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死に戻り、愛すれば

12.アイアンウルフ

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 土で汚れてしまわないようにドレスの裾をたくし上げ、森の中を歩いていく。
 麦わら帽子のあの子は一体どこにいるのかしら、本当にあの子だったのかしらと焦る気持ちを抑え、目を凝らす。
 そしてーー見つけてしまった。花畑に座り込んでいる幼子の姿を。
「イーサン!」
 声を掛けると、少年はこちらを見て「おくさま!」と快活な笑みを浮かべた。その手には作り途中の花冠が握られている。
「イーサン、ここでなにをしてますの?」
 叱っては頑なになってしまったり、怒られるから言わないでおこうという思考になってしまうかもしれない。ティルカがまず理由を訊ねると、イーサンは手に握った花冠を見下ろして「これっ」とこちらに向かって突き出してきた。
「おくさまにあげようとおもったの!」
「わ……わたくしに?」
 あまりに無邪気な反応に、ティルカは怒ることもできず眉を下げて微笑む。純粋な幼子を抱きしめると「心配しますでしょう」と背を撫でた。
「森は怖いところですのよ」
「そうなの? でも、ぼくはへーきだよっ」
「イーサンは勇敢ですのね。でも、私は怖くて堪らないわ」
 どうかお屋敷まで送ってくださいませんこと? と手を差し出すと、イーサンは作っていた花冠を放り投げてティルカの手を握ってくる。
「わかった! ぼくがまもってあげるね」
 えへんと胸を小さな手で叩き、騎士よろしく足を振り上げて歩く姿に、ティルカは安堵とくすぐったさを感じる。
 侯爵様とアリエッサの間に子どもが生まれたなら、この子のように可愛い。ふふ、と笑うとイーサンはこちらを見上げて首を傾げた。
 イーサンは森に来慣れている様子だった。こっちには泉があって、向こうには夏になると木苺がたくさん生るのだと教えてくれる声を聞きながら、子どもが森に入らないような仕掛けが必要ねと考える。
 イーサンに先導されながら、いつもより少し早足で歩いていく。時には草を手で掻き分けながら、泥で足を取らせそうになりながらも。
 他愛もない話をしながら歩いている内に、ティルカの警戒心は解けてしまっていた。草木の湿った匂いや木々の間から見える夕暮れは心を落ち着かせるものだったのだ。
 だが、忘れかけていた頃ーーそれは訪れた。
 耳を劈く程、一斉に鳴り響いた妖精の羽ばたき、甲高い悲鳴。ハーブ園で聞いた時よりも大きな警告音に、イーサンがティルカのドレスにしがみついてくる。
「なに……っ!?」
 ティルカも慌てるが、妖精や森で暮らす小動物が慌てふためいて逃げていく。地面が揺れ、落ち葉を踏みしめる足音にティルカは少年の名前を呼びながら駆け出した。
走ることも困難な状態だったが、それでもイーサンを持ち上げて脇に抱え込む。
 木の根っこや石に足を取られ、よろめきながらも前へ前へと走る。息が乱れたティルカの上に影が差し、振り返る。
 そこには大型の魔物がいた。狼に似ているが、見上げる程に大きく毛皮が剣も通さない程に硬く発達した牙を持つ、アイアンウルフという種類だ。討伐に行けばよく遭遇する、比較的ポピュラーな魔物だが軟禁されていたティルカは外の世界を知らない。
 剣の鍛錬もしているが未だ満足に振るうことも出来ず、今持っているのはハーブを採取する為の小型ナイフだけだ。そんな物でアイアンウルフに歯が立つわけがない。
 襲い掛かってきたアイアンウルフを、ティルカは悲鳴を上げて横に飛びのいて避けたが、地面に座り込んでしまった。魔物に背を向け、イーサンが見えないようにと抱きしめる。ティルカの見たこともない形状の頭に気を削がれたのか、アイアンウルフはイーサンがいることに気が付いていない様子だった。
 足元を削った魔物は唸り声を出し、大口を開く。女という弱く柔らかい獲物との遭遇に興奮しているのか、ダラダラと涎が溢れる。ティルカは目を閉じ、イーサンの肩に手を当てて彼の顔を見つめた。
「イーサン、真っ直ぐ屋敷まで走れる?」
 訊くと、イーサンはやだと言ってティルカにしがみついた。それに「行きなさい」と命じる。
 アイアンウルフは狼のように群れでは行動をしないと書物で読んだことがある。ならば、イーサンに気が付いていない今だけしかこの子を逃してあげられる機会がない。
「侯爵様を呼んできてほしいの」
 お願いと言うと、イーサンはぐしぐしと服の袖で拭った顔を屹然と上げて走っていく。ティルカも同時に逆の方向へと走り出す。するとアイアンウルフは見事、ティルカを追ってきた。
 すぐに追いつかれてしまったが、まるで獲物をいたぶるかのように攻撃してこない。鋭い爪にドレスを引っ掛けるようにして切り裂かれ、背中に小さな痛みを感じる。巻いていた晒を破られてしまい、たゆんと揺れた胸を手で押さえつけた。
 恐慌に陥ったティルカは大きな悲鳴を上げ、地面を大きく抉る攻撃に体勢を大きく崩してしまった。木に体の側面をぶつけ、それを避けると道が切れていて小さく声を震わせる。
 道の端に寄り過ぎたのだと気付いても遅く、魔物はじりじりと迫ってきていた。
「きゃ……っ」
 大きく振るわれた腕が地面に叩きつけられると地面が崩れ、足場がなくなったティルカは腕を振る。なにか掴むものはと目で探すが、咄嗟にしがみつけそうな物はなにもない。
(侯爵様!)
