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3章
50-2. 竜が啼き、騎士は堕ち、家族は増えない ロイド
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「もーほんっっと! 最悪でしたよっ!!」
戦士ゴブリンの背負子に揺られて帰ってきた有瓜は、背負子から飛び降りるなり、喚き始めた。
「義兄さん、ちょっと聞いてください。最悪だったんですからもう!」
「何が最悪だったんだ?」
俺が合いの手を入れると、有瓜は待ってましたと言わんばかりの顔をする。
「あの竜ですよ、ドラゴン! あいつ、わたしが目の前まで行ってもまだ寝てたんです。それでも、わたしも最初は理性的だったんですよ。“おーい”とか“起きてくださーい”とか優しく呼びかけていたんです、最初は」
「でも、起きなかったんだな」
「そーなんです! あのお馬鹿ドラゴン、いくら呼んでも起きないどころか、私を鼻息で吹き飛ばしてくれやがったんですよ! 信じられます!?」
「鼻息……って、吹き飛ばした!? お腹は無事だったのか!?」
心配が先走って問い質したけれど、言っている途中で気づいた。無事でなかったら、いまこんなふうに喋ってはいない。
「無事でしたよ。すぐ後ろにゴブさんがいて、すてんといったところ受け止めてもらいましたから」
「そうか、良かった……」
無事だろうと気づいていても、有瓜自身に言ってもらうと改めて安心する。俺は自分で思っていたよりも心配していたらしい。口を衝いた溜め息は思いの外、大きかった。
「それで、どうやって竜を起こしたんだ?」
安心したら、そちらに興味が飛ぶ。竜は空に舞い上がって火球を吐いたのだから、有瓜はどうにかして竜を起こしたわけだ。どうやって起こしたのだろうか。
「蹴っ飛ばしました」
「……ん?」
前後の脈絡が繋がらなくて聞き返したら、有瓜は唇を尖らせた。
「だから、蹴っ飛ばしてやったんですよ。寝ぼすけドラゴンの鼻面を、思いっきり!」
「……竜を蹴ったのか!」
驚きすぎて恐怖すら覚えた。
あの、熟睡している姿ですらも恐ろしく圧倒的な、あの竜を……蹴った? 俺やゴブリンたちでも恐ろしくて実行できないことを、有瓜はあっさりやってのけたのか。もう遅刻ギリギリの時間なのに起きてこない子供を叩き起こす母親のように、あっさりと――!
「有瓜……おまえ、怖いよ」
「えっ!? なんですか、それ。どこに対する感想です?」
「どこって、いや……おまえ、竜を蹴ろうなんて思えたな」
「だってあいつ、目をちらっと開けるようなこともしないで、鼻息で追い返そうとしたんですよ。いくらなんで酷すぎません? 無責任中出し男のくせに、ちょっと態度悪すぎでしょう!?」
「お、おう。そうだな、まあ」
有瓜の剣幕に負けて、俺は頷いてしまう。それを見た有瓜は、我が意を得たりと満足顔で言い切った。
「だから蹴ったんです」
「……そうか」
よく分かった。
有瓜にとってあの竜は、ただの寝ぼすけグータラ男でしかないのだということが、よく分かった。
「おまえはさすがだな」
「義兄さん、褒めるのなら無表情は止めてください」
「……」
「褒めるのを止めるんかーい!」
という漫才は脇に置いて、俺は話を本題に戻す。
「で、鼻面を蹴っ飛ばしたら、絶叫しながら起きたんだな」
「あ、はい」
有瓜は頷き、それからどうなったのかを話してくれた。話の途中で、有瓜に同行していた戦士たちも話に加わってきて、有瓜の話に注釈や訂正を入れてくれた。そうして聞き取った話をまとめると、こういう顛末だった。
有瓜に蹴られた竜は、戦士の一撃で傷ひとつ付かなかったのが嘘のように痛がったのだという。ここまで聞こえていたあの咆吼は、眠りを妨げられた怒りではなく、痛みに泣き喚く声だったようだ。竜の弱点というと逆鱗が相場だが、鼻も弱点なのだろうか。
それはともかく、しばらく叫んでいた竜は、自分を蹴り起こしたのが有瓜だと気がつくと、ほどなくして落ち着き、話を聞いてくれた。
「人間の騎士さんたちが来ていて困るので、もう起きてるから寝込みを襲うのは無理だぞ、ってところを一発分からせてやってください。あ、脅すだけですよ。怪我させるのはナシですよ」
『心得ておる。任せよ、吾に』
――といったふうに、とんとん拍子で話が済んで、後は俺もここから見た通りに、空へ舞い上がってドデカい火球を一発打ち上げるという示威行為をしてみせた、というわけだった。
その効果があったことは、すでに報告を得ている。有瓜たちにも伝えたら、ほっとした顔をしていた。
「それで、竜をどうしたんだ?」
俺が尋ねると、有瓜は小首を傾げた。
「どう?」
「いや、竜は起きたんだろ。なら、そのままどっかへ旅立ってくれたのか?」
生憎と、竜が火球を放った後、元の場所に戻ったのはここからも見えていた。それからしばらく見つめていたけれど、竜がどこかへ飛び去る姿は見ていない。だけど、じつは姿を消す魔術か瞬間移動の魔術だとかが使えるのかもしれない――と一縷の望みを込めて、有瓜に尋ねたわけだった。
「どこにも行ってませんよ」
有瓜の答えは無情だった。
「……なら、あの竜はいま何やってんだ?」
「寝てます」
「……は?」
起きたのに寝てるとは、これ如何に?
