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3章
48-2. ラヴィニエ・ミ・アーメイ ラヴィニエ
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隣国との垣根になっている、森深き丘陵地帯。そこは魔物の跋扈する「魔の森」とも呼ばれていて、平地から僅かに登ったところに幾つかの村が点在しているばかりの未開の地だ。村より奥に踏み入れば、いつ魔物に襲われてもおかしくないという。
そのような魔境を通って隣国と行き来することは、普通の者なら考えもするまい。普通の者は、平地に伸びた街道を使う。また、軍隊が列を成して丘陵地帯を越えてくるというのも現実的ではない。ゆえに、御屋形様は街道の防備だけを徹底して行わせていた。
縦しんば、魔の森を越えて隣国の兵が侵入してきたとしても、そのときは公然と兵を起こす大義名分が立つ。その場合、森に寄り添って暮らしている村のいくつかが犠牲になるが、致し方なしだ。丘陵地帯は広く、全域に目を光らせることは人員的に不可能なのだから。森で暮らす者には申し訳ないと思うが、辺鄙な土地で生きる以上は、切り捨てられる危険性があることを容認していて然るべきだ。いわば、自己責任の範疇と言えよう。
領民の全てを完璧に守ることはできない。一定の被害は仕方のないことだ。守るとは後手に回る行為である以上、そこは諦めざるをえないと分かっている。だからこそ、慎重論を小声で唱える私たち遅参組であっても、エミリオ様の唱える主戦論にも一定の理があると思っているのだ。
守りに徹して先制攻撃を許すくらいなら、こちらから攻撃したほうが損を出さずに済む――その考えは、隣国での動向に日々緊張を強いられていた私たち騎士団の者にとって、飛びつきたくなる魅力を放っていた。皆、受け身ではない明確な行動を欲していたのだ。
かくして、エミリオ様は騎士団のほぼ全てを率いて領都から進発した――という矢先に、竜が飛来したのだ。
竜とは、数多いる魔物の中でも一線を画した存在だ。力においては言わずもがな、知性においてもだ。
竜は失われた古代の叡智を生まれながらに具えていると言われ、人語を解するとも言う。これは物語の中だけの話ではない。高名な学者がそう言っていて、賢者と呼ばれる魔術師様は実際に竜と話したことがあるとの噂だ。
その知性は高度な魔術としても発揮され、家ほどもある巨体なのに縦横無尽に空を飛べるのも、咆吼ひとつで街を焼けるのも、全ては魔術によるものなのだとか。件の賢者様をして、竜の魔術は別格だ、と公言されている。
そのうえ、竜には魔術のみならず、鋭い牙と爪という武器がある。硬い鱗はどんな鎧よりも強固だという。そして単純に、巨体が軽々と動きまわるというだけで驚異的だ。けだし、竜とは最強なのである。
そんな最強生物である竜だが、普通に生きている人間がその姿を見ることはありえない。なぜならば、竜は一部の例外を除いて、大山脈の奥地や火山の火口、沖中の海底、魔物の蔓延る魔境の只中といった常人には到達不可能なところに棲んでいるという。竜が人里に現れるというのは、物語の中でしかありえない荒唐無稽なことなのだ――そうであるはずだった。
竜が飛来した。人里に姿を現した。誰もが最初は冗談だと思って笑ったが、竜を見たと訴える者の数があまりにも多すぎた。中には生真面目で鳴らす騎士もいた。そしてその全員が、冗談では不可能なほど顔を青ざめさせて、あるいは興奮で真っ赤にさせていた。
領都を出る寸前だった騎士たちに動揺が走る。その混乱を収めたのは、エミリオ様の一声だった。
「皆、落ち着け。混乱するのは事実が一部しか明らかになっていないからだ。竜が飛来した、という事実だけでは埒が空かない。早急に、竜がどこに降りたのか、いまどうしているのか、何が目的なのか、意思疎通は可能なのか――知れる限りを知らなくてはならない。よって、竜についての調査隊を編制し、調査に向かわせる」
