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4章
55-2. ラヴィニエさんの常識講座2 アルカ
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「さて――先ほどは、騎士と貴族について、お話ししたのでしたか」
一息入れたところで、ラヴィニエさんが口調を改めて切り出しました。
「そうだったな。現在のこの国における騎士は、身分的には序列最下位の貴族だけど、実質的には平民に毛が生えた程度のものだ――だったか」
「はい、その理解でだいたい合っています。ただし言わせていただければ、我がアーメイ家は先祖代々、貴族の騎士たる義務を怠ったことのない由緒正しき家柄ですので、お間違いなきよう」
ラヴィニエさんは少し自慢げ、少し不服げ、な顔です。
たぶんですが、自分の家が由緒正しい家柄ことは自慢なのだけど、由緒正しくない家柄と同列に語られたことが……ううん、実際に同列であることが不服なのです――みたいな感じでしょうか。
でも、なんか想像つきます。真面目で要領の悪いひとは、不真面目なひとがポイ捨てするものを拾う役目になっちゃうんですよね。それで結局、世の中的には不真面目なひとのほうが得をしちゃうっていう。
しかも悪いことに、真面目な要領の悪いひとは、その状況でも全然平気なんですよ。だって、自分が真面目でいられれば他は興味ない、っていうひとたちですから。自分たちがそんなだから世の中に不真面目なひとが蔓延るんだ、なんて考えもしないんですよね。
……ちょっと、いま関係ない愚痴でした。
「ラヴィニエさん、わたしは真面目なひと、好きですよ」
好きか嫌いかで言ったら好きなんですよ、本当に。
「え……あ、ぅ……あ、ありがとうございます……」
少し不意打ち告白しただけで耳まで真っ赤になっちゃうラヴィニエさんは、好きか嫌いかで言ったら大好きですねっ♥
「んんっ……ええと、騎士の話でしたね」
ラヴィニエさんはわざとらしく咳払いをして、話を戻します。そこに義兄さんが乗っかりました。
「そう言えばさ、騎士というからにはラヴィニエも馬に乗れるんだよな」
「はい、無論です。騎馬に跨がる権利を認められた者だから、騎士は騎士なのです。騎乗のできぬ騎士などいません」
義兄さんとラヴィニエさんのやり取りを聞いて、ついつい騎乗位するラヴィニエさんを想像したけれど、言わなかったわたしは偉いで……んん? あれ? なんでしょう、この違和感は?
首を傾げるわたしと、興味津々の目つきで聞き入っているアンちゃんを横に、義兄さんとラヴィニエさんは話を続けます。
「なるほど……馬に乗ることは貴族にだけ許された権利で、平民は馬に乗れない法律になっているとか、そういうことか?」
「ええ、そうです。故にこそ、現代の下請け騎士は平民のままではなく、貴族身分として取り立てられているのです」
……んんっ? あれれ? わたし、何か違和感を感じていますよ? でも、何がんんっなのかが分からない……とか眉根を寄せている間にも、義兄さんとラヴィニエさんの騎士トークは続いています。
「その下請け騎士の身分は血筋で継承されていくのか? それとも、騎士に任命された本人一代限り?」
「……表向きは一代限りだったかと」
「ということは、実質継承されているのか」
「結局、そのほうがお互いに都合が良いですからね。ただし、馬は本家の貴族が押さえていて、下請け騎士たちに貸し出す形にしているのがほとんどです」
「なるほど。馬は騎士の特権であり、象徴でもあり、それを押さえていれば下請け騎士は逆らえないし、飼い慣らすのも容易い。んで、飼い慣らした騎士の子供なら、もっと飼い慣らしやすい――か」
「身も蓋もない言い方をすれば、そうなりますね。さらに言いますと、本家貴族に逆らえば、本家から委任されている騎士の身分を剥奪されますので、逆らうことは最初から不可能です」
「それはやり方次第じゃないのか? 例えば……他の貴族に庇護を求めて、いまの本家から騎士身分を剥奪されたら、その貴族に委任してもらう――とかさ」
「ああ、そういった事例でしたら、過去にあったはずです。本家の男に妻を辱められた下請け騎士が、他の貴族に後援されて復讐を果たした後、自分から騎士身分を元の本家に返上して、後援してくれた貴族から改めて騎士身分を委任された――そんな話が、私が子供の頃にありましたね」
「復讐劇か。それ、元の本家と新しい本家の間で確執があって、下請け騎士の復讐劇というか美談というかは、その確執を誤魔化すために広められたんだって気もするな」
「はは……実際その通りだったようです。下請け騎士はお膳立てされた復讐劇を演じただけだったようで」
「事実は小説よりも奇なり、か」
「その言いまわし、言い得て妙ですね」
「やっぱり変です!」
そう大声で言ったのは、わたしです。
「巫女様?」
「アルカさん?」
「有瓜……何だよ、いきなり」
三人三様の言葉で、わたしを見つめてきます。
不思議そうな二人と違って、義兄さんの目つきは胡散臭げです。ちょっとムカつきましたけど、義兄さんは無視して進めます。
「ラヴィニエさん、騎士って十回言ってください」
「……は?」
「十回、騎士って、言ってください」
「有瓜――」
「義兄さんは黙って!」
口出ししようとした義兄さんを黙らせて、ラヴィニエさんをじっと見つめます。ラヴィニエさんは一瞬びくっと息を呑みましたけど、すぐに言う通りにしてくれました。
