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3章
47-6. 愛の玉子 ロイド
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ユタカの産んだ卵は、有瓜が果物だフルーツだと連呼しているうちに、なんとなく果実で定着した。実際、一口食べてみればもう、卵ではなく果物だとしか思えなかった。
ちなみに、食感は果物というより果物ゼリーだよな、という説明するために、獣肉と香味野菜のゼリー寄せを作ってみたら、シャーリーとアンには絶賛だった。
「なんだこれ、とろっとろ。美味ぇ!」
「こんなの初めて食べました……!」
でも、獣皮を煮詰めて摂ったゼラチンで作ったのだと言ったら、手の平を返された。
「は? 毛皮を食いものにしたのか?」
「ロイドさん、それはさすがに勿体ないです……」
次からは、骨や腱から煮出す方法を試してみようと思う。
なお、ゴブリンたちからはゼリー寄せに好評価が貰えなかった。
「なんつぅか……柔っこすぎだべな」
「んだなぁ」
そして有瓜からは、こう言われた。
「どうせならフルーツゼリーが食べたかったです」
獣皮を煮詰めたゼラチンから獣臭さを消すことを諦めた俺への、容赦ない駄目出しだった。
……だが、いつかはやってやる。神官の魔術がもっと上手くなったら、きっとなんとかしてくれるはずだ。これは他人任せではない、適材適所だ。
まあ、ゼリーの話はこのくらいにしよう。
重要なのは、有瓜が最初の一個を食べた日から数日かけて、俺たち全員がユタカの実を食したということだ。
ユタカは初めて実を付けた日の午後には早速、またしても精液を欲しがった。有瓜がゴブリンたちに囲まれているところに近づいていくと、一本貸して、とでも言うように輪の中に入っていったのだった。
有瓜も最初は戸惑った様子だったけれど、結局はユタカの熱意に負けて参加を許可した。ただし、ゴブリンたちは基本的に有瓜としか致したがらないし、ユタカも精液の経口摂取にしか興味がなかったため、有瓜と致して限界寸前まで気持よくなったらユタカの口に射精する――という方式になったようだった。
ゴブリンたちは肉棒を有瓜の穴に突っ込んだり、手や頬や足で扱かれたりしては、切羽詰まった顔で抜いた肉棒を横で座って待機しているユタカの口に突っ込んだり、それが間に合わないときは的当てをするみたいにして、ユタカが素早く開けた口の中にどくどくと射精していく――。
その光景は傍から見ていると、腹を空かせた雛鳥に親鳥が口移しで餌を分け与えているかのようだった。もっともその場合、親鳥が多数いて雛鳥が一羽しかいないということになるから、あまり適切な連想ではなかったかもしれないが――。
――嘘だ。本当は全然違うことを連想していた。
「精液用の小便器か」
本当はそんなことを想像しながら、ユタカが口元に差し出された肉棒に吸い付くのを眺めつつ、子守や料理研究をしていた。
といっても、眺めていたのはそう長い時間ではなかった。
ユタカはだいたい三発ほど口内射精されると、満足顔で体育座りして、そのまま固まってしまう。そして最初のときと同じように植物状態になり、およそ一日後に果実を産んで目を覚ますのだった。
二度目の結実は、四個だった。四つ子だった。植物状態だった時間は初回と変わらないので、たぶんその状態になる前に摂取した精液の量が、付ける実の数に影響しているのだろう。
……つまり、ユタカの実は精液で作られている説が急上昇である。
ユタカが言う(翻訳:有瓜)には、この実は植えても芽が出たりしない種なし果実で、どちらかというと栄養素を凝縮させたゼリー食品、みたいなものらしい。まかり間違っても、食べたら孕む、なんてことはないと断言された。
まあ実際、河豚の白子や鮭の卵を食べることに抵抗感を持ったことはないし、人によっては牛や豚の睾丸を焼き肉にして食べたりもするそうだし……ユタカの実もそれと似たようなものだと思えば、抵抗感は薄まる。それに究極的な話、ユタカの実は美味いのだ。
