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入隊編

5.薔薇風呂に入らないか、嫌です

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「さむーっ!」
「早く開けろ、早く!」
 鍵を鍵穴に差し込むだけのことのに、寒さで手がかじかんでいるのかシルベリアは手間取った。変われとシュウが肩で押しやってようやく鍵が開けられる。
「まったく、うるさい奴だ」
 室内に男が連なって入っていく。「お前も」と部屋の中に招かれたエディスは一歩踏み入った。
「うわすっごいな……」
 目を丸くして部屋を見渡すエディスに、二人は揃って苦笑した。
「悪いなー、俺ら昨日まで修羅場でよ」
「修羅場?」
「ああ。会議に提出する論文と、作品をそれぞれやってて」
 右半分は紙、左半分は金属。それなりに広い部屋だというのに、よくもここまでと思うくらいにみっちり床が埋まってしまっている。
「二人は」
「あー、とにかく! 質問も難しい話も後。お前は先に風呂に入って来い!」
 シルベリアに背を押され、脱衣所まで歩かされる。
「シルベリア、入浴剤どれにするー?」
「薔薇。服はどうする」
「却下だ! お前のシャツとズボンを貸してやってくれ。下着は……確か一番下に新品を入れてたはずだから、それ使えよ」
 どれがいい?  とどピンクの袋以外を見せられる。適当に一番端にあった黄色の袋を指差すと、それの封を切り、湯船に入れに行った。
「ほら、服と下着だ」
 真っ白のシャツとズボン、それの下に下着を重ねて、シルベリアから手渡される。
「おい、なんだその格好は!」
「ん? 俺も一緒に入ろうかと」
 着ていた紺色のシャツをすでに脱いだシルベリアは、エディスの軍服の紐を取ってベルトを外した。
「なんだ? お前も一緒に入りたいのか?」
「入るか馬鹿!!」
 シャツを脱いでいるエディスの隣を、どかどかと足音を立てて通り過ぎて行った。
「早く来い。余計に体を冷やすぞ」
 すでに真っ裸になり、バスルームに入っているシルベリアに手招きされたエディスは、急いでズボンと下着を脱いでバスルームに入った。すると湯気が直接体に当たってきて「あったかー……」と言うと、シルベリアはくすりと笑う。
「髪を洗ってやるから、ここに座れ」
 素直に頷き、シルベリアの前に置いてあるイスに座る。すでに温度調節がしてあったのか、シャアッと音を立てて丁度いい温度の湯がエディスの肌を打った。お湯で濡らし、汚れを少し落とした髪にシャンプーをつける。
「あ……いい匂い」
 髪は泡でくるむようにし、軽く指先に力を入れてこすり、頭皮の汚れを落とす。
「そうか?」
「うん、なんか……そう、爽やか、だ」
 ハイデの家の風呂は、いつも鼻につくような作った香りだった。
「アイツが華美な匂いを嫌うからな。森や塩系統の物を買うようにしている」
 お湯を出し、軽く泡を流す。優しく、労わるような手つきで、髪の根元以外にリンスをつけられる。
「なんか、不思議だ」
「なにがだ?」
「気持ち良い」
 風呂に入る時には数人がかりで体を洗われた。その洗い方は丁寧すぎる程に丁寧で、まるで汚物として扱われているようだった。
「当たり前だ。お前が気持ち良く思うようにしているからな」
 シルベリアは「上手いだろ」と微笑んだ。
「風呂は汚れを落とすために入るんじゃない。綺麗になるために入るんだ」
 奴隷市でも、フィンティア家でも、ハイデの家でも……エディスは今まで人間として扱われることがなかった。
「うん」
 スポンジを渡され、すでに洗ってくれた背中以外を洗う。洗い方を見られていたのか時折優しく擦れ、という注意を受けた。
「よし、いいぞ。湯に浸かれ」
 リンスを流し、体から泡をどけると終わり。湯に向かった。
「湯、黄色いな」
 白いバスタブの中に入った湯の色を見て、エディスがほうと息をもらした。
「ああ、多分黄色なら柚子だろう」
「ゆず?」
「ミカンに似た果物だ。焼き魚にかけたら美味しいやつ」
 体を洗っているシルベリアから説明を受け、エディスはあれかと頷いた。そして、湯船に入る。じん、と体が芯から温まっていく。冷えていた足と手の先にピリピリと痺れるような感触が走る。
 黄色い湯、白いバスタブ。白いタイルの壁、水色の天井。天井についた水滴。じっと見ていると、水が勢いよく出る音が左耳に入ってきた。見ると、白色のシャワーから水が出、長髪の青年にかかっている。
「よし、少し前に詰めろ」
 長い髪を結ってから、エディスの後ろにシルベリアが入り込んでくる。
「あたたまったか?」
「う、うん」
 背後から緩く抱きしめられるような形になったというのに、嫌な感じは全くしなかった。
「百数えてからしかあがっちゃ駄目なんだぞ」
「百ぅ!?」
「百だ」
 驚いて後ろを見たが、シルベリアはご機嫌に鼻歌を歌っている。エディスは仕方なく、一から数え始めた。



