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2章
32. 二人の赤ちゃん アルカ
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そのときのシャーリーさんとアンちゃんのお腹は、わたしが知っている知識から言えば、六ヶ月目くらいの膨らみ具合でした。
妊娠発覚が一ヶ月目だったとしても、実時間でそこから一ヶ月ほど――つまり合計で二ヶ月目にして、だいたい六ヶ月目くらいのお腹になったわけですから、およそ三倍の速度で膨らんだわけです。驚きでした。
念のためにシャーリーさん、アンちゃんと、ゴブさんたちにも聞き取りをしたのですけど、人間同士で受胎した場合の妊婦さんはわたしの知識と同じように十月十日で臨月になって出産するそうです。ちなみに十月十日は、一ヶ月が四週間の計算で“十ヶ月目の十日”という意味なので、九ヶ月×四週間×七日+十日=二百六十二日です。バレンタイデーに仕込んだ子供がクリスマスイブに生まれるわけではありません。
なんでこんな蘊蓄を知っているのかというと、ビッチにはビッチの友達がいて、色々と計算しなければならないことがあったからです。あの子はいま、ちゃんと母親しているんでしょうか?
……おっと、久々に追憶しちゃいました。いまは、シャーリーさんとアンちゃんのことです。
二人は妊娠一ヶ月から二ヶ月くらいのある日、六ヶ月目くらいにお腹が膨らんだところで出産しました。これは人間にしたら早産も早産です。では、ゴブさんたち的にはどうなのかというと、これがなんとまあ……
「すまんこってすが……わすら、赤子がどんくれぇで生まれっか、ようけ分からんのだす」
ゴブさんたちは二十世紀のお父さんばりに、出産や育児についての知識がありませんでした。女に中出ししたら後は知らん。そのうち生まれてきて、そうしたら適当に飯の残り物をくれてやっていれば育つものだろう――でした。
まあ実際、ゴブさんたちもそうして育ったわけで、父親とか母親という概念からして、ぴんと来ていない様子でした。本当に、勝手に生まれて勝手に育つ、というのが基本だったみたいです。
さらに言うと、ゴブさんたちにとって女性を犯すのは原則的に百パーセント子作りのためなので、その女性が孕んだと分かった時点でセックスすることもなくな、完全に放置状態になっていたのだそうです。
放置された妊婦さんのお股から生まれてきて、勝手に育つことのできた子だけが育って、そうできなかった子は飢えて死ぬなり、狩りに行って逆に食べられたりしてきたのだということでした。
さらに、この群れはまだ子作りをしたことがなかったので、女性が自分たちの子供を孕んだと分かってから何日くらいで生まれてくるのかを実体験でも語れなかったというわけです。
ここのゴブさんたちは縄張り争いに負けて他所の土地からここへ流れてきたと以前に言っていましたけど、みんなして子作り経験がないということは、元の群れからあぶれた若者たちグループが新天地目指して旅立った――という感じだったりしたのでしょうか。
とにかく、ゴブさんたちからの聞き取りでは何も分かりませんでした。
人間からすれば早産で生まれてきて、サイズも生後一ヶ月の仔猫くらいと、これまた人間基準で考えたら小さすぎる赤ちゃんです。これがゴブリンの赤ちゃんとしては標準的なのか、それともやっぱり小さすぎるのか――それすらも、ゴブさんたちは覚えていませんでした。
一番頭の良さそうな、というか確実に一番頭が良い神官さんでさえ、覚えていませんでした。
「誠にすまんでがす。だども、あん頃ば、いまぁよかずぅっと頭ば悪かったしぃ、自分が食うことば手一杯で、周りば見とる余裕なぞ、とてもとても。それに……赤ん坊ば大きさやら、生まれるまでぇ日数だら気になる日ば来るたぁ思わへんだで」
そう言われてしまうと文句も言えません。わたしたちだって、人間でもゴブリンでもないっぽい赤ん坊が生まれてくるなんて、思ってもみませんでしたからね。
……あ。
そういえば、どんな赤ん坊が生まれてきたのかをちゃんと語っていなかったような気がします。わたしも動揺が尾を曳いているんでしょうね。
シャーリーさんとアンちゃんの赤ちゃんが生まれたときのことを、改めて語るとしましょう。
● ● ●
シャーリーさんとアンちゃんの妊娠が発覚してからおよそ二ヶ月目の、その日。二人が揃って破水しました。さすがに破水を生で見たのは初めてだったので、ちょっとビビりました。