「騎士、騎士、騎士――」
と指を折りつつ十回言い終わると、これでいいのですか、と言いたげな顔でわたしを見てきます。
「じゃあ次は、ナイトと十回」
「巫女様――」
「言ってください」
「……ナイト、ナイト、ナイト――」
また十回言い終わって指示を待つラヴィニエさん。
「なあ、有瓜。これ本当に何の意味がある――」
「分かりました。ラヴィニエさんが喋っているの、これ、日本語です」
「――え」
わたしの言い放った言葉に、義兄さんは言葉を途中で遮られたことも忘れて、口をぽかんと開けて固まってしまいました。アンちゃんとラヴィニエさんがきょとんとしているのは、日本語という単語が伝わらなかった……ううん、分からなかったからでしょう。
「有瓜、どういうことだよ……」
「義兄さんは前に――こっちに来てすぐの頃、わたしと義兄さんがゴブさんたちと話せるのは、なんか不思議な力で自動翻訳されているからだ、みたいなふうに言ってましたよね」
「あ、ああ……」
「でも、いまラヴィニエさんが騎士と言ったときと、ナイトと言ったときの口の動きを見ていましたか? 騎士のときはキシ、ナイトのときはナイトって口になっていたんですよ」
「え……それって……」
「そうです。翻訳されているんじゃないです。ラヴィニエさんは、わたしたちが聞いているとおりの言葉を発音しているんです」
わたしが言い終えると、卓上はしんと静まり返りました。その沈黙を破ったのは、ラヴィニエさんでした。
「翻訳……発音……? それはどういう意味なのでしょうか……?」
「あ、そういえばラヴィニエさんには、わたしと義兄さんがどこから来たのか、まだ言ってませんでしたっけ」
そう言って義兄さんを見ると、義兄さんも、あっと顔を引き攣らせていました。
「言われてみると、何も話していないような気がするな……」
「はい、何も聞いておりません……が、気になってはおりました」
ラヴィニエさんがぽつぽつ話します。
「巫女様と従者様は、この辺りの人間とは見た目も雰囲気も異なります。それにゴブリンたちも、他のゴブリンとは見た目が違いすぎます。ですから、竜が飛来したのと前後して、どこか余所の土地から流れてきたのだろう――と考えてはおりました。ですが、私の忠誠はいまここにいる巫女様に捧げたのです。肩書きや出自に対してではありません。それ故、騎士として……共に暮らす者として気になってはおりましたが、お二人が打ち明けてくださるまでは、気にしている素振りを見せないようにしようと努めておりました」
なんと……ラヴィニエさん、そんなことを考えていたのですか……!
「なんだか気を遣わせちゃっていたのですね……ごめんなさいです。気づきませんでした」
「あ、いえ! 巫女様に謝っていただくようなことでは――!」
「とにかく、ちゃんとお話ししますね」
いいですよね、と義兄さんに目で問いかけると、義兄さんも頷いてくれました。
それからわたしは、わたしと義兄さんが日本――この世界から見たら異世界からやって来たことや、やって来てすぐにゴブさんたちと知り合ったことを話しました。
「異世界……それはさすがに予想の外でした……」
と言うわりには普通に見えます。
「ラヴィニエさん、なんか驚いてませんね。話した本人が言うのもなんですけど、わたしだったら、こんな話で騙されるかぁ! ……って怒っていたと思うんですけど」
「驚いておりますよ、とても。ただ、驚いている一方で、腑に落ちてもいるのです。……なるほど、異世界ですか。なるほど、それだけ荒唐無稽な来歴を持つのならば、言われなければゴブリンと思えないゴブリンを従え、竜と交流を持つような荒唐無稽も、なるほど道理ですね――と」
褒められているのか呆れられているのか、分かりにくい顔で言われました……。
「釈然としないけれど、まあいいや。すんなり納得してもらえて助かった」
義兄さんは聞き流すことにしたようで、それよりも、とアンちゃんを見ます。
「アン、おまえも何か喋ってみてくれ」
「えっ……いきなり喋れと言われましても、ええと……あっ、そうだ。あのですね、さっき洗濯をしにいく前にミソラを寝かしつけていたんですけど、わたしが“よし、ミソラ寝たなぁ”って思って立ち上がろうとしたら、わたしの指をきゅっと握って引き留めてきたんですよ。寝たままで。もう可愛かったですよぉ。まあ、思いの外、指を握ってくる力が強くて、びっくりしましたけどね。あっ、でも痣になるほどではなかったですよ、ほら」
アンちゃんはぺちゃくちゃ喋って、パーにした左手を見せてくれました。
あら、改めて見ると結構ささくれになっちゃってますね。義兄さんもお茶を作る暇があったら、ハンドクリームくらい作ってくれたらいいのに。
「あぁ……アンもだ。アンの口の動きも、発音とぴったり一致している……やっぱり、みんなが喋っているのは日本語だったんだ……」
あ、義兄さんったら、アンちゃんの唇ばっかり凝視していて、手を見てませんでしたね! ……って、あぁ! わたしはアンちゃんの唇を見ていませんでした! でもまぁ、義兄さんがそう言っているのなら、本当なのでしょう。
「アンちゃん、いままでずっと日本語を喋っていたんですか……?」
「え……分かりません……」
アンちゃんは涙目になって、ぷるぷると頭を振っています。実はわたしもよく分かっていないのですけど、それってどういうことなのでしょう……?