「二度寝しました」
「なるほど、理解した……いや、なんで二度寝だよ!?」
「おっ、義兄さんのノリツッコミ!」
「うるさいよ。んなことより――なんだよ、二度寝って」
もう何ヶ月も寝ておいて、やっと起きたかと思えば、また寝るときた。さすがに寝過ぎだろう……いや、それとも竜の時間感覚からすれば、数ヶ月の睡眠は人間にとっての転た寝にしかならなかったりするのか?
「やー、それがですねー」
有瓜の言によると、竜は有瓜に『吾はいまだ、プシュケが回復しておらなんだ』と語ったのだそうだ。
プシュケというのは初めて耳にした単語だが、要するに魔力らしい。
そういえば最近はとんとそういうことがなくなったけれど、神官も十ヶ月ほど前までは、ちょっと火を熾すだけでも顔色を悪くしていた。あれが魔力を枯渇させた状態であり、竜は現在、その状態だということか。
竜がさらに語ったことには、魔力には生物の臓器で作られて血のように体内を循環するプシュケと、自然界に遍在するピュシスとがあるのだとか。いまの竜は内在魔力を、子作り魔術のために使い尽くしてしまっていて、その回復のために自然魔力を吸収している最中なのだ――と、おそらくそういうことらしい。
「正直よく分かんないです」
「おらたつもだ」
有瓜と戦士たちは開き直った顔でそう言っていた。それでも、断片的ながら、みんなで少しずつ憶えてきてくれたおかげで、俺はそれらを継ぎ接ぎして先述のように理解したのだった。
だけど、いまいち分からないこともある。
「要するに疲労困憊だから、寝て体力を回復しているんだよな。それは分かったんだが……それにしたって寝過ぎじゃないか? まさか本当に、年単位で寝るのか?」
俺が首を傾げたら、有瓜がふいに遠くを見た。
「あー……それなんですがね、回復してきた魔力を全部、さっきの花火に使っちゃったとかで、また回復するまで眠るんですって」
「……どれくらい?」
「聞く前に二度寝しちゃったので、分かんないです。もう一回蹴っ飛ばして聞いておいたほうが良かったですかね?」
「いや、そこまではいいさ。回復した分を全部使ったってことは、同じくらい以上は寝るってことだろ。……というか、そこまで全力を出しくれなくても良かったよな。あんな核爆発みたいなヤバいのじゃなくて、本当に花火くらいので良かったのにさ」
「んー……」
俺が呆れ混じりに言うと、有瓜はまたしても、そして今度はもっとあからさまに遠くを見た。それでぴんと来た。
「有瓜……おまえが竜を焚きつけたのか」
「……いえほら、『心得ている』なんて格好つけたこと言うから、そんなこと言ってショボいことしかできないんじゃないですかね。派手なのは射精の勢いだけだったりしてねー……みたいなことをちょっと言ったら、なんかすっごいイキっちゃって……あはは」
「あはは、じゃねーよ……」
竜がまた何ヶ月も眠っていると知ったら、領主の息子殿がまた野心を刺激されてしまうかもしれない。そうでなくとも、他の野心家を呼び寄せてしまうかもしれない。
竜にはさっさとどこかへ飛び去ってもらうのが一番だったのに、有瓜が余計なことを言って焚きつけたせいで、それもまた数ヶ月単位……ひょっとしたら年単位で無理になってしまったのだ。俺が有瓜をじっとり睨んでも仕方がないといえよう。
「でっ、でもだって、あんな勿体つけた話し方をするドラゴンが、ちょーっと嫌味を言われたくらいで本気出すほど大人げないって思わないじゃないですか!」
「いや、思うよ。だってあいつ、ヤるだけヤって満足したら寝ちまうような奴だぞ。中二病を引き摺った大学生くらいにしか思えないだろ」
「む、知ってます。それ、同族嫌悪って言うんですよね」
「あ!?」
「あっ、なんでもないです」
……って、だからそんな漫才はいいんだよ!