一口で脳が痺れるほど甘いのに、嚥下した途端、その甘さも痺れもマッチの火のようにふっと消える。ただ、とても甘くて美味しいものを食べたという記憶だけが、影送りのように意識へ焼き付けられて、渇望させられる。そして気がつけば、もう一口、また一口――と、手の中の果実がなくなるまで食べ続けてしまうのだ。
「……これ、中毒成分は入ってないよな?」
ユタカの実を初めて食べたときは、自分がいつ食べ終わったのかも分からないほど一気に食べてしまって、食べ終わった後にそんな心配をして恐々としたものだった。
とにかく、ユタカの実は中毒性を疑いたくなるほど美味かったこともあって、その製法への忌避はすぐに消えた。
「畑に撒く肥料も、元を正せばうんこだ。精液を肥料にして育つ果実も、そう考えたら普通だ、普通。うん、普通」
そう自分に言い聞かせたら、あっさり納得してくれた。どこの世界でも、美味しいは正義なのだ。
ああそういえば、ユタカのうんこは試しに、危険地帯に生えている美味しい実がなる植物の根元に撒いてみていたりする。まだ何とも言えないけれど、いまのところ逆効果ということはないようだ。秋まで要観察だ。
さて、話を戻して――。
このように美味しい美味しいユタカの果実だが、じつは美味しいだけではなかった。
「なんだか、食べたら身体がぽかぽかして、元気が漲っているような……」
「おう。いまなら、何でもできそうな気がすんぜ……!」
アンとシャーリーはひとつの実をナイフで二つに分けて食べたのだけど、最初の一口は二人とも、舌先でちろりと舐めただけだった。だが、そのひと舐めから数秒後には、二人とも口いっぱいに果実を頬張って夢中で咀嚼し、ごくんと嚥下した後もしばらく食べ終わったことに気がつかないで口を動かしていた。口内に残った甘さの記憶を舐めまわしていた。
姉妹で揃って顔の筋肉をだるんだるんに緩ませて陶然としている姿はやはり、麻薬とか中毒とかの言葉を連想させてくるものだった。どうやら、ユタカの実を初めて食べた人間はだいたい、そういう反応になるらしい。
ここで人間はと限定したのは、ゴブリンたちが一口ずつ食べてみた際の反応は、「美味しいけれど騒ぐほどでもないか」だった。
「ははぁ、甘ぇっすなぁ」
「んだ、甘ぇな」
「甘ぇ甘ぇ」
「んだんだ」
ゴブリンたちも甘味が嫌いというわけではない。ただ、言葉を忘れて呆然とするほど好きだ、というわけではないようだった。
彼らが味よりも気にしたのは、ユタカの実の効能についてだった。
シャーリーとアンが「食べたら元気が漲ってきた」と言い出すと、ゴブリンたちも「言われてみると、おらたつもそったら気ぃさすんだぁ」と同調して騒ぎ始めた。もっとも、ゴブリンたちは一口ずつしか食べていないからなのか、漲ってきたというほどではなかったようだが。
ダイチとミソラにも舐める程度の量を食べさせてみたが、反応はきれいに分かれた。ミソラは目をきらきらに輝かせ、頬をピンクに染めて歓喜の声を上げたけれど、ダイチはふんっと鼻を鳴らして笑っただけだった。
有瓜が食べたときにも「お腹の子にがっつり栄養補給された感じがする」と言っていたので、ユタカの実には常識を越えた栄養が含まれているというので確定なのだろう。
……確定なのだろうと推量の言いまわしになってしまうのは、俺には――俺にだけは、栄養が全身に行き渡ったという感覚がやってこなかったからだ。
他の全員が「全身に力が漲る」と言い、有瓜だけが「お腹の赤ちゃんに栄養が行っている感じ」と言っていることから、おそらくユタカの実には、この世界の生き物にしか吸収できない栄養素が多量に含まれているのだろう。
この推測は、俺に恐怖を呼び起こさせるものだった。
今回、ユタカの実に含まれている強力な栄養素については、俺が食べても吸収できなかっただけで悪影響は出ていない。少なくとも、食してから数日が経過している現在、何の自覚症状も出ていない。
しかし、「現地人には吸収できて、異世界人には吸収できない栄養素がある」という事実は、つまり、「こちらで普通に食されているものが、俺と有瓜にとっては毒になる」可能性があるということだ。
