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死に戻り、愛すれば

3.対症療法にしても荒すぎますわ

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 もう二度と侯爵様の顔を見ることもないかもしれないと思っていたのに、なにもままならないことを思い出させてくれたのは翌早朝のことだった。
 小鳥が鳴き始めてすぐの頃には起きるという生活習慣が身に沁みついていたので、今日もそうした。二度寝をしてみましょうか、という気分になって目を閉じてみたものの一度覚醒した体は浅くても眠りを誘発してくれそうになかった。
 仕方なく一人で身支度をして部屋を出る。
 冷たいくらいの風が吹き付けるが、重たるくなった髪はなびきもしない。そのことに満足した私は足早に外廊下を渡って、目的地まで歩いていく。冬の庭園は殺風景で、そういえばアリエッサが来るまでこの庭はほとんど手付かずだったことを思い出す。
(彼女のような”温かみのある庭”にはならないでしょうけど……)
 比較対象としていい物が作れるかもしれない。私が着手することで、より彼女が手掛けた庭の愛らしさが際立つはずと思うと頬が緩む。侯爵様に庭に手を入れたいことを執事を通して頼んでみようと決めて歩いていく。
 前世では女当主として出来る仕事を全て担っていた。侯爵様は忙しい人なので時には屋敷や社交だけでなく、領地の慈善事業や災害対策などもすべて任されていたのでとにかく暇がなかったのだ。
 書庫の扉を開けると、整然と並んだ背の高い本棚が目に入ってくる。実家の伯爵家の書庫はこじんまりとしていたし、そもそも入室が禁止されていたが、侯爵家の書庫は違う。一流の司書に、彼女が選んだ書籍が所狭しと並んでいる。
「わあ……っ」
 前世でも来た所だけれど、以前は仕事に関する資料しか読めなかった。小説を読んでいるような時間がなかったので、メイドやアリエッサが読んだ感想を聞いて満足するようにしていたのだけれど……。
(あまり仕事をしすぎても良くないものね)
 仕事一辺倒なのが可愛くなかったのでしょうと考え、それならばやはり仕事一筋で生きた方がと目を閉じて考えこんでしまう。けれど、話してもらった小説があまりに面白く、自分でも読んでみたいという欲求が勝ってしまった。
 数冊だけならと特に評判だった小説をいくつか抜き出して、胸に抱く。いつもいつも運ぶのに苦労するくらい重たい政治や法律や医療の本ばかりだったので、この軽さは新鮮だ。
 手に持った小説を胸に抱えて部屋に戻る。窓を開けて新鮮な空気を入れると、ここで読みたいという気持ちが湧いてきた。急いで椅子を掴んで持ち上げようとするが、重たくてとてもではないが数センチも持ち上がりそうにない。ならばと背を掴んで引っ張るが、顔をパンパンに膨れ上がらせても斜めになるだけだった。
「べ、別の椅子は……」
 部屋を見渡すが、この椅子以外には見当たらない。しかもベッドと化粧台の間という微妙な位置にあるので用途が不明だし、化粧台の前には椅子がなかった。
(……そういえば、最初は使用人にも嫌われていたのよね)
 後でリリアに追加の椅子を頼みましょうと、腰に手を当ててふーーっと長く息を吐きながらのけ反る。
 ドアを叩かれ、けれどリリアがいなかったので自ら応対しようと開けたら目の前に侯爵様が立っていた。
 見間違えでしょうかと呆けていると、尊大な様子で腕を組んでいた侯爵様がため息を吐かれる。
「おい、化け物。出ろ。……なんだと? 屋敷を出ていけという意味じゃない」
 分かりましたとまだ荷開けをせずにドアの傍に置いていたトランクを持ち上げると止められた。ならばなにかと見ると、侯爵様が呆れたような顔になる。そんなに顔を見るのが嫌ならば来なくても構いませんのにと頬に手を当てると、彼はようやく用件を言う気になったのか口を開く。
「俺が直々に稽古を付けてやる。顔が化け物でも隠せば襲えないことはないからな」
 そう言って伸びてきた侯爵様に腕を掴まれ、部屋から引きずり出される。
「こっ、侯爵様! どこへ」と訊いても答えてもらえず、歩幅の違いからほとんど走るような形で外へ出る。侯爵様が化け物を連れていると噂をしたり、悲鳴を上げる使用人たちから顔を背けた。
 そうして連れてこられたのは、騎士たちが集まっている訓練場。前世でも訪れたことがなかった場所に、突然ドレスを着た化け物として来てしまった。
