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死に戻り、愛すれば
9.侯爵夫人としての正しさとは
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事件は、真昼間に起きた。
ティルカは神に誓って、仲良くなった子どもたちと遊んでいただけだ。なにも彼らを頭からバリバリ食べようとしたり、悪魔を呼ぶ紋章を描いていたわけじゃない。
かくれんぼをして、それに飽きた子どもたちと花で冠を作ったり棒で土に絵を描いたりしていたーーそれだけでも、爛れて膨れあがって溶けた顔は恐怖に感じるのだろう。
「うちの子になにをするの!!」という声が聞こえきて、次いで顔に痛みが走った。地面に倒れ伏したティルカにメイドたちが駆け寄り、助け起こす。特に懐いているイーサンという男の子は、ティルカと自分の母親をと見比べて大泣きし始めた。
「ぅ……っ」
血の付いた大きな石が土の上を転がっていくのを見て、これを投げられたのだと悟る。近くにいる子どもに当たったらどうするつもりなのかと口を開こうとしたティルカを見て、「やだ、不気味……」という声が降りかかった。
「お前たち、不敬ですよ!」
メイドが叫ぶが、彼女たちは蔑みの態度を変えようとしない。くすくすと笑いあって、顔を寄せ合う。
「こんな化け物を奥様だと頭を下げないといけないだなんて」
「伯爵家も、よくこんなのを送り込んできたわね」
子どもに感染しそうだわという言葉に、苦い笑みを浮かべる。これは魔法だからうつることはないと言うことが出来ず、ティルカは顔を俯けた。
「奥様!」
リリアが屋敷の方から走ってきて、イーサンの母親たちに「この方が侯爵夫人だと分かっての狼藉ですか」と睨みつける。普段どのようなことを言われても平然としている彼女にしては珍しい表情だ。
「私の子を食べようとしたのよ!?」
「奥様はそのようなことはなさりません」
この方が侯爵夫人だということがまだ分からないのという言葉に母親たちはたじろぐ。しかし「そんな化け物を侯爵様が寵愛するとでも?」という一言をきっかけに、「社交界に出ることがあったらどうするつもり? 恥を掻くのは侯爵様なのよ!?」「どうせ泉の妖精を苛めたから呪われたんでしょう」と波紋が広がっていく。
「奥様はあなたたちと違います」
リリアがハンカチで傷口を抑えてくれるが、ズキズキとした鋭い痛みは止まってくれようとしない。
(社交界には、アリエッサが出てくれる。だけど、彼女が来るまでは? そもそも、私は自分が得意でないことをアリエッサに押し付けようとしているだけではないの……)
自分の浅慮な行動が原因で、侯爵家の人たちに困惑と迷惑を掛けているーー今更ながら、なんということをしたのかと自責の念で押し潰されそうになる。
どうしよう、どうしようと視界がぐるぐると回ってくる。謝って済むのだろうかと、背が丸まっていった。
「なにを騒いでいる」
その場に冷え冷えとした声が聞こえてきて、ティルカはぱっと顔を上げた。屋敷から出てきて、侯爵がこちらにやって来るのが見えて泣きそうになってしまう。
対して、母親たちは体を強張らせていた。だが、ティルカの顔を見てぷっと小さく吹き出し、侮蔑の笑みを浮かべた。どうせ、こんな見るもおぞましい化け物なんて冷遇されている。
(……消えてしまいたい)
存在を忘れられたかった。居室か、牢屋か小屋にでも軟禁されて記憶の端に行ってしまいたかった。その為にここに来たのに、こんな悪印象しか残らない顔にして、なにを考えていたのだろうか。
近くに寄ってきた侯爵はティルカを一目見ると、その前に腰を落とす。片膝を地面についた彼は、そっと頬に手を当ててきて柳眉を顰めた。
「この傷はどうしたんだ」
案じるように潜められた声に、ティルカの目が大きく見開かれる。
「この者たちの愚行です、侯爵様」
リリアの告発を皮切りに、「石を投げたのを見ました」「奥様に化け物だと罵ってきたんです!」と周りを囲むメイドたちが声高に主張するのを咎めるように声を発する。そんなティルカを母親たちは意外そうな目で見る。
「違いますわ、侯爵様。この人たちは我が子を守っただけです」
こんな顔をしているのですから怖がられるのは当然ですわと主張し返す。どうか正しいご判断をと真剣な眼差しで侯爵を見つめると、彼は息を吐いた。
「いくら驚いたからと言って石を投げつけるのは非常識だし、罵倒する必要もない」
「社交界にも出られない身です。日頃から侯爵様のことを案じておられたただけですわ」
「そもそもお前は俺の妻なのだから雇い主なんだぞ。主人に歯向かえばどうなるかは考えなくても分かるだろう」
「侯爵様!」
母親を失った子どもがどうなるかは己の身でよく実感している。だからこそ、この者たちを許してほしかった。
「……我が妻の温情に感謝するんだな」
次はないと釘を刺した侯爵様に、母親たちは顔を青ざめさせて体を震わせた。
すぐに医者を呼んでこいと言う侯爵に、ティルカはお咎めなしで良かったと胸を撫で下ろす。対して不服そうに唇を尖らせるリリアの肩に手を置き、「すぐに知らせてくれて助かった。次も頼む」と言葉で補うことも忘れない主人に流石ですわと感心する。
(私は……庇ってくれたリリアたちの気持ちを考えなかった)
庇ったのにどうして、甘やかすから図に乗るんだと思っているメイドもいることだろう。なんて不甲斐ないのかと、ティルカは俯いて地面を見る。散った自分の血は、伯爵家にいた頃ではよく見た光景だ。
「奥様、大丈夫ですか。すぐにお医者様が参りますからね」
