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別離編

8.月に向かって咲く向日葵

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 軍に戻ったエディスを待っていたのは、ミシアだった。
「アンタには私服ってもんがないのか」
 渋い顔になったエディスに、黒い軍服に身を包んだ上司は穏やかな声を出した。
「俺は今日も仕事だ」
「いつ休んでんだよ、アンタ」
 休まねえとバテるぞと言いながら近づいたエディスは、その陰に人が隠れていることに気が付いて顔を顰める。
「実は南に行っている間に新入りが一人と、体験入隊が一人入って来てな。忙しいんだよ」
「はぁ? この時期は入隊試験してないだろ」
 どういうことだと訊かれたミシアは座りが悪そうな顔になり、誤魔化すように笑って後頭部に手を当てる。
「まあ、国王からの推薦ってやつだ」
「国王からって……怪しいな」
 この間シルベリアから聞いた話のこともあり、エディスは今度はあの変態親父はなにをしでかしたんだとため息を吐く。まあ勝手にしたらいい、とエディスはミシアの隣に作ってもらった専用の事務室のドアノブを掴んだ。
「ソイツがお前の部下になったから、よろしく頼む」
 面倒を見てやってくれと言われたエディスは血相を変えて振り向く。そういえばこの間、もう一人部下がどうのと言っていたような気がすると思い出したエディスはまさかとミシアを半眼になって見つめる。
「ああ、いや。この間言ってたのは別だぞ。急遽な、今日決めた」
「ミシア……面倒になったから俺に当てがったんじゃないだろうな」
 凄みながら近づいていくと「まあまあもう来てるから」と取りなしてくる上司に、エディスは呆れ果てながらも「とりあえず見るだけな。俺の手に負えない相手なら返すぞ」と言う。初めて持つ部下が国王からの推薦だなんて、前途多難すぎる。
 とりあえず会ってくれと肩に手を当てて押し進められ、エディスはなんなんだと思いながらも事務室のドアノブを回して、開いた。
「不束者ですが、宜しくお願いします」
 床に三つ指をつき、深々と頭を下げている。その頭髪の色は金だ。王族、貴族以外は持ち得ない色に、その人物の生まれながらの階級が見える。
「私はシルク・ティーンスって言います!」
 顔を上げた少女に、エディスは卒倒しそうになって後ろのミシアに両脇を持たれた。