「とにかく! ……竜はまた寝て、騎士団は逃げ帰った。ひとまずそっちは作戦成功、状況終了。後は……ああ、村のほうにも連絡しておかないとか」
「あ、それならゴブさんに走っていってもらってます」
「おお、ナイス判断。それじゃあ、本当にこれで、お疲れさまでした、かね」
「ですね。お疲れさまでした」
「その上で、最後に残った問題について聞きたい。有瓜、おまえはこれをどうするんだ?」
そう言って俺が指差したのは、未だ箱詰め状態で精液塗れのべちょべちょ顔で惚けているラヴィニエだ。
「あー……」
有瓜の顔には、いままで忘れてました、とはっきり書いてあった。
「義兄さん、どうしましょう?」
「知らないよ。彼女に対価を要求したのも、ゴブリンたちに指示してああしたのも、有瓜、おまえだろ。俺に聞くな」
「そんな他人事みたいにっ! たった二人の兄弟なのに!」
「いま関係ないだろ……っつか、話を逸らすな。真面目に考えろ」
「考えろと言われましても……さすがのわたしも、騎士さんがあんなにキマっちゃってるとは思いもよらずですよ。ちゃんと見えてたんですけど、ちょっと声かけるの怖かったので、見えないふりをしてみてました」
「キメさせたのはおまえなのに、無視はないだろ、無視は」
「だって……怖いんですもん」
平然と竜を蹴飛ばせるくせに、それでも怖いのか……。
「まぁ、気持ちは分かるけど」
ラヴィニエはすぐ傍で自分のことが話題に上がっているのにも気がつかず、ここではないどこかに目の焦点を合わせて頬笑んでいる。正直、俺も怖い。話しかけたくない――が、いつまでも放置してはおけない。
「とにかく、彼女には正気に戻ってもらおう」
「戻ってくれるといいんですけど」
「……不穏なこと言うなよ」
「ごめんなさい」
という遣り取りを続けつつも、ゴブリンたちに手伝ってもらって、水瓶から桶で汲んだ水を、ラヴィニエの顔にばしゃっと浴びせた。
余談ながら、この水瓶は去年の内から使っているもので、村との二回目の取り引きのときに譲ってもらって、山道をえっちらおっちら運んできたものだ。近くに河原があるといっても、手元に水を溜めておけるものが有るのと無いのとでは便利さが大違いなのだ。
この水瓶の予備を、河原の土を使って自分たちで焼けないものかと何度か挑戦してみているのだけど、いまのところ失敗しかしていない。たぶん粘土の乾燥と焼成時の火力が足りていないのが原因だ。前者はともかく、後者は窯を作りでもしない限りは如何ともし難い。もし予備の瓶が作れていたら、ラヴィニエは箱詰めではなく瓶詰めになっていたことだろう。
とまれ、箱詰め女騎士ラヴィニエは、顔に勢いよく水を浴びせられて、ようやく正気に戻ってくれた。
「はっ……あ……あ、あ? ああぁッ!? 酷い! なんてことをするか!? 匂いが落ちてしまったではないかッ!!」
……いやこれ、正気に戻ったと言えるのか?
