1 / 17
死に戻り、愛すれば
1.愛した人は、私に興味がありませんでした
しおりを挟む
「俺が人を愛すことはない」
手を取った人は、私を愛さない人でしたーー
「アリエッサ、君は俺の光だ。君がいるから、俺は俺でいられる」
「侯爵様っ、私も! 私も好きです」
抱きしめ合う男女の邪魔をしないように背を向け、歩いていく。夫である侯爵が領地に帰ってきたのと入れ替わるかのように、今度は私が王宮に呼ばれたから急がなくてはいけなかった。
その道中、馬車が襲われて逃げ出した私を何人もの男が追いかけてくる。森の中に入って逃げたけれど、ドレスを着ているからすぐに追いつかれてしまった。
「え……」
腹に突き刺さったナイフが引き抜かれ、今度は庇った腕を突き刺される。悲鳴を上げて逃げると後ろから追ってきて、引き倒され馬乗りになって首を掻き切られた。
脇を持たれて体をずるずると引っ張られていく。夥しい血と一緒に力が抜け出ていくようで、死から逃れられないことを悟る。このままどこかにうち捨てられるか埋められるのでしょう。
(侯爵様ーー……)
あなたの目に入らなくても、私はあなたを愛していたかった。自由をくれたあなたを遠くからでも見ていられれば、それで良かったのに。
たとえ、その隣にいるのが私ではなくても不満はない。大好きな彼らが笑っていれば私は幸せでいられるのですから。けれど、もうそれですら望めないだなんて。
自分の血で汚れたドレスを見たのを最後に、私の意識は途切れた。
「カーチェスター侯爵が結婚相手を捜しているのよ」
意識が浮き上がり、目を開けると棒切れのような白い腕が映り込む。爪が欠け、煙草の火傷跡が目立つ腕はしばらく見なかった自分の物のように思える。意思の元で動くそれに、彼女はどうしてと呟く。
「聞いているの!?」
金切り声とともに頭から水を掛けられ、謝罪が口を突いて出る。
見上げると、重厚な扉の前に叔母が立ってこちらを見下ろしていた。金の無心にしか顔を見せないというのに、どういうことだろう。
それにーーこっそりと辺りを伺うが、照明すらない寂れた石塔だ。これは、侯爵と結婚をするまで暮らしていた伯爵家に違いなかった。
「聞いておりました。ですが……」
夜会にも出させてもらえないのに、どうして関係があると思うのだろうか。暫し女を見上げていたが、ふいと顔を逸らす。
「あなたの娘の結婚など知りません」
そう言った途端、ツカツカと甲高いヒールの音を立てて近寄ってきた叔母に頬を叩かれた。
「侯爵と言っても、あのカーチェスター卿なのよ!? 私の大切な娘をあげるわけがないじゃないの」
髪を引っ張られ、乱暴に振り回される。もう一度聞こえてきた名前に、そうだったわねと同意する。彼があのと呼ばれる理由も、怒る叔母の言動が前と変わらないことも。
切り立つ雪山に囲まれた、北部最大の貴族。
侯爵様は闇夜のような黒い鬣に、深い紫の瞳を持つ端正な顔立ちの美しい青年。けれど戦ばかり好む無頼漢のような気性で、夜会に出てきても機嫌を損ねさせるとご婦人の首の骨を折ってしまうという恐ろしい噂があった。
「戦勝金で私腹を肥やしているみたいだし、王家の血筋も引いていて丁度いい相手なのに……」
さしものこの女も、娘を売り払うつもりはなかったということね。かといってこちらに八つ当たりをしないでほしいわと、千切れて床に落ちた髪に指を触れさせながらこっそりとため息を吐く。
「だから、私の娘としてアンタが嫁ぐのよ」
ドレスと馬車くらいは用意してあげる、という声に顔を上げる。
「……バレたらどうするのですか」
髪や目の色どころか顔も似ていないのですがと胸に手を当てながら言うと、叔母はフンと鼻を鳴らした。
「そんなのアンタが殺されるだけでしょ。もし帰ってきたら今度は小間使いにしてやるから!」
「そんなに簡単にいくわけがありませんわ!」
お待ちくださいと言うが、叔母は精々搾り取りなさいよと背を向けて出ていこうとする。あの男を騙すのは無理ですとドレスの袖を掴むと、また頬を張られた。もう何日もロクな食べ物を分け与えてもらえなかったのでしょう、力の入らない体は簡単に倒れる。
無情にも閉められた扉を見ても感情が湧かなかった。相変わらずロクでもないのは食べ物だけでなく、己の人生すべてだと思い起こす。
(私、戻ってきてしまったのね……)
クレイヴンファースト伯爵家の一人娘として生まれたけれど、両親は私が物心ついた頃に馬車の事故で亡くなってしまった。ーーというのは、叔母が作り出した嘘。実際は父に懸想した叔母が事故を装って二人を殺したのよ。
以来、正当な伯爵家の跡継ぎにも関わらず赤い巻き毛に金の目の叔母とは全く似通っていないからという理由で使用人まがいの扱いを受け続けてきた。
痩せぎすの体を引きずって、壁に凭れ掛ける。目を閉じても優しい夢など見れそうにない。
(また侯爵家の置物になるのは申し訳ないけれど、この家にはいたくないわ)
侯爵様は無関心だったけれど、ビジネスパートナー程度の関わりはできていた。なにより、大切な二人と侯爵家を見守っていたい。
「……今度こそ、存在を忘れられるくらい」