 唖然として口を大きく開けたまま固まっている騎士たちを見下ろし、侯爵様に抗議の声を上げる。
「あ、あの……侯爵様。騎士様がたも驚いておられるんですが」
「慣れろ」
 だが、横目で見た侯爵様は至って生真面目な顔で正面を向いていて、躊躇いつつも首を振る。
「いえ、私ではなく」
「慣れさせる」
 降りろと一言告げて階段を下っていく侯爵様に、こんな所でなにをするつもりなのかしらと思いながらも従う。
 だが、何食わぬ顔で剣を持てと渡してこようとする侯爵様に首を振る。まさか事故に見せかけて排除するつもりでしょうかと顔色を伺うと、侯爵様に苛立った様子で「なんだ早くしろ」と促してこられ慌てて受け取った。
「きゃっ!」
 けれど、その重さに耐えかねて取り落とすと騎士たちが笑う。無理ですってと野次が飛んでくる。
 そのことにーー剣を持つ男たちの笑い声に、記憶が呼び戻された。森の中、走る靴音。下卑た笑い声に、燃えるように熱い腹部。切りつけられた時の痛みが蘇ってきて首を手で押さえてしゃがみ込む。
「おい、どうした」
 立ち上がれと命じられるも首を振って拒絶する。ガクガクと体の震えが止まらない。
(だめ、怖い……ッ)
 刃物の音、返す時の光のきらめきに、はためくマントの音。熱気に包まれた訓練場のなにもかもが恐ろしくて堪らなかった。
「侯爵様、ご婦人は剣なんて持てませんよ!」
 取り落として怪我していたらどうするんですという声に顔を上げる。昨日の騎士、アイザックが庇ってくれるように前に立ち塞がっていた。
「それに、怯えておられますよ」
 分からないんですかと語気を荒げる彼に、侯爵様はん? とこちらを見下ろしてくる。目の下の涙を拭って肌を乾かし、もう一度魔法をかけ直してから「もう大丈夫ですわ」と首を振った。
「確かに怖いですが、これもいい経験ですから」
 そう言って立ち上がると、アイザックが無理をしなくていいと声を掛けてくれる。それも断って、背筋を伸ばして立つ。
「でも普通の剣は持てそうにもありませんので、レイピアをお貸しいただけますか?」
 笑いかけると、侯爵様の後ろにいた騎士がうわっと低い声を出して後ずさる。けれど侯爵様は「俺の妻の方が勇敢なようだ」と口元に皮肉気な笑みを浮かべてみせた。
 持ってきましたと走ってきた騎士から受け取ろうとしても重たくて、とても力を籠めないと持ち上げていられない。それを振り上げろと言われて泣きそうになって首を振りたくる。
「侯爵夫人、練習用の木剣を持ってきました」
 アイザックがレイピアを受け取ってくれ、代わりに今までのよりかは軽い木剣を差し出してくれた。これでもいいですかと侯爵様を見ると、彼は渋々頷いてくれる。
 良かったと思いつつも、それを振れと言われると困ってしまう。顔を醜くする魔法は水に溶けてしまうからだ。今は冬だし、なるべく汗が出ないようにとコルセットもきつく締めあげているので大丈夫だろうと木剣を振り続ける。
「まあいいだろう。毎日続けろよ」
 三十回を超したところでようやく許しが出たが、その後に続いた言葉に驚いて大声を出してしまった。
「これを毎日ですか!?」
 今日だけでも手首は外れそうになり、全身が痛みを発しているというのに。無理ですと無言で首を振るも、侯爵様は必要なことだと許してくれなかった。
 こんなに激しい運動をするのにドレスは相応しくない。さらしを付けている胸もコルセットを付けている腰もなにもかもが苦しくて苦しくて吐きそうになってしまう。
 うぅと呻きながら腹部を押さえていると、アイザックに杖代わりにしていた木剣を手から取られて膝から崩れ落ちそうになる。高いヒールのある靴を履いた足もじんじんと痛んでいて、座り込んでしまいたい。
「俺も付き合ってやる」
 言いたいことは伝えたから俺はもう行くとばかりに背を向けた侯爵様に、あっと声が出る。思わずマントを両手で掴んでしまい、サーッと青ざめた。怒られるか、感情の見えない目で見下ろされるか。どっちだろうと怖々顔を上げると、僅かに眉を顰めているものの怒ってはいなさそうだった。
「どうした」
 用件があるなら早く言えと淡々と言われ、この様子ならと口を開く。些細だが、前世ではとてもではないが言えなかったであろう我儘をーー
「あの、お願いがあるのですが……」
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