「すっ、んうぅ……うあぁ! 匂いがしない! 匂い、逸物の匂いっ、うぅあああッ!!」
……ああ、うん。これは駄目なやつだ。
「誰か、騎士さんにち○ぽを!」
有瓜が、衛生兵を呼ぶノリで叫ぶと、戦士たちが顔を見合わせて「おまえいけよ」「いや、おまえがいけよ」と肘を小突き合っている。忍者たちは「箱が邪魔で、自分らじゃ腰の高さが合わないので」と高みの見物を決め込んでいる。
留守番組は「俺たちはもう頑張ったんだから、後はおまえらがやれ」と言い張り、有瓜にお供していた組は「おまえたちがやった結果だろ。責任取れよ」と反論する。そしてラヴィニエは、両目と鼻と唇から体液を垂れ流す感じでさめざめと号泣している。
「義兄さん……なんですか、この状況」
「俺もいまそれ、聞こうと思ってた」
混沌と化した状況を有瓜と二人、他人事のように眺めていると、ラヴィニエの泣き声が気になったアンとシャーリーが洞窟から顔を覗かせているのを見つけた。俺はとばっちりを恐れてこの場から離れるついでに、二人のところへ行って、竜のことや騎士団のことを二人にも話した。
話を聞き終えた二人の感想は、
「要するに、色々問題があったけど全部解決した、ってことだな!」
「お姉ちゃん、変態さんの問題がまだ残っているんだよ」
……だった。
さて、その変態さんだが、ジャンケンに負けたお供していた組の戦士二人による、陰茎での顔面マッサージにより心の平穏を取り戻した。うん、改めて意味が分からない。数時間前までは確かに忠君の騎士だったのに、それがどうして、こんな変態さんになってしまったのか……。
少し現実逃避するために余談を話すと、ジャンケンは有瓜が教えたものだ。遊びというより、順番や班分けなどの手段として重宝している。
アンたちに聞いたら、村にはジャンケンと似たような遊びがあるそうだ。確か、グー・チョキ・パーの代わりに、戦士・魔物・姫を表す形を使うのだったか。戦士は魔物に勝ち、魔物は姫に勝ち、姫は戦士に勝つ――だそうだ。
「どうして姫が戦士に勝つんだ?」
と聞いたら、アンはしれっとこう答えてくれた。
「どんなに強い男でも射精の後は無防備ですからね」
「……なるほど」
にっこり頬笑むアンに、俺は表情を引き攣らせたものだった。
戦士ゴブリンの背負子に揺られて帰ってきた有瓜は、背負子から飛び降りるなり、喚き始めた。
「義兄さん、ちょっと聞いてください。最悪だったんですからもう!」
「何が最悪だったんだ?」
俺が合いの手を入れると、有瓜は待ってましたと言わんばかりの顔をする。
「あの竜ですよ、ドラゴン! あいつ、わたしが目の前まで行ってもまだ寝てたんです。それでも、わたしも最初は理性的だったんですよ。“おーい”とか“起きてくださーい”とか優しく呼びかけていたんです、最初は」
「でも、起きなかったんだな」
「そーなんです! あのお馬鹿ドラゴン、いくら呼んでも起きないどころか、私を鼻息で吹き飛ばしてくれやがったんですよ! 信じられます!?」
「鼻息……って、吹き飛ばした!? お腹は無事だったのか!?」
心配が先走って問い質したけれど、言っている途中で気づいた。無事でなかったら、いまこんなふうに喋ってはいない。
「無事でしたよ。すぐ後ろにゴブさんがいて、すてんといったところ受け止めてもらいましたから」
「そうか、良かった……」
無事だろうと気づいていても、有瓜自身に言ってもらうと改めて安心する。俺は自分で思っていたよりも心配していたらしい。口を衝いた溜め息は思いの外、大きかった。
「それで、どうやって竜を起こしたんだ?」
安心したら、そちらに興味が飛ぶ。竜は空に舞い上がって火球を吐いたのだから、有瓜はどうにかして竜を起こしたわけだ。どうやって起こしたのだろうか。
「蹴っ飛ばしました」
「……ん?」
前後の脈絡が繋がらなくて聞き返したら、有瓜は唇を尖らせた。
「だから、蹴っ飛ばしてやったんですよ。寝ぼすけドラゴンの鼻面を、思いっきり!」
「……竜を蹴ったのか!」
驚きすぎて恐怖すら覚えた。
あの、熟睡している姿ですらも恐ろしく圧倒的な、あの竜を……蹴った? 俺やゴブリンたちでも恐ろしくて実行できないことを、有瓜はあっさりやってのけたのか。もう遅刻ギリギリの時間なのに起きてこない子供を叩き起こす母親のように、あっさりと――!