だって、いくら二人のお腹がぐんぐん大きくなっているからといって、まだ妊娠一ヶ月か二ヶ月目くらいだと思っていたわけですよ。時間じゃなくて大きさで考えたとしても、六ヶ月くらいの大きさかなぁと思っていたわけで……早すぎる破水に、わたしもシャーリーさんもアンちゃんも、数秒ほど頭が真っ白になりましたとも。
いちおう、「臨月が近くなったら、これこれこういうものを用意しておきましょうね」という話もしていたのですが、それらの用意はまったく出来ていませんでした。村から産婆さんを連れてくる猶予もありませんし、清潔な布も全然足りません。
まあ……村にも新品の布が余っていたわけではないですし、産婆さんの知識にも「出産には清潔さが最重要」という項目がない――というか、この前村に行ったときに産婆さん(普段は普通の農夫をしている普通のおばさんでした)と少し話をしたんですけど、清潔や衛生という観念がほぼまったくないみたいでした。汚れていると気持ち悪いよね、くらいの感覚しかないみたいでした。
「汚れていると傷口が膿んだり、感染症? ええと、なんか病気的なものに罹っちゃったりするみたいですよ」
その産婆さんには義兄さんの受け売りを話してみたのですが、返ってきたのは衝撃的な言葉でした。
「出産は基本、母も赤子も死ぬもんさ。無事に済んだら儲けもの、くらいの気持ちでいるのが産婆をするときのこつさね」
まったく悪気のない顔でそう言われたら、そんなことはないと思うんですけど、という気力もなくなってしまいました。受け売りの言葉しか話せないわたしにレベルが高すぎでした。そうでなくとも、中年女性の説得というのは、わたしの一番の苦手分野なのでして。これが中年男性だったら、逆にいくらでも籠絡できる自信があるんですけど。
ええとまあ、とにかくそういうわけで――産婆さんも何もない状況で、とにかくお湯と石鹸石だけは、ゴブさんたち総動員で大量に用意してもらって二人同時出産に挑んだのでした。
たぶん……いえ、間違いなく一番頑張ったのは、わたしでした。もちろん、当事者の姉妹二人を除いて、ですけど。
義兄さんは珍しく、役立たずでした。ゴブさんたちは分からないなりにも、わたしの指示にとにかく従ってくれたので、義兄さんよりも頑張ってくれました。
義兄さんは、なまじ知識があって色々と想像できたために、かえって動けなくなっていたみたいです。冬の間は山賊退治に大活躍していたようですが、このときの使えなさっぷりからはとても想像できませんでした。この世の終わりみたいな顔で右往左往しているのは、ちょっと邪魔でした。
でも、いざという時に使えなくなる頭でっかちポンコツ感に、なぜかほっこりしているわたしもいたりしました。わたしは義兄さんの駄目なところを見ると安心する癖があるのかもしれません。あ、そういう意味では、義兄さんの役立たずっぷりも、わたしを落ち着かせてくれる役に立ったわけですね。
終わってみれば、初めての出産は何の問題もなく終わりました。数日は様子見必須なんでしょうけど、ひとまずは母子共に無事です。とくに小柄なアンちゃんについては、本気で命の危険があるんじゃないかと危惧していたのですけど、まったくの杞憂でした。
わたしたちの助産が良かったというより、生まれてきた赤ちゃんが仔猫サイズだったからだと思います。早すぎる臨月のせいで準備不足にもなりましたが、そのおかげでま○こへの負担も軽くで済んだのでした。
臍の緒を鋏で切ったときの不思議な興奮は、いまでも忘れられません。もしかしたら、あのときの興奮を母性と呼ぶのかもしれません――なんて思ったり、思わなかったりです。
さて、生まれた赤ちゃんですが……。
アンちゃんが生んだのは、小さすぎることを除けば人間そっくりな赤ちゃんです。人間そのものではなくそっくりなのは、額の両脇、生え際の当りに二本の小さな角が生えていたからです。ちなみにゴブさんたちの頭にも、この赤ちゃんと同じ位置が角のように盛り上がっているのですけど、そちらはあくまでも瘤でした。
でも、赤ちゃんの角は明確に角です。隆起して角質化した肌が角っぽく見えているのではなく、牛とか犀とかの角と同じような、牙っぽいものが生えていました。大きさはちょこんと先っぽを覗かせている程度なのですが、間違いなく角でした。
髪の色は母親のアンちゃんとよく似た赤茶色です。
「……そっか。わたしの子ですね、これは」
最初は早すぎる出産とか、角が生えた人間でもゴブリンでもない小さすぎる赤ん坊とか、諸々のことに衝撃を受けていたようなアンちゃんでしたが、神妙な顔で赤ちゃんを抱っこしてしばらく確かめるように顔を撫でまわした後、そう言って笑いました。