小首を傾げて義兄さんを見ます。
「うん……つまりだよ、この世界の――少なくとも、この国の人々はみんな、日本語を喋って……あっ、この国のと限定する必要はない! さっきラヴィニエが、近隣諸国の言葉は訛り程度にしか違わない、ほとんど同じものだ、と言っていた。だから、つまり、この世界? 大陸? とにかく、この国と交流のある範囲内は全部、日本語なんだよ。いや、ガチの大阪弁とか東北弁とか本当に同じ日本語かってくら聞き取れないけど――とにかく全部、日本語なんだよッ!!」
自分の言葉に興奮して、頬を上気させ、鼻息も高らかに捲し立てる義兄さん。確かに興奮するような大発見だと思いますけど、そんなに興奮されると、こっちは興奮できなくなっちゃいます。
視線を左右に向ければ、アンちゃんとラヴィニエさんもちょっと困った顔になっています。興奮の波、義兄さんが独り占めですよ。
「ああ、なんで気づかなかったんだろうな。こっちに来て一年だぞ、一年。一年間、俺は全く気がつかなかったって馬鹿だよなぁ。有瓜、よく気づいたよな。凄いよ、素直に凄い」
「それはどうもです」
「でもタイミング的に、最初にこっちで日本語を聞いたのって、ゴブリンたちが喋り出したときだっただろ。あれのせいで、ゴブリンが人間の言葉を話すわけがないんだから、これは異世界召喚にありがちな謎の翻訳能力が働いているんだ――と思っちゃったんだよな。あぁ、思い込みって怖いな」
義兄さんの早口が、なんだかわざとらしくなってきました。興奮の熱が抜けてきたら、今日までずっと翻訳だと信じ切っていたことが恥ずかしく思えてきて、言い訳しているんですね。分かりますよ、義兄さん。
「……有瓜、なんでニヤニヤしてるんだよ」
「いえ、べつに。必死に言い訳する義兄さん、惨め可愛いなぁ……とか思ってませんよ」
「……」
「わたしは気づいたのになぁ、とかも思ってませんよぅ」
「くっ! 一年間気づかなかったのは、おまえも同じだろ!」
「でも、わたしは一年で気づきました。義兄さんは気づかなかったけど。文字まで習っていたのに」
「文字! ああっ、そうだよ。ここの文字は結構覚えやすいなとは思っていたんだ。でもそれも、異世界召喚はそういうものだという思い込みがあって、スルーしていたんだ……っつか、そりゃ覚えやすいよな。文法が全く同じなんだから!」
おぉおぉ、悔しそうですこと。
「ふっふっふっ」
この勝利感、笑いが止まりませんね!
「あの、アルカさん……」
「おっと、アンちゃん。なんですか?」
「わたしたちがアルカさんたちと同じ言葉を喋っているのも、赤毛の姉妹にシャーリーとアンの名前を付ける風習を広めたのと同じひとのせいなのですか?」
「む……」
難しいことを訊かれてしまいました。
わたしが口を噤んだのを見て、いまがチャンスと、義兄さんがその話に乗っかりました。
「そうだな、アン。それは確かに興味深いな。例の文豪が生きていたのは、大陸を統一した英雄王が活躍した頃……だったっけ?」
「はい、その通りです」
ラヴィニエさんが頷くと、義兄さんもうんうんと大袈裟に頷きます。
「数百年だか昔、この大陸に俺たちと同じく日本から異世界召喚された男がいた。その男は、大陸を統一した王の配下となり、大陸の言語を統一せよと命令された。男は日本語を統一言語にするべく、お伽噺を始めとしたあらゆるジャンルの書物を日本語で執筆して、大陸中に広めた。そのために、男は文豪と呼ばれるようになったのでした――うんうん、ありそうな話じゃないか」
「確かに、ありそうですね……」
相槌を打ったのは、アンちゃんです。
「そうだろ、そうだろ!」
肯定されて嬉しげな義兄さんに、アンちゃんはにっこりと頬笑みました。その途端、義兄さんはなぜか、冷や水をかけられたみたいに笑顔を氷らせました。そんな兄さんの表情変化を目に留めもせず、アンちゃんはラヴィニエさんに話しかけます。
「騎士様。その文豪さんは百才まで生きて、死んだんですよね」
「……ああ、そうだ」
「え……」
義兄さんが目を見開かせたけれど、アンちゃんは気にしません。
「文豪さんが最後に書いた本を欲しがって、子供も孫も、一族みんなで殺し合って誰もいなくなっちゃった。全然関係ないひとが手にしたその本の内容は、自分が書いた最後の本を欲しがって一族みんなで殺し合ったのでした、っていうものだった……これも有名なお話なんですよね、騎士様」
「そうだな。よく知っているな」
「最近、村では紙芝居が人気なんですよ。このお話も紙芝居で見ました」
「紙芝居……ああ、あの読み聞かせですね。しかし、あの血生臭い話を子供に読み聞かせるのですか……」
「人気ですよ、偉いひとがいなくなっちゃうお話は」