 心の中で叫んでも、彼はいない。イーサンに頼みはしたが、来るはずがないのだ。自分如きを助けになど。
 背中からひっくり返り、滑り落ちていく。落ちている枝や石、地面で体を擦って痛い。落ちるところまで落ちていくと、顔面から水に突っ込んでしまう。
 手を突いて顔を上げたティルカは水に濡れた顔と髪を手で拭って、膝を立てて後ろを見る。アイアンウルフが上から降りてこようとしているところだった。
 ヒッと口から出る。慌てすぎて起き上りたいのに地面を叩くだけで足がついてこなかった。立ち上がろうとした時にはもうほとんど降りてきていて、腰までの深さの池に座り込んでしまった。
 頭の中に記憶が蘇ってくる。刺された腹の熱さと痛み、引きずられてできた血の道ーー前世で死んだ時のことが。
「あ、あぁ……っ」
 私のドレスを引く人がいた。可愛らしい顔を険しく顰めて『どうして行くの。ケーキを焼いたのよ』と怒ったように言う。あの日、ティルカが出掛けるのを彼女は嫌がっていた。どうしても行かなければいけないのだと宥め、そうして出て行って後悔した。
『帰ってきたら、一緒に食べましょ。約束よ』
 侯爵様は帰ってきたのに、ティルカは彼女を悲しませてしまった。--だから、今度は絶対に彼女よりも先に死なない。
 降りてきたアイアンウルフの周りに炎を出し、それを風で巻き上げる。周りの乾いた葉っぱや枝なども巻き込ませて大きく大きく広げていく。体に火がついた魔物が転げまわって消そうとしている間に立ちあがり、邪魔なヒールを脱いで魔物に向かって思い切り投げる。
 二投目が顔に当たり、キャンッと鳴いたアイアンウルフに鼻で息を吐き出して池の反対側へ逃げる。
 ドレスが破れてしまったが構わない。怒って咆哮したアイアンウルフの脳天に、風で浮かせた石つぶてをぶつける。魔法を正確に操る訓練なんてしたことがないが、目などの柔らかく弱点になりそうなところに当てられる技術があればよかったのに歯噛みした。
(帰ったら剣じゃなくて魔法を教えてもらった方がいいわね)
 この方が自分に合っているが、いかんせん攻撃魔法など覚えていないのでじり貧だ。大きく破れて邪魔になるドレスの裾をナイフで切って、素足のまま走り出す。倒せる気がしないので逃げの一択だった。
 火を消し終ったアイアンウルフがまっしぐらに走ってくる。子犬ならば可愛いが、あまりにも凶悪だ。もうこれ以上の攻撃ができないティルカは森に紛れようと木々の群れまで行こうとした。
 だが、アイアンウルフの四肢が浸かった瞬間、池が凍った。それを見ていたティルカもなにが起こったのかと走ろうとする動きのまま固まる。
 大きな氷柱が魔物の体を貫くと、頭から原型を失って崩れていく。消し炭のように細かな粉状になっていく魔物を呆然と見ていたが、聞き馴染んだ声に我に返って木陰に身を隠す。
 池の対岸に現れた人物に、ティルカは破ったドレスの裾を頭から被った。戦闘に立つ黒髪の騎士は、どう見ても侯爵様だ。侯爵様と叫んで出ていきたいところだが、今のティルカは合わせる顔がない。正確には合わせる顔が違うので出ていけなかった。
(ど、どうしましょう……)
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