エミリオ様の号令一下、国境への進軍は一時中止され、飛来した竜について調べる部隊が編成された。
その際、早参組である騎士が進言した。
「御屋形様、竜のもとにあまり大勢を差し向けては、竜を悪戯に刺激してしまいかねません。ここはまず、少数精鋭で事に当たらせるのがよろしいかと愚考いたします」
「なるほど。些か慎重論に過ぎるきらいはあるが、私は配下の声に耳を貸さぬ蒙昧な主ではないからな。よかろう、おまえの慎重論を容れてやる」
「ははっ、ありがとう存じます!」
……そんな遣り取りがあったそうだ。
つまるところはそうした理由で、私を含めた騎士五名が貧乏くじ、もとい白羽の矢に当たってしまったのだった。五人一組なのは、それがアルゴーネ護領騎士団における最小の部隊単位だからだ。その不運なる五名の一人に私が選ばれたのは、私が過去視の巫覡だからだった。
普段は「三日前の食事を当てることもできない」だとか「あの女はいつも過去を視ながら過ごしている」だとか悪し様に言ってくる同僚たちが、挙って「彼女の巫術はきっと調査の役に立つことだろう」と言い囃してくるのには、呆れるのを通り越して笑えてきたものだ。
なお、私以外の四名のうち三名は遅参組から選ばれたが、最後の一名は調査隊の隊長として早参組から選ばれた。そうしないと、調査の功績が私のものになってしまうからだ。
隊長役に選ばれた騎士はしばらく抵抗していたけれど、最後には諦めて渋々ながら受け容れていた。一番の貧乏くじを引いたのは、きっと彼だった。
さて、そうして派遣された私たち調査隊(人数的に調査班で良いと思うのだが、エミリオ様も隊長騎士も隊と言い続けていた)がどうなったのかは、二度手間になるので省略する。
私たちは竜を発見した――見せつけられた。
竜は目を閉じて熟睡しているようだったけれど、あれは寝ているから安全だとか、そういう物差しで測れる次元の存在ではなかった。
あれは天災だ。嵐が畑を破壊するのは、嵐に悪意があるからではない。ただ、嵐が嵐であるからだ。それと同じで、竜は竜であるというだけで、傍にいるものを害するだろう。そして、人が道を歩くときに草を踏んでも小石を蹴っても気にしないように、竜もまた己の何気ない振る舞いで人間が死のうと苦しもうと、一顧だにしないだろう。
――調査に来た意味はあった。竜に近づいてはならないと知ることができた。
私たちは都に帰ると、自分たちが見たもののことを詳らかに報告した。
「竜の従者を名乗る者どもと、そやつらに守られて眠る竜、か」
私たちの報告を聞いたエミリオ様は、不敵な笑みを浮かべる。その顔を見た刹那、嫌な予感がした。その予感が正しかったことは、すぐに証明されてしまった。
「竜など所詮は、浅学の徒が作り上げた妄想の産物。月夜の晩に木を見て、幽霊だと叫ぶ子供と同じだ。竜は恐ろしいというお伽噺だけを見て、その実態を見ようとしないから、恐ろしいものだと思ってしまうのだ。――竜など所詮は、ただの空飛ぶ巨大な蜥蜴。王都で最新の魔術と兵学を修めた私の手で、妄想の産物をただの蜥蜴に戻してみせようじゃないか」
私には正直、エミリオ様が何を言っているのか分からなかった。けれど、エミリオ様が竜を狩れると思い込んでいることだけは分かってしまった。
……どうしてそんな結論に至ったのか、まるで意味が分からなかった。
私たちは五人がかりで、眠っていてなお圧倒的な竜の恐怖を、言葉を尽くして伝えたはずだ。だというのに、どこをどう聞いたら、竜を倒せるという正反対の結論に至ったのか……本当に心の底から、意味が分からなかった。
「む、私がどうして竜を討伐せられると考えたのかが分からないという顔だな。なるほど、確かにおまえたちには少々難しい話だったかもしれぬな。よろしい、私がその蒙を啓いてやろう」