……これまで、その可能性を少しも考えないで、ものを食べてきていた。
「これ、美味しいよ」と善意で差し出されたもので中毒死していたかもしれないのに、よくまあ平気で、正体を知りもしない虫やら獣肉やらを食べていられたものだ。
「……って、怯えすぎか」
独り言にして吐き出すことで、少し強くなりすぎた恐怖心を紛らわせた。
未知の食材への警戒心は大切だ。けれど、俺も有瓜もこの世界のものを食べるしかないのだ。どんなもので、少しずつ試していくしかないのだ。
「毒になる可能性と言っても、生水を飲んだら腹を下す、みたいなことだ。中毒死なんて極論ばかり考えるもんじゃないよな、うん」
だいたい、俺たちはここで一年近く生きてきたのだ。その事実を前提にして考えれば、人間が食べているものはだいたい食べられる、と考えていいはずだ。ユタカの実だって、俺にはみんなの言う「漲ってくる」感じがなかっただけで、悪影響は出ていないのだし。
……もっとも、いまは悪影響が出ていないだけかもしれない。ユタカの実はひとつふたつ食べたくらいでは平気だけど、日常的に何個も食べているといずれ影響が出てくる、という可能性だって、まだ消えてはいないのだ。
その可能性に対処する方法は至って簡単だ。食べる量に制限をつければいいのだ。コレステロールやプリン体の摂取制限と同じだ。
幸いと言うべきか、ユタカも毎日飲精しては実を付けるわけではないし、一度に付ける実も、いまのところ最大で五個だ。そのくらいの量なら、一人で独占しようと思わなければ大丈夫だろう――。
「……と言い切れたらいいんだけどな」
地球にだって、ごく少量で命に関わる毒が幾らでもあった。コレステロールならまだしも、水銀だったら少量でも摂取させたくない。
だから、明らかに現地人と異世界人とで異なる影響が出ているユタカの実を、有瓜にはもう食べないでほしかった。いまは影響がないだけのように見えても、じつは見えないところで悪影響が蓄積しているかもしれないのだ。まともな医者も薬もない環境では、どうか自重してほしかった。
「……とは言っても、食べちゃうんだろうなぁ」
有瓜は俺が何を言ったところで、これからもユタカの実を食べ続けるだろう。
なぜなら、有瓜はあの実の栄養がお腹の子供にとって素晴しいものだと実体験で感じ取ってしまった。有瓜はそういう直感を疑わないし、迷わない。それが母体に悪影響を及ぼすかもしれないと言われても、お腹の子供にとって間違いなく有益だと直感しているのなら、それを食べる。だろうと付ける必要もなく、有瓜はそうする。
有瓜は、怒っていても損得勘定を働かせられるのが女だと言っていたけれど、自分の損得よりもお腹の子供の損得を優先させるのって、それはもう――
「それはもう女じゃなく……母だろ」
有瓜の前では、はっきり言えなかった言葉だ。なぜ言えなかったのかなど、決まっている。妹が母になることを何の抵抗もなしに許容できる兄は、いるのだろうか。いや、いるまい。
「けど、俺が許す許さないの話じゃない。有瓜がちゃんと覚悟を決めているんだから、俺もしっかり、できることをやっていかないと」
差し当たって考えるべきは、ユタカの実を料理することだ。
実をそのまま食べるとなると、みんな有瓜に譲るだろうから、有瓜は一度に一個をおぺろりと食べてしまうだろう。でも、果肉をほぐしてスープにして一人分ずつ取り分けたり、ジャムにして一人分ずつのクレープに盛ったりすれば、果肉を全員で自然に分け合う形にできる。そうやって摂取量を減らせば、母体への悪影響があったとしても最小限で済むだろう。
さらに、ジャムが日持ちしそうなら、一度に食べきってしまうのではなく、毎日のデザートとして少しずつ食べることもできる。
ああ、そうだ――干してみるのもいいな。ゼリー状の果肉を焼くのは難しそうだけど、神官に冷凍の魔術が使えるかを試してもらうのも面白そうだ。ああ、そうした場合に栄養価が残るのかも確かめないと。それから、他の食材との食べ合わせも検討してみたいところだ。とくに、干したり、酒に漬けたりして保存が利くかどうかは重要だ……って、ユタカに聞けば分かるのか?
