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4章
55-1. ラヴィニエさんの常識講座2 アルカ
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洞窟に入ってすぐの日陰で赤ちゃん二人の面倒を見つつまったりしていたら、洗濯を終えたアンちゃんが戻ってきました。
義兄さん、ラヴィニエさん、ゴブさんたちも一緒です。みんなは河原でチャンバラごっこしていたそうです。ちょうど稽古が終わって水浴びしていたところにアンちゃんがやってきて、みんなで洗濯を手伝ったのだとか。
なんか羨ましい。わたしも一緒に水遊びしたかったです。
「子守も大切な仕事っすから。それに、姐さんだって身重なんすから、河原まで洗濯物を持ってえっちらおっちらなんて、させられませんって」
わたしと一緒に子守していたシャーリーさんが苦笑します。
「むぅ……でもまあ確かに、このお腹は思ったよりも重たいですからねぇ」
自分のお腹を撫でてみると、便秘かな、なんて冗談めかした感想も抱けないくらいにはぽっこりと膨らんじゃっています。まだ動けないほどではないですけれども、自重は大事ですよね。
「でもそっか。これから暑くなるのに、水浴びに行けなくなるんですね……」
それを思うと、いまから暑さが倍増する気分です。
「姐さん。水くらい、あたいらがいくらでも汲んできますって」
「ありがとうです。たぶん、遠慮とかしないんで本当によろしくです」
「任せてくださいっす!」
そんな会話をしていると、洞窟前の広場から義兄さんとラヴィニエさんの話し声が聞こえてきました。
「ラヴィニエ、さっきの話の続きを聞かせてくれるか?」
「もちろんです」
「じゃあ、こっちの木陰で」
「はい」
「あ、わたしも一緒にいいですか?」
二人の会話に飛び入りしたのはアンちゃんの声です。
「ああ、いいぞ」
「ちょっと待った、義兄さん!」
わたしは洞窟の中から声を張り上げました。
だって、ずるいじゃないですか。義兄さんとラヴィニエさん、二人だけで話したいというのなら、わたしだって遠慮しますよ。でも、アンちゃんも混ざっていいような話だったら、わたしだって混ぜて欲しいですよ。
「義兄さん、義兄さん。わたしも一緒にお話聞きたいです!」
「有瓜? いいけど、おまえが聞いて面白いかは分かんないぞ」
「そんなの、聞いてみなくちゃ分かんないじゃないですか。つまんなかったら勝手に戻りますし」
「ん……了解。好きにしてくれ」
苦笑する義兄さんについていって、わたし、義兄さん、ラヴィニエさん、アンちゃんの四人で洞窟入り口から少し離れた木陰に移動しました。洞窟内で話さないのは、中で赤ちゃん二人がお昼寝しているからです。そちらのお守りは、シャーリーさんが引き受けてくれました。
「面白い話だったら、後でアンから聞くっす」
……とのことでした。
わたしたち四人が腰を下ろした木陰には、木工趣味に目覚めたゴブさん(義兄さん命名、大工ゴブさん!)が練習に作った椅子が何脚かと、真ん中に太い足が一本の丸テーブルがあって、ちょっとしたオープンテラスみたいになっています。この季節は、ここでお茶するのが一番の贅沢です。
ちなみに、最近は木陰の隅っこがユタカちゃんの定位置になっていて、いまもそこで体育座りで微睡んでいます。
「それで、義兄さんたちは何のお話をしていたんです?」
四人で卓を囲んだところで、わたしが一番に口を開きました。
答えてくれたのは、わたしの正面に座る義兄さんです。
「常識について、ラヴィニエに色々と話を聞かせてもらっていたんだよ。まあ、途中でラヴィニエに急用ができて、話が中途半端になってしまったから、こうして改めて話してもらうことにしたんだ」
「急用ですか?」
気になったので訊いてみたのですけど、ラヴィニエさんにはすっと目を逸らされちゃいました。わたしには言いたくない用事だったのでしょうか?