エミリオ様はしたり顔でそう前置きすると、滔々と語ってくださった。
「おまえたちは竜の従者を名乗る男に捕えられたと言ったな。そして、その男の手引きで、眠っている竜を見せられた。そしてさらに、その男から、竜が恐ろしくば手を出そうと考えるな、と言われた――そうだな?」
私たちが頷くと、エミリオ様は鼻を鳴らしてせせら笑った。
「それが、私が竜を倒せると確信した理由だ。――いいか、その男はわざわざ寝ている竜を見せて、手を出すなと言った。そこがまず不自然なのだ。本当に手を出されたくなければ、竜が寝ているところなど見せなければいい。竜が起きているところをおまえたちに見せたほうが、畏怖を与えるのには都合が良いだろう。それなのになぜ、その男は竜の寝姿をおまえたちに見せたのか――」
エミリオ様はそこで短く言葉を切って、私たちを見まわした。誰かが喉を鳴らした。
「――それは、竜がしばらく目覚めないことが確定しているからだ。そして、それでも竜の姿を見せつけることで、自分たちには間違いなく竜が背後にいるのだと知らしめるためだ――その意味、分かるだろう?」
いきなり答弁を求められた私たちは、互いに視線を交わし合い、譲り合う。だが、エミリオ様は端から返事を求めていなかったようで、ご自分でお答えになった。
「その男は竜の従者などではない。竜を利用しているのだ。その男はどうやってか竜を眠らせる術を知っていて、竜を眠らせているのだ。そして、竜の従者を名乗って純朴な村人を騙し、従わせているのだ。その男は謂わば、眠れる竜の威を借りた詐欺師なのだ」
……その発想についていけなかったのは、私だけではなかった。他の四名も、エミリオ様の側近も、眉間に皺を寄せていた。
エミリオ様が仰ったことが間違いだと思ったのではない。単純に、理解が即座に追いつかないのだ。
けれど、エミリオ様はそもそも私たちの返答を求めていたわけではないようで、話を続ける。
「私はその男を捕え、竜を眠らせている方法をなんとしても聞き出さなくてはならない。……ふっ、私が竜を従わせる姿を見せれば、蒙昧なる市井の者たちも理解するだろう。竜も所詮は魔物で、知恵ある勇者の前では馬と何ら変わらないのだという事実に――ふ、ふふっ……!」
エミリオ様は堪えきれなくなったという様子で、肩を揺らして笑い出す。差し詰め、騎士物語に出てくる竜騎士にでもなった空想に心を鼓翼遊ばされていらっしゃるのだろう。
それにしてもエミリオ様は、竜を討ち取りたいのか従わせたいのか、どちらなのだろうか? ――ああ、きっとどちらも本心なのだろう。
竜は普通、人里離れた異境に棲まう生き物だ。普通の人間は、死ぬまで竜を見ることがない。その竜が、手の届くところにいるのだ。否が応でも気持ちが高揚して、少年じみた興奮が冷静さを押し退けてしまっているのだ。
女性ならば誰もが人生で一度は、物語の中の姫になりたいと憧れるように、男性とは騎士物語に語られる竜退治の英雄や、竜に認められた竜騎士になりたいと憧憬するものなのだろう。
わたしも五年前までは確かに、姫になることを夢見ていた少女だった。けれど、その少女は五年のうちに少しずつ影を潜めていき、エミリオ様と再会したそのとき、完全に旅立っていった。
だけど、エミリオ様の心には、いまなお少年が居座っている。
いまのエミリオ様は、知識を得た万能感に酔っている少年なのだ。
少年のごっこ遊びに領の未来を委ねるわけにはいかない――私は密かに決意を固めていた。
だから、エミリオ様に呼び止められたとき、内心では激しく動揺していた。
「ラヴィニエ」
「――はっ」
「おまえにはもう少し話を聞きたい。ゴブリン擬きをはっきり見たのは、おまえだけだからな。後で私の部屋に来るように」
「はっ、了解しました」