「とにかく、考えることも、やるべきことも山ほどある……と」
木陰でまったりしているユタカの傍で、遊び疲れたダイチを寝かしつけながら思索に耽っていた俺は、独りごちながら身体を起こして、背筋を伸す。
そのとき、ふと思った。
「言葉が通じる、見た目は幼女のやつが産んだ卵を普通に食べたり、料理法を考えたりしているんだよな……ははは……」
カブトムシの幼虫みたいなものを食べるか食べないかで悩んでいたのが、遠い昔のようだ。
「まあ、一年は経っているんだよな……そりゃ、赤ん坊も生まれるか」
たった一年、既に一年。とても遠くまで来てしまった気がする。来年はどうなっているのか。どこまで遠くへ追いやられるのか――。
不意に訪れた未来への不安は、不意の呼びかけで遮られた。
狩りや山菜採りのついでに周辺の見回りをしていた忍者ゴブリンだ。
「従者様――」
忍者がそう言って報告してきた内容は、この前の女騎士が山賊どもに追われているのを保護すたんだが、どうすっぺか――だった。
ちなみに、食感は果物というより果物ゼリーだよな、という説明するために、獣肉と香味野菜のゼリー寄せを作ってみたら、シャーリーとアンには絶賛だった。
「なんだこれ、とろっとろ。美味ぇ!」
「こんなの初めて食べました……!」
でも、獣皮を煮詰めて摂ったゼラチンで作ったのだと言ったら、手の平を返された。
「は? 毛皮を食いものにしたのか?」
「ロイドさん、それはさすがに勿体ないです……」
次からは、骨や腱から煮出す方法を試してみようと思う。
なお、ゴブリンたちからはゼリー寄せに好評価が貰えなかった。
「なんつぅか……柔っこすぎだべな」
「んだなぁ」
そして有瓜からは、こう言われた。
「どうせならフルーツゼリーが食べたかったです」
獣皮を煮詰めたゼラチンから獣臭さを消すことを諦めた俺への、容赦ない駄目出しだった。
……だが、いつかはやってやる。神官の魔術がもっと上手くなったら、きっとなんとかしてくれるはずだ。これは他人任せではない、適材適所だ。
まあ、ゼリーの話はこのくらいにしよう。
重要なのは、有瓜が最初の一個を食べた日から数日かけて、俺たち全員がユタカの実を食したということだ。
ユタカは初めて実を付けた日の午後には早速、またしても精液を欲しがった。有瓜がゴブリンたちに囲まれているところに近づいていくと、一本貸して、とでも言うように輪の中に入っていったのだった。
有瓜も最初は戸惑った様子だったけれど、結局はユタカの熱意に負けて参加を許可した。ただし、ゴブリンたちは基本的に有瓜としか致したがらないし、ユタカも精液の経口摂取にしか興味がなかったため、有瓜と致して限界寸前まで気持よくなったらユタカの口に射精する――という方式になったようだった。
ゴブリンたちは肉棒を有瓜の穴に突っ込んだり、手や頬や足で扱かれたりしては、切羽詰まった顔で抜いた肉棒を横で座って待機しているユタカの口に突っ込んだり、それが間に合わないときは的当てをするみたいにして、ユタカが素早く開けた口の中にどくどくと射精していく――。
その光景は傍から見ていると、腹を空かせた雛鳥に親鳥が口移しで餌を分け与えているかのようだった。もっともその場合、親鳥が多数いて雛鳥が一羽しかいないということになるから、あまり適切な連想ではなかったかもしれないが――。
――嘘だ。本当は全然違うことを連想していた。
「精液用の小便器か」
本当はそんなことを想像しながら、ユタカが口元に差し出された肉棒に吸い付くのを眺めつつ、子守や料理研究をしていた。