「ずっと、好きでした」
 こういう台詞を可愛い女の子から聞いてみたい男はこの世に何万人いるんだろう。
 エディスは国王の血を継ぐ可愛らしい第二王女を目の前に冷や汗を掻き、体は緊張から硬直していた。
「こ、困る」
 一言発するのが精一杯の体だった。自分を追って軍に入ったというこの規格外の王女が、よりにもよって自分が好きになったと堂々と宣言したのだから困るしかない。
「え、なんでだ。身分の違いか? 私は気にしないぞ! 好みの問題なら……好きにさせてみせるから安心してくれ」
 身分の違いや、好みだけが問題ではない。もし本当に自分が国王レイガス・ティーンスの息子であるなら、この少女と血が繋がっているのだ。
「あー……や、そういう問題じゃなくってな」
 なんと言えば諦めてもらえるのか、サッパリ検討がつかなかった。思い付きもしない。今の今まで恋愛などしたこともない初心者なのだから。
「俺、仕事一筋だから。女と付き合ってる時間がないんだ」
 領地を持ったばかりだからその経営でも忙しいと言うと、シルクは頷いて笑った。
「ん、そうか。なら私は待つぞ! いつまでもな!」
「い、いや……待たれても」
「月日が経てば、変わるかもしれないだろっ」
 それに領地に関してなら力になってやれると胸をドンと叩いた少女に、それはそうかもしれないなと頷きかけた。
「恋愛をするために軍に入るなんて非常識だ。遊び場じゃねえんだぞ」
 温室で育った姫君が軍人になってなんの役に立つのか。前代未聞の事態だろう。前例がいたし、魔物が入隊するよりもレアに違いない。
「ああ、勿論仕事もするぞ! お前の役に立とうと思って来たんだからな!」
「ハッキリ言って迷惑だ」
 口からため息のような声が漏れ出る。シルクは驚きに目を見開き、表情のないエディスを見つめてきた。
 エディスは彼女の横を素通りして机の前の椅子を引き、腰掛ける。午前中に机の上に整頓しておいた資料を手に取り、内容を確認していく。そうして紙面上の字を追い続けていくと、エディスにはシルクがどのような表情を顔に浮かべているのか分からなくなる。
「俺は、あなたに来てほしくはなかった」
 それは不誠実だと思い、顔を上げてシルクと視線を合わせる。
「軍の情勢は良くない。そのことは理解してるのか」
 ぴょんぴょんと元気よく跳ねる金髪が頬にかかっている。薄桃色の唇を薄く開き、僅かに潤んでいる青色の目は驚きに揺れていた。
 軍人になった以上、彼女もまたエディスが守りたいものの一つだ。“妹”には自分の知らないところで笑って過ごしていてほしいと思う。こんな所で出会いたくはなかった。
「……だけど、」
 唇を噛み締めたシルクが、体の前で手を強く握り締める。
「だけど私はっ、エディスに会いたかった!」
 強く足を踏み出して恋をした少女が寄ってくる。結んだ拳が解かれ、腕が首に回ってきた。
「こうしてみたかったんだ」
 柔らかいと言い難い腕に抱かれたエディスは、眉根を寄せる。緩くウエーブがかった金髪が横顔に当たった。
「寂しい顔をいつもしているから、傍にいてやりたいって思ったんだよ」
 寂しい顔? と目が驚きに丸まる。シルクの髪からは太陽の匂いがしてき、まるで日向に干された布団に包まれているような気分になってきた。本当にこんな荒んだ所にいるのが正しいのかと首を捻ってしまいそうになる。
「寂しいって、こんな人がいっぱいの所で暮らしてるのにか。男子寮なんか毎晩いびきで寝られないくらいにうるっさいぞ」
 これが家族を言い表しているのなら、確かになんの思い出のひとつすら自分にはない。
 けれど、だからこそ寂しいと思える程の感情もない。自分よりも年下の妹が魔物を退治するための軍に来なければいけないことはないはずだ。
「だけど、私はい続けるぞ。平気かどうか決めるのは、私だからな」
「あのなあ……軍は婚活する場所じゃないんだぞ。勝手にすりゃいいけど、俺は仕事しに来てんだから迷惑だ」
「困ればいい!」
 両肩を力を入れて掴まれた。近距離から意思の強い目で見つめられるエディスは、たじろぐ。シルクはもう一度、エディスに言い聞かせるように困ればいいと言った。
「相手になにかの感情を持つことが、関係の始まりだ!」
「勝手にしろって言ったろ」
 そう瞬間的に答えたエディスに、シルクは獣のような呻き声を上げる。頭を抱えたシルクに、エディスは微かに口に笑みを浮かべた。それを気づかれないように、手で隠す。
「お前は私と関係を持ちたくないのか!?」
「えぇ……もう持ってかもしれないんだけど」
「持ってる……のか?」
「あー、もしかしたらだけどな」
 頭を縦に振ると、シルクは下から顔を覗きこんできた。大きな目に見つめられ、自分の過去や出生の秘密を全て見抜かれそうな気分になったエディスはたじろぐ。
「それはなんだ」
「なんだろうな?」
 目を細めて口の端を上げた、意地の悪い笑みを晒すとシルクはまた唸る。騒がしい妹かもしれない少女の姿を見たエディスは手で隠した口だけで笑う。
「分かった、エディス! 友達になろう! なんでもまずはそこからだ!」
 拳を強く握って言葉をかけてくる必死さにエディスは困惑と楽しさを覚えて「友達ねえ」と呟いた。シュウも初めて会った日に同じようなことを言ってきたことを思い出す。
「そうだ。それも嫌か?」
「……まあ、友達なら」
 甘いと思いつつも、彼女の開けっ広げな性格に許してしまう。するとシルクは「やったー!」と両手を挙げて叫び、エディスの後ろに回って背中に抱き着いてきた。
「なら敬語はなしだ。シルクって名前で呼んでくれっ」
「公式の場所以外でならいいけど……いいのか、これ? 姫なんだから立場があるだろ」
 やっぱり駄目だと拒否する前に、シルクがごろごろと喉を鳴らす猫のように擦り付いてくる。どういう淑女教育を受けたんだと思ったエディスは撫でていた手を緩く握って「とりあえず仕事しろ」と拳骨を落とした。
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