「……それは治安維持の観点上、取り締まるべきなのでは……いや、いまの私には関係のないことか」
ラヴィニエさんが遠い目をしていますけど、わたしはわたしで、どうして急にアンちゃんがそんな話題を考えていて、その意図を察して、しょんぼりするのとホッとするのとを同時に味わっているところでした。
わたしたちと同じく日本からやって来た文豪さんは、日本に帰らなかったのです。帰れなかったのか、帰らなかったのか……そこが重要ですけど、たぶん帰れなかったのではないかな、と思います。
だって、最後に書いた本が、自分の子供や孫たちが自分の遺産を巡って殺し合う未来を予想して書いたものだなんて、皮肉にも程があるってものです。もしもこの世界を、この世界のひとと交わって生まれた自分の子孫を愛していたら、そんな皮肉を書き残す前に、もっとちゃんとお祖父ちゃんっぽいことをしていたはずです。
だから、文豪さんはこの世界がそんなに好きじゃなかった。日本に帰れるなら帰りたかった。それなのにこの世界で天寿を全うしたのは……。
「……帰りたくても帰れなかったんですね」
気持ちが声に出ました。呟きながら義兄さんを見ると、義兄さんもわたしを見ていました。その目を見れば、義兄さんもわたしと同じ考えに至ったのだと理解できました。
「帰れなかった……か……」
「まだ分かんないじゃないですか」
力なく笑った義兄さんに、なんだか呆れました。あと、少しイラッとしました。
「文豪さんが帰れなかったのか、帰らなかったのかなんて、本当のところは本人にしか分かんないことでしょ。それに、文豪さんが生きていた数百年前には無理だったことでも、いまなら出来るようになっていることだってあるはずです。なら、何もしないで落ち込む前に、まず何かして落ち込んでくださいよ。でないと、励ますわたしが馬鹿みたいじゃないですか」
「……ははっ」
わたしが眉毛をVの字にして怒っているのに、義兄さんは笑ってくれやがりました。
「有瓜に励まされてるのか、俺。いま、そんなに情けない顔してるか?」
「……いまはなんか、ちょっと苛つくにやにや顔をしてますね」
「そうか。じゃあ、もう落ち込んでないってことか……ははっ」
義兄さんはまた笑うと、わたしのほうに右手を伸ばしてきました。
「ひゃっ!?」
いきなりのことに、わたしは思わず仰け反ったのですけど、義兄さんの手はわたしではなく、わたしの手元で置きっぱなしになっていたお茶の湯飲みを掴みました。
「え……」
と惚けているわたしの正面で、義兄さんはお茶をぐびぐびと一気飲みして、ぷはっと息を吐いたと思ったら、両手で自分の頬をビンタしました。いい音がしました。絶対、痛いやつです。
「っ……うぅ……!」
一発で頬を真っ赤にした義兄さんは、目をきつく瞑って痛みに堪えています。
馬鹿だなぁ、と呆れていると、義兄さんは少し涙目になりながら話しかけてきました。
「有瓜、悪かったな、心配かけて」
「まったくです。猛省してくださいね」
「……そこは、べつに心配してませんでしたけど、みたいなことを言ってほしかったな」
「義兄さん……やっぱりもっと落ち込んでいたほうがいいかもですね」
「ははっ」
わたしは嫌味を言ったのに、義兄さんはまた笑いました。
「良いものだな、兄妹というのは」
ラヴィニエさんが微笑ましいものを見る目で、わたしと義兄さんを見ています。
「そうですね」
相槌を打つアンちゃんも頬笑んでいたけれど、どこか寂しげにも見えました。
●
それから後は、最初の議題だった「このへんの一般常識について」講座をラヴィニエさんにいっぱい話してもらいました。
ラヴィニエさんがいっぱい話して、義兄さんがいっぱい質問をして、わたしとアンちゃんはときどき相槌を打ちながら聞いているだけ――というパターンで進みました。
話がつまらなかったわけではありませんけど、義兄さんがとっても楽しげに質問タイムしていたので、空気を読んだのです。
アンちゃんも最後まで、にこにこと話を聞いていましたけれど、義兄さんを見るときの笑顔がなんか仮面っぽいというか……本心を隠しているような雰囲気がします。
わたしはあんまり同性の友達がいなかったタイプですけど、こういう雰囲気の同性に命の危機的な意味で追いかけられたりしたことはあります。おかげで、思い詰めている同性の雰囲気を嗅ぎ分けることは得意になったと思っています。
……アンちゃんからは、そこまで危険ではないけれど、ちょっと注意したほうがいいかも的な雰囲気が匂ってきています。ここでは逃げるわけにもいきませんし、手遅れになる前になんとか頑張ってみるしかないんですかね……。
義兄さんはアンちゃんの視線に少しも気づいていないみたいで、頼りになりそうにありませんし!