けれど、今はあの時とは違う。リリアたち、自分を心配してくれるメイドたちがいるーーそのことに、ティルカは微笑んで感謝を口にした。
ティルカは神に誓って、仲良くなった子どもたちと遊んでいただけだ。なにも彼らを頭からバリバリ食べようとしたり、悪魔を呼ぶ紋章を描いていたわけじゃない。
かくれんぼをして、それに飽きた子どもたちと花で冠を作ったり棒で土に絵を描いたりしていたーーそれだけでも、爛れて膨れあがって溶けた顔は恐怖に感じるのだろう。
「うちの子になにをするの!!」という声が聞こえきて、次いで顔に痛みが走った。地面に倒れ伏したティルカにメイドたちが駆け寄り、助け起こす。特に懐いているイーサンという男の子は、ティルカと自分の母親をと見比べて大泣きし始めた。
「ぅ……っ」
血の付いた大きな石が土の上を転がっていくのを見て、これを投げられたのだと悟る。近くにいる子どもに当たったらどうするつもりなのかと口を開こうとしたティルカを見て、「やだ、不気味……」という声が降りかかった。
「お前たち、不敬ですよ!」
メイドが叫ぶが、彼女たちは蔑みの態度を変えようとしない。くすくすと笑いあって、顔を寄せ合う。
「こんな化け物を奥様だと頭を下げないといけないだなんて」
「伯爵家も、よくこんなのを送り込んできたわね」
子どもに感染しそうだわという言葉に、苦い笑みを浮かべる。これは魔法だからうつることはないと言うことが出来ず、ティルカは顔を俯けた。
「奥様!」
リリアが屋敷の方から走ってきて、イーサンの母親たちに「この方が侯爵夫人だと分かっての狼藉ですか」と睨みつける。普段どのようなことを言われても平然としている彼女にしては珍しい表情だ。
「私の子を食べようとしたのよ!?」
「奥様はそのようなことはなさりません」
この方が侯爵夫人だということがまだ分からないのという言葉に母親たちはたじろぐ。しかし「そんな化け物を侯爵様が寵愛するとでも?」という一言をきっかけに、「社交界に出ることがあったらどうするつもり? 恥を掻くのは侯爵様なのよ!?」「どうせ泉の妖精を苛めたから呪われたんでしょう」と波紋が広がっていく。
「奥様はあなたたちと違います」
リリアがハンカチで傷口を抑えてくれるが、ズキズキとした鋭い痛みは止まってくれようとしない。
(社交界には、アリエッサが出てくれる。だけど、彼女が来るまでは? そもそも、私は自分が得意でないことをアリエッサに押し付けようとしているだけではないの……)
自分の浅慮な行動が原因で、侯爵家の人たちに困惑と迷惑を掛けているーー今更ながら、なんということをしたのかと自責の念で押し潰されそうになる。
どうしよう、どうしようと視界がぐるぐると回ってくる。謝って済むのだろうかと、背が丸まっていった。
「なにを騒いでいる」
その場に冷え冷えとした声が聞こえてきて、ティルカはぱっと顔を上げた。屋敷から出てきて、侯爵がこちらにやって来るのが見えて泣きそうになってしまう。
対して、母親たちは体を強張らせていた。だが、ティルカの顔を見てぷっと小さく吹き出し、侮蔑の笑みを浮かべた。どうせ、こんな見るもおぞましい化け物なんて冷遇されている。
(……消えてしまいたい)
存在を忘れられたかった。居室か、牢屋か小屋にでも軟禁されて記憶の端に行ってしまいたかった。その為にここに来たのに、こんな悪印象しか残らない顔にして、なにを考えていたのだろうか。
近くに寄ってきた侯爵はティルカを一目見ると、その前に腰を落とす。片膝を地面についた彼は、そっと頬に手を当ててきて柳眉を顰めた。
「この傷はどうしたんだ」
案じるように潜められた声に、ティルカの目が大きく見開かれる。
「この者たちの愚行です、侯爵様」
リリアの告発を皮切りに、「石を投げたのを見ました」「奥様に化け物だと罵ってきたんです!」と周りを囲むメイドたちが声高に主張するのを咎めるように声を発する。そんなティルカを母親たちは意外そうな目で見る。
「違いますわ、侯爵様。この人たちは我が子を守っただけです」
こんな顔をしているのですから怖がられるのは当然ですわと主張し返す。どうか正しいご判断をと真剣な眼差しで侯爵を見つめると、彼は息を吐いた。
「いくら驚いたからと言って石を投げつけるのは非常識だし、罵倒する必要もない」
「社交界にも出られない身です。日頃から侯爵様のことを案じておられたただけですわ」
「そもそもお前は俺の妻なのだから雇い主なんだぞ。主人に歯向かえばどうなるかは考えなくても分かるだろう」
「侯爵様!」
母親を失った子どもがどうなるかは己の身でよく実感している。だからこそ、この者たちを許してほしかった。
「……我が妻の温情に感謝するんだな」
次はないと釘を刺した侯爵様に、母親たちは顔を青ざめさせて体を震わせた。
すぐに医者を呼んでこいと言う侯爵に、ティルカはお咎めなしで良かったと胸を撫で下ろす。対して不服そうに唇を尖らせるリリアの肩に手を置き、「すぐに知らせてくれて助かった。次も頼む」と言葉で補うことも忘れない主人に流石ですわと感心する。
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庇ったのにどうして、甘やかすから図に乗るんだと思っているメイドもいることだろう。なんて不甲斐ないのかと、ティルカは俯いて地面を見る。散った自分の血は、伯爵家にいた頃ではよく見た光景だ。
「奥様、大丈夫ですか。すぐにお医者様が参りますからね」
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