「有瓜……おまえ、怖いよ」
「えっ!? なんですか、それ。どこに対する感想です?」
「どこって、いや……おまえ、竜を蹴ろうなんて思えたな」
「だってあいつ、目をちらっと開けるようなこともしないで、鼻息で追い返そうとしたんですよ。いくらなんで酷すぎません? 無責任中出し男のくせに、ちょっと態度悪すぎでしょう!?」
「お、おう。そうだな、まあ」
有瓜の剣幕に負けて、俺は頷いてしまう。それを見た有瓜は、我が意を得たりと満足顔で言い切った。
「だから蹴ったんです」
「……そうか」
よく分かった。
有瓜にとってあの竜は、ただの寝ぼすけグータラ男でしかないのだということが、よく分かった。
「おまえはさすがだな」
「義兄さん、褒めるのなら無表情は止めてください」
「……」
「褒めるのを止めるんかーい!」
という漫才は脇に置いて、俺は話を本題に戻す。
「で、鼻面を蹴っ飛ばしたら、絶叫しながら起きたんだな」
「あ、はい」
有瓜は頷き、それからどうなったのかを話してくれた。話の途中で、有瓜に同行していた戦士たちも話に加わってきて、有瓜の話に注釈や訂正を入れてくれた。そうして聞き取った話をまとめると、こういう顛末だった。
有瓜に蹴られた竜は、戦士の一撃で傷ひとつ付かなかったのが嘘のように痛がったのだという。ここまで聞こえていたあの咆吼は、眠りを妨げられた怒りではなく、痛みに泣き喚く声だったようだ。竜の弱点というと逆鱗が相場だが、鼻も弱点なのだろうか。
それはともかく、しばらく叫んでいた竜は、自分を蹴り起こしたのが有瓜だと気がつくと、ほどなくして落ち着き、話を聞いてくれた。
「人間の騎士さんたちが来ていて困るので、もう起きてるから寝込みを襲うのは無理だぞ、ってところを一発分からせてやってください。あ、脅すだけですよ。怪我させるのはナシですよ」
『心得ておる。任せよ、吾に』
――といったふうに、とんとん拍子で話が済んで、後は俺もここから見た通りに、空へ舞い上がってドデカい火球を一発打ち上げるという示威行為をしてみせた、というわけだった。
その効果があったことは、すでに報告を得ている。有瓜たちにも伝えたら、ほっとした顔をしていた。
「それで、竜をどうしたんだ?」
俺が尋ねると、有瓜は小首を傾げた。
「どう?」
「いや、竜は起きたんだろ。なら、そのままどっかへ旅立ってくれたのか?」
生憎と、竜が火球を放った後、元の場所に戻ったのはここからも見えていた。それからしばらく見つめていたけれど、竜がどこかへ飛び去る姿は見ていない。だけど、じつは姿を消す魔術か瞬間移動の魔術だとかが使えるのかもしれない――と一縷の望みを込めて、有瓜に尋ねたわけだった。
「どこにも行ってませんよ」
有瓜の答えは無情だった。
「……なら、あの竜はいま何やってんだ?」
「寝てます」
「……は?」
起きたのに寝てるとは、これ如何に?
「二度寝しました」
「なるほど、理解した……いや、なんで二度寝だよ!?」
「おっ、義兄さんのノリツッコミ!」
「うるさいよ。んなことより――なんだよ、二度寝って」
もう何ヶ月も寝ておいて、やっと起きたかと思えば、また寝るときた。さすがに寝過ぎだろう……いや、それとも竜の時間感覚からすれば、数ヶ月の睡眠は人間にとっての転た寝にしかならなかったりするのか?