……わたしの気合いは、翌日の朝には枯れ果てました。
あれがとうとう、やって来たのです。
あれが――悪阻が……。
一息入れたところで、ラヴィニエさんが口調を改めて切り出しました。
「そうだったな。現在のこの国における騎士は、身分的には序列最下位の貴族だけど、実質的には平民に毛が生えた程度のものだ――だったか」
「はい、その理解でだいたい合っています。ただし言わせていただければ、我がアーメイ家は先祖代々、貴族の騎士たる義務を怠ったことのない由緒正しき家柄ですので、お間違いなきよう」
ラヴィニエさんは少し自慢げ、少し不服げ、な顔です。
たぶんですが、自分の家が由緒正しい家柄ことは自慢なのだけど、由緒正しくない家柄と同列に語られたことが……ううん、実際に同列であることが不服なのです――みたいな感じでしょうか。
でも、なんか想像つきます。真面目で要領の悪いひとは、不真面目なひとがポイ捨てするものを拾う役目になっちゃうんですよね。それで結局、世の中的には不真面目なひとのほうが得をしちゃうっていう。
しかも悪いことに、真面目な要領の悪いひとは、その状況でも全然平気なんですよ。だって、自分が真面目でいられれば他は興味ない、っていうひとたちですから。自分たちがそんなだから世の中に不真面目なひとが蔓延るんだ、なんて考えもしないんですよね。
……ちょっと、いま関係ない愚痴でした。
「ラヴィニエさん、わたしは真面目なひと、好きですよ」
好きか嫌いかで言ったら好きなんですよ、本当に。
「え……あ、ぅ……あ、ありがとうございます……」
少し不意打ち告白しただけで耳まで真っ赤になっちゃうラヴィニエさんは、好きか嫌いかで言ったら大好きですねっ♥
「んんっ……ええと、騎士の話でしたね」
ラヴィニエさんはわざとらしく咳払いをして、話を戻します。そこに義兄さんが乗っかりました。
「そう言えばさ、騎士というからにはラヴィニエも馬に乗れるんだよな」
「はい、無論です。騎馬に跨がる権利を認められた者だから、騎士は騎士なのです。騎乗のできぬ騎士などいません」
義兄さんとラヴィニエさんのやり取りを聞いて、ついつい騎乗位するラヴィニエさんを想像したけれど、言わなかったわたしは偉いで……んん? あれ? なんでしょう、この違和感は?
首を傾げるわたしと、興味津々の目つきで聞き入っているアンちゃんを横に、義兄さんとラヴィニエさんは話を続けます。
「なるほど……馬に乗ることは貴族にだけ許された権利で、平民は馬に乗れない法律になっているとか、そういうことか?」
「ええ、そうです。故にこそ、現代の下請け騎士は平民のままではなく、貴族身分として取り立てられているのです」
……んんっ? あれれ? わたし、何か違和感を感じていますよ? でも、何がんんっなのかが分からない……とか眉根を寄せている間にも、義兄さんとラヴィニエさんの騎士トークは続いています。
「その下請け騎士の身分は血筋で継承されていくのか? それとも、騎士に任命された本人一代限り?」
「……表向きは一代限りだったかと」
「ということは、実質継承されているのか」
「結局、そのほうがお互いに都合が良いですからね。ただし、馬は本家の貴族が押さえていて、下請け騎士たちに貸し出す形にしているのがほとんどです」
「なるほど。馬は騎士の特権であり、象徴でもあり、それを押さえていれば下請け騎士は逆らえないし、飼い慣らすのも容易い。んで、飼い慣らした騎士の子供なら、もっと飼い慣らしやすい――か」
「身も蓋もない言い方をすれば、そうなりますね。さらに言いますと、本家貴族に逆らえば、本家から委任されている騎士の身分を剥奪されますので、逆らうことは最初から不可能です」
「それはやり方次第じゃないのか? 例えば……他の貴族に庇護を求めて、いまの本家から騎士身分を剥奪されたら、その貴族に委任してもらう――とかさ」
「ああ、そういった事例でしたら、過去にあったはずです。本家の男に妻を辱められた下請け騎士が、他の貴族に後援されて復讐を果たした後、自分から騎士身分を元の本家に返上して、後援してくれた貴族から改めて騎士身分を委任された――そんな話が、私が子供の頃にありましたね」
「復讐劇か。それ、元の本家と新しい本家の間で確執があって、下請け騎士の復讐劇というか美談というかは、その確執を誤魔化すために広められたんだって気もするな」
「はは……実際その通りだったようです。下請け騎士はお膳立てされた復讐劇を演じただけだったようで」
「事実は小説よりも奇なり、か」
「その言いまわし、言い得て妙ですね」
「やっぱり変です!」
そう大声で言ったのは、わたしです。
「巫女様?」
「アルカさん?」
「有瓜……何だよ、いきなり」
三人三様の言葉で、わたしを見つめてきます。
不思議そうな二人と違って、義兄さんの目つきは胡散臭げです。ちょっとムカつきましたけど、義兄さんは無視して進めます。
「ラヴィニエさん、騎士って十回言ってください」
「……は?」
「十回、騎士って、言ってください」
「有瓜――」
「義兄さんは黙って!」
口出ししようとした義兄さんを黙らせて、ラヴィニエさんをじっと見つめます。ラヴィニエさんは一瞬びくっと息を呑みましたけど、すぐに言う通りにしてくれました。
「騎士、騎士、騎士――」
