごめんなさい。違うんです、不味いとかじゃないんです。っていうか試作品なんですよね? なら、むしろ最初からこのくらい食べられるものになっているのは凄いことですよ。それに、これからもっと美味しくできるということじゃないですか! そういう将来性まで加味したら、文句なしに美味しいです!」
「有瓜……おまえに悪気はないと分っているけど、おまえはいま、俺の傷口に塩をがりがり擦り込んでいる最中だからな」
「ええぇッ!?」

 義兄さんは俯いたまま視線だけを上げて、恨めしそうに睨んできました。わたしは頑張って言い直したつもりだったのですが、逆効果だったみたいです……。
 義兄さんが、はあぁ、と盛大な溜め息を吐きました。

「実際、ありものを適当に組み合わせてみただけだからな。それで簡単に美味いものができるんなら苦労はしないか」

 どうやら、味の批評に納得してくれたみたいです。よかった……と思って油断したら、また失言しちゃいました。

「そうですよ。は成功の母って言いますし、次はもう少しマシなものが作れますよ!」
「……」
「……あっ」

 慌てて口元を押さえてみたけれど、後の祭りです。

「……」
「えっと、食べられないわけじゃないんですよ? あ、ほら、好みの問題ですよ」
「……」
「っていうか、そうでした。わたし、悪阻つわりですよ。最近すっかり治ったなぁって思ってましたけど、まだちょっと悪阻つわってたんですよ!」
「……」
「え、ええとぉ……義兄さん、元気出して。あっ、じゃあ、気分転換にゴブさんたちと一緒に身体を動かしてきたらどうですか?」
「……それは悪気があって言ってるだろ」
「はい?」

 義兄さんの目がますます怖い感じになりました……え、何故に?

「おまえもどうせ気づいているんだろ。俺がいま、ラヴィニエに合わせる顔がないってことに」
「あー……なんだかぎくしゃくしているなぁとは思ってましたけど、理由までは知りませんからね」

 わたしは他人の人間関係にまで踏み込むつもり、ないのです。
 ……義兄さんのほうから相談を持ちかけてくるのだったら話は別ですよ。そのときは全力で話を聞きますとも。わたしに何ができるかは分りませんけど。

「義兄さん、話したいんだったら聞きます――ああ、違いますね」

 わたしは頭を振って、途中まで口にした言葉を払い除けると、言い直しました。

「話してください、義兄さん。わたし、聞きたいです。相談してほしいです」
「有瓜……!」

 義兄さんの瞳がうるっと揺らめきました。

「あ、いまの理想の妹っぽかったです? 感涙しちゃいます?」
「有瓜……」

 さっきと同じ台詞なのに、温度が見違えて冷え冷えでした。
 はい、いまのはわたしが悪いです。でも、あんな感激した顔を見せてきた義兄さんも悪いんです。あんな顔されたら、わたしの中の悪戯心が弾けちゃうのは不可避だというのに……!

「えっと……冗談は置いといて――じゃあ、はい。相談をどうぞ。聞きますよ!」
「もう、する気が失せたわ!」
「ですよねぇ」

 我ながら酷いタイミングで茶化しちゃったと思いますもん。

「いまのは本当ごめんなさい。でもでもっ、相談に乗りたいのは本当ですよっ!」
「なら、なんで茶化したかな!?」
「それは……」
「それは?」
「義兄さんが可愛い反応するから、つい……てへっ♥」
「つい、かよ!」

 ぱちぱちと可愛く瞬きしながら小首を傾げてみたのですけど、義兄さんは笑って許してくれませんでした。でも、怒っているわけでもないのが、微妙に緩んでいる口元で丸分かりです。

「はぁ……まったく、おまえは……」

 義兄さんの溜め息はわざとらしすぎて、笑っちゃいそうになります。これ以上、話をややこしくする気もないので、我慢しますけど。

「なんだよ、その顔」
「反省している顔でーす」
「反省しているなら語尾を伸ばすな」
「わっ、それオヤジっぽーい」
「だから……はぁ」

 あ、今度の溜め息は自然ですね。なんて思いながら頬笑んだら、ふいに義兄さんからも微笑み返されました。

「相談、もういいや」
「ん……?」

 そう告げてきた義兄さんの顔は穏やかに頬笑んでいたから、一瞬、聞き間違えたのかと思いました。
 わたしのきょとんとした顔が面白かったのか、義兄さんの微笑からが抜けて、くっくっと肩を震わせて笑い始めました。

「なっ、なんですかぁ!?」

 失礼な義兄さんに、食卓に身を乗り出して憤慨です。

「ああ、言い方が悪かったか――もう相談に乗ってもらったからいいや、と言ったんだ」
「……んん? やっぱり、さっぱり意味分らんです」

 身を乗り出したまま小首を傾げるわたしの頭に、義兄さんの手がぽんと置かれて、

「失敗は成功の母、だろ。ありがとな」
「……はい」

 頭を撫でながら、ありがとう、と頬笑む――そんなイケメンムーブを義兄さんがするなんて……するなんて……。

「義兄さん、立派になりましたね。妹として感無量です」
「俺もおまえがなんて言葉を知っていたことに感無量だよ」
「義兄さん。わたしは金髪ブロンドじゃなくて黒髪ナデシコですよ?」
「金髪女が馬鹿っていうのは……ああ、日本だとあながち偏見でもないのか?」
「偏見の見本みたいな発言ですね」

 ふぅ……下らないことを言っていたおかげで、頬の火照りも収まりました。危ない、危ない。

「というか、なんで金髪の話になったんだよ……俺は普通に、相談に乗ってもらったお礼を言っただけなのに」
「さぁ、なんででしょうね。わたしも分りません」

 肩を竦めて聞き流しつつ、まだ途中だった食事を再開させます。
 なんだかんだ文句を付けましたけど、不思議な風味に慣れてくると、悪くないお味です。そういえば、果物のソースがかかったステーキを初めて食べたときも、最初の一口目は違和感があって上手に味わえませんでしたけど、三口目くらいからは普通に美味しさが理解できるようになりましたっけ。
 少し冷めてしまった清蒸を一口一口、味わいながら食べていると、義兄さんの独り言が耳に聞こえてきます。

「失敗は成功の母、な。美味いものが一発で作れなくても、作らなくちゃ上達しない。作っていれば、そのうち多少はマシなものができる。……落ち込んで会わないようにしていても、勝手に上手くいったりしないか」

 ……わたし、そこまで深い意味で言ったつもりはないんですけど、でもまあ、義兄さんがイイ感じに感銘を受けてくれていますし、いいかぁ。あ、これこそですね。

「有瓜?」

 わたし上手いこと言いました、という内心が顔に出でもしたのか、義兄さんが不思議そうにわたしを見てきます。

「いえ、ただ……性交で失敗すると母になりますよね、と思っただけです」
「……聞かなきゃよかったよ」
「言わぬが花でしたね」
「その使い方は間違っているような……ああ、どうでもいいや」

 ははっ、と笑う義兄さんに、わたしも目を細めて上品に追従笑いしたのでした。

 ●

 義兄さんはそれからすぐ、食べ終わった皿を前にして膨れたお腹を擦っているわたしを残して、ラヴィニエさんがいるだろう河原のほうへと行こうとしました。
 だけど、そのときです。
 辺りの見回りに出ていた忍者ゴブさんが、ただでさえ無愛想な顔に緊迫感を漂わせて駆け込んできて、わたしたちに告げました。
 いつかの騎士たちみたいな連中が麓のほうからやってきている、という急報でした。
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