「やー、それがですねー」
有瓜の言によると、竜は有瓜に『吾はいまだ、プシュケが回復しておらなんだ』と語ったのだそうだ。
プシュケというのは初めて耳にした単語だが、要するに魔力らしい。
そういえば最近はとんとそういうことがなくなったけれど、神官も十ヶ月ほど前までは、ちょっと火を熾すだけでも顔色を悪くしていた。あれが魔力を枯渇させた状態であり、竜は現在、その状態だということか。
竜がさらに語ったことには、魔力には生物の臓器で作られて血のように体内を循環するプシュケと、自然界に遍在するピュシスとがあるのだとか。いまの竜は内在魔力を、子作り魔術のために使い尽くしてしまっていて、その回復のために自然魔力を吸収している最中なのだ――と、おそらくそういうことらしい。
「正直よく分かんないです」
「おらたつもだ」
有瓜と戦士たちは開き直った顔でそう言っていた。それでも、断片的ながら、みんなで少しずつ憶えてきてくれたおかげで、俺はそれらを継ぎ接ぎして先述のように理解したのだった。
だけど、いまいち分からないこともある。
「要するに疲労困憊だから、寝て体力を回復しているんだよな。それは分かったんだが……それにしたって寝過ぎじゃないか? まさか本当に、年単位で寝るのか?」
俺が首を傾げたら、有瓜がふいに遠くを見た。
「あー……それなんですがね、回復してきた魔力を全部、さっきの花火に使っちゃったとかで、また回復するまで眠るんですって」
「……どれくらい?」
「聞く前に二度寝しちゃったので、分かんないです。もう一回蹴っ飛ばして聞いておいたほうが良かったですかね?」
「いや、そこまではいいさ。回復した分を全部使ったってことは、同じくらい以上は寝るってことだろ。……というか、そこまで全力を出しくれなくても良かったよな。あんな核爆発みたいなヤバいのじゃなくて、本当に花火くらいので良かったのにさ」
「んー……」
俺が呆れ混じりに言うと、有瓜はまたしても、そして今度はもっとあからさまに遠くを見た。それでぴんと来た。
「有瓜……おまえが竜を焚きつけたのか」
「……いえほら、『心得ている』なんて格好つけたこと言うから、そんなこと言ってショボいことしかできないんじゃないですかね。派手なのは射精の勢いだけだったりしてねー……みたいなことをちょっと言ったら、なんかすっごいイキっちゃって……あはは」
「あはは、じゃねーよ……」
竜がまた何ヶ月も眠っていると知ったら、領主の息子殿がまた野心を刺激されてしまうかもしれない。そうでなくとも、他の野心家を呼び寄せてしまうかもしれない。
竜にはさっさとどこかへ飛び去ってもらうのが一番だったのに、有瓜が余計なことを言って焚きつけたせいで、それもまた数ヶ月単位……ひょっとしたら年単位で無理になってしまったのだ。俺が有瓜をじっとり睨んでも仕方がないといえよう。
「でっ、でもだって、あんな勿体つけた話し方をするドラゴンが、ちょーっと嫌味を言われたくらいで本気出すほど大人げないって思わないじゃないですか!」
「いや、思うよ。だってあいつ、ヤるだけヤって満足したら寝ちまうような奴だぞ。中二病を引き摺った大学生くらいにしか思えないだろ」
「む、知ってます。それ、同族嫌悪って言うんですよね」
「あ!?」
「あっ、なんでもないです」
……って、だからそんな漫才はいいんだよ!
「とにかく! ……竜はまた寝て、騎士団は逃げ帰った。ひとまずそっちは作戦成功、状況終了。後は……ああ、村のほうにも連絡しておかないとか」
「あ、それならゴブさんに走っていってもらってます」
「おお、ナイス判断。それじゃあ、本当にこれで、お疲れさまでした、かね」
「ですね。お疲れさまでした」
「その上で、最後に残った問題について聞きたい。有瓜、おまえはこれをどうするんだ?」
そう言って俺が指差したのは、未だ箱詰め状態で精液塗れのべちょべちょ顔で惚けているラヴィニエだ。
「あー……」
有瓜の顔には、いままで忘れてました、とはっきり書いてあった。
「義兄さん、どうしましょう?」
「知らないよ。彼女に対価を要求したのも、ゴブリンたちに指示してああしたのも、有瓜、おまえだろ。俺に聞くな」
「そんな他人事みたいにっ! たった二人の兄弟なのに!」
「いま関係ないだろ……っつか、話を逸らすな。真面目に考えろ」
「考えろと言われましても……さすがのわたしも、騎士さんがあんなにキマっちゃってるとは思いもよらずですよ。ちゃんと見えてたんですけど、ちょっと声かけるの怖かったので、見えないふりをしてみてました」
「キメさせたのはおまえなのに、無視はないだろ、無視は」
「だって……怖いんですもん」
平然と竜を蹴飛ばせるくせに、それでも怖いのか……。
「まぁ、気持ちは分かるけど」