と指を折りつつ十回言い終わると、これでいいのですか、と言いたげな顔でわたしを見てきます。
「じゃあ次は、ナイトと十回」
「巫女様――」
「言ってください」
「……ナイト、ナイト、ナイト――」
また十回言い終わって指示を待つラヴィニエさん。
「なあ、有瓜。これ本当に何の意味がある――」
「分かりました。ラヴィニエさんが喋っているの、これ、日本語です」
「――え」
わたしの言い放った言葉に、義兄さんは言葉を途中で遮られたことも忘れて、口をぽかんと開けて固まってしまいました。アンちゃんとラヴィニエさんがきょとんとしているのは、日本語という単語が伝わらなかった……ううん、分からなかったからでしょう。
「有瓜、どういうことだよ……」
「義兄さんは前に――こっちに来てすぐの頃、わたしと義兄さんがゴブさんたちと話せるのは、なんか不思議な力で自動翻訳されているからだ、みたいなふうに言ってましたよね」
「あ、ああ……」
「でも、いまラヴィニエさんが騎士と言ったときと、ナイトと言ったときの口の動きを見ていましたか? 騎士のときはキシ、ナイトのときはナイトって口になっていたんですよ」
「え……それって……」
「そうです。翻訳されているんじゃないです。ラヴィニエさんは、わたしたちが聞いているとおりの言葉を発音しているんです」
わたしが言い終えると、卓上はしんと静まり返りました。その沈黙を破ったのは、ラヴィニエさんでした。
「翻訳……発音……? それはどういう意味なのでしょうか……?」
「あ、そういえばラヴィニエさんには、わたしと義兄さんがどこから来たのか、まだ言ってませんでしたっけ」
そう言って義兄さんを見ると、義兄さんも、あっと顔を引き攣らせていました。
「言われてみると、何も話していないような気がするな……」
「はい、何も聞いておりません……が、気になってはおりました」
ラヴィニエさんがぽつぽつ話します。
「巫女様と従者様は、この辺りの人間とは見た目も雰囲気も異なります。それにゴブリンたちも、他のゴブリンとは見た目が違いすぎます。ですから、竜が飛来したのと前後して、どこか余所の土地から流れてきたのだろう――と考えてはおりました。ですが、私の忠誠はいまここにいる巫女様に捧げたのです。肩書きや出自に対してではありません。それ故、騎士として……共に暮らす者として気になってはおりましたが、お二人が打ち明けてくださるまでは、気にしている素振りを見せないようにしようと努めておりました」
なんと……ラヴィニエさん、そんなことを考えていたのですか……!
「なんだか気を遣わせちゃっていたのですね……ごめんなさいです。気づきませんでした」
「あ、いえ! 巫女様に謝っていただくようなことでは――!」
「とにかく、ちゃんとお話ししますね」
いいですよね、と義兄さんに目で問いかけると、義兄さんも頷いてくれました。
それからわたしは、わたしと義兄さんが日本――この世界から見たら異世界からやって来たことや、やって来てすぐにゴブさんたちと知り合ったことを話しました。
「異世界……それはさすがに予想の外でした……」
と言うわりには普通に見えます。
「ラヴィニエさん、なんか驚いてませんね。話した本人が言うのもなんですけど、わたしだったら、こんな話で騙されるかぁ! ……って怒っていたと思うんですけど」
「驚いておりますよ、とても。ただ、驚いている一方で、腑に落ちてもいるのです。……なるほど、異世界ですか。なるほど、それだけ荒唐無稽な来歴を持つのならば、言われなければゴブリンと思えないゴブリンを従え、竜と交流を持つような荒唐無稽も、なるほど道理ですね――と」
褒められているのか呆れられているのか、分かりにくい顔で言われました……。
「釈然としないけれど、まあいいや。すんなり納得してもらえて助かった」
義兄さんは聞き流すことにしたようで、それよりも、とアンちゃんを見ます。
「アン、おまえも何か喋ってみてくれ」
「えっ……いきなり喋れと言われましても、ええと……あっ、そうだ。あのですね、さっき洗濯をしにいく前にミソラを寝かしつけていたんですけど、わたしが“よし、ミソラ寝たなぁ”って思って立ち上がろうとしたら、わたしの指をきゅっと握って引き留めてきたんですよ。寝たままで。もう可愛かったですよぉ。まあ、思いの外、指を握ってくる力が強くて、びっくりしましたけどね。あっ、でも痣になるほどではなかったですよ、ほら」
アンちゃんはぺちゃくちゃ喋って、パーにした左手を見せてくれました。
あら、改めて見ると結構ささくれになっちゃってますね。義兄さんもお茶を作る暇があったら、ハンドクリームくらい作ってくれたらいいのに。
「あぁ……アンもだ。アンの口の動きも、発音とぴったり一致している……やっぱり、みんなが喋っているのは日本語だったんだ……」
あ、義兄さんったら、アンちゃんの唇ばっかり凝視していて、手を見てませんでしたね! ……って、あぁ! わたしはアンちゃんの唇を見ていませんでした! でもまぁ、義兄さんがそう言っているのなら、本当なのでしょう。
「アンちゃん、いままでずっと日本語を喋っていたんですか……?」
「え……分かりません……」
アンちゃんは涙目になって、ぷるぷると頭を振っています。実はわたしもよく分かっていないのですけど、それってどういうことなのでしょう……?
