侯爵様、化け物になりますので今世も冷遇してくださいな

結月てでぃ

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死に戻り、愛すれば

15.君の名前は

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 魔物は倒された。なので濡れた頭が渇くのを待って帰ればいいのよ。もしくは顔を隠してリリアに呼び出せば……と、ドクドク脈打つ心臓を抑えるように胸に手を当てて歩いていきます。
(イーサン、無事に逃げられてよかったわ……)
 ぎゅうと手を握って感慨に耽っていると草を踏む音がして振り返りました。
「なんでよ……っ?」
 先程の個体よりも随分と小さいアイアンウルフがいました。理不尽な怒りから頭に被っている布やナイフを地面に叩きつけて地団太を踏みたくなってきてしまいます。
(あ……違うわ。この”子”は)
 ですが、よくよく観察しる内にティルカは泣きそうになってしまう。あのアイアンウルフが大きいわけではなく、目の前にいる個体が小さいだけ。この子どもを守ろうとして、入ってきた侵入者を排除しようとしたのねーー
 気付いてしまうと、もう抵抗する気がなくなってしまいました。死にたくないという気持ちと、自分と同じように親を亡くしたこの子への同情心で挟まれて頭を抱えたくなる。
(ダメ、どうしたらいいか分からない……っ)
 じりじりと後退していくと、子どもは澄んだ目で見つめてきた。
「ごめん、ごめんなさい」
 魔物は瘴気で土地を汚し、人を襲う害獣であり討伐の対象。けれどティルカには殺すことができない。特に、子どもは。
 この事態を招いたのは私。ならばと付近にある物で一番大きな岩を魔法で持ち上げますが、ぐらぐらと揺れて何度も落としてしまう。
 息を吐いて目を開け、魔法の精度を上げる為に指先や目に神経を尖らせます。ようやく持ち上げられた時「なにをしている!」という怒声が劈き、張り詰めていた緊張が解けてしまいました。
 自由になった岩は獣の尾の上に落ち、悲鳴を上げさせた。怒ったアイアンウルフの幼獣が駆けてくるのが見え、腕で顔を庇う。
 肩を引き寄せられ、視界を黒いカーテンのような物で塞がれる。犬のような鳴き声の後で地鳴りがして、そちらの方を見ようとすると目を大きな手で覆い隠されました。
「見なくていい」
 大丈夫だと横にやって来た鎧姿の男に言われ、体の力が抜けていきます。地面に膝をつきそうになった私を片腕で受け止めてくださった方は「よく頑張ったな」と労いの言葉まで掛けてくださいました。
(侯爵様……)
 捜してくれていたのだと、彼の腕の中に収まった体が安堵に包まれます。抱きしめてくる男に侯爵様と言って、その胸に縋りつきたかった。
 しかし、すぐに自分の状態を思い出してドレスの裾を引き下げました。幸いこのドレスを着るのは今日が初めてです。誤って侯爵の所有地に入ってしまった領民のフリをすればどうにか切り抜けられるでしょう。
「……君なんだろう」
 侯爵様に躊躇いがちに声を掛けられると、声が出なくなりました。
「私は自分の妻を捜していて、君がそうだと確信している」
 どうか顔を見せてはくれないだろうかと言われ、唇を噛む。ここは侯爵家の敷地内で、拒めば更迭もやむなしでしょう。
 分かりましたと顔を上げるも彼の視線を受け止めきれず、視線を逸らしてしまいました。「触れても?」と訊ねられて意図が掴めないままに頷くと、大きな手が頬に触れてきます。
 今度は目を閉じてくれと言われて従うと、顔の至る所を指がなぞっていく。なにかの確信を得て辿る指に、私の心はざわめきました。
 やがて、侯爵様は手を離したので目を開けます。
「やはり君が私の妻だ」
 微笑みを口元に浮かべた彼の顔が目に入ってきて、呆然と言葉を口にしました。
「どうしてですの……っ?」
「自分の妻が分からない夫がいるか」
 立ち姿勢だけでも見分けられたと言われ、本当ですのと見つめると咳ばらいをされた。
「確信を持ったのは目だ」 
 確かに目だけは魔法で変えられない。それを聞くと目が潤んできてしまいます。あんなに醜い顔にしていたのに、それでも彼は私を見てくださっていた。その気持ちで胸が溢れかえります。
「無事で良かった」
 柔らかく抱き締められ、胸にある気持ちが宿った。こんな腕を伸ばしてもいいのでしょうかと、優しいこの人に縋りついてもよろしいの? と。
