忘却のカグラヴィーダ

結月てでぃ

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三章/夏歌えど、冬踊らず

淘汰されゆく命・一

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 暗く、火の灯された室内を声が蹂躙していく。それは彼女の耳にまで届き――拳を強く握った。
「此度は、余計な物を拾ったようだな」
「贄は贄だ。奴らの口元まで餌を持っていく真似はするべきでない」
「そうなる前に我らの神々に与える供物にすべきだ」
 寝台に寝かされている体に、白い布がかけられていき、緩やかな動作で顔まで覆う。
「与えるかどうか、決めるのも私の仕事です」
「贄を人のように扱う君に、このような大事を任せられるのかね」
「なにを……私の手元には、市ノ瀬雅臣がいます。彼の機嫌を損ねる愚行はなさらぬ方が身のためかと」
 昏く嗤う女に、舌打ちが一つ打たれた。
「あのような若造、なにが脅威か」
「いいや、彼女の言う通りだ。奴に従わねば世界は滅ぶのだ!」
「そうですな。……私はあの目に見られると怖気が走る。とても人間だとは思えん」
 前に手をやり、舞台に立つ役者のように堂々とした佇まいで、嫣然と笑う。
「あなた方では操ることは出来ない。だが、私ならば奇跡を起こせる。神に愛された子どもを、矮小な人間は愛せないのだから!」
 愚も不平もその醜い口に出すなと突きつけた女の背後で、白い羽が蠢く。
「偽りでも、神を作り出すことは私にしか出来ない。黙って見ていろ、老いぼれどもめ」
 子は生かす、と粘りつくような悍ましい目を向けられた者はぶるりと体を震わせた。
「余程死にたいようだな」
「私の命一つで、愛する者を救えるのならば! そんなものは捨ててしまえばいい!!」
 優先すべきは別だと言い切ると、僅かに怯むのが感じられる。
「私は捨てる、私の命など!」
 捨ててくれ、生きるためなら殺してくれていい。大切なのは、未来の希望を作れる彼らだ。
「神などにやるものか……っ」
 噛みしめた唇が切れ、血が伝う。
「しっ、痴れ者が!」
「だ、断言する。愚かなそれは、必ず死ぬ!」
「冬も迎えられないに決まっている。いや、一度出しただけで死ぬのではないかね」
「それを生かすのが、私の仕事だと言っている!! 黙れないのならば、貴様をアクガミの口に突っ込むぞ!」
 激する女の手を、後ろから伸びてきた手が握りしめた。それに振り返ると、煌々と巡る光の籠った目が――次第に白い顎から淡く照らされて、静けさを伴った青年の輪郭が紺に浮かび上がっていく。
「望まれるまでは生かさないと意味がないんだよ。今はまだ美味しくないからね」
 生気のない指につままれ、白い布がふわりと持ち上げられる。現れ出たのは、短髪の少年。
「折角拾った命だ。有効活用をしようよ」
 鬱蒼と笑う雅臣は、少年の体に巻かれた包帯に手をやり、緩んでいる部分を巻き直した。
「彼女の腹を満たさないと、日向の狭間は現れない。いくつ食わせればいいのか皆目見当がつかないのだから、この程度で騒がないでくれないかな」
 にこやかに、女と異なった発言をする男に冷や汗が伝っていく。この男は正しく、化け物であるのだ。
「彼女は優れた、綺麗な物しか食べてくれないんだ。彼が適するならそれでいい。そうでなくても、それでいい」
 凡人に期待などしていないのだからと白の白衣が風に揺れる。
「……今、最上級に近い存在は何体いるのだね」
「残念ながらうちには二人しかいませんよ」
「暁美徹は、その中に入っているのか。あれを供物として捧げてはいけないだろう」
「自身の保身ででしょう?」
 半眼になり、口の端を歪ませる男は、くぐもった声を出す。
「あれは、いけませんね。無味です。与える必要性もない」
「ならば、」
「近しいのは、渋木当夜です。彼しかいない――もう一人を与えれば、この国は荒れるでしょう」
 塔の中が揺れる。ざわめきは瞬く間に立ち上っていき、見上げる男と女を包む。
「あれは凍結された代物だ!! 今更あんな……っ、あんな失敗作を引きずり出そうというのかね、君は!?」
「ああ、やはりあの計画を行う経過で出来たんですか。道理で、どこか中途半端だと思っていたんです」
「中途半端? まさかっ、まだあの非人道的な実験を続けているというの!?」
 目を驚きと憤りで見晴らした女が見たのは、病的なまでに歪んだ笑みを浮かべる愛おしい男だった。
「なら、あれは孤独にさせればさせる程、強くなりますね。愚かな親が育てれば、感情も欠如するしかなくなる」
 仕方がない、と零した男の腕を女が掴む。髪を乱して首を横に振るのを見て、男は目を細める。
「神を殺す、炎神の力が欲しいでしょう」
「やめてっ! やめて、私はそこまでしてあの子の力なんて欲しくない!」
「殺すも生かすも同じだよ。等しく、苦痛だからね」
 ならば、愛した人に殺してもらった方がマシだと、落とされた言葉に力が抜けた。
「殺すかどうかは、君が決めてくれるんだよね。なら、審判の火は彼らを一片残らず燃やしてくれる」
 掴んで引っ張られ、触らされた手の下で動く彼の心臓。握らされたのは大勢の子どもの命だ。
「君を、殺してあげたいよ」
「……嬉しいわ」
 真っ直ぐに伸びてきた手が首に辿り着く。一切の力を籠めず、当てられた手に柔く微笑む。
 彼からの最上の愛を自分は与えられているのだ。
「まずは、六条四葉からだ」
「そうね、あの子に残っている時間はあまりにも少ない」
 閉じた目の裏に、光はない。こんな世界では闇も光もあったものではない。
 自分が与えられる希望とは、この程度の細く拙いものでしかないのだろう。
(誰一人、邪神になどやるものか)
 自分だけが決心しても変わるものはない。するかしないかでは、違うと信じて顔を上げる。
 そもそもが、無神論者なのだ。神など本気で信じてはいない。あれが神だとも思ってはいない。
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