小首を傾げて義兄さんを見ます。
「うん……つまりだよ、この世界の――少なくとも、この国の人々はみんな、日本語を喋って……あっ、この国のと限定する必要はない! さっきラヴィニエが、近隣諸国の言葉は訛り程度にしか違わない、ほとんど同じものだ、と言っていた。だから、つまり、この世界? 大陸? とにかく、この国と交流のある範囲内は全部、日本語なんだよ。いや、ガチの大阪弁とか東北弁とか本当に同じ日本語かってくら聞き取れないけど――とにかく全部、日本語なんだよッ!!」
自分の言葉に興奮して、頬を上気させ、鼻息も高らかに捲し立てる義兄さん。確かに興奮するような大発見だと思いますけど、そんなに興奮されると、こっちは興奮できなくなっちゃいます。
視線を左右に向ければ、アンちゃんとラヴィニエさんもちょっと困った顔になっています。興奮の波、義兄さんが独り占めですよ。
「ああ、なんで気づかなかったんだろうな。こっちに来て一年だぞ、一年。一年間、俺は全く気がつかなかったって馬鹿だよなぁ。有瓜、よく気づいたよな。凄いよ、素直に凄い」
「それはどうもです」
「でもタイミング的に、最初にこっちで日本語を聞いたのって、ゴブリンたちが喋り出したときだっただろ。あれのせいで、ゴブリンが人間の言葉を話すわけがないんだから、これは異世界召喚にありがちな謎の翻訳能力が働いているんだ――と思っちゃったんだよな。あぁ、思い込みって怖いな」
義兄さんの早口が、なんだかわざとらしくなってきました。興奮の熱が抜けてきたら、今日までずっと翻訳だと信じ切っていたことが恥ずかしく思えてきて、言い訳しているんですね。分かりますよ、義兄さん。
「……有瓜、なんでニヤニヤしてるんだよ」
「いえ、べつに。必死に言い訳する義兄さん、惨め可愛いなぁ……とか思ってませんよ」
「……」
「わたしは気づいたのになぁ、とかも思ってませんよぅ」
「くっ! 一年間気づかなかったのは、おまえも同じだろ!」
「でも、わたしは一年で気づきました。義兄さんは気づかなかったけど。文字まで習っていたのに」
「文字! ああっ、そうだよ。ここの文字は結構覚えやすいなとは思っていたんだ。でもそれも、異世界召喚はそういうものだという思い込みがあって、スルーしていたんだ……っつか、そりゃ覚えやすいよな。文法が全く同じなんだから!」
おぉおぉ、悔しそうですこと。
「ふっふっふっ」
この勝利感、笑いが止まりませんね!
「あの、アルカさん……」
「おっと、アンちゃん。なんですか?」
「わたしたちがアルカさんたちと同じ言葉を喋っているのも、赤毛の姉妹にシャーリーとアンの名前を付ける風習を広めたのと同じひとのせいなのですか?」
「む……」
難しいことを訊かれてしまいました。
わたしが口を噤んだのを見て、いまがチャンスと、義兄さんがその話に乗っかりました。
「そうだな、アン。それは確かに興味深いな。例の文豪が生きていたのは、大陸を統一した英雄王が活躍した頃……だったっけ?」
「はい、その通りです」
ラヴィニエさんが頷くと、義兄さんもうんうんと大袈裟に頷きます。
「数百年だか昔、この大陸に俺たちと同じく日本から異世界召喚された男がいた。その男は、大陸を統一した王の配下となり、大陸の言語を統一せよと命令された。男は日本語を統一言語にするべく、お伽噺を始めとしたあらゆるジャンルの書物を日本語で執筆して、大陸中に広めた。そのために、男は文豪と呼ばれるようになったのでした――うんうん、ありそうな話じゃないか」
「確かに、ありそうですね……」
相槌を打ったのは、アンちゃんです。
「そうだろ、そうだろ!」
肯定されて嬉しげな義兄さんに、アンちゃんはにっこりと頬笑みました。その途端、義兄さんはなぜか、冷や水をかけられたみたいに笑顔を氷らせました。そんな兄さんの表情変化を目に留めもせず、アンちゃんはラヴィニエさんに話しかけます。
「騎士様。その文豪さんは百才まで生きて、死んだんですよね」
「……ああ、そうだ」
「え……」
義兄さんが目を見開かせたけれど、アンちゃんは気にしません。
「文豪さんが最後に書いた本を欲しがって、子供も孫も、一族みんなで殺し合って誰もいなくなっちゃった。全然関係ないひとが手にしたその本の内容は、自分が書いた最後の本を欲しがって一族みんなで殺し合ったのでした、っていうものだった……これも有名なお話なんですよね、騎士様」
「そうだな。よく知っているな」
「最近、村では紙芝居が人気なんですよ。このお話も紙芝居で見ました」
「紙芝居……ああ、あの読み聞かせですね。しかし、あの血生臭い話を子供に読み聞かせるのですか……」
「人気ですよ、偉いひとがいなくなっちゃうお話は」
「……それは治安維持の観点上、取り締まるべきなのでは……いや、いまの私には関係のないことか」