傍で見ていたわたしがそのときに感じた、胸をくすぐられたみたいな気持ちも、母性だったのかなぁと思います。
シャーリーさんが産んだのは、深いチョコレート色の肌をした赤ちゃんでした。焦茶というには黒光りしていて、黒というにはチョコっぽい――そんな色味の肌をしています。
「黒檀、エボニー……そんな感じの色だな」
義兄さんはそう評していました。
黒檀とエボニーは同じもので、なんか艶々した黒よりの焦げ茶色した木材のことだそうです。要するにブラックチョコレートの色ですね。
そんな黒い肌以外の特徴といえば、角でしょう。アンちゃんの赤ちゃんには額の左右、生え際のところに二本生えていましたが、シャーリーさんの赤ちゃんは額の中心線を上がったところの生え際に一本生えているのでした。
髪の色はたぶん、アンちゃんの赤ちゃんと同じです。つまり、アンちゃん、シャーリーさんと同じような赤茶色です。でも、肌の色が違うからでしょうか。ぱっと見ただけだと、シャーリーさんの赤ちゃんの髪のほうが暗い色に見えます。でも触ってみると、どちらもふわふわの手触りで、頭皮の滑らかさとも相俟って、撫でているとすごく幸せな気分になれます。これも母性?
「でも、顔立ちはお父ちゃんたちそっくりだ」
我が子を抱き締めて頬笑むシャーリーさんは、疑問符を付ける余地もないほど母親でした。
さてさて、そんなこんなで春の盛りに二人の赤ちゃんが生まれたわけですが――赤ちゃんを産んだら終わり、とはなりません。産まれたその日から、赤ちゃんの世話という数年がかりの大戦争が勃発するのです。まさに、出産は始まりに過ぎないのです!
具体的に言うと、夜泣きでみんな死にました。
もちろん比喩なんですが、睡眠不足で死にそうです。わたしはセックスする以外にはほとんど働いていないからいいとしても、狩りに行くゴブさんたちには睡眠不足が結構響いているみたいで、なんとかしないと本気で死人が出かねない気がします。
というか、夜泣きって夜の森に響き渡るほどの大音量でしたっけ? もしかして、この世界の赤ん坊はみんな、このくらいド派手に夜泣きするんですか?
「いえ、まさか。そんなことねぇっす」
「こんな夜泣きが普通だったら、子供を作る人は村外れに移り住まなきゃいけなくなってたでしょうね……」
シャーリーさんたちに問い質してみたところ、返ってきたのはそのような返事でした。
つまり、この子たちの夜泣きは規格外、ということです。いえまあ、角の生えた種族不明な赤ちゃんという時点で十分に規格外なわけですけど。
あ、規格外で思い出しました。まだ赤ちゃん二人の性別を言っていませんでしたね。
アンちゃんが産んだ白っぽい肌で二本角の赤ちゃんは女の子。
シャーリーさんが産んだ黒っぽい肌で一本角の赤ちゃんは男の子です。
なぜ規格外で性別のことを思い出したのかと言えば、アンちゃん赤ちゃんのほうは規格外なのに野郎じゃなくて女の子ですけどね、なんて駄洒落が脳裏を過ぎったからでした。どうでもいいですね。
あ、どうでもよくないことがひとつ。
名前です。
予想より早すぎる出産が残した最後の問題が、それなのです。
出産から十日が過ぎた現在、赤ちゃん二人の名前は未だに決まっていないのでした。
黒っぽい赤ちゃん、白っぽい赤ちゃん。男の子のほう、女の子のほう。角一本のほう、二本のほう――。
そんなふうにしか呼べていないのです。不便で仕方がありません。早く名前を付けないと……と思うのですが、これがなかなか。
現代日本で赤ちゃんの命名辞典みたいなものがどうしてあんなに沢山出版されていたのか、いまなら理解できます。
はぁ……名前って決められないものですねぇ。
妊娠発覚が一ヶ月目だったとしても、実時間でそこから一ヶ月ほど――つまり合計で二ヶ月目にして、だいたい六ヶ月目くらいのお腹になったわけですから、およそ三倍の速度で膨らんだわけです。驚きでした。
念のためにシャーリーさん、アンちゃんと、ゴブさんたちにも聞き取りをしたのですけど、人間同士で受胎した場合の妊婦さんはわたしの知識と同じように十月十日で臨月になって出産するそうです。ちなみに十月十日は、一ヶ月が四週間の計算で“十ヶ月目の十日”という意味なので、九ヶ月×四週間×七日+十日=二百六十二日です。バレンタイデーに仕込んだ子供がクリスマスイブに生まれるわけではありません。
なんでこんな蘊蓄を知っているのかというと、ビッチにはビッチの友達がいて、色々と計算しなければならないことがあったからです。あの子はいま、ちゃんと母親しているんでしょうか?