といっても、眺めていたのはそう長い時間ではなかった。
ユタカはだいたい三発ほど口内射精されると、満足顔で体育座りして、そのまま固まってしまう。そして最初のときと同じように植物状態になり、およそ一日後に果実を産んで目を覚ますのだった。
二度目の結実は、四個だった。四つ子だった。植物状態だった時間は初回と変わらないので、たぶんその状態になる前に摂取した精液の量が、付ける実の数に影響しているのだろう。
……つまり、ユタカの実は精液で作られている説が急上昇である。
ユタカが言う(翻訳:有瓜)には、この実は植えても芽が出たりしない種なし果実で、どちらかというと栄養素を凝縮させたゼリー食品、みたいなものらしい。まかり間違っても、食べたら孕む、なんてことはないと断言された。
まあ実際、河豚の白子や鮭の卵を食べることに抵抗感を持ったことはないし、人によっては牛や豚の睾丸を焼き肉にして食べたりもするそうだし……ユタカの実もそれと似たようなものだと思えば、抵抗感は薄まる。それに究極的な話、ユタカの実は美味いのだ。
一口で脳が痺れるほど甘いのに、嚥下した途端、その甘さも痺れもマッチの火のようにふっと消える。ただ、とても甘くて美味しいものを食べたという記憶だけが、影送りのように意識へ焼き付けられて、渇望させられる。そして気がつけば、もう一口、また一口――と、手の中の果実がなくなるまで食べ続けてしまうのだ。
「……これ、中毒成分は入ってないよな?」
ユタカの実を初めて食べたときは、自分がいつ食べ終わったのかも分からないほど一気に食べてしまって、食べ終わった後にそんな心配をして恐々としたものだった。
とにかく、ユタカの実は中毒性を疑いたくなるほど美味かったこともあって、その製法への忌避はすぐに消えた。
「畑に撒く肥料も、元を正せばうんこだ。精液を肥料にして育つ果実も、そう考えたら普通だ、普通。うん、普通」
そう自分に言い聞かせたら、あっさり納得してくれた。どこの世界でも、美味しいは正義なのだ。
ああそういえば、ユタカのうんこは試しに、危険地帯に生えている美味しい実がなる植物の根元に撒いてみていたりする。まだ何とも言えないけれど、いまのところ逆効果ということはないようだ。秋まで要観察だ。
さて、話を戻して――。
このように美味しい美味しいユタカの果実だが、じつは美味しいだけではなかった。
「なんだか、食べたら身体がぽかぽかして、元気が漲っているような……」
「おう。いまなら、何でもできそうな気がすんぜ……!」
アンとシャーリーはひとつの実をナイフで二つに分けて食べたのだけど、最初の一口は二人とも、舌先でちろりと舐めただけだった。だが、そのひと舐めから数秒後には、二人とも口いっぱいに果実を頬張って夢中で咀嚼し、ごくんと嚥下した後もしばらく食べ終わったことに気がつかないで口を動かしていた。口内に残った甘さの記憶を舐めまわしていた。
姉妹で揃って顔の筋肉をだるんだるんに緩ませて陶然としている姿はやはり、麻薬とか中毒とかの言葉を連想させてくるものだった。どうやら、ユタカの実を初めて食べた人間はだいたい、そういう反応になるらしい。
ここで人間はと限定したのは、ゴブリンたちが一口ずつ食べてみた際の反応は、「美味しいけれど騒ぐほどでもないか」だった。
「ははぁ、甘ぇっすなぁ」
「んだ、甘ぇな」
「甘ぇ甘ぇ」
「んだんだ」
ゴブリンたちも甘味が嫌いというわけではない。ただ、言葉を忘れて呆然とするほど好きだ、というわけではないようだった。