返事をしたそのときは、それがそういう意味の命令なのだと気づかなかった。
エミリオ様の心は青年になり損ねた少年かもしれないが、その身体は立派に年頃なのだ。そんな当たり前のことに気がついたのは、退路が断たれたときだった。
そのような魔境を通って隣国と行き来することは、普通の者なら考えもするまい。普通の者は、平地に伸びた街道を使う。また、軍隊が列を成して丘陵地帯を越えてくるというのも現実的ではない。ゆえに、御屋形様は街道の防備だけを徹底して行わせていた。
縦しんば、魔の森を越えて隣国の兵が侵入してきたとしても、そのときは公然と兵を起こす大義名分が立つ。その場合、森に寄り添って暮らしている村のいくつかが犠牲になるが、致し方なしだ。丘陵地帯は広く、全域に目を光らせることは人員的に不可能なのだから。森で暮らす者には申し訳ないと思うが、辺鄙な土地で生きる以上は、切り捨てられる危険性があることを容認していて然るべきだ。いわば、自己責任の範疇と言えよう。
領民の全てを完璧に守ることはできない。一定の被害は仕方のないことだ。守るとは後手に回る行為である以上、そこは諦めざるをえないと分かっている。だからこそ、慎重論を小声で唱える私たち遅参組であっても、エミリオ様の唱える主戦論にも一定の理があると思っているのだ。
守りに徹して先制攻撃を許すくらいなら、こちらから攻撃したほうが損を出さずに済む――その考えは、隣国での動向に日々緊張を強いられていた私たち騎士団の者にとって、飛びつきたくなる魅力を放っていた。皆、受け身ではない明確な行動を欲していたのだ。
かくして、エミリオ様は騎士団のほぼ全てを率いて領都から進発した――という矢先に、竜が飛来したのだ。
竜とは、数多いる魔物の中でも一線を画した存在だ。力においては言わずもがな、知性においてもだ。
竜は失われた古代の叡智を生まれながらに具えていると言われ、人語を解するとも言う。これは物語の中だけの話ではない。高名な学者がそう言っていて、賢者と呼ばれる魔術師様は実際に竜と話したことがあるとの噂だ。
その知性は高度な魔術としても発揮され、家ほどもある巨体なのに縦横無尽に空を飛べるのも、咆吼ひとつで街を焼けるのも、全ては魔術によるものなのだとか。件の賢者様をして、竜の魔術は別格だ、と公言されている。
そのうえ、竜には魔術のみならず、鋭い牙と爪という武器がある。硬い鱗はどんな鎧よりも強固だという。そして単純に、巨体が軽々と動きまわるというだけで驚異的だ。けだし、竜とは最強なのである。
そんな最強生物である竜だが、普通に生きている人間がその姿を見ることはありえない。なぜならば、竜は一部の例外を除いて、大山脈の奥地や火山の火口、沖中の海底、魔物の蔓延る魔境の只中といった常人には到達不可能なところに棲んでいるという。竜が人里に現れるというのは、物語の中でしかありえない荒唐無稽なことなのだ――そうであるはずだった。
竜が飛来した。人里に姿を現した。誰もが最初は冗談だと思って笑ったが、竜を見たと訴える者の数があまりにも多すぎた。中には生真面目で鳴らす騎士もいた。そしてその全員が、冗談では不可能なほど顔を青ざめさせて、あるいは興奮で真っ赤にさせていた。
領都を出る寸前だった騎士たちに動揺が走る。その混乱を収めたのは、エミリオ様の一声だった。
「皆、落ち着け。混乱するのは事実が一部しか明らかになっていないからだ。竜が飛来した、という事実だけでは埒が空かない。早急に、竜がどこに降りたのか、いまどうしているのか、何が目的なのか、意思疎通は可能なのか――知れる限りを知らなくてはならない。よって、竜についての調査隊を編制し、調査に向かわせる」
エミリオ様の号令一下、国境への進軍は一時中止され、飛来した竜について調べる部隊が編成された。
その際、早参組である騎士が進言した。