義兄さんとアンちゃんに目顔で問いかけてみると、義兄さんは作り笑いで誤魔化そうとしましたが、アンちゃんが普通に答えてくれました。
「騎士様は、訓練が終わったゴブリンさんが水浴びする前に大急ぎでくんくんしにいったんですよ」
「あぁ……なるほど、それは急用でしたね」
わたし、納得です。
「あ、うぅ……!」
ラヴィニエさんは顔を真っ赤に茹だらせて俯いちゃいました。
「アン、言ってやるなよ」
「はぁい」
義兄さんがアンちゃんを窘めていますが、アンちゃんはどこ吹く風って顔してます。
義兄さん、ちょっと舐められてますねっ。ここはひとつ、わたしが義兄さんに代わって、がつんと言いましょう。
「アンちゃん、駄目ですよ。いくら、ラヴィニエさんが汗を掻いた後のゴブさんの、とくに戦士ゴブさんの蒸れ蒸れ巨根にお鼻を埋めてくんくんするのが大好きな、騎士っていうか匂いフェチわんこだというのが、みんな知っている周知の事実というやつだとしても――ラヴィニエさん本人は賢者タイムになると恥ずかしさで蹲っちゃうんですから、言わないであげる優しさを持たなくちゃ駄目ですよっ!」
「ううぅッ!!」
あ、ラヴィニエさんがテーブルに突っ伏しちゃいました……。
「アルカさん、容赦ないです……」
「え、え?」
「有瓜……そこまで言うことないだろ……」
「ええぇ!?」
……あれ? これ、わたしが悪い流れです?
「ラヴィニエさん、違いますよ。わたしはラヴィニエさんを弁護しようと思っただけなんですよ!」
「有瓜、そっとしておいてやってくれ。彼女いま、死ぬほど賢者タイムなんだ」
「ああぁ……私は恥ずかしい牝犬です。父上、姉上、申し訳御座いません……!」
「違うんですよ、ラヴィニエさん。戻ってきてくださぁい!」
突っ伏したまま謝り始めたラヴィニエさんを宥めようと、あたふたするわたし。なぜかアンちゃんが、生温かい目でこちらを見守っています。お母さんになって以来、母性に拍車が掛かっている気がします。そして義兄さんは義兄さんで、苦笑しながら見ているだけです。何なんでしょうかね、この状況は!
結局、ラヴィニエさんが気を取り直したのは、最近料理を頑張っている忍者ゴブさん(義兄さん命名、板前ゴブさん!)が運んできてくれたお茶を飲んでからでした。ついでに言いますと、お茶のコップは持ち手がないので、湯飲みって感じです。
済んだ琥珀色のお茶は神官さんが魔術で冷やしてくれたみたいで、一口飲んだラヴィニエさんは満足げな吐息を漏らします。
「ふぅ……初めて飲んだお茶ですが、ほのかな甘味がとても美味しいですね」
「そのお茶は俺たちが作った自家製なんだ。俺としても良い出来だと思っていたから、ラヴィニエの口にも合ったのは嬉しいね」
義兄さん、嬉しげです。
「なんと、自家製ですか」
「とある植物の根っこだか根茎だかなんだけど、本来は生薬として用いられていたものなんだ。でも、生や乾燥させただけのものを煎じたのだと、えぐくて堪ったもんじゃないんだ。ところが、試しにユタカに食べさせてみたら、この根っこは他のものと違って腐葉土のようにならず、形を残して排泄されたんだよ。しかも、そうして排泄された葉っぱからはえぐ味が抜けて、むしろ円やかな甘味と深みが具わるようになっていたんだ。きっとユタカの消化液には、この根っこのえぐ味を分解する酵素が含まれているんだろうな。で、そうやってユタカで発酵処理した根っこを陰干しして、砕いて、煮出したのが、このお茶なんだ。――いやぁ、飲めるようになるまで苦労しただけに、美味しいと言ってもらえると素直に嬉しいよ」
説明する義兄さんの顔は得意げですが、ラヴィニエさんの笑顔は途中から引き攣っていました。
「うん、どうした?」
ラヴィニエさんの顔色に気づいた義兄さんが尋ねると、彼女はぎこちなく視線を横にやって、ユタカちゃんを見ます。
「その……ユタカというのは、あの幼女のことでしたよね……」
「ああ、そうだ」
なんでもない顔で告げる義兄さん。対照的に、ラヴィニエさんの顔は引き攣っていく。
「つ、つまり、このお茶は……あの子の、その、は――排泄、物を、漉したもの……なのでしょう、か……」
「ああ、そうだ」
「……」
あ、ラヴィニエさんが泣きそうになってます。
分かります、その気持ち。だってわたしも、このお茶(義兄さん命名、ウコン茶!)を飲む勇気がまだありませんから! このお茶を平気な顔でごくごく飲んでいるのは、義兄さんとゴブさんたちだけですから!