……おっと、久々に追憶しちゃいました。いまは、シャーリーさんとアンちゃんのことです。
二人は妊娠一ヶ月から二ヶ月くらいのある日、六ヶ月目くらいにお腹が膨らんだところで出産しました。これは人間にしたら早産も早産です。では、ゴブさんたち的にはどうなのかというと、これがなんとまあ……
「すまんこってすが……わすら、赤子がどんくれぇで生まれっか、ようけ分からんのだす」
ゴブさんたちは二十世紀のお父さんばりに、出産や育児についての知識がありませんでした。女に中出ししたら後は知らん。そのうち生まれてきて、そうしたら適当に飯の残り物をくれてやっていれば育つものだろう――でした。
まあ実際、ゴブさんたちもそうして育ったわけで、父親とか母親という概念からして、ぴんと来ていない様子でした。本当に、勝手に生まれて勝手に育つ、というのが基本だったみたいです。
さらに言うと、ゴブさんたちにとって女性を犯すのは原則的に百パーセント子作りのためなので、その女性が孕んだと分かった時点でセックスすることもなくな、完全に放置状態になっていたのだそうです。
放置された妊婦さんのお股から生まれてきて、勝手に育つことのできた子だけが育って、そうできなかった子は飢えて死ぬなり、狩りに行って逆に食べられたりしてきたのだということでした。
さらに、この群れはまだ子作りをしたことがなかったので、女性が自分たちの子供を孕んだと分かってから何日くらいで生まれてくるのかを実体験でも語れなかったというわけです。
ここのゴブさんたちは縄張り争いに負けて他所の土地からここへ流れてきたと以前に言っていましたけど、みんなして子作り経験がないということは、元の群れからあぶれた若者たちグループが新天地目指して旅立った――という感じだったりしたのでしょうか。
とにかく、ゴブさんたちからの聞き取りでは何も分かりませんでした。
人間からすれば早産で生まれてきて、サイズも生後一ヶ月の仔猫くらいと、これまた人間基準で考えたら小さすぎる赤ちゃんです。これがゴブリンの赤ちゃんとしては標準的なのか、それともやっぱり小さすぎるのか――それすらも、ゴブさんたちは覚えていませんでした。
一番頭の良さそうな、というか確実に一番頭が良い神官さんでさえ、覚えていませんでした。
「誠にすまんでがす。だども、あん頃ば、いまぁよかずぅっと頭ば悪かったしぃ、自分が食うことば手一杯で、周りば見とる余裕なぞ、とてもとても。それに……赤ん坊ば大きさやら、生まれるまでぇ日数だら気になる日ば来るたぁ思わへんだで」
そう言われてしまうと文句も言えません。わたしたちだって、人間でもゴブリンでもないっぽい赤ん坊が生まれてくるなんて、思ってもみませんでしたからね。
……あ。
そういえば、どんな赤ん坊が生まれてきたのかをちゃんと語っていなかったような気がします。わたしも動揺が尾を曳いているんでしょうね。
シャーリーさんとアンちゃんの赤ちゃんが生まれたときのことを、改めて語るとしましょう。
● ● ●
シャーリーさんとアンちゃんの妊娠が発覚してからおよそ二ヶ月目の、その日。二人が揃って破水しました。さすがに破水を生で見たのは初めてだったので、ちょっとビビりました。
だって、いくら二人のお腹がぐんぐん大きくなっているからといって、まだ妊娠一ヶ月か二ヶ月目くらいだと思っていたわけですよ。時間じゃなくて大きさで考えたとしても、六ヶ月くらいの大きさかなぁと思っていたわけで……早すぎる破水に、わたしもシャーリーさんもアンちゃんも、数秒ほど頭が真っ白になりましたとも。
いちおう、「臨月が近くなったら、これこれこういうものを用意しておきましょうね」という話もしていたのですが、それらの用意はまったく出来ていませんでした。村から産婆さんを連れてくる猶予もありませんし、清潔な布も全然足りません。