「御屋形様、竜のもとにあまり大勢を差し向けては、竜を悪戯に刺激してしまいかねません。ここはまず、少数精鋭で事に当たらせるのがよろしいかと愚考いたします」
「なるほど。些か慎重論に過ぎるきらいはあるが、私は配下の声に耳を貸さぬ蒙昧な主ではないからな。よかろう、おまえの慎重論を容れてやる」
「ははっ、ありがとう存じます!」
……そんな遣り取りがあったそうだ。
つまるところはそうした理由で、私を含めた騎士五名が貧乏くじ、もとい白羽の矢に当たってしまったのだった。五人一組なのは、それがアルゴーネ護領騎士団における最小の部隊単位だからだ。その不運なる五名の一人に私が選ばれたのは、私が過去視の巫覡だからだった。
普段は「三日前の食事を当てることもできない」だとか「あの女はいつも過去を視ながら過ごしている」だとか悪し様に言ってくる同僚たちが、挙って「彼女の巫術はきっと調査の役に立つことだろう」と言い囃してくるのには、呆れるのを通り越して笑えてきたものだ。
なお、私以外の四名のうち三名は遅参組から選ばれたが、最後の一名は調査隊の隊長として早参組から選ばれた。そうしないと、調査の功績が私のものになってしまうからだ。
隊長役に選ばれた騎士はしばらく抵抗していたけれど、最後には諦めて渋々ながら受け容れていた。一番の貧乏くじを引いたのは、きっと彼だった。
さて、そうして派遣された私たち調査隊(人数的に調査班で良いと思うのだが、エミリオ様も隊長騎士も隊と言い続けていた)がどうなったのかは、二度手間になるので省略する。
私たちは竜を発見した――見せつけられた。
竜は目を閉じて熟睡しているようだったけれど、あれは寝ているから安全だとか、そういう物差しで測れる次元の存在ではなかった。
あれは天災だ。嵐が畑を破壊するのは、嵐に悪意があるからではない。ただ、嵐が嵐であるからだ。それと同じで、竜は竜であるというだけで、傍にいるものを害するだろう。そして、人が道を歩くときに草を踏んでも小石を蹴っても気にしないように、竜もまた己の何気ない振る舞いで人間が死のうと苦しもうと、一顧だにしないだろう。
――調査に来た意味はあった。竜に近づいてはならないと知ることができた。
私たちは都に帰ると、自分たちが見たもののことを詳らかに報告した。
「竜の従者を名乗る者どもと、そやつらに守られて眠る竜、か」
私たちの報告を聞いたエミリオ様は、不敵な笑みを浮かべる。その顔を見た刹那、嫌な予感がした。その予感が正しかったことは、すぐに証明されてしまった。
「竜など所詮は、浅学の徒が作り上げた妄想の産物。月夜の晩に木を見て、幽霊だと叫ぶ子供と同じだ。竜は恐ろしいというお伽噺だけを見て、その実態を見ようとしないから、恐ろしいものだと思ってしまうのだ。――竜など所詮は、ただの空飛ぶ巨大な蜥蜴。王都で最新の魔術と兵学を修めた私の手で、妄想の産物をただの蜥蜴に戻してみせようじゃないか」
私には正直、エミリオ様が何を言っているのか分からなかった。けれど、エミリオ様が竜を狩れると思い込んでいることだけは分かってしまった。
……どうしてそんな結論に至ったのか、まるで意味が分からなかった。
私たちは五人がかりで、眠っていてなお圧倒的な竜の恐怖を、言葉を尽くして伝えたはずだ。だというのに、どこをどう聞いたら、竜を倒せるという正反対の結論に至ったのか……本当に心の底から、意味が分からなかった。
「む、私がどうして竜を討伐せられると考えたのかが分からないという顔だな。なるほど、確かにおまえたちには少々難しい話だったかもしれぬな。よろしい、私がその蒙を啓いてやろう」
エミリオ様はしたり顔でそう前置きすると、滔々と語ってくださった。
「おまえたちは竜の従者を名乗る男に捕えられたと言ったな。そして、その男の手引きで、眠っている竜を見せられた。そしてさらに、その男から、竜が恐ろしくば手を出そうと考えるな、と言われた――そうだな?」
