上 下
9 / 17
死に戻り、愛すれば

9.侯爵夫人としての正しさとは

しおりを挟む
 事件は、真昼間に起きた。
 ティルカは神に誓って、仲良くなった子どもたちと遊んでいただけだ。なにも彼らを頭からバリバリ食べようとしたり、悪魔を呼ぶ紋章を描いていたわけじゃない。
 かくれんぼをして、それに飽きた子どもたちと花で冠を作ったり棒で土に絵を描いたりしていたーーそれだけでも、爛れて膨れあがって溶けた顔は恐怖に感じるのだろう。
「うちの子になにをするの!!」という声が聞こえきて、次いで顔に痛みが走った。地面に倒れ伏したティルカにメイドたちが駆け寄り、助け起こす。特に懐いているイーサンという男の子は、ティルカと自分の母親をと見比べて大泣きし始めた。
「ぅ……っ」
 血の付いた大きな石が土の上を転がっていくのを見て、これを投げられたのだと悟る。近くにいる子どもに当たったらどうするつもりなのかと口を開こうとしたティルカを見て、「やだ、不気味……」という声が降りかかった。
「お前たち、不敬ですよ!」
 メイドが叫ぶが、彼女たちは蔑みの態度を変えようとしない。くすくすと笑いあって、顔を寄せ合う。
「こんな化け物を奥様だと頭を下げないといけないだなんて」
「伯爵家も、よくこんなのを送り込んできたわね」
 子どもに感染しそうだわという言葉に、苦い笑みを浮かべる。これは魔法だからうつることはないと言うことが出来ず、ティルカは顔を俯けた。
「奥様!」
 リリアが屋敷の方から走ってきて、イーサンの母親たちに「この方が侯爵夫人だと分かっての狼藉ですか」と睨みつける。普段どのようなことを言われても平然としている彼女にしては珍しい表情だ。
「私の子を食べようとしたのよ!?」
「奥様はそのようなことはなさりません」
 この方が侯爵夫人だということがまだ分からないのという言葉に母親たちはたじろぐ。しかし「そんな化け物を侯爵様が寵愛するとでも?」という一言をきっかけに、「社交界に出ることがあったらどうするつもり? 恥を掻くのは侯爵様なのよ!?」「どうせ泉の妖精を苛めたから呪われたんでしょう」と波紋が広がっていく。
「奥様はあなたたちと違います」
 リリアがハンカチで傷口を抑えてくれるが、ズキズキとした鋭い痛みは止まってくれようとしない。
(社交界には、アリエッサが出てくれる。だけど、彼女が来るまでは? そもそも、私は自分が得意でないことをアリエッサに押し付けようとしているだけではないの……)
 自分の浅慮な行動が原因で、侯爵家の人たちに困惑と迷惑を掛けているーー今更ながら、なんということをしたのかと自責の念で押し潰されそうになる。
 どうしよう、どうしようと視界がぐるぐると回ってくる。謝って済むのだろうかと、背が丸まっていった。
「なにを騒いでいる」
 その場に冷え冷えとした声が聞こえてきて、ティルカはぱっと顔を上げた。屋敷から出てきて、侯爵がこちらにやって来るのが見えて泣きそうになってしまう。
 対して、母親たちは体を強張らせていた。だが、ティルカの顔を見てぷっと小さく吹き出し、侮蔑の笑みを浮かべた。どうせ、こんな見るもおぞましい化け物なんて冷遇されている。
(……消えてしまいたい)
 存在を忘れられたかった。居室か、牢屋か小屋にでも軟禁されて記憶の端に行ってしまいたかった。その為にここに来たのに、こんな悪印象しか残らない顔にして、なにを考えていたのだろうか。
 近くに寄ってきた侯爵はティルカを一目見ると、その前に腰を落とす。片膝を地面についた彼は、そっと頬に手を当ててきて柳眉を顰めた。
「この傷はどうしたんだ」
 案じるように潜められた声に、ティルカの目が大きく見開かれる。
「この者たちの愚行です、侯爵様」
 リリアの告発を皮切りに、「石を投げたのを見ました」「奥様に化け物だと罵ってきたんです!」と周りを囲むメイドたちが声高に主張するのを咎めるように声を発する。そんなティルカを母親たちは意外そうな目で見る。
「違いますわ、侯爵様。この人たちは我が子を守っただけです」
 こんな顔をしているのですから怖がられるのは当然ですわと主張し返す。どうか正しいご判断をと真剣な眼差しで侯爵を見つめると、彼は息を吐いた。
「いくら驚いたからと言って石を投げつけるのは非常識だし、罵倒する必要もない」
「社交界にも出られない身です。日頃から侯爵様のことを案じておられたただけですわ」
「そもそもお前は俺の妻なのだから雇い主なんだぞ。主人に歯向かえばどうなるかは考えなくても分かるだろう」
「侯爵様!」
 母親を失った子どもがどうなるかは己の身でよく実感している。だからこそ、この者たちを許してほしかった。
「……我が妻の温情に感謝するんだな」
 次はないと釘を刺した侯爵様に、母親たちは顔を青ざめさせて体を震わせた。
 すぐに医者を呼んでこいと言う侯爵に、ティルカはお咎めなしで良かったと胸を撫で下ろす。対して不服そうに唇を尖らせるリリアの肩に手を置き、「すぐに知らせてくれて助かった。次も頼む」と言葉で補うことも忘れない主人に流石ですわと感心する。
(私は……庇ってくれたリリアたちの気持ちを考えなかった)
 庇ったのにどうして、甘やかすから図に乗るんだと思っているメイドもいることだろう。なんて不甲斐ないのかと、ティルカは俯いて地面を見る。散った自分の血は、伯爵家にいた頃ではよく見た光景だ。
「奥様、大丈夫ですか。すぐにお医者様が参りますからね」
 けれど、今はあの時とは違う。リリアたち、自分を心配してくれるメイドたちがいるーーそのことに、ティルカは微笑んで感謝を口にした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そうだ 修道院、行こう