彼らが味よりも気にしたのは、ユタカの実の効能についてだった。
シャーリーとアンが「食べたら元気が漲ってきた」と言い出すと、ゴブリンたちも「言われてみると、おらたつもそったら気ぃさすんだぁ」と同調して騒ぎ始めた。もっとも、ゴブリンたちは一口ずつしか食べていないからなのか、漲ってきたというほどではなかったようだが。
ダイチとミソラにも舐める程度の量を食べさせてみたが、反応はきれいに分かれた。ミソラは目をきらきらに輝かせ、頬をピンクに染めて歓喜の声を上げたけれど、ダイチはふんっと鼻を鳴らして笑っただけだった。
有瓜が食べたときにも「お腹の子にがっつり栄養補給された感じがする」と言っていたので、ユタカの実には常識を越えた栄養が含まれているというので確定なのだろう。
……確定なのだろうと推量の言いまわしになってしまうのは、俺には――俺にだけは、栄養が全身に行き渡ったという感覚がやってこなかったからだ。
他の全員が「全身に力が漲る」と言い、有瓜だけが「お腹の赤ちゃんに栄養が行っている感じ」と言っていることから、おそらくユタカの実には、この世界の生き物にしか吸収できない栄養素が多量に含まれているのだろう。
この推測は、俺に恐怖を呼び起こさせるものだった。
今回、ユタカの実に含まれている強力な栄養素については、俺が食べても吸収できなかっただけで悪影響は出ていない。少なくとも、食してから数日が経過している現在、何の自覚症状も出ていない。
しかし、「現地人には吸収できて、異世界人には吸収できない栄養素がある」という事実は、つまり、「こちらで普通に食されているものが、俺と有瓜にとっては毒になる」可能性があるということだ。
……これまで、その可能性を少しも考えないで、ものを食べてきていた。
「これ、美味しいよ」と善意で差し出されたもので中毒死していたかもしれないのに、よくまあ平気で、正体を知りもしない虫やら獣肉やらを食べていられたものだ。
「……って、怯えすぎか」
独り言にして吐き出すことで、少し強くなりすぎた恐怖心を紛らわせた。
未知の食材への警戒心は大切だ。けれど、俺も有瓜もこの世界のものを食べるしかないのだ。どんなもので、少しずつ試していくしかないのだ。
「毒になる可能性と言っても、生水を飲んだら腹を下す、みたいなことだ。中毒死なんて極論ばかり考えるもんじゃないよな、うん」
だいたい、俺たちはここで一年近く生きてきたのだ。その事実を前提にして考えれば、人間が食べているものはだいたい食べられる、と考えていいはずだ。ユタカの実だって、俺にはみんなの言う「漲ってくる」感じがなかっただけで、悪影響は出ていないのだし。
……もっとも、いまは悪影響が出ていないだけかもしれない。ユタカの実はひとつふたつ食べたくらいでは平気だけど、日常的に何個も食べているといずれ影響が出てくる、という可能性だって、まだ消えてはいないのだ。
その可能性に対処する方法は至って簡単だ。食べる量に制限をつければいいのだ。コレステロールやプリン体の摂取制限と同じだ。
幸いと言うべきか、ユタカも毎日飲精しては実を付けるわけではないし、一度に付ける実も、いまのところ最大で五個だ。そのくらいの量なら、一人で独占しようと思わなければ大丈夫だろう――。
「……と言い切れたらいいんだけどな」
地球にだって、ごく少量で命に関わる毒が幾らでもあった。コレステロールならまだしも、水銀だったら少量でも摂取させたくない。