「あがったぞー」
 エディスが髪をタオルで拭いながら出てくると、一人残っていたシュウが椅子から立ち上がる。
「先に入らせてくれてありがとう。悪かった」
「別にいい。温まったか?」
 シルベリアと同じことを訊いてくるのでエディスは目を丸くし、それから笑って「うん」と答えた。
「シュウ、ココアでいいよなー」
 玄関から右手にある小さなキッチンに入っていったシルベリアが顔を出した。それを見、嬉しそうにシュウが笑う。
「ああ! ……ちゃんと甘くしといてくれよ」
「お前、絶対に糖尿病になるぞ」
 呆れた様子でシルベリアが言うと、シュウは口を尖らせて「甘くないココアはココアじゃねえだろ」と呟く。
「お前は?」
 にこにこと笑って訊かれたエディスは「俺は甘いのは得意じゃない」と眉間を寄せる。
「じゃあ、ミルクでいいか?」
 片手鍋を手にしているシルベリアに首を傾げられる。
 それで頼むと答えると、すぐに二つカップを持って戻ってきた。入浴中にシュウが片しておいてくれたのか、紙と金属だらけだった部屋も少しだけ整頓されていた。
 クローゼットの中からクッションを二つ取り出してきたシルベリアに、その一つを勧められた。受け取って尻に敷くと、カップを手渡される。白い波がゆったりと揺れて見えるホットミルク。それを飲んでいたら、髪の毛を触られた。
「なに?」
 後ろを振り返り見ると、前を向けと言われる。なんなんだと警戒心を露わにしていると、「髪くらい乾かせ」とドライヤーと櫛を見せられた。
「俺がやるから前向いてろ」
 頭を掴んで正面を向かされたエディスは、仕方なくミルクをゆっくり飲む。その耳にはシュウがシャワーを浴びる音だけが聞こえてくる。
 とても安らぐ心地良い空間だと、エディスは再度感じて息をまあるく吐き出す。だが、その瞬間に背中をぞわっとした感触が駆け上っていった。
「な、なんだよっ!」
 シルベリアがあまりにも楽しそうにしていたので放っておいたら、なにか液体を髪に塗りつけられた。そんな習慣のなかったエディスがベタベタする! と苦情を漏らすと「ただの香油だ」と笑われる。
「俺は女じゃない!」
「男だってつける奴はいる。見ろ、俺の髪を!」
 美しいだろう! と髪を後ろにはらうシルベリアに開いた口が塞がらない。不思議な男だ。
「綺麗な髪だな」
「あ、はあ……」
 あっけにとられてしまったエディスは「そうかよ」としか言えなかった。
 顔に化粧水を塗ってこようとした時は流石に腕を掴んで抵抗をした。が、結局は塗られてしまった。
 どうしてか、その頃にはこの不思議な男に「美しい」「可愛い」などと口に出されるのが嫌ではなくなっていた。この男自身がとても美しく整えられているからだろうか。
 エディスがふうふうと冷ましながらミルクを飲み、長髪の青年のケアが終わった頃に、やっと青年が上がってきた。
「おいっ、髪拭けって言ってんだろ! 風邪引くぞ馬鹿!」
 シュウは対象的にガシガシと乱暴にタオルで髪を拭きながら、「後で」と横目でシルベリアを見やる。そして、「ココアココア」と口元に笑みを浮かべながらキッチンへと入っていった。
 そして、緑色のカップに甘い香りのただようココアを入れて戻ってきて、シルベリアの前に座り込んだ。
「はー疲れた」
 後ろにいるシルベリアの膝にタオルを落とし、当然のように乾かしてもらうのを待っている。その尊大な様子を見たエディスは目を丸くして指を差す。怒るんじゃないかと思って視線を向けると、なんといえばいいのかーーそう、緩んだ顔をしていた。
 仕方がないなぁコイツはとでも言いたげに、シルベリア目元を和ませて微笑んでいた。
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