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本の蟲編
2.公爵家の書庫管理人
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鼻や頬の辺りに星のようなそばかすを散らし、黒々とした髪を目が隠れるほどに長く伸ばしている。レトロといえば聞こえがいいが、古びて淡く黄色に変色したシャツに裾が伸びた黒のスラックス。
およそ由緒ある公爵家の出迎えに相応しくないように思える青年の名はイーザック。聞いたところ、書庫の管理人だという。
当主であるギジアは王の勅命を受けて屋敷を出て行ったと聞き、エディスはレウと顔を見合わせた。まさか自分を捜しているのではと案じたが、そうではないと否定された。
「今いるのは僕だけなんですけど……主人は隠れ家として使ってもらっていいと言っておられました」
ここに来てから一度も目が合っていない。あらぬ所に目をやって、自分の手首を掴んでいる。おどおどと自信なさげな素振りに、エディスは唖然とした。
だが、そういえばフィンティア家にも何人か同じような奴がいたのを思い出す。貴族の家来だからといって、皆が威張り散らしているわけではないのだ。
「よろしく頼む、イーザック」
差し出した手を見て、イーザックがふひっと口を横に引き伸ばしてヒクつかせたのには硬直したが。彼なりの精一杯の笑顔だったのだろう、きっと。
陰鬱とした彼との共同生活は、意外と落ち着いていた。
顔の片側を隠した彼が実はギジア本人なのではないかと怪しんだレウが頭を掴む事件があったが、後で殴ったレウは拗ねた顔で「地毛だった」と抜かしていた。
染色ならしばらくしたら落ちるだろうと思っていたが、染めているところも染め液の匂いがしたこともない。
ならばこの屋敷の主人は本当に出かけてしまっているのだろう。
特に大事そうではない書庫の管理人だというイーザックが何故残されたのかと疑問を感じていたが、それもすぐに払拭された。
この屋敷には至る所に書庫がある。なんなら廊下にも並んでいるし、ダイニングの食器棚にさえ本が入っている。
「よく燃えますよぉ……ひひっ、んふふ」と赤い目を歪ませてニタリと笑ったイーザックには閉口させられた。
かと思えばエディスが求めている十六魔人の魔法書はあるかどうかも分からないらしい。これだけ本があれば行方不明になるのも仕方のないことだろうが、落胆した。
「主人はシルベリア様が来たことを大層喜んでました。なんでも、魔力装置が欲しかったらしいです」
「あー……シルベリアが作ってたやつ。じゃあ出資先が見つかったのか」
「いぃえ、この家の先代……奥様が大層な浪費家でして。それはもう宝石やらドレスやらを買われまして」
顔を近づけてきたイーザックが、気味の悪い笑顔を浮かべて「ないんです」と蚊の鳴くような声を出す。
「金がか」
「はいぃ……なのでここ、お給料もあまりなくて」
国を代表する公爵家の現状に嘆けばいいのか、と頭が痛くなりそうなことを知らされたエディスは額を手で押さえた。
「なのでエドワード様におねだりされたそうなんですぅ」
快く買ってくださったんですよと言うイーザックに、エディスは「エドに?」と訊き返す。
「え~ぇ、お優しい人ですよねえ。僕、大好きなんです」
「俺も好きだよ」
魔力装置がいくら掛かったのかは分からないが、友だちの為に出す気前の良さがいい。エディスたちも汽車で一日掛けて北まで送ってもらい、その間の飲食も全て彼もちだった。
誰にでも分け隔てなくこうしているのだろうと思うほどに自然な振る舞いだった。地位に伴う義務を、エディスが知っている貴族の中で最も負わなければならないことを理解している人物だと思う。
「そういえば、レウ様は北方の生まれなんですよね?」
バスターグロス家は、北部では名の知れた軍人一家だとシルベリアが言っていたなと、レウを見やる。
「三男坊だって言っただろ。家督は二番目の兄貴が継ぐ」
「オウル・バスターグロス様ですね」
ーー白みがかったブロンドの髪を鬣のようになびかせ、侵攻不可侵と謳われる北部最大の砦を治めている御仁だとか。そうイーザックが笑顔で言うと、レウはただ筋肉でできた塊だと厳しい顔になった。
「それに、海の守護者レグト様!」
お二人ともそれはそれは雄々しい美丈夫なんですよとイーザックがくぐもった笑い声を出したのに、レウが口を歪める。
「両親も住んでるのはアリステラじゃないのか?」
「……親父たちはここに住んでる」
北部最大の都市、アリステラ。四方を山岳に囲まれた土地で、トリドット家や北部軍司令棟がある。
「じゃあ、挨拶したいな」
「では招待状を送りましょう」
主人がいないので大したもてなしはできませんがとイーザックが後頭部に手を当てた。レウはもてなさなくていいと腕を組み、エディスを見下ろしてくる。
「……なんだよ?」
上官として、部下の両親に挨拶をするのは当然のことだ。なのに、なにをそんなに訝しむことがあるのだろうか。
「仲悪いのか?」
「兄貴はいけ好かないけど、それだけだな」
そう言った割にため息を吐くレウが着ているコートの袖を引っ張ると、こちらに視線が向く。