ラヴィニエさんが遠い目をしていますけど、わたしはわたしで、どうして急にアンちゃんがそんな話題を考えていて、その意図を察して、しょんぼりするのとホッとするのとを同時に味わっているところでした。
わたしたちと同じく日本からやって来た文豪さんは、日本に帰らなかったのです。帰れなかったのか、帰らなかったのか……そこが重要ですけど、たぶん帰れなかったのではないかな、と思います。
だって、最後に書いた本が、自分の子供や孫たちが自分の遺産を巡って殺し合う未来を予想して書いたものだなんて、皮肉にも程があるってものです。もしもこの世界を、この世界のひとと交わって生まれた自分の子孫を愛していたら、そんな皮肉を書き残す前に、もっとちゃんとお祖父ちゃんっぽいことをしていたはずです。
だから、文豪さんはこの世界がそんなに好きじゃなかった。日本に帰れるなら帰りたかった。それなのにこの世界で天寿を全うしたのは……。
「……帰りたくても帰れなかったんですね」
気持ちが声に出ました。呟きながら義兄さんを見ると、義兄さんもわたしを見ていました。その目を見れば、義兄さんもわたしと同じ考えに至ったのだと理解できました。
「帰れなかった……か……」
「まだ分かんないじゃないですか」
力なく笑った義兄さんに、なんだか呆れました。あと、少しイラッとしました。
「文豪さんが帰れなかったのか、帰らなかったのかなんて、本当のところは本人にしか分かんないことでしょ。それに、文豪さんが生きていた数百年前には無理だったことでも、いまなら出来るようになっていることだってあるはずです。なら、何もしないで落ち込む前に、まず何かして落ち込んでくださいよ。でないと、励ますわたしが馬鹿みたいじゃないですか」
「……ははっ」
わたしが眉毛をVの字にして怒っているのに、義兄さんは笑ってくれやがりました。
「有瓜に励まされてるのか、俺。いま、そんなに情けない顔してるか?」
「……いまはなんか、ちょっと苛つくにやにや顔をしてますね」
「そうか。じゃあ、もう落ち込んでないってことか……ははっ」
義兄さんはまた笑うと、わたしのほうに右手を伸ばしてきました。
「ひゃっ!?」
いきなりのことに、わたしは思わず仰け反ったのですけど、義兄さんの手はわたしではなく、わたしの手元で置きっぱなしになっていたお茶の湯飲みを掴みました。
「え……」
と惚けているわたしの正面で、義兄さんはお茶をぐびぐびと一気飲みして、ぷはっと息を吐いたと思ったら、両手で自分の頬をビンタしました。いい音がしました。絶対、痛いやつです。
「っ……うぅ……!」
一発で頬を真っ赤にした義兄さんは、目をきつく瞑って痛みに堪えています。
馬鹿だなぁ、と呆れていると、義兄さんは少し涙目になりながら話しかけてきました。
「有瓜、悪かったな、心配かけて」
「まったくです。猛省してくださいね」
「……そこは、べつに心配してませんでしたけど、みたいなことを言ってほしかったな」
「義兄さん……やっぱりもっと落ち込んでいたほうがいいかもですね」
「ははっ」
わたしは嫌味を言ったのに、義兄さんはまた笑いました。
「良いものだな、兄妹というのは」
ラヴィニエさんが微笑ましいものを見る目で、わたしと義兄さんを見ています。
「そうですね」
相槌を打つアンちゃんも頬笑んでいたけれど、どこか寂しげにも見えました。
●
それから後は、最初の議題だった「このへんの一般常識について」講座をラヴィニエさんにいっぱい話してもらいました。
ラヴィニエさんがいっぱい話して、義兄さんがいっぱい質問をして、わたしとアンちゃんはときどき相槌を打ちながら聞いているだけ――というパターンで進みました。
話がつまらなかったわけではありませんけど、義兄さんがとっても楽しげに質問タイムしていたので、空気を読んだのです。
アンちゃんも最後まで、にこにこと話を聞いていましたけれど、義兄さんを見るときの笑顔がなんか仮面っぽいというか……本心を隠しているような雰囲気がします。
わたしはあんまり同性の友達がいなかったタイプですけど、こういう雰囲気の同性に命の危機的な意味で追いかけられたりしたことはあります。おかげで、思い詰めている同性の雰囲気を嗅ぎ分けることは得意になったと思っています。
……アンちゃんからは、そこまで危険ではないけれど、ちょっと注意したほうがいいかも的な雰囲気が匂ってきています。ここでは逃げるわけにもいきませんし、手遅れになる前になんとか頑張ってみるしかないんですかね……。
義兄さんはアンちゃんの視線に少しも気づいていないみたいで、頼りになりそうにありませんし!
……わたしの気合いは、翌日の朝には枯れ果てました。
あれがとうとう、やって来たのです。
あれが――悪阻が……。
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