まあ……村にも新品の布が余っていたわけではないですし、産婆さんの知識にも「出産には清潔さが最重要」という項目がない――というか、この前村に行ったときに産婆さん(普段は普通の農夫をしている普通のおばさんでした)と少し話をしたんですけど、清潔や衛生という観念がほぼまったくないみたいでした。汚れていると気持ち悪いよね、くらいの感覚しかないみたいでした。
「汚れていると傷口が膿んだり、感染症? ええと、なんか病気的なものに罹っちゃったりするみたいですよ」
その産婆さんには義兄さんの受け売りを話してみたのですが、返ってきたのは衝撃的な言葉でした。
「出産は基本、母も赤子も死ぬもんさ。無事に済んだら儲けもの、くらいの気持ちでいるのが産婆をするときのこつさね」
まったく悪気のない顔でそう言われたら、そんなことはないと思うんですけど、という気力もなくなってしまいました。受け売りの言葉しか話せないわたしにレベルが高すぎでした。そうでなくとも、中年女性の説得というのは、わたしの一番の苦手分野なのでして。これが中年男性だったら、逆にいくらでも籠絡できる自信があるんですけど。
ええとまあ、とにかくそういうわけで――産婆さんも何もない状況で、とにかくお湯と石鹸石だけは、ゴブさんたち総動員で大量に用意してもらって二人同時出産に挑んだのでした。
たぶん……いえ、間違いなく一番頑張ったのは、わたしでした。もちろん、当事者の姉妹二人を除いて、ですけど。
義兄さんは珍しく、役立たずでした。ゴブさんたちは分からないなりにも、わたしの指示にとにかく従ってくれたので、義兄さんよりも頑張ってくれました。
義兄さんは、なまじ知識があって色々と想像できたために、かえって動けなくなっていたみたいです。冬の間は山賊退治に大活躍していたようですが、このときの使えなさっぷりからはとても想像できませんでした。この世の終わりみたいな顔で右往左往しているのは、ちょっと邪魔でした。
でも、いざという時に使えなくなる頭でっかちポンコツ感に、なぜかほっこりしているわたしもいたりしました。わたしは義兄さんの駄目なところを見ると安心する癖があるのかもしれません。あ、そういう意味では、義兄さんの役立たずっぷりも、わたしを落ち着かせてくれる役に立ったわけですね。
終わってみれば、初めての出産は何の問題もなく終わりました。数日は様子見必須なんでしょうけど、ひとまずは母子共に無事です。とくに小柄なアンちゃんについては、本気で命の危険があるんじゃないかと危惧していたのですけど、まったくの杞憂でした。
わたしたちの助産が良かったというより、生まれてきた赤ちゃんが仔猫サイズだったからだと思います。早すぎる臨月のせいで準備不足にもなりましたが、そのおかげでま○こへの負担も軽くで済んだのでした。
臍の緒を鋏で切ったときの不思議な興奮は、いまでも忘れられません。もしかしたら、あのときの興奮を母性と呼ぶのかもしれません――なんて思ったり、思わなかったりです。
さて、生まれた赤ちゃんですが……。
アンちゃんが生んだのは、小さすぎることを除けば人間そっくりな赤ちゃんです。人間そのものではなくそっくりなのは、額の両脇、生え際の当りに二本の小さな角が生えていたからです。ちなみにゴブさんたちの頭にも、この赤ちゃんと同じ位置が角のように盛り上がっているのですけど、そちらはあくまでも瘤でした。
でも、赤ちゃんの角は明確に角です。隆起して角質化した肌が角っぽく見えているのではなく、牛とか犀とかの角と同じような、牙っぽいものが生えていました。大きさはちょこんと先っぽを覗かせている程度なのですが、間違いなく角でした。
髪の色は母親のアンちゃんとよく似た赤茶色です。
「……そっか。わたしの子ですね、これは」
最初は早すぎる出産とか、角が生えた人間でもゴブリンでもない小さすぎる赤ん坊とか、諸々のことに衝撃を受けていたようなアンちゃんでしたが、神妙な顔で赤ちゃんを抱っこしてしばらく確かめるように顔を撫でまわした後、そう言って笑いました。