だから、明らかに現地人と異世界人とで異なる影響が出ているユタカの実を、有瓜にはもう食べないでほしかった。いまは影響がないだけのように見えても、じつは見えないところで悪影響が蓄積しているかもしれないのだ。まともな医者も薬もない環境では、どうか自重してほしかった。
「……とは言っても、食べちゃうんだろうなぁ」
有瓜は俺が何を言ったところで、これからもユタカの実を食べ続けるだろう。
なぜなら、有瓜はあの実の栄養がお腹の子供にとって素晴しいものだと実体験で感じ取ってしまった。有瓜はそういう直感を疑わないし、迷わない。それが母体に悪影響を及ぼすかもしれないと言われても、お腹の子供にとって間違いなく有益だと直感しているのなら、それを食べる。だろうと付ける必要もなく、有瓜はそうする。
有瓜は、怒っていても損得勘定を働かせられるのが女だと言っていたけれど、自分の損得よりもお腹の子供の損得を優先させるのって、それはもう――
「それはもう女じゃなく……母だろ」
有瓜の前では、はっきり言えなかった言葉だ。なぜ言えなかったのかなど、決まっている。妹が母になることを何の抵抗もなしに許容できる兄は、いるのだろうか。いや、いるまい。
「けど、俺が許す許さないの話じゃない。有瓜がちゃんと覚悟を決めているんだから、俺もしっかり、できることをやっていかないと」
差し当たって考えるべきは、ユタカの実を料理することだ。
実をそのまま食べるとなると、みんな有瓜に譲るだろうから、有瓜は一度に一個をおぺろりと食べてしまうだろう。でも、果肉をほぐしてスープにして一人分ずつ取り分けたり、ジャムにして一人分ずつのクレープに盛ったりすれば、果肉を全員で自然に分け合う形にできる。そうやって摂取量を減らせば、母体への悪影響があったとしても最小限で済むだろう。
さらに、ジャムが日持ちしそうなら、一度に食べきってしまうのではなく、毎日のデザートとして少しずつ食べることもできる。
ああ、そうだ――干してみるのもいいな。ゼリー状の果肉を焼くのは難しそうだけど、神官に冷凍の魔術が使えるかを試してもらうのも面白そうだ。ああ、そうした場合に栄養価が残るのかも確かめないと。それから、他の食材との食べ合わせも検討してみたいところだ。とくに、干したり、酒に漬けたりして保存が利くかどうかは重要だ……って、ユタカに聞けば分かるのか?
「とにかく、考えることも、やるべきことも山ほどある……と」
木陰でまったりしているユタカの傍で、遊び疲れたダイチを寝かしつけながら思索に耽っていた俺は、独りごちながら身体を起こして、背筋を伸す。
そのとき、ふと思った。
「言葉が通じる、見た目は幼女のやつが産んだ卵を普通に食べたり、料理法を考えたりしているんだよな……ははは……」
カブトムシの幼虫みたいなものを食べるか食べないかで悩んでいたのが、遠い昔のようだ。
「まあ、一年は経っているんだよな……そりゃ、赤ん坊も生まれるか」
たった一年、既に一年。とても遠くまで来てしまった気がする。来年はどうなっているのか。どこまで遠くへ追いやられるのか――。
不意に訪れた未来への不安は、不意の呼びかけで遮られた。
狩りや山菜採りのついでに周辺の見回りをしていた忍者ゴブリンだ。
「従者様――」
忍者がそう言って報告してきた内容は、この前の女騎士が山賊どもに追われているのを保護すたんだが、どうすっぺか――だった。
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