「俺の家族のことはいいから、もっと温かくしろ」
風邪引くなよとエディスの首に巻かれたマフラーを手直ししてくる彼を見上げながら頷いた。
およそ由緒ある公爵家の出迎えに相応しくないように思える青年の名はイーザック。聞いたところ、書庫の管理人だという。
当主であるギジアは王の勅命を受けて屋敷を出て行ったと聞き、エディスはレウと顔を見合わせた。まさか自分を捜しているのではと案じたが、そうではないと否定された。
「今いるのは僕だけなんですけど……主人は隠れ家として使ってもらっていいと言っておられました」
ここに来てから一度も目が合っていない。あらぬ所に目をやって、自分の手首を掴んでいる。おどおどと自信なさげな素振りに、エディスは唖然とした。
だが、そういえばフィンティア家にも何人か同じような奴がいたのを思い出す。貴族の家来だからといって、皆が威張り散らしているわけではないのだ。
「よろしく頼む、イーザック」
差し出した手を見て、イーザックがふひっと口を横に引き伸ばしてヒクつかせたのには硬直したが。彼なりの精一杯の笑顔だったのだろう、きっと。
陰鬱とした彼との共同生活は、意外と落ち着いていた。
顔の片側を隠した彼が実はギジア本人なのではないかと怪しんだレウが頭を掴む事件があったが、後で殴ったレウは拗ねた顔で「地毛だった」と抜かしていた。
染色ならしばらくしたら落ちるだろうと思っていたが、染めているところも染め液の匂いがしたこともない。
ならばこの屋敷の主人は本当に出かけてしまっているのだろう。
特に大事そうではない書庫の管理人だというイーザックが何故残されたのかと疑問を感じていたが、それもすぐに払拭された。
この屋敷には至る所に書庫がある。なんなら廊下にも並んでいるし、ダイニングの食器棚にさえ本が入っている。
「よく燃えますよぉ……ひひっ、んふふ」と赤い目を歪ませてニタリと笑ったイーザックには閉口させられた。
かと思えばエディスが求めている十六魔人の魔法書はあるかどうかも分からないらしい。これだけ本があれば行方不明になるのも仕方のないことだろうが、落胆した。
「主人はシルベリア様が来たことを大層喜んでました。なんでも、魔力装置が欲しかったらしいです」
「あー……シルベリアが作ってたやつ。じゃあ出資先が見つかったのか」
「いぃえ、この家の先代……奥様が大層な浪費家でして。それはもう宝石やらドレスやらを買われまして」
顔を近づけてきたイーザックが、気味の悪い笑顔を浮かべて「ないんです」と蚊の鳴くような声を出す。
「金がか」
「はいぃ……なのでここ、お給料もあまりなくて」
国を代表する公爵家の現状に嘆けばいいのか、と頭が痛くなりそうなことを知らされたエディスは額を手で押さえた。
「なのでエドワード様におねだりされたそうなんですぅ」
快く買ってくださったんですよと言うイーザックに、エディスは「エドに?」と訊き返す。
「え~ぇ、お優しい人ですよねえ。僕、大好きなんです」
「俺も好きだよ」
魔力装置がいくら掛かったのかは分からないが、友だちの為に出す気前の良さがいい。エディスたちも汽車で一日掛けて北まで送ってもらい、その間の飲食も全て彼もちだった。
誰にでも分け隔てなくこうしているのだろうと思うほどに自然な振る舞いだった。地位に伴う義務を、エディスが知っている貴族の中で最も負わなければならないことを理解している人物だと思う。
「そういえば、レウ様は北方の生まれなんですよね?」
バスターグロス家は、北部では名の知れた軍人一家だとシルベリアが言っていたなと、レウを見やる。
「三男坊だって言っただろ。家督は二番目の兄貴が継ぐ」
「オウル・バスターグロス様ですね」
ーー白みがかったブロンドの髪を鬣のようになびかせ、侵攻不可侵と謳われる北部最大の砦を治めている御仁だとか。そうイーザックが笑顔で言うと、レウはただ筋肉でできた塊だと厳しい顔になった。
「それに、海の守護者レグト様!」
お二人ともそれはそれは雄々しい美丈夫なんですよとイーザックがくぐもった笑い声を出したのに、レウが口を歪める。
「両親も住んでるのはアリステラじゃないのか?」
「……親父たちはここに住んでる」
北部最大の都市、アリステラ。四方を山岳に囲まれた土地で、トリドット家や北部軍司令棟がある。
「じゃあ、挨拶したいな」
「では招待状を送りましょう」
主人がいないので大したもてなしはできませんがとイーザックが後頭部に手を当てた。レウはもてなさなくていいと腕を組み、エディスを見下ろしてくる。
「……なんだよ?」
上官として、部下の両親に挨拶をするのは当然のことだ。なのに、なにをそんなに訝しむことがあるのだろうか。
「仲悪いのか?」
「兄貴はいけ好かないけど、それだけだな」
そう言った割にため息を吐くレウが着ているコートの袖を引っ張ると、こちらに視線が向く。
「俺の家族のことはいいから、もっと温かくしろ」
風邪引くなよとエディスの首に巻かれたマフラーを手直ししてくる彼を見上げながら頷いた。
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