「そ、その……ユタカ、様は……このお茶を他人に飲まれることを、どう思っているのでしょうか……?」
「ユタカに様は要らないと思うけど、べつに気にしていないと思うぞ――ほら」
恐る恐る問いかけたラヴィニエさんに、義兄さんはぐりんと振り返って、木陰の隅で体育座りしているユタカちゃんを目で指しました。
「ほらな。ユタカの寝顔、嬉しそうだろ」
お芝居めいたイイ笑顔です。思わずわたし、口を挟みました。
「義兄さん、それは論理的じゃないです」
「有瓜の口から、論理的、なんて言葉が……!」
「そこ驚くところじゃないですよね。っていうか誤魔化そうとしても駄目ですよ。ユタカちゃんにこのお茶を飲ませようとしたら、靴下を嗅がされた犬みたいな顔で嫌がられたじゃないですか。ラヴィニエさんにもそのこと、ちゃんと教えないとフェアじゃないですよね? わたし、間違ってます?」
「いや、間違ってないよ。でも、それは酵母が自分で作ったアルコールを摂取しないのと同じ話であって、趣向や好き嫌いとは別次元の生理的な話であって、ユタカが飲みたがらなかったからといって、このお茶が人間に飲めないものだということの証明にはならないのであって――」
「はい、そうですね♥」
あんまり言い訳が長いので、ぶち切っちゃいました。
「お座なり! っつか、そういうあしらい方をアンに教えるなよ!」
「はいはい、そうですねー」
「くっ……いいさ、べつに。飲みたくなきゃ、飲みたくないで。きっと健康にもいいのに、俺たちだけで味わってや――」
義兄さんのいじけた発言が尻切れになったのは、アンちゃんが自分の手元に置かれていたお茶の湯飲みを両手で捧げ持って、琥珀色のお茶をこくっこくっと飲み始めたからでした。
アンちゃんも、わたしやシャーリーさんと同じく、今日までこのお茶を敬遠していた組だったのに、どうした心境の変化なのでしょう……。
「ん……んっ……あ、美味しい。ロイドさん、このお茶、本当に美味しいです」
「あ、あぁ、そうだろ。美味しいよな!」
「はい」
ふふっと頬笑むアンちゃん。
……なんでしょう? この、そこはかとなく醸し出されている、二人だけで通じ合っている感は。昨日の今日で、二人の間に何かあったのですかね? やだ、ちょっと気になります……!
「……そうですね。確かに美味しいですし、それに一度飲んだのですし……んっ」
ラヴィニエさんが一度置いた湯飲みを持ち上げます。お茶をちびりと口に含んで、噛むようにゆっくり味わって、こくんと飲み干しました。
「あぁ……やはり、美味しい。余計なことを考えなければ、とても美味しいですね……」
自分に聞かせるように呟きながら、二口、三口と、ちびちび飲んでいきます。そこまではおずおずといった感じでしたが、口を付けているうちに慣れたのか、四口目は普通にこくんと飲んでいました。
「そうだろ、そうだろ」
義兄さん、ご満悦です。
「だいたい、ほら、コーヒーにもあったよな。コーヒーの実を食べたジャコウネコの糞から採った豆で淹れたコーヒーって。飲んだことないけど、あれって高級品なんだろ? このウコン茶だって、それと同じだ。むしろ、どっちかと言えば植物寄りのユタカの糞ほうが、ジャコウネコの糞よりも糞っぽさは下だから、こっちのほうがいいだろ」
「義兄さん、糞糞言い過ぎです。二人を見て」
「――あ」
アンちゃんとラヴィニエさんの二人とも、義兄さんの言葉に顔を引き攣らせていました。分かりますよ、その気持ち。製法に目を瞑って飲んでいるものを、糞だ糞だと言われたら、そりゃあそういう顔になっちゃいますよね。湯飲みを持つ手が強張っちゃいますよね。
「あ……と、ごめん。お茶の席でする話じゃなかったな」
「全くです。猛省してくださいねっ」
何かと義兄さんに遠慮しがちな二人に代わって、わたしがしっかり怒ってあげました。
「はい、そうですね」
「……義兄さん。何ですか、そのお座なりな返事は? 真面目に反省しないなら、わたし、怒りますよ!?」
「おまえの真似しただけだろ」
「うわっ、うざっ! ウザい! 義兄さん、それ最高にウザいやつですよ!!」
「いま一番ウザいのはおまえだよ。俺はラヴィニエに話があるんだ。これ以上、邪魔をするのなら――」
「あ、しません。お口チャックします」
わたしは素直に、指で唇をなぞるジェスチャーまで付けて、口を閉じました。
実際のところ、いまのは自分でも、わたしちょーうぜー、って思いましたので……。
義兄さん、ラヴィニエさん、ゴブさんたちも一緒です。みんなは河原でチャンバラごっこしていたそうです。ちょうど稽古が終わって水浴びしていたところにアンちゃんがやってきて、みんなで洗濯を手伝ったのだとか。
なんか羨ましい。わたしも一緒に水遊びしたかったです。
「子守も大切な仕事っすから。それに、姐さんだって身重なんすから、河原まで洗濯物を持ってえっちらおっちらなんて、させられませんって」
わたしと一緒に子守していたシャーリーさんが苦笑します。
「むぅ……でもまあ確かに、このお腹は思ったよりも重たいですからねぇ」
自分のお腹を撫でてみると、便秘かな、なんて冗談めかした感想も抱けないくらいにはぽっこりと膨らんじゃっています。まだ動けないほどではないですけれども、自重は大事ですよね。
「でもそっか。これから暑くなるのに、水浴びに行けなくなるんですね……」
それを思うと、いまから暑さが倍増する気分です。
「姐さん。水くらい、あたいらがいくらでも汲んできますって」
「ありがとうです。たぶん、遠慮とかしないんで本当によろしくです」
「任せてくださいっす!」
そんな会話をしていると、洞窟前の広場から義兄さんとラヴィニエさんの話し声が聞こえてきました。
「ラヴィニエ、さっきの話の続きを聞かせてくれるか?」
「もちろんです」
「じゃあ、こっちの木陰で」
「はい」
「あ、わたしも一緒にいいですか?」
二人の会話に飛び入りしたのはアンちゃんの声です。
「ああ、いいぞ」
「ちょっと待った、義兄さん!」
わたしは洞窟の中から声を張り上げました。
だって、ずるいじゃないですか。義兄さんとラヴィニエさん、二人だけで話したいというのなら、わたしだって遠慮しますよ。でも、アンちゃんも混ざっていいような話だったら、わたしだって混ぜて欲しいですよ。
「義兄さん、義兄さん。わたしも一緒にお話聞きたいです!」
「有瓜? いいけど、おまえが聞いて面白いかは分かんないぞ」
「そんなの、聞いてみなくちゃ分かんないじゃないですか。つまんなかったら勝手に戻りますし」
「ん……了解。好きにしてくれ」
苦笑する義兄さんについていって、わたし、義兄さん、ラヴィニエさん、アンちゃんの四人で洞窟入り口から少し離れた木陰に移動しました。洞窟内で話さないのは、中で赤ちゃん二人がお昼寝しているからです。そちらのお守りは、シャーリーさんが引き受けてくれました。
「面白い話だったら、後でアンから聞くっす」
……とのことでした。
わたしたち四人が腰を下ろした木陰には、木工趣味に目覚めたゴブさん(義兄さん命名、大工ゴブさん!)が練習に作った椅子が何脚かと、真ん中に太い足が一本の丸テーブルがあって、ちょっとしたオープンテラスみたいになっています。この季節は、ここでお茶するのが一番の贅沢です。
ちなみに、最近は木陰の隅っこがユタカちゃんの定位置になっていて、いまもそこで体育座りで微睡んでいます。
「それで、義兄さんたちは何のお話をしていたんです?」
四人で卓を囲んだところで、わたしが一番に口を開きました。
答えてくれたのは、わたしの正面に座る義兄さんです。
「常識について、ラヴィニエに色々と話を聞かせてもらっていたんだよ。まあ、途中でラヴィニエに急用ができて、話が中途半端になってしまったから、こうして改めて話してもらうことにしたんだ」
「急用ですか?」
気になったので訊いてみたのですけど、ラヴィニエさんにはすっと目を逸らされちゃいました。わたしには言いたくない用事だったのでしょうか?