キムラましゅろう
恋愛
アーシャ(18)は七年前に結ばれた婚約者であるセルヴェル(25)との結婚を間近に控えていた。 そんな時、セルヴェルに懸想する貴族令嬢からセルヴェルが婚約解消されたかつての婚約者と再会した話を聞かされる。 再会しただけなのだからと自分に言い聞かせるも気になって仕方ないアーシャはセルヴェルに会いに行く。 そこで偶然にもセルヴェルと元婚約者が焼け棒杭…的な話を聞き、元々子ども扱いに不満があったアーシャは婚約解消を決断する。 「そうだ 修道院、行こう」 思い込んだら暴走特急の高魔力保持者アーシャ。 婚約者である王国魔術師セルヴェルは彼女を捕まえる事が出来るのか? 一話完結の読み切りです。 読み切りゆえの超ご都合主義、超ノーリアリティ、超ノークオリティ、超ノーリターンなお話です。 誤字脱字が嫌がらせのように点在する恐れがあります。 菩薩の如く広いお心でお読みくださいませ。 小説家になろうさんにも時差投稿します。 ↓ ↓ ↓ ⚠️以後、ネタバレ注意⚠️ 内容に一部センシティブな部分があります。 異性に対する恋愛感情についてです。 異性愛しか受け付けないという方はご自衛のためそっ閉じをお勧めいたします。

【完結】貴方を愛するつもりはないは 私から

Mimi
恋愛
結婚初夜、旦那様は仰いました。 「君とは白い結婚だ!」 その後、 「お前を愛するつもりはない」と、 続けられるのかと私は思っていたのですが…。 16歳の幼妻と7歳年上23歳の旦那様のお話です。 メインは旦那様です。 1話1000字くらいで短めです。 『俺はずっと片想いを続けるだけ』を引き続き お読みいただけますようお願い致します。 (1ヶ月後のお話になります) 注意  貴族階級のお話ですが、言葉使いが…です。  許せない御方いらっしゃると思います。  申し訳ありません🙇💦💦  見逃していただけますと幸いです。 R15 保険です。 また、好物で書きました。 短いので軽く読めます。 どうぞよろしくお願い致します! *『俺はずっと片想いを続けるだけ』の タイトルでベリーズカフェ様にも公開しています (若干の加筆改訂あります)