 けれど侯爵様に両肩を掴まれて引き剥がされてしまいました。ああ、やはり私はーー……あら、一体、どこを見ていらっしゃるのかしら?
「な、ど、なぜ……っ!?」
 口ごもる侯爵様に、なんでしょうと体を見下ろしてーー「きゃあっ!」と悲鳴を上げて胸を隠す。晒が千切れてしまったことを忘れてしまっていましたわ。
「ドレスもボロボロではないか。どうして君はこうなる前に助けを呼ばないんだ!」
 我慢などしなくていいとマントを鎧から外した侯爵様に体を包み込まれ、そうしてから抱きしめられました。
「……し、心配をお掛けしましたでしょうか」
「当たり前だ。君は今日、俺の寿命を縮ませたんだぞ」
 まるで子どものように拗ねたことを言う侯爵様が可愛らしく、くすくすと笑い声を立ててしまいます。謝罪を口にしようとしたら柔いものが押し当てられて封じ込められてしまいました。
(これはなんでしょう……)
 ぼんやりとこの触感がなになのかを考える。目の前には侯爵様のお綺麗な顔があり、世界で一番格好良い人ですわとうっとりしてしまいそうになってしまいます。
「せめて目は閉じるのがマナーだと思うんだが」
 侯爵様のご尊顔が離れていってしまいました。
「そんなに凝視されていると流石の俺も恥ずかしいぞ」
 握った拳を口に押し当てるのをぼんやりと見つめます。
「あぁ、はい。そうなんですか?」
 珍しい表情ですわと思いましたが、思い立って横や斜め後ろに回って眺めてから手を打つ。この顔を見たことはあったのですが、それはいつもこの角度からだったので分からなかったのです。
(どうして私相手に照れていらっしゃるのかしら?)
 不思議に感じながら、そういえば注意をされていたのだと思い出して頭を下げる。
「以後気を付けます」
「いや、君が見ていたいというなら別だが……俺がなにをしたか分かっていないようだしな」
 なにとは、なんでしょうか。あの奇妙な感覚をなんと人が言い表すのか分からず、首を傾げます。
「それより、屋敷に戻るぞ。使用人たちが君が連れ去られたんじゃないかと言って、捜索しているんだ」
「あら、イーサンに会ったから来てくださったのではないのですか?」
 まさかあの子は屋敷に帰れていないのかと血相を変えると、侯爵様は手を突き出してきて「落ち着け」と渋い顔をされました。
「子どもの言うことだし、アイアンウルフなどよく出る魔物だからあまり気にしていなかったんだ」
 まあ今頃母親に怒られていると思うがなと腕を組む侯爵様に、そうですかと頷く。
「託児所の体制を整え直さないといけませんわね」
 どうして侯爵家で使用人の子どもを日中預かっているのかといいますと、その方が通いの女性たちが働きやすいからです。
 けれど、問題が起きたので屋敷のどこかで遊ばせておくのではなく場所を指定すべきだわ。それに誰か一緒にいる大人も雇った方がいいでしょう。
「ああ、俺もそう考えていた」
 どうせだし小さな学校でも作るかと笑う侯爵様に、ティルカはまあと手を合わせる。
「流石は侯爵様、いい案ですわ!」
 賛成いたしますと言うと、侯爵様は「この話は後でもいいだろう」と片方の眉を下げました。
「帰ろう、……困ったな」
 視線を下げて「君をなんと呼べばいい」と面映ゆい気持ちを打ち明けてくれた侯爵様の可愛らしさ! 思わず手を握り締めました。ですが本当のことを言うわけにはいきません。
「私はメルシーですわ、侯爵様」
「違うだろう、君はメルシーではない。俺は奴と面識があるんだぞ」
「あら。そう……だったのですか」
 それは聞いたことがない情報でしたわ。前世では侯爵様と事務的な話以外することがなく、彼も私がメルシーであることを疑ってはいても訊いてこられませんでした。
 なので悪い噂を聞いてか、同じような性格をしていると思われているから嫌われているのだとばかり……。
「それで、君の本名は? 一体誰なんだ」
 正体くらい打ち明けてくれてもよくないかと言われ、そうですわねと首肯します。
「私は前伯爵夫妻の娘。以前はティルカ・クレイヴンファーストと名乗っておりました」
 マントを指でつまんで礼をすると、ようやく侯爵様は満足そうに口の端を上げてくださいました。
「よろしく、ティルカ」
 差し出された手に指の先をのせて「こちらこそですわ」と微笑んで膝を一度曲げ、愛する人を見上げた。
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