義兄さんとアンちゃんに目顔で問いかけてみると、義兄さんは作り笑いで誤魔化そうとしましたが、アンちゃんが普通に答えてくれました。
「騎士様は、訓練が終わったゴブリンさんが水浴びする前に大急ぎでくんくんしにいったんですよ」
「あぁ……なるほど、それは急用でしたね」
わたし、納得です。
「あ、うぅ……!」
ラヴィニエさんは顔を真っ赤に茹だらせて俯いちゃいました。
「アン、言ってやるなよ」
「はぁい」
義兄さんがアンちゃんを窘めていますが、アンちゃんはどこ吹く風って顔してます。
義兄さん、ちょっと舐められてますねっ。ここはひとつ、わたしが義兄さんに代わって、がつんと言いましょう。
「アンちゃん、駄目ですよ。いくら、ラヴィニエさんが汗を掻いた後のゴブさんの、とくに戦士ゴブさんの蒸れ蒸れ巨根にお鼻を埋めてくんくんするのが大好きな、騎士っていうか匂いフェチわんこだというのが、みんな知っている周知の事実というやつだとしても――ラヴィニエさん本人は賢者タイムになると恥ずかしさで蹲っちゃうんですから、言わないであげる優しさを持たなくちゃ駄目ですよっ!」
「ううぅッ!!」
あ、ラヴィニエさんがテーブルに突っ伏しちゃいました……。
「アルカさん、容赦ないです……」
「え、え?」
「有瓜……そこまで言うことないだろ……」
「ええぇ!?」
……あれ? これ、わたしが悪い流れです?
「ラヴィニエさん、違いますよ。わたしはラヴィニエさんを弁護しようと思っただけなんですよ!」
「有瓜、そっとしておいてやってくれ。彼女いま、死ぬほど賢者タイムなんだ」
「ああぁ……私は恥ずかしい牝犬です。父上、姉上、申し訳御座いません……!」
「違うんですよ、ラヴィニエさん。戻ってきてくださぁい!」
突っ伏したまま謝り始めたラヴィニエさんを宥めようと、あたふたするわたし。なぜかアンちゃんが、生温かい目でこちらを見守っています。お母さんになって以来、母性に拍車が掛かっている気がします。そして義兄さんは義兄さんで、苦笑しながら見ているだけです。何なんでしょうかね、この状況は!
結局、ラヴィニエさんが気を取り直したのは、最近料理を頑張っている忍者ゴブさん(義兄さん命名、板前ゴブさん!)が運んできてくれたお茶を飲んでからでした。ついでに言いますと、お茶のコップは持ち手がないので、湯飲みって感じです。
済んだ琥珀色のお茶は神官さんが魔術で冷やしてくれたみたいで、一口飲んだラヴィニエさんは満足げな吐息を漏らします。
「ふぅ……初めて飲んだお茶ですが、ほのかな甘味がとても美味しいですね」
「そのお茶は俺たちが作った自家製なんだ。俺としても良い出来だと思っていたから、ラヴィニエの口にも合ったのは嬉しいね」
義兄さん、嬉しげです。
「なんと、自家製ですか」
「とある植物の根っこだか根茎だかなんだけど、本来は生薬として用いられていたものなんだ。でも、生や乾燥させただけのものを煎じたのだと、えぐくて堪ったもんじゃないんだ。ところが、試しにユタカに食べさせてみたら、この根っこは他のものと違って腐葉土のようにならず、形を残して排泄されたんだよ。しかも、そうして排泄された葉っぱからはえぐ味が抜けて、むしろ円やかな甘味と深みが具わるようになっていたんだ。きっとユタカの消化液には、この根っこのえぐ味を分解する酵素が含まれているんだろうな。で、そうやってユタカで発酵処理した根っこを陰干しして、砕いて、煮出したのが、このお茶なんだ。――いやぁ、飲めるようになるまで苦労しただけに、美味しいと言ってもらえると素直に嬉しいよ」
説明する義兄さんの顔は得意げですが、ラヴィニエさんの笑顔は途中から引き攣っていました。
「うん、どうした?」
ラヴィニエさんの顔色に気づいた義兄さんが尋ねると、彼女はぎこちなく視線を横にやって、ユタカちゃんを見ます。
「その……ユタカというのは、あの幼女のことでしたよね……」
「ああ、そうだ」
なんでもない顔で告げる義兄さん。対照的に、ラヴィニエさんの顔は引き攣っていく。
「つ、つまり、このお茶は……あの子の、その、は――排泄、物を、漉したもの……なのでしょう、か……」
「ああ、そうだ」
「……」
あ、ラヴィニエさんが泣きそうになってます。
分かります、その気持ち。だってわたしも、このお茶(義兄さん命名、ウコン茶!)を飲む勇気がまだありませんから! このお茶を平気な顔でごくごく飲んでいるのは、義兄さんとゴブさんたちだけですから!
「そ、その……ユタカ、様は……このお茶を他人に飲まれることを、どう思っているのでしょうか……?」
「ユタカに様は要らないと思うけど、べつに気にしていないと思うぞ――ほら」
恐る恐る問いかけたラヴィニエさんに、義兄さんはぐりんと振り返って、木陰の隅で体育座りしているユタカちゃんを目で指しました。
「ほらな。ユタカの寝顔、嬉しそうだろ」
お芝居めいたイイ笑顔です。思わずわたし、口を挟みました。
「義兄さん、それは論理的じゃないです」
「有瓜の口から、論理的、なんて言葉が……!」
「そこ驚くところじゃないですよね。っていうか誤魔化そうとしても駄目ですよ。ユタカちゃんにこのお茶を飲ませようとしたら、靴下を嗅がされた犬みたいな顔で嫌がられたじゃないですか。ラヴィニエさんにもそのこと、ちゃんと教えないとフェアじゃないですよね? わたし、間違ってます?」
「いや、間違ってないよ。でも、それは酵母が自分で作ったアルコールを摂取しないのと同じ話であって、趣向や好き嫌いとは別次元の生理的な話であって、ユタカが飲みたがらなかったからといって、このお茶が人間に飲めないものだということの証明にはならないのであって――」
「はい、そうですね♥」
あんまり言い訳が長いので、ぶち切っちゃいました。
「お座なり! っつか、そういうあしらい方をアンに教えるなよ!」
「はいはい、そうですねー」
「くっ……いいさ、べつに。飲みたくなきゃ、飲みたくないで。きっと健康にもいいのに、俺たちだけで味わってや――」
義兄さんのいじけた発言が尻切れになったのは、アンちゃんが自分の手元に置かれていたお茶の湯飲みを両手で捧げ持って、琥珀色のお茶をこくっこくっと飲み始めたからでした。
アンちゃんも、わたしやシャーリーさんと同じく、今日までこのお茶を敬遠していた組だったのに、どうした心境の変化なのでしょう……。
「ん……んっ……あ、美味しい。ロイドさん、このお茶、本当に美味しいです」
「あ、あぁ、そうだろ。美味しいよな!」
「はい」
ふふっと頬笑むアンちゃん。
……なんでしょう? この、そこはかとなく醸し出されている、二人だけで通じ合っている感は。昨日の今日で、二人の間に何かあったのですかね? やだ、ちょっと気になります……!
「……そうですね。確かに美味しいですし、それに一度飲んだのですし……んっ」
ラヴィニエさんが一度置いた湯飲みを持ち上げます。お茶をちびりと口に含んで、噛むようにゆっくり味わって、こくんと飲み干しました。
「あぁ……やはり、美味しい。余計なことを考えなければ、とても美味しいですね……」
自分に聞かせるように呟きながら、二口、三口と、ちびちび飲んでいきます。そこまではおずおずといった感じでしたが、口を付けているうちに慣れたのか、四口目は普通にこくんと飲んでいました。
「そうだろ、そうだろ」
義兄さん、ご満悦です。
「だいたい、ほら、コーヒーにもあったよな。コーヒーの実を食べたジャコウネコの糞から採った豆で淹れたコーヒーって。飲んだことないけど、あれって高級品なんだろ? このウコン茶だって、それと同じだ。むしろ、どっちかと言えば植物寄りのユタカの糞ほうが、ジャコウネコの糞よりも糞っぽさは下だから、こっちのほうがいいだろ」
「義兄さん、糞糞言い過ぎです。二人を見て」
「――あ」
アンちゃんとラヴィニエさんの二人とも、義兄さんの言葉に顔を引き攣らせていました。分かりますよ、その気持ち。製法に目を瞑って飲んでいるものを、糞だ糞だと言われたら、そりゃあそういう顔になっちゃいますよね。湯飲みを持つ手が強張っちゃいますよね。
「あ……と、ごめん。お茶の席でする話じゃなかったな」
「全くです。猛省してくださいねっ」
何かと義兄さんに遠慮しがちな二人に代わって、わたしがしっかり怒ってあげました。
「はい、そうですね」
「……義兄さん。何ですか、そのお座なりな返事は? 真面目に反省しないなら、わたし、怒りますよ!?」
「おまえの真似しただけだろ」
「うわっ、うざっ! ウザい! 義兄さん、それ最高にウザいやつですよ!!」
「いま一番ウザいのはおまえだよ。俺はラヴィニエに話があるんだ。これ以上、邪魔をするのなら――」
「あ、しません。お口チャックします」
わたしは素直に、指で唇をなぞるジェスチャーまで付けて、口を閉じました。
実際のところ、いまのは自分でも、わたしちょーうぜー、って思いましたので……。
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