奥様はエリート文官

神田柊子
恋愛
【2024/6/19:完結しました】【2024/11/21:おまけSS追加中】 王太子の筆頭補佐官を務めていたアニエスは、待望の第一子を妊娠中の王太子妃の不安解消のために退官させられ、辺境伯との婚姻の王命を受ける。 辺境伯領では自由に領地経営ができるのではと考えたアニエスは、辺境伯に嫁ぐことにした。 初対面で迎えた結婚式、そして初夜。先に寝ている辺境伯フィリップを見て、アニエスは「これは『君を愛することはない』なのかしら?」と人気の恋愛小説を思い出す。 さらに、辺境伯領には問題も多く・・・。 見た目は可憐なバリキャリ奥様と、片思いをこじらせてきた騎士の旦那様。王命で結婚した夫婦の話。 ----- 西洋風異世界。転移・転生なし。 三人称。視点は予告なく変わります。 ----- ※R15は念のためです。 ※小説家になろう様にも掲載中。 【2024/6/10:HOTランキング女性向け1位にランクインしました!ありがとうございます】

両親の愛を諦めたら、婚約者が溺愛してくるようになりました

ボタニカルseven
恋愛
HOT1位ありがとうございます!!!!!! 「どうしたら愛してくれましたか」 リュシエンヌ・フロラインが最後に聞いた問いかけ。それの答えは「一生愛すつもりなどなかった。お前がお前である限り」だった。両親に愛されようと必死に頑張ってきたリュシエンヌは愛された妹を嫉妬し、憎み、恨んだ。その果てには妹を殺しかけ、自分が死刑にされた。 そんな令嬢が時を戻り、両親からの愛をもう求めないと誓う物語。

不妊妻の孤独な寝室

ユユ
恋愛
分かっている。 跡継ぎは重要な問題。 子を産めなければ離縁を受け入れるか 妾を迎えるしかない。 お互い義務だと分かっているのに 夫婦の寝室は使われることはなくなった。 * 不妊夫婦のお話です。作り話ですが  不妊系の話が苦手な方は他のお話を  選択してください。 * 22000文字未満 * 完結保証

愛する義兄に憎まれています

ミカン♬
恋愛
自分と婚約予定の義兄が子爵令嬢の恋人を両親に紹介すると聞いたフィーナは、悲しくて辛くて、やがて心は闇に染まっていった。 義兄はフィーナと結婚して侯爵家を継ぐはずだった、なのにフィーナも両親も裏切って真実の愛を貫くと言う。 許せない!そんなフィーナがとった行動は愛する義兄に憎まれるものだった。 2023/12/27 ミモザと義兄の閑話を投稿しました。 ふわっと設定でサクっと終わります。 他サイトにも投稿。

側妃を迎えたいと言ったので、了承したら溺愛されました

ひとみん
恋愛
タイトル変更しました!旧「国王陛下の長い一日」です。書いているうちに、何かあわないな・・・と。 内容そのまんまのタイトルです(笑 「側妃を迎えたいと思うのだが」国王が言った。 「了承しました。では今この時から夫婦関係は終了という事でいいですね?」王妃が言った。 「え?」困惑する国王に彼女は一言。「結婚の条件に書いていますわよ」と誓約書を見せる。 其処には確かに書いていた。王妃が恋人を作る事も了承すると。 そして今更ながら国王は気付く。王妃を愛していると。 困惑する王妃の心を射止めるために頑張るヘタレ国王のお話しです。 ご都合主義のゆるゆる設定です。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

処理中です...