そうすれば、せめて生きているくらいは許されるだろうと目を閉じる。
手を取った人は、私を愛さない人でしたーー
「アリエッサ、君は俺の光だ。君がいるから、俺は俺でいられる」
「侯爵様っ、私も! 私も好きです」
抱きしめ合う男女の邪魔をしないように背を向け、歩いていく。夫である侯爵が領地に帰ってきたのと入れ替わるかのように、今度は私が王宮に呼ばれたから急がなくてはいけなかった。
その道中、馬車が襲われて逃げ出した私を何人もの男が追いかけてくる。森の中に入って逃げたけれど、ドレスを着ているからすぐに追いつかれてしまった。
「え……」
腹に突き刺さったナイフが引き抜かれ、今度は庇った腕を突き刺される。悲鳴を上げて逃げると後ろから追ってきて、引き倒され馬乗りになって首を掻き切られた。
脇を持たれて体をずるずると引っ張られていく。夥しい血と一緒に力が抜け出ていくようで、死から逃れられないことを悟る。このままどこかにうち捨てられるか埋められるのでしょう。
(侯爵様ーー……)
あなたの目に入らなくても、私はあなたを愛していたかった。自由をくれたあなたを遠くからでも見ていられれば、それで良かったのに。
たとえ、その隣にいるのが私ではなくても不満はない。大好きな彼らが笑っていれば私は幸せでいられるのですから。けれど、もうそれですら望めないだなんて。
自分の血で汚れたドレスを見たのを最後に、私の意識は途切れた。
「カーチェスター侯爵が結婚相手を捜しているのよ」
意識が浮き上がり、目を開けると棒切れのような白い腕が映り込む。爪が欠け、煙草の火傷跡が目立つ腕はしばらく見なかった自分の物のように思える。意思の元で動くそれに、彼女はどうしてと呟く。
「聞いているの!?」
金切り声とともに頭から水を掛けられ、謝罪が口を突いて出る。
見上げると、重厚な扉の前に叔母が立ってこちらを見下ろしていた。金の無心にしか顔を見せないというのに、どういうことだろう。
それにーーこっそりと辺りを伺うが、照明すらない寂れた石塔だ。これは、侯爵と結婚をするまで暮らしていた伯爵家に違いなかった。
「聞いておりました。ですが……」
夜会にも出させてもらえないのに、どうして関係があると思うのだろうか。暫し女を見上げていたが、ふいと顔を逸らす。
「あなたの娘の結婚など知りません」
そう言った途端、ツカツカと甲高いヒールの音を立てて近寄ってきた叔母に頬を叩かれた。
「侯爵と言っても、あのカーチェスター卿なのよ!? 私の大切な娘をあげるわけがないじゃないの」
髪を引っ張られ、乱暴に振り回される。もう一度聞こえてきた名前に、そうだったわねと同意する。彼があのと呼ばれる理由も、怒る叔母の言動が前と変わらないことも。
切り立つ雪山に囲まれた、北部最大の貴族。
侯爵様は闇夜のような黒い鬣に、深い紫の瞳を持つ端正な顔立ちの美しい青年。けれど戦ばかり好む無頼漢のような気性で、夜会に出てきても機嫌を損ねさせるとご婦人の首の骨を折ってしまうという恐ろしい噂があった。
「戦勝金で私腹を肥やしているみたいだし、王家の血筋も引いていて丁度いい相手なのに……」
さしものこの女も、娘を売り払うつもりはなかったということね。かといってこちらに八つ当たりをしないでほしいわと、千切れて床に落ちた髪に指を触れさせながらこっそりとため息を吐く。
「だから、私の娘としてアンタが嫁ぐのよ」
ドレスと馬車くらいは用意してあげる、という声に顔を上げる。
「……バレたらどうするのですか」
髪や目の色どころか顔も似ていないのですがと胸に手を当てながら言うと、叔母はフンと鼻を鳴らした。
「そんなのアンタが殺されるだけでしょ。もし帰ってきたら今度は小間使いにしてやるから!」
「そんなに簡単にいくわけがありませんわ!」
お待ちくださいと言うが、叔母は精々搾り取りなさいよと背を向けて出ていこうとする。あの男を騙すのは無理ですとドレスの袖を掴むと、また頬を張られた。もう何日もロクな食べ物を分け与えてもらえなかったのでしょう、力の入らない体は簡単に倒れる。
無情にも閉められた扉を見ても感情が湧かなかった。相変わらずロクでもないのは食べ物だけでなく、己の人生すべてだと思い起こす。
(私、戻ってきてしまったのね……)
クレイヴンファースト伯爵家の一人娘として生まれたけれど、両親は私が物心ついた頃に馬車の事故で亡くなってしまった。ーーというのは、叔母が作り出した嘘。実際は父に懸想した叔母が事故を装って二人を殺したのよ。
以来、正当な伯爵家の跡継ぎにも関わらず赤い巻き毛に金の目の叔母とは全く似通っていないからという理由で使用人まがいの扱いを受け続けてきた。
痩せぎすの体を引きずって、壁に凭れ掛ける。目を閉じても優しい夢など見れそうにない。
(また侯爵家の置物になるのは申し訳ないけれど、この家にはいたくないわ)
侯爵様は無関心だったけれど、ビジネスパートナー程度の関わりはできていた。なにより、大切な二人と侯爵家を見守っていたい。
「……今度こそ、存在を忘れられるくらい」
そうすれば、せめて生きているくらいは許されるだろうと目を閉じる。
12
