上 下
71 / 181
向日葵編

1.顔さえ知らない、君のことなのに

しおりを挟む
 シルクが亡くなったという話は瞬く間に国中に知れ渡り、明るく活発な姫が消えてしまったという事実が国に影を落とした。
 目を閉じたまま起きていたエディスは、瞼を持ち上げ、体を起こす。ベッドから下り、いつもの軍服ではなく正装を取り出した。深い黒と青を身に纏い、荒れたままの室内を見る。
 あれからシトラスの姿を見ていない。どこに行ってしまったのやら、全ての任務を放棄し、自分と顔を合わすこともなかった。
 口に手を当て、小さく咳をした。手を離すと、白い手袋に血が付いている。赤黒いそれに、エディスは眉をひそめた。無感情に血を拭い、手袋をゴミ箱に放り投げる。新しい手袋を引出から取り出して付け替えると外に出ていった。
 自分一人でも任務を行っていたため、魔力がなかなか溜まらない状態になっている。度々血を吐いたり、眩暈を起こしたりしていた。だが、それも構わないと先へ先へと歩いていく。
 おごそかな雰囲気の中、悲しみに暮れる人々に混じって歩いて来たのは、聖杯の軍の拠点であるティーンス大聖堂だ。
 今日は、シルクとの別れの日だ。
 エディスは降りだした霧のような雨に目を細めた。それはエディスを包む様に、微笑むように空から落ちてくる。
(シルク……)
 ずっと、一番最初に会った時から好きだった――最愛の妹。
 どんな時でも明るく笑ってくれていた彼女に救われていた。そう思いながらエディスは大聖堂まで歩いていく。着く頃には、雨羽強く降り注いでいた。
 階段を上がったエディスは、雨粒を払い、中へ入ろうとした。すると、エディスの肩辺りを強く後ろに押す者がいた。押されたエディスはバランスを保っていたが、腹にも強い蹴りを入れられると、激しい水音を立てて地面に尻をつける。誰だと思い見てみると、そこには目を怒らせ、歯を噛み締めたまさに鬼の形相といった様相のシトラスが立っていた。
「シト」
「人殺しがなにをしに来た!!」
 大声に、中にいた軍人たちが何事かと振り返る。
「自分を殺したような男に来られたら、シルクが安心して寝られないだろ!?」
「殺してなんかいない!」
 立ちはだかるシトラスの荒み、憎み、自分が死ねばよかったと訴えかけてくる目に、エディスは狼狽した。シトラスはこちらを見下ろして「帰れ」と低く呟く。大きく目を開いたエディスの目の前で、シトラスは細い金属でできたドアノブを掴んで扉を引く。
「待っ……!」
 本当に閉める気か、とエディスが手を伸ばそうとすると、シトラスはまた目尻を上げ――エディスの顔を蹴った。態勢を直したエディスは扉に縋り付くが、無情にも錠の閉まるカチッという音だけが聞こえてくる。
「そんな」
 呆然とした呟きも、雨に掻き消されてしまう。
「待ってくれ、開けてくれ!」
 だが、エディスは扉を拳で叩いた。自国の姫の葬式でこんな姿を晒すのは、いくら軍の人間だけのものといっても恥でしかない。だが、そんなことには構っていられない。明日は任務が詰まっていて一般の式には出られないのだ。
「シトラス! お願いだ!」
 強く扉を叩き、声の限り叫ぶが、聞き届けられる気配がない。
「シトラス……お願いだ。俺が悪かった。お前たちを守れなくて、ずっと苦しませて。どんな償いもする。だから、」
 扉に両手と額をつけ、ずるずると立てた膝を下げていく。内心、自分が今更なにを言ってもこの扉は開くことがないのだろう、と思ってはいた。扉は硬く頑丈で、中の状態も分からない。
「だから、せめて一目……顔だけでも」
 お願いだ、と掻き消えそうな声を零す。どうしても、一目だけでいいから自分の妹の死に顔を見ておきたかった。彼女が一体どんな顔で亡くなったのかを知っておきたい。やっと会えた肉親、それも可愛い妹。愛おしくて、幸せになってほしいと願っていた彼女。
 後から来て、横から好きになって、勝手に縋り付いて甘えていた男に、なぜ阻まれなければいけないのか。兄が妹に会いたいと願ってなにが悪い、とエディスは目を強く閉じる。
 すると、ふいに扉が開いた。そのことにエディスは喜色満面の顔で見上げた。だが、上からザバッとなにかが降ってきた。
「い! つぅ……っ」
 それは、大量の塩だった。顔を上げたせいで目に入ったエディスは手で覆い、俯く。その頭上に、シトラスの嘲笑が落ちてきた。
「そんな血の染みこんだ手でシルクを抱く気だったんですか? 気持ち悪い。……お前みたいな人殺しに僕のシルクを会わせるわけないだろ。どれだけシルクを汚せば済むんだ!!」
「……気持ち悪い?」
 涙の滲む目を押さえるエディスは、低く呟いた。
「気持ち悪いのはテメエだろ」
「なんだと?」
「シルクを汚れた目で見ていたのはテメエだろうが。そのくせ自分のことばっかり可愛がりやがって、シルクが死んだのは」
「お前だ!! お前のせいだ!!」
 シトラス以外の人に聞こえることのない様に言うエディスを力の限り蹴った。エディスはシトラスの目をじっと見つめたまま、階段を落ちていき、地面に後頭部をぶつける。
「……死ね! お前なんか、死んでしまえ!!」
 薄れゆく意識の中、エディスは泣くように叫ぶシトラスの声を聞いた。
「うるせえ、お前が死ね!」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

