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死に戻り、愛すれば

6.美しい人

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 部屋の扉をノックされ、入室を許可すると執事が入ってくる。
「侯爵様、ご相談が」
 訊くと、新しく迎えた妻のことだという。なんの問題があるのかと問うと、問題などなに一つないと返ってくる。
「素晴らしい方です」
「それは屋敷を見れば分かるだろ」
 前侯爵夫人ーー母が亡くなってから、この屋敷はまるで明かりが消えたかのように暗く、静まり返っていた。なのに彼女が来てからほんの少しだけ雰囲気が変わったのだ。
 決して華美だとか、賑やかではない。
 だが、庭は上からでも青々しい芝のアーチが曲線を描いているのが美しく、殺風景だった廊下の窓にはカーテンがつけられ花が飾られた。
 誰もいなかったサロンにはふくよかな紅茶の匂いが薫き染めるかのように柔らかく香っている。
 清廉な愛らしさといえばいいだろか。自分の色を出すというよりはこの屋敷の良さというものを引き出したかのような彩り。
 これはまるで、自分の母が帰ってきたかのようだった。
「口さがない世間に我々まで惑わされるところでしたが、いやはや……素晴らしい奥様が来てくださいましたな」
 この執事がここまで人のことを褒めるのは初めてだ。先日、過去の帳簿をごっそりと持っていったかと思えば早々と冬支度に掛かった資金をまとめ上げてきたのだが、文句ひとつ出ない完璧な予算案だった。
「伯爵家は教育に興味がないと思っていましたが、そうではないようですね」
「ああ、だが……あの者は本当にメルシー・クレイヴンファーストなのだろうか」
 夜会で見た女と彼女の姿が一致しない。自分が知っているメルシーは、もっと傲慢で自分こそが世界で一番可愛く恵まれていると思っているような人間だった。
 それこそ庭などは時期外れで土地に合わない花々で覆っては枯らせ腐らせ、屋敷の内装も原型をなくすような過分な装飾をするだろうと確信するはずの。
「それでは、別人だと?」
「顔が分からないので確証はないが、そもそも体型や声が違う」
 メルシーはもう十六にもなるのに、まるっきり少女のように幼い体型と甘ったるく男に媚び、毛嫌いする女には棘を刺すようにキンキンと金切だつ声だ。
 だが、今この屋敷にいるメルシーは背が高く、胸はないもののスレンダーで程よく女性的な柔らかさを持っている。声も冬の花々のように落ち着いていて、耳に不快な響きを残さない。
 精神も肉体もそぐわない彼女は、到底メルシーだとは思えなかった。あれが成長したとて、今の妻になれるはずもない。
「前伯爵夫妻に子どもがいたのか……?」
 考えつくとしたら、それしかなかった。私生児だとしても、あの女の股から出てくるとは信じ難い。
「奥様の長袖の下の秘密はご存知で」
「メイドから聞いている」
 彼女が着てきたドレスはまるで窓拭きに使うようなボロ布のようで、見ていられない程にみすぼらしかった。
 どれ程に困窮した暮らしを送ってきたのかと案じて華やかなドレスを贈っても「こんな顔ですので」としまいこんでしまうのだ。似合う方が着たらお譲りいたしますと顔を俯かせてそう言う。
 常に露出が少なく、地味な色目の飾りっけのないドレスしか好まないおかげで、最近ではこちらに対して衣装係のメイドがつまらないと嘆いてくるようになってしまった。
 その衣装係ですら、着替えや湯あみの時には室内に入れてもらえないらしい。連れてきたリリアというメイドか自分ひとりでしてしまう。
 こんなに醜い顔の女の世話をするのは苦痛でしょうからという理由だそうで、それ以外のことなら不満が出ないようにとなんでも平等に仕事を与えているようなので苦情を呈すことすらできない。
 だがーーそれでも、報告に上がってくるものがあった。
 服の下に、複数の怪我や火傷の跡があるのだと。あれは日常的に暴力を振るわれていない限りはできないとメイドたちは声を揃えて言う。
 昔はばあやと呼んでいたメイド長など、怒りに怒ってこの部屋の扉を開け放った程だ。
「十中八九、虐待だろうな」
 前伯爵夫妻には子どもがいないとされていたが、奥方と交流があった婦人たちは彼女が身篭っていたのを知っていた。
 大きくなったお腹を撫でて「もうすぐ子どもが産まれるの」と笑っていたのに、それきり伯爵家の門が閉ざされてしまいーー会えない内に馬車の事故で亡くなってしまったのだと。
 気にかかっているのはそれだけではない。この結婚は陛下からの命令だともいえるのだ。いつまでもひとり身でいるものではない、この女はどうだと有無を言わさず受け入れさせられた。
 なのに迎え入れた女が化け物だったというのは、少なからず己にも衝撃を与えたのだが。
「伯爵家への資金援助はまだお受けされないので?」
 控えていた執事にも質問され、当然と頷く。妻の今までの待遇を考えるととてもではないが優しくする気にはなれない。それどころか身売りさせるつもりかと怒りが湧いてくる有様だった。
「来たら今まで通り追い返してやれ」
 頻繁に屋敷の前まで馬車で乗りつけてくる妻の後見人だったという女は、ろくでもない人間だった。あのメルシーの母親に相応しい外道。
 日に日に妻に送られてくる手紙は増えている。初めに届いた手紙をなにを企んでいるのかと怪しんで勝手に中身を開封したところ、中身は笑える程に馬鹿げていた。
 罵倒と、俺に実家への援助をこぎつけるよう誠心誠意働け、初夜は成功したのか、必ず子を産んで地位を確立させろーーなんて愚かなのかと、暖炉にくべて燃やしてやった。
「あのような人間に、彼女を二度と会わせてやるものか」
 自分の妻は、美しい人だ。
 屋敷の花園で新しく咲いた花を見て、無垢な笑みを浮かべる。妻のことを不気味だという者がいたとしても、この目にはどうにも可愛らしく映って仕方がない。なにせ、動きや表情が可愛いらしいのだから。
 魂が美しいというのは妻のような人のことをいうのだと、周りに言いふらしてやりたかった。
「少し出てくる」と立ち上がると、執事はやんわりと微笑みながら白い髭を指でつまんで整えながら「奥様のところですかな」と知った顔をする。
 分かっているなら聞かなくてもいいだろう、どうして俺の考えが分かったんだと言いたかったが長年付き合ってきた彼にはお見通しなのだろう。
 いってらっしゃいませと朗らかに送り出されると、まるで自分が幼い子どもに戻ったかのようで落ち着かない。
 腰を擦りながら廊下を歩いていく。
 こちらを見透かしているようで、まるっきり遠くを見ているかのように不思議な目をする妻は、どう言えばどう振る舞えばこちらを見てくれるだろうか。
 毎朝の剣の訓練で泣きそうに潤ませるよりも面白い顔が見れるだろうかと想像するだに笑ってしまいそうになる。
 緩んだ口元を手で押さえながら、足が速まっていくのを感じた。
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