傍で見ていたわたしがそのときに感じた、胸をくすぐられたみたいな気持ちも、母性だったのかなぁと思います。
シャーリーさんが産んだのは、深いチョコレート色の肌をした赤ちゃんでした。焦茶というには黒光りしていて、黒というにはチョコっぽい――そんな色味の肌をしています。
「黒檀、エボニー……そんな感じの色だな」
義兄さんはそう評していました。
黒檀とエボニーは同じもので、なんか艶々した黒よりの焦げ茶色した木材のことだそうです。要するにブラックチョコレートの色ですね。
そんな黒い肌以外の特徴といえば、角でしょう。アンちゃんの赤ちゃんには額の左右、生え際のところに二本生えていましたが、シャーリーさんの赤ちゃんは額の中心線を上がったところの生え際に一本生えているのでした。
髪の色はたぶん、アンちゃんの赤ちゃんと同じです。つまり、アンちゃん、シャーリーさんと同じような赤茶色です。でも、肌の色が違うからでしょうか。ぱっと見ただけだと、シャーリーさんの赤ちゃんの髪のほうが暗い色に見えます。でも触ってみると、どちらもふわふわの手触りで、頭皮の滑らかさとも相俟って、撫でているとすごく幸せな気分になれます。これも母性?
「でも、顔立ちはお父ちゃんたちそっくりだ」
我が子を抱き締めて頬笑むシャーリーさんは、疑問符を付ける余地もないほど母親でした。
さてさて、そんなこんなで春の盛りに二人の赤ちゃんが生まれたわけですが――赤ちゃんを産んだら終わり、とはなりません。産まれたその日から、赤ちゃんの世話という数年がかりの大戦争が勃発するのです。まさに、出産は始まりに過ぎないのです!
具体的に言うと、夜泣きでみんな死にました。
もちろん比喩なんですが、睡眠不足で死にそうです。わたしはセックスする以外にはほとんど働いていないからいいとしても、狩りに行くゴブさんたちには睡眠不足が結構響いているみたいで、なんとかしないと本気で死人が出かねない気がします。
というか、夜泣きって夜の森に響き渡るほどの大音量でしたっけ? もしかして、この世界の赤ん坊はみんな、このくらいド派手に夜泣きするんですか?
「いえ、まさか。そんなことねぇっす」
「こんな夜泣きが普通だったら、子供を作る人は村外れに移り住まなきゃいけなくなってたでしょうね……」
シャーリーさんたちに問い質してみたところ、返ってきたのはそのような返事でした。
つまり、この子たちの夜泣きは規格外、ということです。いえまあ、角の生えた種族不明な赤ちゃんという時点で十分に規格外なわけですけど。
あ、規格外で思い出しました。まだ赤ちゃん二人の性別を言っていませんでしたね。
アンちゃんが産んだ白っぽい肌で二本角の赤ちゃんは女の子。
シャーリーさんが産んだ黒っぽい肌で一本角の赤ちゃんは男の子です。
なぜ規格外で性別のことを思い出したのかと言えば、アンちゃん赤ちゃんのほうは規格外なのに野郎じゃなくて女の子ですけどね、なんて駄洒落が脳裏を過ぎったからでした。どうでもいいですね。
あ、どうでもよくないことがひとつ。
名前です。
予想より早すぎる出産が残した最後の問題が、それなのです。
出産から十日が過ぎた現在、赤ちゃん二人の名前は未だに決まっていないのでした。
黒っぽい赤ちゃん、白っぽい赤ちゃん。男の子のほう、女の子のほう。角一本のほう、二本のほう――。
そんなふうにしか呼べていないのです。不便で仕方がありません。早く名前を付けないと……と思うのですが、これがなかなか。
現代日本で赤ちゃんの命名辞典みたいなものがどうしてあんなに沢山出版されていたのか、いまなら理解できます。
はぁ……名前って決められないものですねぇ。
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