私たちが頷くと、エミリオ様は鼻を鳴らしてせせら笑った。
「それが、私が竜を倒せると確信した理由だ。――いいか、その男はわざわざ寝ている竜を見せて、手を出すなと言った。そこがまず不自然なのだ。本当に手を出されたくなければ、竜が寝ているところなど見せなければいい。竜が起きているところをおまえたちに見せたほうが、畏怖を与えるのには都合が良いだろう。それなのになぜ、その男は竜の寝姿をおまえたちに見せたのか――」
エミリオ様はそこで短く言葉を切って、私たちを見まわした。誰かが喉を鳴らした。
「――それは、竜がしばらく目覚めないことが確定しているからだ。そして、それでも竜の姿を見せつけることで、自分たちには間違いなく竜が背後にいるのだと知らしめるためだ――その意味、分かるだろう?」
いきなり答弁を求められた私たちは、互いに視線を交わし合い、譲り合う。だが、エミリオ様は端から返事を求めていなかったようで、ご自分でお答えになった。
「その男は竜の従者などではない。竜を利用しているのだ。その男はどうやってか竜を眠らせる術を知っていて、竜を眠らせているのだ。そして、竜の従者を名乗って純朴な村人を騙し、従わせているのだ。その男は謂わば、眠れる竜の威を借りた詐欺師なのだ」
……その発想についていけなかったのは、私だけではなかった。他の四名も、エミリオ様の側近も、眉間に皺を寄せていた。
エミリオ様が仰ったことが間違いだと思ったのではない。単純に、理解が即座に追いつかないのだ。
けれど、エミリオ様はそもそも私たちの返答を求めていたわけではないようで、話を続ける。
「私はその男を捕え、竜を眠らせている方法をなんとしても聞き出さなくてはならない。……ふっ、私が竜を従わせる姿を見せれば、蒙昧なる市井の者たちも理解するだろう。竜も所詮は魔物で、知恵ある勇者の前では馬と何ら変わらないのだという事実に――ふ、ふふっ……!」
エミリオ様は堪えきれなくなったという様子で、肩を揺らして笑い出す。差し詰め、騎士物語に出てくる竜騎士にでもなった空想に心を鼓翼遊ばされていらっしゃるのだろう。
それにしてもエミリオ様は、竜を討ち取りたいのか従わせたいのか、どちらなのだろうか? ――ああ、きっとどちらも本心なのだろう。
竜は普通、人里離れた異境に棲まう生き物だ。普通の人間は、死ぬまで竜を見ることがない。その竜が、手の届くところにいるのだ。否が応でも気持ちが高揚して、少年じみた興奮が冷静さを押し退けてしまっているのだ。
女性ならば誰もが人生で一度は、物語の中の姫になりたいと憧れるように、男性とは騎士物語に語られる竜退治の英雄や、竜に認められた竜騎士になりたいと憧憬するものなのだろう。
わたしも五年前までは確かに、姫になることを夢見ていた少女だった。けれど、その少女は五年のうちに少しずつ影を潜めていき、エミリオ様と再会したそのとき、完全に旅立っていった。
だけど、エミリオ様の心には、いまなお少年が居座っている。
いまのエミリオ様は、知識を得た万能感に酔っている少年なのだ。
少年のごっこ遊びに領の未来を委ねるわけにはいかない――私は密かに決意を固めていた。
だから、エミリオ様に呼び止められたとき、内心では激しく動揺していた。
「ラヴィニエ」
「――はっ」
「おまえにはもう少し話を聞きたい。ゴブリン擬きをはっきり見たのは、おまえだけだからな。後で私の部屋に来るように」
「はっ、了解しました」
返事をしたそのときは、それがそういう意味の命令なのだと気づかなかった。
エミリオ様の心は青年になり損ねた少年かもしれないが、その身体は立派に年頃なのだ。そんな当たり前のことに気がついたのは、退路が断たれたときだった。
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