ラヴィニエはすぐ傍で自分のことが話題に上がっているのにも気がつかず、ここではないどこかに目の焦点を合わせて頬笑んでいる。正直、俺も怖い。話しかけたくない――が、いつまでも放置してはおけない。
「とにかく、彼女には正気に戻ってもらおう」
「戻ってくれるといいんですけど」
「……不穏なこと言うなよ」
「ごめんなさい」
という遣り取りを続けつつも、ゴブリンたちに手伝ってもらって、水瓶から桶で汲んだ水を、ラヴィニエの顔にばしゃっと浴びせた。
余談ながら、この水瓶は去年の内から使っているもので、村との二回目の取り引きのときに譲ってもらって、山道をえっちらおっちら運んできたものだ。近くに河原があるといっても、手元に水を溜めておけるものが有るのと無いのとでは便利さが大違いなのだ。
この水瓶の予備を、河原の土を使って自分たちで焼けないものかと何度か挑戦してみているのだけど、いまのところ失敗しかしていない。たぶん粘土の乾燥と焼成時の火力が足りていないのが原因だ。前者はともかく、後者は窯を作りでもしない限りは如何ともし難い。もし予備の瓶が作れていたら、ラヴィニエは箱詰めではなく瓶詰めになっていたことだろう。
とまれ、箱詰め女騎士ラヴィニエは、顔に勢いよく水を浴びせられて、ようやく正気に戻ってくれた。
「はっ……あ……あ、あ? ああぁッ!? 酷い! なんてことをするか!? 匂いが落ちてしまったではないかッ!!」
……いやこれ、正気に戻ったと言えるのか?
「すっ、んうぅ……うあぁ! 匂いがしない! 匂い、逸物の匂いっ、うぅあああッ!!」
……ああ、うん。これは駄目なやつだ。
「誰か、騎士さんにち○ぽを!」
有瓜が、衛生兵を呼ぶノリで叫ぶと、戦士たちが顔を見合わせて「おまえいけよ」「いや、おまえがいけよ」と肘を小突き合っている。忍者たちは「箱が邪魔で、自分らじゃ腰の高さが合わないので」と高みの見物を決め込んでいる。
留守番組は「俺たちはもう頑張ったんだから、後はおまえらがやれ」と言い張り、有瓜にお供していた組は「おまえたちがやった結果だろ。責任取れよ」と反論する。そしてラヴィニエは、両目と鼻と唇から体液を垂れ流す感じでさめざめと号泣している。
「義兄さん……なんですか、この状況」
「俺もいまそれ、聞こうと思ってた」
混沌と化した状況を有瓜と二人、他人事のように眺めていると、ラヴィニエの泣き声が気になったアンとシャーリーが洞窟から顔を覗かせているのを見つけた。俺はとばっちりを恐れてこの場から離れるついでに、二人のところへ行って、竜のことや騎士団のことを二人にも話した。
話を聞き終えた二人の感想は、
「要するに、色々問題があったけど全部解決した、ってことだな!」
「お姉ちゃん、変態さんの問題がまだ残っているんだよ」
……だった。
さて、その変態さんだが、ジャンケンに負けたお供していた組の戦士二人による、陰茎での顔面マッサージにより心の平穏を取り戻した。うん、改めて意味が分からない。数時間前までは確かに忠君の騎士だったのに、それがどうして、こんな変態さんになってしまったのか……。
少し現実逃避するために余談を話すと、ジャンケンは有瓜が教えたものだ。遊びというより、順番や班分けなどの手段として重宝している。
アンたちに聞いたら、村にはジャンケンと似たような遊びがあるそうだ。確か、グー・チョキ・パーの代わりに、戦士・魔物・姫を表す形を使うのだったか。戦士は魔物に勝ち、魔物は姫に勝ち、姫は戦士に勝つ――だそうだ。
「どうして姫が戦士に勝つんだ?」
と聞いたら、アンはしれっとこう答えてくれた。
「どんなに強い男でも射精の後は無防備ですからね」
「……なるほど」
にっこり頬笑むアンに、俺は表情を引き攣らせたものだった。
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その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。
直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。
生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。
デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。
本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。
※カクヨムにも掲載中の作品です。
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