イケメン王子四兄弟に捕まって、女にされました。

天災
BL
 イケメン王子四兄弟に捕まりました。  僕は、女にされました。

臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式の話

八億児
BL
架空の国と儀式の、真面目騎士×どスケベビッチ王。 古代アイルランドには臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式があったそうで、それはよいものだと思いましたので古代アイルランドとは特に関係なく王の乳首を吸ってもらいました。

謎の死を遂げる予定の我儘悪役令息ですが、義兄が離してくれません

柴傘
BL
ミーシャ・ルリアン、4歳。 父が連れてきた僕の義兄になる人を見た瞬間、突然前世の記憶を思い出した。 あれ、僕ってばBL小説の悪役令息じゃない? 前世での愛読書だったBL小説の悪役令息であるミーシャは、義兄である主人公を出会った頃から蛇蝎のように嫌いイジメを繰り返し最終的には謎の死を遂げる。 そんなの絶対に嫌だ!そう思ったけれど、なぜか僕は理性が非常によわよわで直ぐにキレてしまう困った体質だった。 「おまえもクビ!おまえもだ!あしたから顔をみせるなー!」 今日も今日とて理不尽な理由で使用人を解雇しまくり。けれどそんな僕を見ても、主人公はずっとニコニコしている。 「おはようミーシャ、今日も元気だね」 あまつさえ僕を抱き上げ頬擦りして、可愛い可愛いと連呼する。あれれ?お兄様、全然キャラ違くない? 義弟が色々な意味で可愛くて仕方ない溺愛執着攻め×怒りの沸点ド底辺理性よわよわショタ受け 9/2以降不定期更新

姫を拐ったはずが勇者を拐ってしまった魔王

ミクリ21
BL
姫が拐われた! ……と思って慌てた皆は、姫が無事なのをみて安心する。 しかし、魔王は確かに誰かを拐っていった。 誰が拐われたのかを調べる皆。 一方魔王は? 「姫じゃなくて勇者なんだが」 「え?」 姫を拐ったはずが、勇者を拐ったのだった!?

【完結】僕の異世界転生先は卵で生まれて捨てられた竜でした

エウラ
BL
どうしてこうなったのか。 僕は今、卵の中。ここに生まれる前の記憶がある。 なんとなく異世界転生したんだと思うけど、捨てられたっぽい? 孵る前に死んじゃうよ!と思ったら誰かに助けられたみたい。 僕、頑張って大きくなって恩返しするからね! 天然記念物的な竜に転生した僕が、助けて育ててくれたエルフなお兄さんと旅をしながらのんびり過ごす話になる予定。 突発的に書き出したので先は分かりませんが短い予定です。 不定期投稿です。 本編完結で、番外編を更新予定です。不定期です。

身代わりになって推しの思い出の中で永遠になりたいんです!

冨士原のもち
BL
桜舞う王立学院の入学式、ヤマトはカイユー王子を見てここが前世でやったゲームの世界だと気付く。ヤマトが一番好きなキャラであるカイユー王子は、ゲーム内では非業の死を遂げる。 「そうだ!カイユーを助けて死んだら、忘れられない恩人として永遠になれるんじゃないか?」 前世の死に際のせいで人間不信と恋愛不信を拗らせていたヤマトは、推しの心の中で永遠になるために身代わりになろうと決意した。しかし、カイユー王子はゲームの時の印象と違っていて…… 演技チャラ男攻め×美人人間不信受け ※最終的にはハッピーエンドです ※何かしら地雷のある方にはお勧めしません ※ムーンライトノベルズにも投稿しています

だからその声で抱きしめて〖完結〗

華周夏
BL
音大にて、朱鷺(トキ)は知らない男性と憧れの美人ピアノ講師の情事を目撃してしまい、その男に口止めされるが朱鷺の記憶からはその一連の事は抜け落ちる。朱鷺は強いストレスがかかると、その記憶だけを部分的に失ってしまう解離に近い性質をもっていた。そしてある日、教会で歌っているとき、その男と知らずに再会する。それぞれの過去の傷と闇、記憶が絡まった心の傷が絡みあうラブストーリー。 《深谷朱鷺》コンプレックスだらけの音大生。声楽を専攻している。珍しいカウンターテナーの歌声を持つ。巻くほどの自分の癖っ毛が嫌い。瞳は茶色で大きい。 《瀬川雅之》女たらしと、親友の鷹に言われる。眼鏡の黒髪イケメン。常に2、3人の人をキープ。新進気鋭の人気ピアニスト。鷹とは家がお隣さん。鷹と共に音楽一家。父は国際的ピアニスト。母は父の無名時代のパトロンの娘。 《芦崎鷹》瀬川の親友。幼い頃から天才バイオリニストとして有名指揮者の父と演奏旅行にまわる。朱鷺と知り合い、弟のように可愛がる。母は声楽家。

処理中です...