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
ちっちゃいは正義
ひろか
恋愛
セラフィナ・ノーズは何でも持っていた。
完璧で、隙のない彼女から婚約者を奪ったというのに、笑っていた。
だから呪った。醜く老いてしまう退化の呪い。
しかしその呪いこそ、彼らの心を奪うものだった!
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
【完結】嫌われ令嬢、部屋着姿を見せてから、王子に溺愛されてます。
airria
恋愛
グロース王国王太子妃、リリアナ。勝ち気そうなライラックの瞳、濡羽色の豪奢な巻き髪、スレンダーな姿形、知性溢れる社交術。見た目も中身も次期王妃として完璧な令嬢であるが、夫である王太子のセイラムからは忌み嫌われていた。
どうやら、セイラムの美しい乳兄妹、フリージアへのリリアナの態度が気に食わないらしい。
2ヶ月前に婚姻を結びはしたが、初夜もなく冷え切った夫婦関係。結婚も仕事の一環としか思えないリリアナは、セイラムと心が通じ合わなくても仕方ないし、必要ないと思い、王妃の仕事に邁進していた。
ある日、リリアナからのいじめを訴えるフリージアに泣きつかれたセイラムは、リリアナの自室を電撃訪問。
あまりの剣幕に仕方なく、部屋着のままで対応すると、なんだかセイラムの様子がおかしくて…
あの、私、自分の時間は大好きな部屋着姿でだらけて過ごしたいのですが、なぜそんな時に限って頻繁に私の部屋にいらっしゃるの?
番から逃げる事にしました
みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。
前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。
彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。
❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。
❋独自設定有りです。
❋他視点の話もあります。
❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。
どうして私にこだわるんですか!?
風見ゆうみ
恋愛
「手柄をたてて君に似合う男になって帰ってくる」そう言って旅立って行った婚約者は三年後、伯爵の爵位をいただくのですが、それと同時に旅先で出会った令嬢との結婚が決まったそうです。
それを知った伯爵令嬢である私、リノア・ブルーミングは悲しい気持ちなんて全くわいてきませんでした。だって、そんな事になるだろうなってわかってましたから!
婚約破棄されて捨てられたという噂が広まり、もう結婚は無理かな、と諦めていたら、なんと辺境伯から結婚の申し出が! その方は冷酷、無口で有名な方。おっとりした私なんて、すぐに捨てられてしまう、そう思ったので、うまーくお断りして田舎でゆっくり過ごそうと思ったら、なぜか結婚のお断りを断られてしまう。
え!? そんな事ってあるんですか? しかもなぜか、元婚約者とその彼女が田舎に引っ越した私を追いかけてきて!?
おっとりマイペースなヒロインとヒロインに恋をしている辺境伯とのラブコメです。ざまぁは後半です。
※独自の世界観ですので、設定はゆるめ、ご都合主義です。
お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして
みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。
きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。
私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。
だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。
なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて?
全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです!
※「小説家になろう」様にも掲載しています。
最悪なお見合いと、執念の再会
当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。
しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。
それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。
相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。
最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる